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イターラ 北京-パリ レース 優勝車 イタリア 1907年
イタリアのチェイラーノ兄弟はイタリア自動車産業の創世記に重要な役割を果たした人物でした。1898年にジョヴァンニ バッティスタ チェイラーノとマッテオ チェイラーノが共同で設立したチェイラーノ GB&C社が自動車製造を始め、2気筒エンジンを搭載する小型車を開発しました。この会社は1899年に設立されたフィアット(FIAT)社が買い取り、開発されていた車はフィアット 1号車として発売されました。その後ジョヴァンニ バッティスタはフィアットを去り、STAR社(後にフィアット傘下となる)を設立しています。マッテオ チェイラーノは1904年にイターラ(ITALA)社を設立しました。
イターラ社はレースで活躍して有名になりました。1905年に開催されたコッパ フロリオでは14.5Lの大排気量エンジンを搭載するイターラ 112HPで優勝し、1906年の第1回タルガ フロリオでも優勝しました。(実車画像→ イターラ 112HP) さらにイターラを有名にしたのは1907年に行われた世界最長の「北京-パリ」レースでの勝利でした。「北京-パリ」レースは文字どおり中国 北京を出発してシベリアを経由してフランス パリまでの16000kmを走るという壮大な冒険レースでした。(参加したのはド ディオン プートンなど5台だけでした) このレースを44日間(1日平均364㎞)で走り切り優勝したのがイターラでした。優勝車は4気筒7433cc(45HP)エンジンを搭載し4段変速で最高速100km/hの性能でした。このレースの勝利はイターラの販売に大きく寄与しました。
ミニカーは1961年に発売されたイタリアのリオ製です。クラシックカー専門ブランドとして1961年に登場したリオのミニカーは、大人のコレクターを対象としたリアルな造形で 、当時の玩具としてのミニカーとは一線を画す画期的なものでした。これは「北京-パリ」レースの優勝車をモデル化していて、ボディに書かれた「PARIGE PECHINO」はイタリア語で「パリ 北京」の意で、運転席後方の補助席、ガソリンタンク、スペアタイヤなどのレース仕様が忠実に再現されています。現在的な感覚でみても良く出来たミニカーですが、これは60年以上前に発売されたのです。なお画像の物は1978年に入手したものですので、最初に発売されたものとはパーツの材質が変更されています。例えばボンネットの固定バンドですが、これはプラスチック製ですが、初期物は本物の皮革が使われていました。(参照ページ→ 初期の物との比較画像) ただし材質変更以外は最初に発売されたものと同じです。このミニカーは型番4002や型番4224でリニューアルして販売され、2012年にもリオの50周年記念品として特別カラーで新規に発売されています。多少型を修正したり仕上げを変更したりしていますが、たぶん世界一長期間ほぼ同じ状態で作られてきたミニカーだと思います。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット S76 イタリア 1911年
前述したようにフィアット F2はGPレースの頂点を極めましたが、その後のGPレースでは大排気量エンジンを搭載した馬力重視型のレースカーは時代遅れになっていきました。そこでフィアットは大排気量エンジンのGPカーを使って自動車の速度記録樹立に挑戦することになりました。当時の速度記録は1911年に4気筒21.5L(200HP)エンジンを搭載したベンツ ブリッツェンがデイトナ ビーチで達成した時速228.1km/hでした。そこでフィアットはベンツ ブリッツェンを上回る排気量28354cc(290HP)という史上最大の自動車用4気筒エンジンを搭載したS76で世界記録樹立を目指しました。
S76は何度か速度記録に挑戦しましたがうまくいきませんでした。1913年のベルギーのオスランドでの速度記録挑戦では、往路で132.37mph(213.02km/h)が計測されましたが復路の計測ができず記録は達成できませんでした。(非公式ではアメリカで最高速290km/hに達したともいわれていますがこれは?です) S76は速度記録車なのでそれなりに空力的なデザインがされていますが、エンジンが巨大なのでボンネット部分が異様に高い独特の形をしています。見た目だけでも迫力がありますが、エンジンを始動させると強烈な爆発音が鳴り響きボンネット横の排気管からは炎が噴き出したそうです。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたクラシックカーの専門ブランドのドゥグー製です。ドゥグーは大人のマニア向けのミニカーで、イタリアのビスカレッティ自動車博物館に保存されている実車を忠実にモデル化していました。このフィアット S76も独特の迫力のあるボディが良く再現され、実際に可動する後輪駆動用チェーンなど凝った作りです。ドゥグー初期のミニカーのホイールは経年変化で溶けてしまうという問題があり、このS76のホイールも似たようなデザインの別のミニカーのホイールに交換してあります。ホイールの色合いがボディと少し異なり違和感があるのはそのせいです。(オリジナルのホイールはボディと同色に塗装されていました) これ以外のS76のミニカーは2017年に発売されたAUTOCULT(レジン製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像と後輪駆動用チェーン部分の拡大画像です。チェーンとスプロケットは軟質プラスチック製で実際に回転させることができます。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ 60HP コルサ (レーシングカー) イタリア 1911年
