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フィアット 1800 イタリア 1959年
1959年にフィアット 1400とその上級車1900は、フィアット 1800/2100にモデルチェンジしました。フィアット 1800/2100は全長約4.5mの大型高級車で、当初は4ドアセダンと5ドアワゴン(ファミリアーレ)がありました。ピニンファリーナがデザインしたセダンは、この当時の最新のスタイルでした。エンジンは6気筒1.8L(75HP)と6気筒2.1L(82HP)で、4段変速で最高速146km/h(2.1L)の性能でした。2100にはホイールベースを延長して全長4.75mとし、4灯式ヘッドライトを採用したスペチアーレという上級モデルが設定され、このモデルが当時のフィアットの最上級車でした。(実車画像→ フィアット 2100 スペチアーレ)
1800は1961年に81HPにパワーアップして1800Bとなりました。2100にはギヤのデザインした2+2座のGTカー 2100S クーペが1961年に追加されました。2100は1961年に排気量を2.3L(105HP)に拡大して4灯式のヘッドライトを持つ2300に変わり、2100S クーペは2300S クーペに変わりました。2300にはフィアットとしては初の自動変速機が1966年にオプション設定されました。1800の廉価版として4気筒1.5Lエンジンを搭載した1500L(主にタクシー用途)もありました。1800/2300は1969年まで生産され、後継車はフィアット 130でした。
ミニカーは1960年に発売されたコーギーの当時物です。コーギーとしては初のイタリア車のミニカーで、縮尺1/47と小さめに出来ていました。まだドア開閉ギミックが付かない実にシンプルな作りでしたが、角ばったフロント造形やフロント/リアが逆スラントしている直線的なスタイルがよく再現されていました。コーギーは同じ型を使い型番232で2100もモデル化していました。コーギー以外の1800/2300の当時物ミニカーはマーキュリーの1800、ディンキーの1800 ファミリアーレと2300 ワゴン、ガマの1800、ノレブ初期のプラスチック製の23000、ポリトーイ初期のプラスチック製の1800などたくさんありましたので、当時の実車は人気があったようです。当時物以外ではヴィーキングの1800、スターラインの2300 ワゴンなどがあり、ミニカー付雑誌「FIAT STORY」のNo.66で1500がモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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フェラーリ 250 GT SWB イタリア 1959年
フェラーリ 250シリーズのレーシングカーには250 テスタロッサ、250 GTO、250LMなどがあり、いずれも成功していました。250シリーズのGTカー(市販車)には、ホイールベースの異なるショートホイールベース(SWB 2400㎜)とロングホイールベース(LWB 2600㎜)がありました。レーシングカーではない最初のGTカーは1954年に登場した250 ヨーロッパ GTでした。LWB仕様でV型12気筒3L(220HP)エンジンを搭載し、4段変速、最高速218㎞/hの性能でした。受注生産で16台だけ生産されたとのことです。(実車画像→ フェラーリ 250 ヨーロッパ GT)
1956年からレースを主目的とする250 GTの生産が始まりました。ピニンファリーナのデザインによるボディは総アルミ製で、当時流行りだったテールフィンを採用していました。LWB仕様でV型12気筒3L(230-280HP)エンジンを搭載し、4段変速、最高速250㎞/hの性能でした。この車はフランスのツール ド フランスで1956年から数年間連続して優勝したことから、250 GT TDF(ツール ド フランス)と呼ばれるようになりました。1957年にはオープン仕様の250 GT カブリオレや250 GT カリフォルニア スパイダー(アメリカ向け) が追加されました。(実車画像→ フェラーリ 250 GT TDF)
250 GT TDFの後継として1959年に登場したのが250 GT SWBです。操縦性を向上するためにホイールベースを短くしたのがSWB(Short Wheelbase Berlinetta(クーペ))という名前の由来です。基本的にはレース用の車でしたが、このSWBあたりから本来の意味でのGTカー的な要素が加わってきました。ディスクブレーキ、ヒーター/ベンチレーターが初めて標準装備され、一般ユーザー用に操縦安定性が向上しました。SWBもTDFと同じピニンファリーナのデザインでしたが、テールフィンがなくなり、よりダイナミックで迫力のあるデザインに変わっていました。(これ以外の250シリーズのミニカーについては250 GTEを参照してください)
ミニカーは1992年頃に発売されたイタリアのバン製です。バンパーなどが付いたロードカー(ストラダーレ)仕様をモデル化しています。バンはボックスモデルから1991年に分離したブランドで、主にイタリア車をモデルしていて2006年に廃業しました。イタリアのメーカーはこの類のスポーツカーをモデル化するのが得意で、ライトの大きさやフェンダーのボリューム感をデフォルメして、実車のイメージをうまく再現していました。このバンのSWBも実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。バンは250 GTをレース仕様なども含めて約100種類ほどモデル化していました。これ以外の250 GTのミニカーとしては、ボックスモデル、ベストモデル、ジョエフなどイタリアのメーカーがたくさんモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)












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オースチン A40 ファリーナ カントリーマン イギリス 1959年
1958年にオースチン A35の後継車としてA40 ファリーナが登場しました。A35のシャーシにピニンファリーナがデザインしたボディを載せていました。エンジンはA35と同じ948cc(34HP)で、4段変速で最高速113km/hの性能でした。当初は2ドアセダンだけでしたが、1959年には上下2分割式テールゲートを持つカントリーマンが追加され、その機能的なデザインはハッチバック車の元祖とされています。
