ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

DELAGE D8 120 1939 FRANCE

DELAGE D8 120
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAGE D8 120


SOLIDO 31 1/43 123mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5.3m 全幅約1.76m エンジン 変速機: 8気筒 4.8L 115HP 4段変速
性能: 最高速136km/h  データーベースでドラージュのミニカー検索

ドラージュ D8 120 フランス 1939年

 

 世界大恐慌による1930年代の不況で高級車が売れなくなったことでドラージュは経営破たんし、1935年に同業のドライエに吸収合併されました。合併後もドラージュはドライエの最上級車として存続し、D8シリーズは1935年のD8 85(3.6L 85HP)、1936年のD8 100(4.3L 90HP)、1937年の最後のモデルD8 120(4.8L 115HP)とエンジン排気量が拡大されていきました。D8の最初の8気筒4.1Lエンジンはドラージュの設計でしたが、D8 120の8気筒4.8Lエンジンはドライエ 135の6気筒エンジンに2気筒を追加したものに変わりました。

 

 ドラージュとドライエは名前が似ていてさらにドライエがドラージュを吸収合併しているので両車を混同しやすいですが、どちらもフランス車が最もフランス的であった1930年代を代表する車でした。両車とも当時のフランスのコーチビルダーが贅を尽くした魅力的なデザインのボディを架装していました。それらのなかには退廃的で奇抜なデザインの物もありましたが、それもこの時代のフランス車の魅力でした。戦後の1954年にドライエはオチキスに吸収されドライエ/ドラージュの両ブランドは消滅しました。

 

 

 ミニカーは1975年に発売されたソリド製です。ドラージュ D8 120のカブリオレをモデル化しています。実車は全長5mを超える大型車ながら2ドアのカブリオレという1930年代流の贅沢な車です。コーチビルダーはアンリ シャプロン(Henri Chapron)でした。ソリドのクラシックカーのミニカーは当時は一級品の出来ばえでした。ただ1970年代のミニカーですので現在のようには細部をリアルに再現していませんが、実車の全体的なイメージは良く再現されていました。赤/黒のカラーリングが綺麗で、後方に飛び出した丸いテールライトの付いたリアエンドの造形は個人的に気に入っています。これ以外のドラージュ D8 120のミニカーはイクソのエアロクーペ、ミニチャンプスのカブリオレ、スパーク(レジン製)のクーペ/カブリオレなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

DELAGE D8 120 1
DELAGE D8 120 2

 以下は1977年に発売された上記のソリドのバリエーションでドラージュ D8 120 クーペ デビル 1939 (1/43 型番51)の画像です。こちらは御者が操る昔の馬車スタイルに似せたフォーマルなクーペ デビル形式(運転席のみオープンとなっているセダン形式)の高級車です。ドアとキャビン部分以外は上記カブリオレと同じです。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAGE D8 120 3
DELAGE D8 120 4

 以下は2014年に発売されたイクソ製のドラージュ D8 120-S プルートー エアロ クーペ 1937 (1/43 型番MUS054)の画像です。この「エアロ クーペ」と称される流線形デザインの車は、コーチビルダー プルートー(POURTOUT)によるものです。(実車画像→ ドラージュ D8 120-S プルートー エアロ クーペ) 以下に1939年式のエアロ クーペも紹介していますが、どちらもセンターピラーのないサイドウインドーや後方に伸びたリアフェンダーなどの基本は同じです。こちらは以下の1939年式より2年年式が古いので、フロントウインドーがまだ2分割で流線形ボディはシンプルな造形です。コーチビルダーが違っていますが、1939年式ではリアのテールフィンやフロントグリル横のでっぱりなど装飾的な付加物が増えています。ミニカーはプロポーションが良く、フロントグリルや室内などの細部も良く再現されています。この車はスパーク(レジン製)でもモデル化されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAGE D8 120-S AERO COUPE 1
DELAGE D8 120-S AERO COUPE 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAGE D8 120-S AERO COUPE 3
DELAGE D8 120-S AERO COUPE 4

