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GM ビュイック モデル 35 アメリカ 1912年
ビュイック モーター社はイギリス系アメリカ人 デイヴィット ダンバー ビュイック (David Dunbar Buick)が1903年に設立しました。1904年に2気筒エンジン搭載のモデル Bを販売しましたが業績は芳しくなく、馬車製造会社を経営するウイリアム C デュラントに援助を求めました。デュラントの采配でビュイック社は業績が回復しましたが、創業者のビュイックは会社を去りました。フォード社と売上げを競うほどに成長したビュイック社を土台にして、デュラントは1908年にGM(ジェネラル モータース)社を設立しました。GM社はキャディラック、オールズモービル、オークランド(ポンティアック)などを買収して、アメリカ 3大メーカーの一つとなっていきました。
1912年に登場したビュイック モデル 35は、4気筒2.7L(23HP)エンジンを搭載する中型車でした。当時のエンジンは吸排気バルブをピストン側面に配置したサイドバルブ方式が一般的でしたが、ビュイックは現在では当たり前のバルブをピストンの上に配置したOHV方式を採用していたことが特徴で、このモデル 35もOHV方式でした。シートは本革張り、タイヤはまだカーボンを使っていない天然ゴムの白タイヤ、ホイールは木製、ヘッドライトは電気式ではなくアセチレンガスを使うランプでした。この車は当時のビュイックのベストセラーカーで、約6000台が売れたそうです。
ミニカーは1987年頃に発売されたアメリカのアーテル(ERTL)製です。自動車黎明期のアメリカ車を数点ほどモデル化したアーテルの「VINTAGE VEHICLES」シリーズの1台です。実車参照画像と見比べると、スケールモデル的な造形で結構良く出来ていることが分かります。自動車初期の白タイヤやBUICKロゴの付いたフロントグリルなどもそれらしい出来ばえです。ただその白タイヤは梱包箱の中で固定された状態で保管していたので、固定されていたタイヤ接地面が扁平に変形しています。この時代のアメリカの実用車のミニカーはあまりありませんので、その点で貴重なモデルです。(サイドビューを見るとよくわかります) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM ビュイック シリーズ 40 スペシャル アメリカ 1936年
デイヴィット ダンバー ビュイック(David Dunbar Buick)が1903年に設立したビュイック社は、当初は業績が芳しくなく馬車製造会社のウイリアム C.デュラント(William Crapo Durant)に援助を求めました。デュラントの采配でビュイック社は業績が回復しましたが、創業したビュイックは会社をさりました。1908年にデュラントはGM(ジェネラル モータース)を創立し、キャディラックやオールズモービルを買収し、GMはアメリカ4大メーカーの一つとなっていきました。当時のビュイックはGMの主力車種で、1919年には売り上げの半分を占めていました。(1910年代のビュイック)
1930年台前半のビュイックのモデル構成としてはシリーズ40/50/60/80/90の5モデルがあり、8気筒(3.8-5.7L)エンジンが搭載されていました。1936年の全面的なモデルチェンジで、エントリー仕様のシリーズ40はスペシャル、シリーズ60はセンチュリー、シリーズ80はロードマスター、最上級車のシリーズ90はリミテッドという名前になりました。(シリーズ50は1940年にスーパーに改名) スペシャルは1960年頃まではビュイックのフルサイズでは一番安いエントリー仕様でした。(1950年代のビュイック)
ミニカーは2016年に発売されたイクソ製のMUSEUMシリーズです。1936年式のビュイック スペシャル 初代をモデル化しています。MUSEUMシリーズとしては標準的な仕上げレベルでプロポーションが良く、フロントグリルの赤いBUICKのロゴとその上についているマスコットやエッチング材のワイパーなど細部まで良く仕上げてあります。(このマスコットはCORVETTEと呼ばれアメリカの海軍艦艇の艦首に飾られる女神像をイメージしたものでした) 特に凝っているのが、肉眼では気が付かないのですが、画像を拡大するとホイールキャップにBUICKのロゴが付いています。この当時のアメリカ車の標準的なセダンはあまりモデル化されていないので、その点で貴重なミニカーです。1930-1940年代のビュイック車はウエスタンモデルのセダンやワゴン、オックスフォードのクーペ1/87、フランクリン ミントとダンバリー ミントの1/24など色々なブランドでモデル化されています。 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像とホイールキャップのBUICKロゴの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM ビュイック スーパー アメリカ 1950年
デイヴィット ダンバー ビュイックが1903年に設立したビュイック社は、当初は業績が芳しくなく馬車製造会社のウイリアム C.デュラントに援助を求めました。デュラントの采配でビュイック社は業績が回復しましたが、ビュイックは会社をさりました。1908年にデュラントはGM(ジェネラル モータース)を創立し、キャディラックやオールズモービルを買収し、GMはアメリカ4大メーカーの一つとなっていきました。ビュイックはGMではキャディラックに次ぐ高級車ブランドです。(1930年代のビュイック)
ビュイック スーパー 初代は1940年に登場し1942年に2代目が登場しました。スーパー 3代目は戦後の1949年に登場しました。8気筒4.1L/4.3LとV型8気筒5.3Lエンジンを搭載するフルサイズの大型車で、4ドアセダン、2ドアクーペ/コンバーチブル、4ドアワゴンがありました。3代目は戦後型ですがまだ独立したフェンダーが少し残っていました。派手なクロームモールの楕円形フロントグリルは正面から見ると歯をむき出しているような感じで、あまり上品ではないですがインパクトがありました。この楕円形フロントグリルはビュイックの伝統として2000年代のビュイックにも使われていました。ボンネット後部にある3連の穴(VentiPorts)はこの時期のビュイック車の特徴で下位グレードのスペシャルとスーパーは3連、V型8気筒エンジン搭載の上級グレードのロードマスターは4連でした。1954年にスーパー 4代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ ビュイック スーパー 1954)