1961年にフロントグリルを変更してMK IIに発展し、1967年まで生産されました。MK IとMK IIの総生産台数は約34万台でした。テールフィン的なリアエンドを持つこのピニンファリー デザインは好評だったそうで、ADO16シリーズなどその後のBMC車にも使われました。 なおA40という名前の車は、それ以前にも1947年登場のA40 デヴォン、1952年登場のA40 サマーセット、1954年登場のA40 ケンブリッジなどがありました。この40というのはエンジンの馬力がおよそ40HPという意味で、それらは同じエンジンを搭載していました。
ミニカーは2010年に発売されたバンガーズ製です。バンガーズは老舗コーギーのブランドで、昔のコーギーを感じさせる少しレトロな作風になっています。このA40もプロポーションが良く、実車の雰囲気をうまく再現したシンプルで良質なミニカーに仕上がっていました。安価ながらもエッティング材のワイパーを使い、そのワイパーがほとんど目立たないのもこのブランドの良いところでした。(ワイパーが目立つと目障りで、雰囲気が壊れますので) A40の当時物ミニカーはコーギー、スポットオンなどがありました。当時物以外ではオックスフォードのMK IIがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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モーリス ミニ マイナー イギリス 1959年
1956年に第2次中東戦争(スエズ動乱)が勃発し石油価格が高騰しました。この状況に対応した経済的な新しいコンセプトの小型車として、BMCの開発コードでADO15(ADO :Austin Design Officeの略)と呼ばれたミニが開発されました。ミニは1959年にオースチン セブンとモーリス ミニ マイナーの名前で登場しました。1962年にオースチン セブンは オースチン ミニに、1967年にモーリス ミニ マイナーはモーリス ミニに名称変更されました。また1968年にBMCとレイランドの合併でBMCがBLMCになると、モーリスとオースチンの区別が無くなりました。
ミニはそれまでになかった2ボックス スタイルの斬新な小型車で、それを実現したのは横置きエンジンによる前輪駆動方式とゴムを用いたラバーコーン サスペンションでした。BMCの主任技術者アレック イシゴニスはエンジンの下にギヤボックスを配置するというイシゴニス方式を考案し、この方式で実用車に4気筒エンジンを横置き搭載した前輪駆動車はミニが世界初でした。オースチン製の4気筒848cc(34HP)エンジンを搭載し、約650kgの小型軽量ボディで4段変速、最高速125km/hの性能でした。1961年にジョン クーパーがチューンした4気筒997cc(55HP)エンジンを搭載し、ディスクブレーキを備えたBMC ミニ クーパーが登場しました。1963年にはさらに高性能な1071cc(70HP)エンジンを搭載しブレーキを強化したミニ クーパー Sが追加されました。
ミニカーはディンキー(英)製の当時物で、1966年に発売されました。縮尺1/40なので1/43より少し大きめのサイズでプロポーションが良く、実車の雰囲気がうまく再現されていました。金属製パーツのフロントグリルなど少しごつい造形でしたが、その辺がディンキー(英)らしいところでした。ディンキー(英)は同じ型を流用したポリス仕様やワゴンのトラベラー/商用バンもモデル化していました。これ以外の当時物ミニカーはコーギー、スポットオン、ポリトーイなどがありました。当時物以外ではビテス、ブレキナ、コーギー、エリゴール、エブロ、イクソ、京商、ノレブ、オックスフォード、シュコーなど様々なサイズで非常にたくさんあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)














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オースチン セブン (ミニ) イギリス 1959年
1956年に第2次中東戦争(スエズ動乱)が勃発し石油価格が高騰しました。この状況に対応した経済的な新しいコンセプトの小型車として、BMCの開発コードでADO15(ADO :Austin Design Officeの略)と呼ばれたミニが開発されました。ミニは1959年にオースチン セブンとモーリス ミニ マイナーの名前で登場しました。ミニという名前は先に成功していたモーリス マイナーのMINOR(ラテン語でより小さいの意)に対して、さらに小さいという意味を込めてラテン語で最小を意味するMINIMUSから付けたそうです。またオースチン版のオースチン セブンという名前(SE7ENと表記されることがある)は戦前の傑作小型車セブンにちなんだものでした。
1962年にオースチン セブンは オースチン ミニに、1967年にモーリス ミニ マイナーはモーリス ミニに名称変更されました。モーリスとオースチンはフロントグリルの形状とボンネット/トランクのエンブレムが違っていました。フロントグリルの違いはオースチンが9本の波形横バーで構成されるのに対して、モーリスは7本の縦バーと10本の横バーの格子で構成されていました。簡単にいうとフロントグリルの縦バーが明確に目立つのがモーリスでした。 1968年にBMCがBLMCになると、モーリスとオースチンの区別が無くなりました。 (実車画像→ モーリス ミニ マイナー)
ミニカーは1992年頃に発売されたビテス製です。ウインドスクリーンにワイパーやバックミラーを一体化表現したややレトロな作風でしたが、プロポーションが良く実車のシンプルな雰囲気がうまく再現されていました。これはオースチン セブンですがビテスはモーリス ミニ マイナーも発売していて、グリルとエンブレムがちゃんと作り分けてありました。ビテスは他にも左ハンドル仕様やラリー仕様などのバリエーションをたくさん出していました。オースチン セブンの当時物ミニカーはコーギー、スポットオンなどがありました。当時物以外ではマッチボックス、コーギー、バンガーズ、エブロ、サンスターの1/12などがあります。 以下はフロント(AUSTIN ロゴ拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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