 以下は2007年頃に発売されたフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.10 ドラージュ D8/120 ルトゥルヌール & マルシャン エアロ クーペ 1939 (1/43)の画像です。(オークションで入手しました) メーカーはイクソで、イクソのカタログモデルでは型番MUS010で発売されています。名前のルトゥルヌール & マルシャン(LETOURNEUR & MARCHAND)とは、当時のドラージュの代表的なコーチビルダーで1930年代に空力的なボディを手掛けるようになり、この車はその代表的なデザインで「エアロ クーペ」と称されました。(実車画像→ ドラージュ D8/120 ルトゥルヌール & マルシャン エアロ クーペ 1939) センターピラーのないサイドウインドーや後ろに伸びたリアフェンダーなどが特徴です。見た目重視で装飾が多い華美なデザインがこの時代のフランス車の魅力ですが、この車はその点で格別に魅力的です。またこちらはボンネット右側から排気管が出ていますので、その点では上記の1937年式クーペより迫力があります。ミニカーは実車どおりの金色のカラーリングで、上記のエアロ クーペ同様に良く出来ています。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAGE D8 120 LETOURNEUR & MARCHAND AERO COUPE 1
DELAGE D8 120 LETOURNEUR & MARCHAND AERO COUPE 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAGE D8 120 LETOURNEUR & MARCHAND AERO COUPE 3
DELAGE D8 120 LETOURNEUR & MARCHAND AERO COUPE 4

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HOTCHKISS 686 COACH PARIS-NICE 1939 FRANCE

HOTCHKISS 686 COACH PARIS-NICE
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
HOTCHKISS 686 COACH PARIS-NICE


ELIGOR 1015 1/43 105mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.52m 全幅約1.73m エンジン 変速機: 6気筒 3L 85HP 4段変速
性能: 最高速130km/h  データーベースでオチキスのミニカー検索

オチキス 686 コーチ パリ-ニース フランス 1939年

 

 フランスのオチキス社の前身はベンジャミン オチキス(Benjamin Hotchkiss)が1867年に創業した銃器製造工場でした。同社は機関銃などの武器を製造していましたが、財務状況が悪化したことで自動車産業に参入しました。1903年に発売した最初の車は4気筒エンジンを搭載した17CVで、1906年には6気筒エンジン搭載の20CVを発売しました。第1次大戦中は軍需品の製造に専念し、戦後の1923年に4気筒2.5Lエンジン搭載のAM2、1928年に6気筒3.5Lエンジン搭載のAM80が登場しました。このAMシリーズのレース仕様車は1932年から1934年まで3年連続でモンテ カルロ ラリーで優勝しており、優れた性能だったようです。1936年には6気筒3Lエンジンを搭載する上級中型車680/686が登場しました。(実車画像→ オチキス AM80)

 

 第2次大戦の勃発で戦時中オチキス社は軍需品製造に専念し、戦後に680/686の生産が再開されました。1948年に4気筒2.3Lエンジン搭載の13CVが登場し、1950年には686がモンテ カルロ ラリーで優勝しました。1950年に680/686の後継車として4気筒2.3L/6気筒3.5Lエンジン搭載の高級車アンジュ(ANJOU)が登場しました。戦後のフランスでは高級車を抑制する政策がとられたのでオチキスは経営不振となり、1954年に高級車/トラック製造メーカーのドライエを買収しトラック製造に専念し乗用車生産から撤退しました。1954年にウイルスのライセンスでジープ製造を行いましたが、1970年に自動車生産を終了しました。(実車画像→ オチキス アンジュ 1955)

 

 

 ミニカーは1979年に発売されたエリゴール製です。エリゴールは初期にホワイトメタル製少量生産品を数車種発売していて、これはその一つです。(ホワイトメタル製なのでずっしりと重いです) パリ-ニース都市間レースで活躍したことを記念して設定されたオチキス 686の高性能版パリ-ニース仕様のクーペをモデル化しています。オチキスの特徴である楕円型のフロントグリルがうまく再現されているなど、実車の雰囲気が良く再現されています。室内もそこそこ再現されています。これ以外のオチキスの乗用車のミニカーはノレブの686、イクソの686とアンジュ、ノスタルジーのアンジュなどがあります。乗用車以外ではエリゴールとソリドがオチキスの消防車やトラックをモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