20世紀初頭にイタリアでフランスのダラック社の自動車の組立てが行われていました。ダラック社が経営不振となり、そのイタリア工場を買収して1910年に設立されたロンバルド自動車製造有限会社(A.L.F.A.: Anonima Lombarda Fabbrica Automobili)はその頭文字から製品をALFAと名づけました。これが後のアルファ ロメオ社の始まりと名前の由来です。1918年に実業家のニコラ ロメオがA.L.F.A.の株を買い取り、会社名がSocieta Anonima Italiana Ing. Nicola Romeo(ニコラ ロメオ技師株式会社)に代わり、この時にアルファ ロメオというブランド名ができました。さらに1930年に社名がS.A. アルファ ロメオ(S.A. Alfa Romeo)に変更されました。
最初のアルファは24HPという名前で、4気筒 4084cc(45HP)エンジンを搭載し、4段変速機を介して最高速度100km/hの性能でした。この車は高性能でしたので、すぐにレースに参戦しました。この24HPに続いて30HP(4気筒4.2Lエンジン)、40/60HP(4気筒6.1Lエンジン)がレースで活躍したことで、アルファ ロメオはスポーツカーメーカーとしての地位を確立していきました。(実車画像→ アルファ 24HP)
ミニカーは1981年に発売されたブルム製で、自動車初期のレーシングカーのシリーズ物の一つです。まだアルファ ロメオというブランド名ではないアルファ 60HPのレース仕様車をモデル化しています。まだカーボンが使われていなかったので白い色をしているタイヤや、シート背後の「ALFA」のロゴが付いたタンクなどが再現され、当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。これ以外の60HPのミニカーはポリトーイ初期のプラスチック製がありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ ブレシア (T13) フランス 1921年
1881年にイタリアのミラノで芸術家の家系に生まれたエットーレ ブガッティは美術学校で教育を受けましたが、10代から自動車技術に関心を持つようになりました。彼は芸術的な才能を自動車設計に生かし、1898年に最初の自動車(T1と呼ばれる)を開発しました。その後も自主的に自動車開発を続け、1902年に設計したT2は自動車博覧会で評価され自動車メーカーから注目されました。1909年にフランスのアルザス地方に工場を構えブガッティ社を設立しました。会社設立後の最初のモデルは小型のスポーツカー T13で、当初は4気筒1327㏄(15HP)エンジンを搭載していました
1914年以降にT13のエンジンは1368cc 16バルブ(30HP)に改良されました。当時の高性能車は大排気量エンジンが主流でしたが、小型車ながら高性能小型エンジンを搭載し操縦性が優れたT13は評判となり大ヒットしました。その後T13のボディを拡大したT15(後にT22)、ツーリングカー仕様のT17(後にT23)など改良版が登場しました。第1次世界大戦の影響で一時的に販売中止となり、1921年に販売が再開されました。1921年のイタリアのブレシアで行われた小型車レースではT22が1-4位を独占しその後もレースで活躍しました。それ以後T13とそのシリーズはブレシアと呼ばれるようになりました。T13は1925年まで生産されました。
ミニカーは1981年に発売されたブルム製です。ブレシアのレース仕様をモデル化していていますが、具体的にどのレースの車をモデル化しているかは分かりません。ブガッティの特徴である独特の楕円形のラジエータグリルなど、実車の雰囲気がうまく再現されていて当時のミニカーとしては良く出来ていました。(なお初期のT13のラジエータグリルは6角形だったそうです) ブルムはブレシアのミニカーを数種類ほどモデル化しています。なおブルム以外のブレシアの量産ミニカーは2023年現在でも見当たりません。(少量生産品ならホワイトメタル製などいくつかあるようです) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シェナール & ウォルカー ルマン フランス 1923年
フランスのシェナール & ウォルカー社は鉄道技術者のE.シェナールと鉱山技術者のH.ウォーカーが共同で1901年に設立した自動車会社でした。最初の自動車は2気筒1.2Lエンジンを搭載した小型車で、その後4気筒3Lエンジン搭載の14/16HPや6気筒4.5Lエンジン搭載のタイプUなどが追加されました。第1次大戦中は軍用車を生産し、1920年代にはフランス第4位のメーカーとなりました。しかし上位メーカーとの競争に敗れ1936年に破産し、車体メーカーの傘下となりました。第2次大戦後数年間はプジョー傘下で商用車を生産しました。
シェナール & ウォルカーは1923年の第1回ルマンで優勝したことで、自動車の歴史にその名前を残しています。最初のルマンに参加したのはほとんどがフランス車(ドラージュやブガッティなど)で、フランスの国内レースといった趣でした。シェナール & ウォルカーは平均速度92㎞/hで優勝、2位と7位も同車でした。優勝車は高性能なSOHCエンジンを搭載しサーボ付フロントブレーキを備える当時最先端の高性能車でした。なおイギリスから唯一参加したベントレー 3L(1924年第2回ルマンで優勝) が4位となっています。
ミニカーはルマン優勝車をモデル化しているイクソ製のルマン24シリーズの1台で、2006年に発売されました。1923年ルマン優勝車をモデル化しています。このルマン24シリーズに共通する良い出来ばえで、当時の実車に即したフェンダー上の補助灯などルマン仕様の細部が良く再現されています。これ以外のシェナール & ウォルカー ルマン優勝車のミニカーはスパーク(レジン製)があります。ルマン優勝車以外のシェナール & ウォルカーのミニカーとしては、ノレブの戦後の商用車、フランスのミニカー付雑誌「Voitures fran?aises」のNo.28にTANK Y8という名前の1927年式スポーツカーがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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