ミニカーは1987年に発売されたソリド製です。ソリドは1950-1960年代のアメリカ車を1980年代に数種類ほどモデル化していましたが、このビュイック スーパーもその一つです。プロポーションが良く、特徴的な楕円形のフロントグリルやボンネット後部の穴もうまく再現されています。ボンネット後部の穴は戦闘機のエンジン排気口を模したもので、ボンネット前端についているマスコットは戦闘機の銃撃照準器を模したものらしいので、この当時は自動車のデザインにも戦争の影響が残っていたようです。ソリドは型番4512で幌を閉じたバリエーションがありました。同時期のビュイックのミニカーはディンキーの当時物、フランクリン ミントの1/24と1/43、ダンバリー ミントの1/24、ブッシュの1/87、SIGNATUREの1/32などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM ビュイック ロードマスター アメリカ 1958年
ビュイックはGMではキャディラックに次ぐ高級車ブランドです。1958年のビュイックのフルサイズには下位グレードからスペシャル/センチュリー/スーパー/ロードマスター/スカイラーク(パーソナルクーペ)の5シリーズがありました。アメリカ車では1950年代後半に丸形2灯式ヘッドライトの4灯化が始まり、GMは1958年に全ブランドが一斉に4灯式ヘッドライトを採用しました。ビュイックも1957年から登場した第7世代が1958年に4灯式ヘッドライトを採用して、フロント周辺のデザインが大幅に変更されました。
1958年式のフロントグリルは水平基調になりヘッドライトにひさし(眉)がつき、そのひさしの縁がサイドのクロームのラインにつながっていました。リアサイドの派手なモールはリアの大きなテールフィンと一体化していました。フロントグリルの中央にはV字をあしらったエンブレム、左右のフェンダー上にも同じモチーフのエンブレムがあり、これは見た目からGunsight(銃の照準器)と呼ばれていたそうです。ロードマスターはV型8気筒6L(250-300HP)エンジンを搭載し、3段自動変速で最高速180km/h(250HP)の性能でした。1959年のモデルチェンジでロードマスターはエレクトラに名称変更されました。(実車画像→ ビュイック エレクトラ 1959)
ミニカーは1993年頃に発売されたビテス製です。最上級グレードのビュイック ロードマスター 2ドアハードトップをモデル化しています。ビテスは1950-1960年代のアメリカ車を10数種類モデル化していましたが、これはその1台です。この時代のアメリカ車は大きくて派手なデザインが魅力なのですが、このビュイックも派手なフロントグリル、テールフィンなど実車のイメージがうまく再現されていました。またグリル中央、左右フェンダー上のエンブレム、室内などの細部も良く再現されています。バリエーションでコンバーチブル仕様もありました。同時期のビュイックのミニカーはこのビテスの型を流用しているらしいマッチボックス、サンスターの1/18、ニューレイなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM ビュイック リビエラ アメリカ 1963年
1950年代後半のGM車のデザインはビュイック ロードマスターやシボレー インパラなどのように派手でダイナミックなデザインでした。そのデザインは1960年代になると直線を基調としたシンプルなデザインに変わっていきました。1960年頃のビュイックのモデルレンジは下位グレードからコンパクトカーのスペシャル/スカイラーク、フルサイズののルセーバー/インビクタ/エレクトラがありました。エンジンはV型6気筒3.2L、V型8気筒3.5L/4.9L/6L/6.6Lなどが搭載されていました。(実車画像→ ビュイック エレクトラ 1961)
1963年に最上級グレードのパーソナルカーとしてリビエラが登場しました。リビエラという名前は1949年式ロードマスターの2ドアハードトップのグレート名に使われていましたが、1963年から独立したモデル名となりました。リビエラは2ドアハードトップ クーペだけの特別なモデルで、リビエラ専用のボディは直線的なエッジが効いた魅力的なデザインでした。1964年にエンジンがV型8気筒7L(340HP)に変更され、新型の3段自動変速機が採用されました。標準のビュイックより外形が小さい軽量ボディでサスペンション設定も変更されていたので、走行性能が優れていました。リビエラはフォード サンダーバートに対抗するパーソナルカーとして登場し成功しました。1966年にリビエラ 2代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ ビュイック リビエラ 1966)
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製です。1960年代の代表的なアメリカ車を1/43でモデル化した60年代シリーズの1台です。このシリーズは全てボンネット/ドアの開閉ギミック付でエンジンや床下のサスペンションなども結構リアルに再現されていました。このリビエラもフロントグリルはややレトロな作風ですが、特徴的なエッジの効いたボディが良く再現されていました。室内は紙のシールでインパネが再現され、ボンネットを開くとV型8気筒エンジンがそこそこリアルに再現されていました。これ以外のリビエラ初代のミニカーはコーギーの当時物、ディンキー(香港製)の当時物、アーテルの1/18、ジョニーライトニングの1/64、スパーク(レジン製)などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)