HOTCHKISS 686 COUPE 1
HOTCHKISS 686 COUPE 2

 以下は2006年に発売されたノレブ製 オチキス 686 ビアリッツ カブリオレ (1/43 型番590006)の画像です。これは上記と同じオチキス 686のカブリオレ仕様(ビアリッツと呼ぶようです)をモデル化しています。ノレブらしいそつのないうまい造形で、楕円形のフロントグリル周辺がリアルに再現されています。スポーティな赤/黒のカラーリングも綺麗で、全体的に良く出来ています。画像は幌を上げた状態ですが、閉じた状態の幌も付属しています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
HOTCHKISS 686 CABRIOLET 1
HOTCHKISS 686 CABRIOLET 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
HOTCHKISS 686 CABRIOLET 3
HOTCHKISS 686 CABRIOLET 4

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BERLIET 11CV DAUPHINE 1939 FRANCE

BERLIET 11CV DAUPHINE
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
BERLIET 11CV DAUPHINE


IXO MUS055 1/43 114mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.9m 全幅約1.65m エンジン 変速機: 4気筒 2L 50HP 4段変速
性能: 最高速115km/h  データーベースでベルリエのミニカー検索

ベルリエ 11CV ドーフィン フランス 1939年

 

 ベルリエは自動車創世期に設立された自動車メーカーでした。第1次世界大戦中は軍用トラックを生産し、大戦後に乗用車生産を再開し1920年代には4気筒の小型車から6気筒の大型車まで数モデルを販売していました。1929年のアメリカ株価大暴落による金融危機で景気が悪くなり、自動車の販売は低迷しました。その影響で1930年代になると、ベルリエの乗用車は1934年に発売した11CV ドーフィンだけになりました。(実車画像→ ベルリエ 11CV ドーフィン 1934)

 

 ミニカーはベルリエ 11CV ドーフィンで、ボディを大きく変更した1939年式をモデル化しています。ベルリエはこの頃には経営不振でボディの内製化ができず、ライバルのプジョー 402のボディを流用し、フロントを当時のアメリカ車に似せたデザインに変えていました。ただこの車もすぐに生産中止となり、ベルリエはトラックだけを生産するようになりました。(後にバスを追加) ベルリエは1967年にはシトロエン傘下となり1974年にはルノーに売却されて同じトラック製造ののサビエムと合併しルノー トラックスとなりました。

 

 

 ミニカーは2014年に発売されたイクソ製です。元々このミニカーはフランスのミニカー付き雑誌「Voitures francaises d'autrefois」シリーズのNo.9用に作られた物でした。これはその型を使って仕上げをリファインしてイクソのカタログモデルとして発売された物です。実車が忠実にモデル化されていて、キャビン部分の形状を見ればプジョー 402がベースになっていることが良く分かります。また変更されたフロントグリルがうまく再現されていて、灯火類などの細部も良く出来ています。ベルリエのミニカーはトラックなどの商用車がほとんどで、商用車以外のミニカーはポリトーイ初期とラミー(RAMI)のベルリエ 1910ぐらいしかありません。したがってこのベルリエ 11CV セダンのミニカーは車種的には貴重です。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

BERLIET 11CV DAUPHINE 1
BERLIET 11CV DAUPHINE 2

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ALFA ROMEO 6C 2500 SPORT 1939 ITALY

ALFA ROMEO 6C 2500 SPORT
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ALFA ROMEO 6C 2500 SPORT


SOLIDO 4160 1/43 112mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.8m エンジン 変速機: DOHC 6気筒 2.5L 90HP 4段変速
性能: 最高速155km/h  データーベースでアルファ ロメオ 6Cのミニカー検索

アルファ ロメオ 6C 2500 スポルト イタリア 1939年

 

 ビンテージ期のアルファ ロメオ 6C シリーズは1933年に6C 1900、1934年に6C 2300と徐々に排気量を拡大していきました。当時の2300にはティーポ Bをベースとするレースカーの8C 2300もありましたが、6C 2300は6C 1750をベースとする実用車(ツーリングカー)でした。ただ、実用車とはいっても、DOHC 4気筒2.3L(68HP)エンジンはチューンすればレースカーにも使えました。1935年に前輪独立懸架サスペンションや油圧ブレーキなどの新技術を採用した2300Bに発展しました。前輪独立懸架を採用したことでラジエターが前車軸より前に移動し、近代的なプロポーションとなりました。

 

