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プジョー ヴィザヴィ (タイプ 3) フランス 1891年
19世紀からフランスで金属加工業を営んでいたプジョー家のアルマン プジョーは1880年代に会社としてのプジョーを設立し、当初は自転車の製造を行っていました。(現在でもプジョーは自転車を製造しています) 1889年に蒸気エンジンを使った3輪車(タイプ 1)を試作しましたが、これはまともに動きませんでした。その後ドイツのダイムラー社製ガソリンエンジンの製作権を持つ同じフランスのパナール ルヴァッソール社の協力で、そのエンジンを搭載する車を開発することになりました。1890年に完成した最初の試作車は「クアドリシクル (タイプ 2)」(QUADRICYCLEとは4輪車の意)と呼ばれる2人乗りの小型車で、V型2気筒565㏄(2HP)エンジンを運転席床下に搭載し4段変速機/デフを介してチェーンで後輪を駆動し最高速18km/hの性能でした。この車は数台製作されました。(実車画像→ プジョー クアドリシクル)
1991年にはクアドリシクルを4人乗りとした「ヴィザヴィ(VIS A VIS)(タイプ 3)」が製作されました。「ヴィザヴィ」とは前後に向かい合って座る座席形式のことで、ドライバーの前に人が座ったときはドライバーは前が見づらくなります。この車は1891年の自転車競技のツール ド フランスの伴走車として、往復の1200㎞を平均時速13.5㎞/hでトラブル無しで走破しました。それがきっかけとなって1894年に史上初の自動車レース「パリ-ルーアン」が開催されました。このレースでプジョーは優勝しました。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたフランスのMINIALUXE製で材質はプラスチックです。(実際の発音とは違うようですが、MINIALUXEはミニオールと呼んでいます) MINIALUXEは主にフランスの乗用車やクラシックカーをモデル化していました。1960-1970年代のミニカーですが、クラシックカーに付き物の灯火類や操作レバーが別パーツで取付けられているなど、当時のミニカーとしてはかなりリアルに作ってありました。また塗装ではありませんが、白/赤のカラーリングが綺麗です。当時クラシックカーのミニカーを購入していたのは大人のマニアが中心でしたから、クラシックカーのミニカーは子供向けのミニカーとは違いスケールモデル的な造形でした。これ以外のプジョー初期のミニカーは、同じフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)、イタリアのドゥグー(DUGU)、ドイツのガマなどがありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パナール ルヴァッソール タイプ A フランス 1891年
フランスのエミール ルヴァッソールとルネ パナールが共同で経営するパナール ルヴァッソール社はドイツのダイムラー社製 V型2気筒エンジンの製造権を得て1887年から製造を始めました。その後ガソリン自動車の開発に着手し、1890年に車体中央床下にエンジンを搭載した試作車を完成させました。1891年にはこの試作車を改良して、車体前部にエンジンを搭載し後輪を駆動することで操縦安定性を向上させたガソリン自動車(タイプ A)を完成させました。この車はエンジン、クラッチ、ギヤボックス、後輪ドライブを一列に並べる現在の自動車の基本構成を備えていました。この構成は「システム パナール」と呼ばれ自動車技術上の画期的な発明でした。
パナール ルヴァッソール社の初期の車は、車体前方にエンジンを収めた四角い箱(現在のボンネット相当)があり、そこに同社のロゴ(P/L)が表示されている独特のスタイルでした。パナール ルヴァッソールは1891年にこの車を6台製作していることから、世界最古の自動車メーカーと呼ばれることになりました。なおほぼ同時期に同じフランスのプジョーもパナール ルヴァッソールからエンジンを提供されて、運転席床下にエンジンを搭載したガソリン自動車を5台製作しています。両社は当時の良きライバルで、1894年に開催された自動車初期の都市間レース「パリ-ルーアン」ではプジョーが優勝し、1895年の「パリ-ボルドー」ではパナール ルヴァッソールが優勝しています。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたMINIALUXE(ミニオール)製で材質はプラスチックです。灯火類や操作レバーなどの細部もそこそこリアルに再現されていて、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。運転席の後部に簡素な補助席があり、その下には開閉できる蓋つきのトランクらしきものが付いています。また屋根代わりにパラソルが付いていますが、実際にこのような形状のパラソルが付いている実車の写真を見たことがないのでこれは創作なのかもしれません。ただ違和感はなく、いかにもそれらしい感じになっています。50年も前に製作された物なので、タイヤのゴムが劣化して一部が切れてます。プラスチックの耐久性はあまり問題がないようで ボディはそれほど変形していません。 以下はフロント/リア(トランク開閉)の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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スコット 蒸気車 (バス) フランス 1892年
1890年代には蒸気機関の小型/軽量化が進展したことによって、蒸気自動車が実用化されていきました。フランス人のJ.スコットは1980年代から蒸気自動車を製作していました。1892年に彼は2種類の蒸気自動車を製作しました。1つは個人向けの蒸気自動車で、もう1つは6人乗りの蒸気バスでした。スコットはこの蒸気バスで1894年に開催された世界初の自動車レース「パリ-ルーアン」に参戦しています。(結果はリタイヤでしたが)
この蒸気バスは14人乗りに発展するなど様々な技術的改良がされたようです。1897年にスコットの蒸気バスは蒸気トラクターで客室トレーラーを牽引するトラクター/トレーラー式に変わりました。この蒸気トラクターはフランス軍の資材輸送用に使われたようです。その後スコットはこのトラクター/トレーラー式での救急車も製作しましたが、結局1914年に製作を止めました。
