Sorry Japanese Only
ブガッティ T32 タンク プロトタイプ フランス 1923年
ブガッティ T32 タンクは1923年のフランス GPに参戦するために開発されたレースカーでした。タンク(水槽)という名前は、この独特のボディ形状から名付けられました。空気抵抗を低減するために側面が飛行機の翼断面の形状をしています。この形状はエットール ブガッティのアイデアだったそうです。彼はブガッティ T35のような官能的なデザインだけでなく、正面から見ると正方形に見えるこのようなスクエアなデザインも好みだったようです。ただこの形状だと高速では揚力が働くので、高速走行時の路面のグリップは良くなかったようです。
T32は8気筒2L(90HP)エンジンを搭載し、最高速は180km/hの性能でした。1923年のフランス GPではT32が4台参戦し、ゼッケン#6が3位となりました。(残り3台はリタイヤ) T32の後継車は1924年に登場し圧倒的な強さを誇ったT35でした。 なおブガッティ T57のレース仕様として1936年に登場したT57Gもタンクと呼ばれました。T57G タンクも基本は四角いボックスデザインでしたが、全体的に流線的なデザイン処理がされていました。T57Gは1937年のルマンで優勝しています。
ミニカーは2010年に発売されたブルム製です。T32 タンクのプロタイプをモデル化しています。角ばったボディとリベット止めされた外板がうまく再現されていて、実車の雰囲気が良く再現されています。コクピット内の造形など細かいところも結構忠実にモデル化しています。ブルムはレース仕様(型番R467)と黄色のストリートカー仕様(型番R468)もモデル化しています。T32 タンクは最近までミニカーがありませんでした。2009年にトップモデル(レジン製)が初めて(たぶん)モデル化し、2010年にブルムがブガッティ創立100周年記念モデルとしてモデル化しました。トップモデルのT32 タンクはボディ外板のスリット部に墨入れしてありますが、実車のボディ外板は割とあっさりしていてスリットもあまり目立たないので、ブルムの表現のほうが実車に即しているように思います。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=2048
メルセデス ベンツ タルガ フロリオ ドイツ 1924年
ダイムラー社からベンツ社に移籍してきたフェルディナンド ポルシェ博士(スポーツカー ポルシェの創立者)の初仕事はスーパーチャージャー付きの新しいエンジンの改良でした。ポルシェの設計変更を受けたエンジンを積んだレースカーは、1924年のタルガ フロリオ レースに出場し総合優勝しました。搭載されていた4気筒1.99Lエンジンは過給時に120HPと高性能でした。なおこの車の名前は厳密にいうとメルセデス ベンツではなくメルセデスとなります。(1926年にダイムラー社とベンツ社が合併したことで、ダイムラー ベンツ社のメルセデス ベンツというブランド名ができたので)
1920年代後半にはGPレースの規格が毎年改定されるようになり、レース専用車の開発に費用がかかるようになったので、ダイムラーはレース専用車の開発を中止しました。専用車開発はやめましたが、ポルシェが設計した市販スポーツカーを転用したレース仕様車でレースを継続することになりました。転用されたのは6気筒7Lエンジンを搭載したメルセデス ベンツ S シリーズで、1928年にはSSとそのホイールベースを短縮して高性能化したSSKが登場しました。
ミニカーは1970年代に発売されたカーソル(CURSOR)製です。このミニカーはダイムラー ベンツ社の100周年記念品として製作されたプロモーション モデルの一台でした。このプロモーション モデルは主にダイムラー ベンツ社のディーラーで100周年記念品として販売されたようですが、一般向けにも1978年頃にデパートなどで販売されました。 プラスチック製ですので塗装していないプラモデル完成品のような出来ばえです。全体的にそこそこリアルに出来ていましたので、当時の玩具的なミニカーとは異なるレベルの良い出来ばえでした。ただ無塗装のプラスチック製なのでボディの質感は今一つです。(特にフロントグリルの透明パーツはあまりリアルな感じがしません) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=141
イスパノ スイザ H6C チューリップウッド スペイン/フランス 1924年
イスパノ スイザ H6Cは前述したH6の6.6Lエンジンを8Lに拡大したスポーツ仕様でした。このチューリップウッドという名前の車は元々はレーシングカーで、フランスの富豪アンドレ デュポネ(レーシングドライバーでもあった)が、戦前の戦闘機メーカーNIEUPORT(ニューポール)社に製作させた特注品でした。ボディは軽量化の為に木製フレームの上に木の薄板を貼り付けた構造となっていました。「TULIPWOOD(ユリノキ材の意)」の名前は使われた木材にちなんだものです。
この車はレーシングカーとして1924年のタルガ フロリオで6位、コッパ フロリオでは総合5位でクラス優勝しています。その後実用的なフェンダーやスペアタイヤなどが付けられて、ツーリングカーに改装されました。6気筒8L(200HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速170km/hの性能でした。アンドレ デュポネはこの車をイギリスに売却し、現在はアメリカのブラックホーク博物館に所蔵されているようです。
このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUESシリーズ」のNo.17向けに作られた物でした。これはその雑誌付きミニカーを流用して細部をリファインしてイクソのカタログモデルとして2010年に発売されたものでした。実車の板張りのボディがうまく再現されていてフロントグリルなどの細部もリアルで、とても良く出来ています。雑誌付きミニカーとカタログモデルでは細部の仕上げに大きな違いがありました。特にカタログモデルのスポーク ホイールはスポークが細くなりリアリティが圧倒的に向上していました。また木目を再現したボディの塗装や、メッキされた金属パーツも雑誌付きミニカーよりレベルの高い仕上げとなっていました。(詳細が知りたい方は当サイトのこちらを参照されたし→ 2010年新製品レビュー) なお側面についたスペアタイヤやフェンダーは取り付け部がプラスチック材なので強度がなく折れやすいので取り扱いに注意する必要があります。イクソ以外のH6C チューリップウッドのミニカーではフランクリンミントの1/24がありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1118
アルファ ロメオ P2 グランプリ イタリア 1924年
1918年にアルファ社は実業家ニコラ ロメオが興したニコラ ロメオ技師株式会社に吸収されて、1921年にブランド名をアルファ ロメオに変更しました。この当時のアルファ ロメオは前述したエドワード期の24HPの改良型の20/30HPと4気筒6Lの40/60HPの2モデルがあり、レースでの活躍でイタリア国内では高性能車としての地位を固めていました。また1921年には6気筒3Lのツーリングカー RLを発表しました。
アルファ ロメオはその名声を高めるためグランプリ(現在のF1)への参戦を決め、1914年にグランプリカーを製作しましたが、第1次大戦の勃発でグランプリへの参戦は中止となりました。戦後新たにグランプリカー P1を製作しましたが、1923年のモンザ GPのテストランの途中に事故を起こしてドライバーが死亡した為、参加を取りやめました。(実車画像→ アルファ ロメオ P1)
その後フィアットから有能な技術者ヴィットリオ ヤーノを招き、短期間で1924年に完成させたのがP2でした。DOHC 直列8気筒2L スーパーチャージャー付(140HP)エンジンを搭載し最高速225Km/hの性能でした。P2は初戦から優勝しその後もブガッティ、メルセデス、フィアットなどの強豪を相手に輝かしい戦歴を収めました。1932年に後継車のP3が登場しました。なお1930年にニコラ ロメオ技師株式会社から自動車部門が独立して社名がS.A.アルファロメオ(S.A. ALFA ROMEO)となりました。
ミニカーは1976年に発売されたメーベトイ製です。この当時はミニカー化されていなかったアルファ ロメオ P2をモデル化していました。メーベトイとしては後期のもので、当時としては珍しかった縮尺1/25の大スケールミニカーでした。メーベトイは1969年にアメリカのマテル社に買収されましたが、メーベトイの創業者は1974年から新たにマートイ(MARTOY)という新しいブランド名で縮尺1/24の大スケールミニカーを発売しました。マートイは1976年からブランド名を現在のBブラーゴ(BBURAGO)に変更しました。したがってこのP2の1/25のミニカーはBブラーゴの初期物と考えることもできます。実車の雰囲気が良く再現されていて、1/25とサイズが大きいこともあってコクピット内部などの細部もかなりリアルに出来ていました。初期の大スケールミニカーとしてはかなり良い出来ばえの秀作でした。P2はミニチャンプスもモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=191
ロレーヌ ディートリッヒ B3-6 フランス 1925年
ディートリッヒ社はフランスのロレーヌ地方(ドイツとの国境地帯)で蒸気機関車を作っていた会社で、1896年に自動車製造に進出し1935年まで自動車を生産していました。後にブガッティを設計した有名な技術者E.ブガッティを採用し、彼が設計した4気筒車はこの会社の名前を上げました。1905年から車の名前をロレーヌ ディートリッヒに改名しており、この頃には高性能な車として評価されていました。
第1次大戦中は軍需品生産を行い、戦後に自動車と航空機エンジンの製造を再開しました。1919年に高性能な6気筒3.45Lエンジンを搭載する新型のA1-6とB2-6が登場します。この車は1922年にB3-6に発展し、そのレース仕様車は1925年ルマンで優勝と3位、1926年ルマンでは1-2-3フィニッシュで優勝しています。ルマンを2連覇したメーカーはロレーヌ ディートリッヒが初めてでした。その後も4気筒2.3L/6気筒6.1Lエンジン搭載車などが追加されました。1928年に会社は売却されて車名がロレーヌに変更されました。1935年に販売不振で自動車市場から撤退し、第2次大戦中は軍用車(装甲車ロレーヌ_37Lなど)の製造を行いました。
ミニカーはイクソ製で、2006年頃発売されました。ルマン参戦車をモデル化しているルマン24シリーズの1台で、ロレーヌ ディートリッヒ 1925年ルマン優勝車をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現され、フロントグリルのエンブレムや内装のメーターパネルなどもリアルに再現してあり、かなり良い出来ばえです。イクソはバリエーションで1925年と1926年のルマン出場車も数種類モデル化しています。イクソ以外のロレーヌ ディートリッヒのミニカーはミニチャンプスがB3-6の市販車をモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1753
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.