 1939年には排気量を2.5L(90HP)に拡大して6C 2500となり、コーチビルダーのトゥリングなどがカブリオレやベルリネッタ(クーペ)のボディを架装しました。アルファ ロメオ 6C 2500は当時最も高価な車のひとつで、戦前に数百台が生産されました。戦後も戦後初のアルファ ロメオとして6C 2500 フレッチア ドーロが登場し、1952年まで生産されました。1948年にはエンジンを3L(120HP)に拡大した6C 3000も登場しました。

 

 

 ミニカーは1993年に発売されたソリド製です。高性能版のスポルトをモデル化していて、ヘッドライトがボディに埋め込まれていく過渡的なデザインとなっています。(実車にはフェンダー先端にヘッドライトがついているタイプもありました)ソリドの型番4000番台の4000シリーズは安価なミニカーであまり細かいところは再現していませんが、プロポーションなど基本的なところはきちんと押さえてありました。この6C 2500も特に凝ったところはありませんが、実車の雰囲気がうまく再現されていて良い出来ばえです。なおこの当時はまだタンポ印刷技術がなかったので、室内のメーター表示は紙のシールです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

ALFA ROMEO 6C 2500 SPORT 1
ALFA ROMEO 6C 2500 SPORT 2

 以下は同時期に発売されたソリド製のアルファ ロメオ 6C 2500 スポルト 幌付 (1/43 型番4161)の画像です。上記のバリエーションで幌以外は同じものです。ソリドのクラシックカーのオープンカーのほとんどには閉じた幌付のバリエーションが色違いで設定されていました。4000シリーズは値段が安いので、私のようなクラシックカー好きは幌のバリエーションも必ず買っていました。(ソリドは商売が上手です) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ALFA ROMEO 6C 2500 SPORT 3
ALFA ROMEO 6C 2500 SPORT 4

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MASERATI 8CTF 1939 ITALY

MASERATI 8CTF
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MASERATI 8CTF


BRUMM R075 1/43 109mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.1m 全幅約1.52m エンジン 変速機: DOHC 8気筒 3L スーパーチャージャー 366HP 4段変速
性能: 最高速290km/h  データーベースでマセラティ 8C/4Cのミニカー検索

マセラティ 8CTF イタリア 1939年

 

 マセラティ社はイタリアのマセラティ兄弟によって1914年に設立されました。エンジンのチューニングが専門で、ディアット(Diatto)社でレースカーの製作を始め、1926年にマセラティのブランドを立ち上げました。第1号車のティーポ 26(DOHC 8気筒 1.5L)は1926年タルガ フロリオでクラス優勝し、翌年にはイタリアのコンストラクターズ チャンピオンシップを獲得しています。1929年に8気筒エンジンを並列結合した16気筒エンジン(4L)搭載のV4が登場し、この車は世界速度記録を達成し、1930年トリポリGPで優勝しました。

 

 1930年にエンジンを2.5Lに拡大したティーポ 26M(8C 2500)が登場 エンジンを2.8/3Lに拡大して1933年までレースで活躍します。1934年から750㎏フォーミュラが始めると、メルセデス ベンツ/アウトウニオンの強力なドイツ勢の登場で、主要なレースでマセラティは勝てなくなりました。1939年に4気筒1.5Lエンジンの4CLと8気筒3Lエンジンの8CTFが登場しました。8CTFは1939年と1940年のインディアナポリスで優勝しました。4CLは1940年のタルガ フロリオで優勝しており、戦後の1948年に4CLTに発展し、1950-1951年にかけてプライベーターとしても活躍していました。

 

 

 ミニカーは1982年頃に発売されたブルム製です。1939年のインディアナポリスで優勝したマセラティ 8CTF (アメリカ人ドライバー W.ショウ)をモデル化しています。全体的な雰囲気はそこそこ似てるのですが、前輪より前のノーズ部分が長めに出来ているように感じます。(サイズ的にも全長がかなり長いですし) ブルムは1940年インディ参戦車もモデル化していて、それ以外の8Cのミニカーはシュコーが1939年インディ参戦車をモデル化しています。4Cのミニカーはマーキュリーのビンテージ物やマッチボックスのビンテージ物がありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

MASERATI 8CTF 1
MASERATI 8CTF 2

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