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クライスラー インペリアル ルバロン デュアル カウル フェートン アメリカ 1933年
GMのビュイック部門の責任者であったウオルター P クライスラーは上層部とそりが合わず、1920年にGMを退社しました。彼は経営危機にあった小型車メーカーのマックスウェル社の再建に着手し、彼の発案で6気筒3.3Lエンジンを搭載したクライスラー シックスを開発し1924年に発売しました。この車が大ヒットしたことで経営は安定し、マックスウェル社は1925年にクライスラー社に改名しました。クライスラー社は従来のマックスウェルをプリムス ブランドに変更し、1928年にダッジを買収して傘下に収めるなどしてフォード、GMに次ぐ自動車メーカーに成長していきました。(実車画像→ クライスラー シックス 1924)
クライスラー インペリアルはフォード リンカーンやGM キャディラックに対抗するクライスラーの最上級ブランドとして1926年に登場しました。当初は6気筒4.7L(92HP)、1930年に6気筒5.1L(110HP)エンジンを搭載した豪華な高級大型車でした。インペリアル 2代目は8気筒6.3L(135HP)エンジンを搭載して1931年に登場しました。ルバロンとは元々はコーチビルダーの名前でしたが、後にクライスラーの高級車ブランド名となりました。フェートンとは4ドア(又は2ドア)の幌付オープンカーの意で、デュアル カウル フェートンとは後席の前にもウインドー付のカウルを設けたもので、オープンカーとしては最も高級な形式です。
1934年に登場したインペリアル 3代目は有名な流線形ボディのエアー フローと同じデザインでした。インペリアルは1955年にはクライスラーから独立した別ブランドとなりました。1970年代になると販売台数の少ないインペリアル ブランドを維持することが出来なくなり、1975年にブランドは消滅しました。その後今度はインペリアルをリンカーン コンチネンタルのようなスペシャルティーカーとして復活させるべく、1981年にブランドが復活しました。(実車画像→ インペリアル 1981) 結局この試みも失敗し1983年にブランドは消えました。ただ1990年にクライスラー インペリアルとして1993年まで名前が一時的に復活しました。(実車画像→ クライスラー インペリアル 1990) ちなみに1960年代の日本のTV番組 ウルトラセブンのポインター号やアメリカのTV番組 グリーンホーネットのブラックビューティはインペリアルをベースにした改造車でした。
ミニカーはフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.34で製造はイクソです。この雑誌のミニカーはフロントグリル、灯火類、マスコットなどクラシックカーのキーとなる部分がきちんと作ってありいずれも良く出来ていました。インペリアル 2代目をモデル化していますが、灯火類、フロントグリルとその上のマスコット(疾走するガゼル(鹿)の像)などがリアルな造形で良く出来ています。(ただ個人的にはカラーリングが今ひとつな感じがします) 色違いでほぼ同じものがイクソの廉価版ブランドのWHITE BOXでも2015年に発売されています。最近までインペリアルのミニカーは少なかったのですが、最近になってNEO(レジン製)などの新製品が発売されました。 以下はフロント(マスコットの拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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クライスラー エアフロー ツーリング セダン アメリカ 1936年
戦前のクライスラーの革新的な乗用車エアフローは1934年に登場しました。エアフロー(Airflow:空気の流れ)という名前が示すように、実用車の外形デザインに空力的な処理を本格的に取り入れた画期的な車でした。直立したラジエータと独立したヘッドライトが一般的であった時代に、曲線で構成された滑らかなボディとボディと一体化したヘッドライトを持つこの車は当時としては極めて先進的なデザインでした。4ドアセダンと2ドアクーペの2タイプがあり、当時のフルサイズの大型車では一般的であった8気筒5.3L(130HP)/4.9L(122HP)エンジンを搭載し、最高速は145km/hの性能でした。