画像は1892年に製作された6人乗りの蒸気バスのミニカーです。車両の前部にボイラーと2ピストン式蒸気エンジンがあり、蒸気エンジンからチェーンでデファレンシャルギア付のドライブシャフトを駆動し、そのドライブシャフトから後輪をチェーン駆動する構造でした。後部の客室には向かい合わせで2列の横向きベンチシートがあり、客室後部にドアが付いています。煙突の付いたボイラーが前方にありますので蒸気機関車のような見た目になっています。
ミニカーは1960年代に発売されたクラシックカー専門のフランスのラミー(RAMI)製です。ラミーは当時のフランスの博物館に保存されていたクラシックカーをモデル化していましたが、これもリヨンの自動車美術館(Mus?e de l'Automobile Henri Malartre)に保存されていた実車をモデル化しています。(ヘッドライトが違っていますが) 50年以上も昔に作られたものですので、最近のミニカーのようにリアルではないですが、当時の手法で実車をモデル化していて当時物ミニカーとしては良く出来ていました。特に金属パーツ製のボイラーはいかにもそれらしいレトロな感じで、実車の雰囲気に合っています。客室後部のドアは開くことができますが、経年劣化でヒンジが破損しかけているので開閉するのはやめました。なお実車は地味なカラーリングですが、ミニカーは見た目重視なのでカラフルなカラーリングに変えてあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ベンツ ビクトリア (ヴィザヴィ) ドイツ 1893年
前述した3輪車に次いで、カール ベンツは4輪車 ビクトリアを1893年に完成させました。4輪化するにあたりベンツは現在の車と同じキングピン式の前輪操舵方式を考案しました。(この方式はベンツが特許を取得しました) 単気筒1730cc(3HP)エンジンを車体後部の箱に搭載し、ベルトとプーリーによる2段変速機とデフを介して後輪をチェーン駆動し、最高速は18km/hの性能でした。(この駆動方式は3輪車と同じです) また画像からも分かりますが、前後輪ともに板バネ式のスプリングが付いています。
1894年にビクトリアより一回りサイズの小さい単気筒1Lエンジンを搭載したベロ(VELO)が追加されました。ビクトリアのエンジン排気量は2L、2.7L、3L(6HP)と拡大されていきました。1896年にはリバースギアを備える3段ギアボックスが採用されました。ビクトリアは対面式の補助席が追加可能な2人乗りのフェートン(オープンカー)でしたが、本格的な対面式シートを持つ4人乗りのヴィザヴィ(VIS A VIS)、運転席後部に4人分の対面式シートを付けたドサド(DOS A DOS)、後部を幌で開閉する密閉した客室を持つランドレーなどのボディ バリエーションがありました。これらのビクトリア系の車は1900年までかなりの数(数百台レベル)が生産され、当時のドイツでは最もポピュラーなガソリン自動車でした。なお「ヴィクトリア(VICTORIA)」とは「勝利」を意味する女性名でベンツが名付けたとのことです。
ミニカーは1970年代に発売されたイタリアのクラシックカー専門メーカーだったドゥグー(DUGU)製です。ドゥグーのミニカーとしては廉価版のMUSEOシリーズの1台で、対面式補助席付のビクトリアをモデル化しています。フェンダーやランタンなどの細かなパーツも金属製なので、全体的に実車よりも骨太な感じに仕上がっています。それでも丸ハンドル部分にホーンや操作レバー(たぶんアクセルとギヤシフト)が付いていることなど細部を結構リアルに仕上げてあり、当時のミニカーとしては良く出来ていました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ド ディオン ブートン ビクトリア 蒸気車 フランス 1894年
蒸気機関に興味があったフランスの貴族ジュール-アルバート ド ディオン(Jules-Albert de Dion)伯は技術者のジョルジョ ブートン(Georges Bouton)とチャールズ トルパルドゥ(Charles Trepardoux)の協力を得てド ディオン ブートン社を1883年に設立しました。この会社は蒸気機関搭載の蒸気自動車を製造しました。同社は1894年に開催された世界初の自動車レース「パリ-ルーアン」に参戦しました。このレースでド ディオン ブートンの蒸気車は最初にゴールしたのですが、ドライバー以外に釜炊き要員が必要であった点などが審議された結果、2位になりました。全行程126㎞を平均速度19km/hで完走したそうです。このレースで優勝したのは少し遅れて2番目にゴールしたダイムラー製のガソリンエンジンを搭載したプジョーでした。
ド ディオン ブートン社はその後も1904年まで蒸気バス/トラックを製造していました。同社はガソリンエンジンの将来性に注目し、1895年には単気筒137ccの小型ガソリンエンジンを開発しそのエンジンを改良して搭載した3輪車(単気筒185㏄)を1897年に発売しました。(実車画像→ ド ディオン ブートン 3輪車 1899) さらに単気筒402㏄エンジンを搭載した4輪車も1899年に発売しました。このエンジンは当時として極めて高性能であった為、当時の自動車メーカーに広く使われることになり、ド ディオン ブートン社は1900年頃にはヨーロッパ最大の自動車メーカーになっていました。
ミニカーはクラシックカーのミニカーを主力にしていたイタリアのリオ(RIO)製で1972年に発売されました。パリ-ルーアン レースで2位となったビクトリア 蒸気車をモデル化しています。ボイラーと蒸気機関を搭載したトラクターが人力車のような客室部分を牽引する構造となっています。トラクターは蒸気機関で後輪をベルト駆動し前輪で操舵します。このミニカーは実車をかなり忠実に再現してありとても良く出来ています。また変わった構造をしていますので見ていてとても楽しく興味深いミニカーです。ミニカーに乗せているフィギュアは実によく似合っていますが、このフィギュアは別のミニカー(コーギー製のディムラー 38HP 1910)の物で、このミニカーの付属品ではありません。リオは2013年頃にこれとほぼ同じものを型番4374で発売しています。(たぶん国内では未発売) 以下はトラクターとトラクター床下の画像と客室部分の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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