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ルノー タイプ A (ヴォワチュレット 1号車) フランス 1898年
車体前部にエンジンを配置し後輪を駆動するガソリン自動車のFR方式は「システム パナール」と呼ばれ、1891年にフランスのパナール ルヴァッソール社が実現していました。発明家を目指していたフランス人のルイ ルノーは彼が21歳の時(1998年)にド ディオン ブートン製のガソリン 3輪車を改造して4輪車を製作しました。この改造車はFR方式でしたが、プロペラシャフトとベベルギアを使って後車軸を駆動するシャフトドライブ方式が初めて使われました。それまでの後車軸の駆動方式は効率の良くないベルトやチェーンを使っていたので、これは画期的な発明でした。
ルイの兄弟が出資して1899年にルノー フレール(ルノー兄弟)社が設立され、シャフトドライブを採用したヴォワチュレット(VOITURETTE フランス語で小型車の意) タイプ Aが販売されました。この車は半円形のフロントグリルが特徴的な小さな車で、単気筒 273cc(1.75HP)エンジン(ド ディオン ブートン製)を搭載し3段変速機を備え最高速45km/hの性能でした。この車は商業的に成功し、ルイはシャフトドライブの特許権を取得し、他の自動車メーカーから莫大な特許使用料が得られました。ルノー フレール社はその資金で自動車生産工場を作り、フランスで最大の自動車会社に発展していきました。
ミニカーは1997年頃に発売されたビテス製です。実車が小さいのでかわいらしいサイズのミニカーですが、灯火類、ステアリングレバー/変速レバー、エンジン/ドライブトレーンなど細部がリアルに再現されていてとても良く出来ています。座席の塗り分けや細い金ラインなどの塗装も綺麗です。なおこのミニカーはルノーの100周年記念モデルとして、ウィリアムズ ルノー F1 1997とセットにして販売された物です。タイプ A単品でも型番VCC99004で1999年に発売されました。 以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ラクロワ ド ラヴィル 3輪車 フランス 1898年
前述したように自動車創世記にド ディオン ブートンがガソリンエンジンを搭載した小型の3輪車を製作していました。当時はこのような簡便な3輪車がいくつも製作されたようです。そのような3輪車のひとつがラクロワ ド ラヴィルの3輪車でした。フランス人の発明家ジョセフ ラクロワ(Joseph Lacroix)はガソリンエンジン搭載3輪車を試作し1899年に「La Nef自動車会社(Soci?t? des Automobiles La Nef)」を設立し、「ラクロワ ド ラヴィル」ブランドの3輪車を発売しました。この3輪車は1902年から1909年まで約200台が製作されました。
この3輪車はド ディオン ブートン製の単気筒エンジンを中央に搭載し、エンジンの横から出ている出力軸に付いたプーリーで後輪をベルト駆動していました。エンジンの後方にラジエータが配置され、前輪の操舵は長い舵棒式レバーで行いました。画像のものは4人乗りですが、2人乗りの仕様もありました。当初は変速用ギヤボックスがなかったそうですが、その後エンジン排気量が拡大されギヤボックスが追加されたとのことです。車重375㎏ほどと軽量だったので最高速75km/hと結構高性能だったようです。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたクラシックカーを専門にモデル化していたラミー(RAMI)製です。年式が1898年となっているので、市販車ではなく試作車をモデル化しているようです。ラミーのミニカーとしては最後の頃に作られた物なので、初期に比べるとプラスチック製パーツの部品点数が多くなっています。ビンテージ物のミニカーですから現在のミニカーのように精密なわけではありませんが、プラスチック製パーツのラジエーター、金属製とプラスチック製パーツが組合わされたエンジン、エンジンの出力軸に付いたプーリーなど細かいところまで再現してあり、実車がどんなものであったのかよくわかります。なお前輪は実際にレバーで操舵できます。ラクロワ ド ラヴィルのミニカーはこれしかありません。あまりモデル化されない初期の自動車をモデル化していたRAMIのミニカーは貴重なものでした。 以下はフロント(エンジン部拡大)/リアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オペル ルッツマン ドイツ 1899年
ドイツの技術者アダム オペルが1862年に創業したミシン製造会社がオペル社の起源でした。同社のミシンは高性能でヨーロッパ中に売れたようです。同社は1886年に自転車の製造を始め、アダム オペルの息子たちが自転車レースで勝利することで知名度を上げ自転車も高性能で良く売れたそうです。同社は次に自動車製造に進出することを決め、当時のベンツ ビクトリアを模した自動車を製造していたルッツマン社に目を付けました。オペル社はルッツマン社の特許と生産設備を買収し、オペル 1号車のオペル ルッツマンを1899年に完成させました。
オペル ルッツマンは単気筒1.5L(3.5HP)エンジンをリアに搭載した小型車で、2段変速機を介して後輪をチェーン駆動し最高速20km/hの性能でした。この車は複数のエンジン(3.5HP/4HP/5HP)と2座/5座ボディのバリエーションで販売されました。ただ同時期のベンツなどと比べると性能が良くなかったので、1902年までに65台が生産されただけでした。オペルはこの車に見切りをつけ、その後はフランスのルノー社やダラック社と提携しました。