このデザインは一般ユーザーには奇異なデザインだと受け取られ、また新しい構造のボディに製造不良の問題があり販売は芳しくありませんでした。その為1935年にはフロントグリルのデザインを変更しています。1936年にリアにトランクが追加され、1937年にもフロントのデザインを変えていますが、販売不振は解消されず、1937年に生産中止となりました。スチール製流線形ボディによる車体構造は技術的には優れていて他社に多大な影響を与えた車でしたが、一般ユーザーには理解されずエアフローは商業的には失敗作でした。(この手の先進的なデザインの車によくあるパターンなのですが)
ミニカーはイクソ製で、2011年に発売されました。リアにトランクのある1936年式をモデル化しています。プロポーションが良く、フロントグリルとヘッドライト、Aピラーについたミラー、室内などがリアルに再現されていて良い出来ばえです。ただサイドビューを見ると、窓の開口部が少し大きめに感じる点と、大きすぎるワイパーが作動状態のように垂れ下がっている点がいまひとつです。なおこのミニカーはもともとはフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」シリーズのNo.49用に作られた物でした。このイクソのカタログモデルではワイパーをエッチングパーツに変えるなどして仕上げレベルを上げて、雑誌付ミニカーとは差別化しています。イクソはホワイトボックス ブランドでもエアフローを発売しています。エアフローは有名な車ですが、このイクソ製がでるまで1/43量産ミニカーではモデル化されていませんでした。 よく見かけるのはシグネチャーの1/32で、あとはホワイトメタル製のブルックリン(BROOKLIN)とレックストイ(REXTOY)ぐらいでした。(ディンキーの戦前モデルもありましたが、さすがに古すぎます) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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クライスラー プリムス アメリカ 1941年
クライスラーのダッジ ブランドの起源はダッジ兄弟がデトロイトで1900年に設立した自動車部品会社「ダッジブラザース バイシクル」でした。同社は起業当時のフォード社と業務提携して部品の供給を行い、やがて車体の製造も始めてフォード社とともに発展しました。1914年にフォード社から独立して「ダッジブラザース モーター」社を創立し自社製自動車の生産を始めました。同社の自動車はフォード T型より少し高級な仕様で、1916年にはフォードに次ぐ売り上げがありました。またダッジはアメリカの自動車会社として初めて陸軍に輸送用トラックを納入しそれらは第1次大戦で高い評価をされました。
しかし1920年にダッジ兄弟が相次いで亡くなった頃から同社は業績が悪化し、1928年にクライスラーに買収されました。買収後のダッジはクライスラーの中級車として扱われ、1930年には8気筒エンジン搭載車が追加されました。1930年当時のクライスラー社のブランドにはクライスラー、ダッジ、デソート、プリムスがありました。デソートは1929年に登場した中級車で最上級車クライスラーの廉価版、プリムスは1928年に登場したクライスラー初の大衆車でした。1930年代中頃にはダッジはデソートに次ぐ扱いに変わりました。また1934年以降クライスラーとデソートには時代を先取りしたエアフローデザインが採用されたことが販売不振の原因となりましたが、ダッジではこのデザインは採用されませんでした。
ミニカーは2006年頃に発売されたシグネチュア製です。1939年にデザインが一新されたプリムス ラグジュアリー ライナー 1941年式をモデル化ししています。高いノーズが突き出たフロントの造形は当時流行りのデザインで、同時期のフォードやシボレーも同じような感じのデザインでした。シグネチャーは縮尺1/32で1920-1950年代の代表的なアメリカ車をモデル化していて、1/43よりはサイズが大きいので結構細かいところまで再現されていました。このプリムスも実車の雰囲気がうまく再現され、フロントグリルのロゴ、ナンバープレート、室内などの細部もリアルに再現されています。ボンネット/ドア/トランクの開閉ギミック付で全輪の操舵もできます。戦前のプリムス セダンのミニカーはこれぐらいしかないようです。このような平凡な大衆車はあまり量産ミニカーとしてモデル化されないので、その点で貴重なミニカーです。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。エンジンもそこそこリアルに再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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クライスラー ウィンザー アメリカ 1946年