ミニカーは1999年に発売されたビテス製です。オペルのロゴ入りの箱に収まっていることから、おそらくはオペルの100周年記念プロモーション用モデルとしても使われたものと思われます。プロモーション用モデルということで1/43サイズながら細部までリアルに再現されとても良く出来ています。特に床下部分の後輪駆動部はこのサイズとしてはかなりリアルに再現されていて、実車の構造が良くわかります。簡単に説明すると、エンジン出力は高速/低速用で切り変わる2本のベルトを介して後輪駆動軸に伝達され、後輪駆動軸がチェーンで後輪を駆動します。円形のステアリングホイールを回すと前輪操舵用チェーンで前輪が操舵されます。オペル ルッツマンの量産ミニカーはこれしかないようで、ビテスはこれの色違いにフィギュアを付けた物を「ミレニアム コレクション」シリーズとしてして2000年に発売しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ゴブロン ブリリエ フランス 1899年
政治家グスタブ ゴブロン(Gustave Gobron)と技術者ウージェーン ブリリエ(Eug?ne Brilli?)は共同で、ゴブロン ブリリエ自動車会社を1896年に設立しました。最初の自動車は2気筒1.6Lの対向ピストンエンジンを車体後部に搭載した4人乗りの中型車でした。対向ピストンエンジンとはシリンダーの両端にピストンがあり、2つのピストンが対抗して圧縮/膨張/排気行程を行う内燃機関です。このエンジン搭載車は高性能だったようで、1904年のレースで速度160㎞/hを超える速度記録を達成しています。ゴブロン-ブリリエは年間約150台が生産され、イギリスなどでライセンス生産されました。
ブリリエは1903年にゴブロン-ブリリエ社を辞め自分の名前を付けた自動車会社を設立し、フランスの武器メーカー シュナイダー社の下で商用車/戦車などの開発を行いました。ゴブロン-ブリリエ社は、対向ピストンエンジン搭載車を改良して、4気筒/6気筒エンジン搭載車を製造していました。1918年に会社名をゴブロン自動車(Automobiles Gobron)に変更し、1922年まで対向ピストンエンジンを使用していました。その後一般的な他社製の1.5Lエンジン搭載車も追加しましたが、業績は芳しくなく1930年に破産しました。
ミニカーは1960年代に発売されたラミー(R.A.M.I.)製です。ラミーはフランスのミニカーメーカーJMK社のブランドで、この車のような初期の自動車を1/43サイズでモデル化していました。これはゴブロン ブリリエ社の最初の自動車をモデル化しています。実車は博物館に保管されていて、その実車を当時のミニカーとしてできる限り忠実に再現しています。フロントにボンネットのようなものがありその下には初歩的なラジエーターがありますが、そこにエンジンがあるわけではなく、エンジンは後席床下にありました。(ただし1904年以降はエンジン搭載位置が前に移動したらしいので、このボンネット下に配置されたのかもしれません) 実車のカラーリングは白ですが、ミニカーは派手な赤のカラーリングになっています。これ以外のゴブロン ブリリエのミニカーは、このラミー製のコピーだと思いますが、ポリトーイとデル(DELL)がプラスチック製でモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 3.5HP イタリア 1899年
1898年にイタリア トリノのチェイラーノ兄弟(ジョヴァンニ バッティスタ チェイラーノとマッテオ チェイラー)が共同で設立したチェイラーノ GB&C社が2気筒エンジンを搭載する小型車を開発して自動車製造を始めました。その車の性能に注目したトリノの名士であったジョバンニ アニエッリはチェイラーノ GB&C社を買収し、実業家仲間の出資を得て1899年にフィアット(FIAT)社を設立しました。フィアット社の1号車 フィアット 3.5HPはチェイラーノ GB&C社が開発した車でした。なおフィアットという名前は「Fabbrica Italiana Automobile Torino」(トリノのイタリア自動車製造会社)の頭文字をとったもので、イタリア有数の自動車メーカーを目指したことが分かります。なおGB&C社を設立したマッテオ チェイラーは1904年にイターラ(ITALA)社を設立してます。
フィアット 3.5HPは水平対向2気筒679cc(4.5HP)エンジンを車体後部に搭載し、3段変速機を介して後輪をチェーン駆動する小型車でした。ボディは対面シート配置のヴィザヴィ形式で2~3人が乗車でき、最高速度35km/hの性能でした。1899年に8台が生産され、その後16台が生産されたそうです。当時のイタリアには約100台ぐらいしか自動車がなかったそうですから、当時のベストセラー車だったことになります。1900年に2気筒1082cc(6HP)エンジンを搭載するフィアット 6HPが登場し、1901年にはフィアット 8HPが登場しました。
ミニカーは1970年代に発売されたクラシックカー専門ブランドのドゥグー(DUGU)製です。ドゥグーはトリノ自動車博物館「The Museo dell' Automobile Carlo Biscaretti di Ruffia di Torino」に保存されていた実車を忠実にモデル化していて、当時最も出来の良いクラシックカーのミニカーを作っていました。このフィアット 3.5HPもクラクションが付いた操舵ハンドル、シート右横のハンドブレーキレバー、前席シート、フロントのラジエータなど極めてリアルに再現されていて、ドゥグーの傑作ミニカーの一つです。ただしドゥグー初期のミニカーにはゴムタイヤの可塑剤でホイールが溶けるといった難点がありました。1975年に最初に購入した初期物のホイールは無残な状態になりましたので、これは後に買い足した後期型で、ホイールが溶ける問題は解消されているようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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