クライスラー ウィンザー初代は1939年に高級車ニューヨーカーの下位モデルとして登場しました。直列6気筒4L(108HP)エンジンを搭載するフルサイズカーで、4ドアセダン/2ドアクーペ/コンバーチブル/ステーションワゴンがありました。1940年にフロントグリルが横に大きく広がったデザインに変わりました。 (実車画像→ クライスラー ウィンザー 1940) ウィンザーの戦後型は1946年に登場しましたが、フロントグリルが多少異なるだけで戦前型とほとんど変っていませんでした。
1940年代後半のクライスラー ブランドのラインアップは下位からローヤル、ウィンザー、サラトガ、ニューヨーカー、インペリアルの4つでいずれも同じようなデザインでした。ウィンザーは下から2番目のブランドですが、同社の売り上げの7割を占めていたそうで売れ筋のモデルでした。フルサイズのボディに6気筒4.1L(120HP)エンジンを搭載し、4ドアセダン/2ドアクーペ/コンバーチブルがありました。1949年に外観が変更され、1951年にはローヤルが廃止されたので、ウィンザーは最下位のモデルになりました。(実車画像→ クライスラー ウィンザー 1951)
ミニカーは1988年に発売されたソリド製です。1946年式のウィンザー 4ドア セダンをモデル化しています。ソリドの型番45**の4500シリーズは当時の定価が2200円ほどと安価でしたので、あまり細かいパーツなどは付いていませんが、プロポーションなどの基本的なところはきちんと押さえてありました。このウィンザーも大型の幅広フロントグリルでややユーモラスな感じがする顔つきや大きなキャビンなど実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとしては良く出来ていました。タクシー、ポリス仕様などのバリエーションがありました。これ以外の同時期のウィンザーのミニカーはビテス、ホワイトボックス(イクソ)、オックスフォードの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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クライスラー タウン&カントリー アメリカ 1947年
ステーション ワゴンとは車体が2ボックスで室内には座席とそれに連続する荷室を備えている車体形式を示します。ワゴンの前にステーション(駅)が付いている理由は、当初この形式の車が列車で駅に到着した人と荷物を最終的な目的地まで運ぶ役割をしていたからだそうです。この形式の車両は商用車として扱われていましたが、それを乗用車的に使うことを最初に提唱し積極的に進めたのはアメリカのフォードでした。1910年代にフォードがT型に初めてステーションワゴン的なモデルを製作しましたが、当時の車体はまだ手作業による木製でしたのでこの車は「ウッディ(Woody)」と呼ばれていました。
キャビン部分に木材を使用したウッディ ワゴンで最初にスチール製の屋根(ハードトップ)を備えたのは、戦前の1941年に登場したクライスラー タウン&カントリー 初代でした。4ドア8人乗りのステーション ワゴンでハードトップは同時期のインペリアルの物を流用していました。(実車画像→ クライスラー タウン&カントリー 1941) タウン&カントリーの戦後型は1946年に登場しました。同時期のインペリアルがベースで8気筒5.3L(135HP)エンジンを搭載し、4ドアセダンと2ドアコンバーチブルがありました。この本物の木材を使ったウッディ ワゴンは1950年までしか作られず、現存するものが少ないことから現在でも人気があります。(実車画像→ クライスラー タウン&カントリー 1950)
ミニカーは1989年に発売されたビテス製です。前述したウィンザーのバリエーションで戦後型のタウン&カントリー 2ドアコンバーチブルをモデル化しています。1950-1960年代のアメリカ車を10数種類ほどモデル化したビテス初期のアメリカ車シリーズの1台でした。この車の最大の特徴である木材を使ったキャビンがプラスチック製パーツでそれらしく再現され、室内などの細部も良く再現されていて、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。これ以外のタウン&カントリーのミニカーはダンバリー ミントの1/24、フランクリン ミントの1/24、マッチボックス、マトリックス(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)