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フィアット パンダ 30 イタリア 1980年
1980年にフィアット 126の後継車としてパンダが登場しました。パンダという名前は動物のパンダに因んだもので、中国市場を意図したものだったそうです。この車のボディとインテリア開発はイタルデザイン(G.ジウジアーロ)がフィアットから委託されて行い、シトロエン 2CVのような簡素で安価な車を目指したそうです。コストダウンの為にボディは平面パネルだけで構成され全ての窓は平面ガラスです。内装もハンモック式シートなど実用本位です。ボディ形式は3ドアハッチバックのみで、簡素ながらも機能的な美しさを感じさせるのはジウジアーロ デザインのなせる業でしょう。前輪駆動車で、当初のエンジンはパンダ 30は縦置きの空冷2気筒652cc(30HP)、パンダ 45は横置きの水冷4気筒903cc(45HP)でした。
1982年には4気筒843㏄(34HP)エンジンを搭載する34と、45を普通のシートなどで豪華に仕立てたスーパーが追加されました。1983年にはシュタイア プフ社と共同開発したパートタイム4WDシステムを採用した4X4が追加されました。1986年のマイナーチェンジでは、エンジンが新型の4気筒769cc/999cc(45HP)に切り替わり、1.3Lディーゼルエンジンが追加され、スーパーで採用した豪華仕様が標準装備化されました。1991年のマイナーチェンジで、1.1Lエンジンが追加され、ベルト式無段変速機(CVT)を装備したセレクタが登場しました。パンダは大ヒットし2003年まで長期にわたり約450万台が生産され、フィアットの財政改善に寄与しました。2003年にパンダ IIにモデルチェンジしました。
ミニカーは2005年に発売されたブルム製です。ブルムの初期物ミニカーは細部の造形にアバウトな部分がありましたが、2000年以降に製作された物はかなりリアルな造形になりました。 このパンダはプロポーションが良く、フロントグリル/ワイパー/ドアミラー/室内インパネなど細部がリアルで、それまでのブルム製とはレベルの違う良い出来ばえになっています。前後バンパーとボディ側面下部の樹脂パネルの造形も実車の雰囲気をうまく再現しています。ブルムは得意のバリエーション展開でパンダ 30と45と4X4を約40種類ほどをモデル化しています。なお当時物ミニカーはメーベトイ、ポリスティル、ブラーゴなどがありましたが、いずれも廉価版であまり出来が良くありません。当時物以外では、ミニチャンプス、ヘルパの1/87、ノレブ、イクソ、国産名車コレクション、トミカ リミッテドなどがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ヒンドスタン アンバサダー インド 1980年
ヒンドスタン モーターズ社はインドの自動車メーカーで、イギリスのBMC車を製造する為に1942年に設立されました。アンバサダーはモーリス オックスフォード MK IIIをベースにした車で1957年から生産されました。この車は様々な改良が行われましたが、基本的な構造は50年以上もそのままで2010年まで作られていました。(多分世界一息が長い) 1967年のアンバサダー MK IIは、4気筒1.5L(46HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速120km/hの性能でした。また1975年から2006年まではイスズの4気筒1.8L(74HP)エンジンを搭載していました。(実車画像→ モーリス オックスフォード MK III 1956)
1980年以前のインドではヒンドスタン社とフィアット車を製造していたプレミア(Premier)社の2社が自動車市場を独占していました。プレミア社にも息の長い車があって、1953年に登場したフィアット 1100をベースにしたパドミニ(Padmini)という車が2000年頃まで作られていたようです。この車もインドならではの時代を超越した車でした。(実車画像→ プレミア パドミニ)
プレミア社は2009年から中国系企業の小型車を生産していましたが、2018年に破産しました。ヒンドスタン社は三菱自動車工業と提携し、インド国内で三菱車の販売を行なっています。そのほかのインドの自動車メーカーはスズキとの合弁会社マルチ社(2010年以降のインドでは一番売れている)、韓国のヒュンダイ社、世界一安い小型車タタ ナノで有名になったタタ社などがあります。2020年のインド自動車市場は世界5位(販売台数約230万代)で、世界中の自動車メーカーが群雄割拠の状態のようです。
ミニカーは2006年に発売されたイクソ製です。1979年から登場したアンバサダー MK IVをモデル化しているようです。このミニカーはもともとはデアゴスティーニのミニカー付雑誌「TAXI DEL MONDO (」 世界のタクシー)」シリーズのNo.25としてに作られたミニカーでした。このシリーズの日本語版は途中で休刊となりましたが、海外では全30-50号ほどが刊行されたようで、車種は発売された国毎に違うようです。(参照WEBサイト→ S?rie TAXIS DU MONDE ) これはその型を流用してイクソのカタログモデルとして発売されたものでした。このミニカー付雑誌が無ければこの車がミニカー化されることはなかったと思われます。(ヒンドスタンのミニカーはこれしかないようです) イクソの標準的な仕上げで作られているので、細部までリアルでなかなか良い出来ばえでした。ベースとなったモーリス オックスフォードからボディがほとんど変更されていないことがよく分かります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロータス エリート S2 イギリス 1980年
ロータス エリート 2代目が1974年に登場しました。ロータス初の4シーター車でエラン +2を後継する車でしたが、エアコンやパワステがオプション設定されるなど、コアなスポーツカーだったエランとは異なりスポーティな高級車に変わりました。ロータス流のバックボーン フレームにFRPボディの構造で、ボディはシューティングブレーク風のデザインですが、リアシート後ろにはリアウインドーがあり荷室と室内は分離されていました。エンジンはヴォクスホール製をベースにしたDOHC 4気筒2L(160HP)を搭載し、5段変速、最高速は最高速212km/hでした。1980年にS2(シリーズ 2)となり、エンジンが2Lから2.2Lに代わり、1982年に生産中止となりました。総生産台数は約2500台でした。
1975年にエリートをベースにしてリアをファーストバックにした2+2座仕様のエクラ(ECLAT)が追加されました。動力性能はエリートと同じでした。エクラは1982年にエクセル(EXCEL)に名前をかえて1992年まで生産されました。エクラとエクセルの総生産台数は約3500台でした。エリート(エクラ)の高級車路線はロータスのユーザーにあまり支持されず、高級車に相応しい品質が足らなかったこともあって、人気はいまひとつだったようです。(実車画像→ ロータス エクラ)
ミニカーは2012年に発売されたスパーク製で、レジン製です。キャビン部分が大きめなのでフロントスクリーン先端の位置が高くプロポーションがあまり良くありません。その為エリートの平べったいイメージがうまく再現されていないので今一つの出来ばえです。なおワイパーや内装などの細かいところは実にリアルに出来ているので、その辺はスパークらしいところですが。 なおスパークはエクラとエクセルもモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 ホーミー E23型 日本 1980年
商用バン/ワゴンの日産 キャラバン 初代(E20型)が1973年に登場しました。キャラバンの兄弟車としてホーミー 2代目が1976年に登場しました。キャラバン/ホーミーには標準とロングの2タイプのボディに、3/6人乗りバン、9人乗りコーチ(乗用車)、15人乗りマイクロバスがありました。当初のエンジンは4気筒1.5L/1.6Lで、後に4気筒2L/4気筒2.2Lディーゼルが追加されました。(実車画像→ 日産 キャラバン E20型)
1980年にキャラバン 2代目/ホーミー 3代目(E23型)が登場しました。巻込み事故を防ぐ為に左ドア下部に設けられた小さな安全窓が特徴でした。乗用車コーチの上級仕様には自動変速機、パワステ、電動サンルーフ、回転対座シートなどの高級な装備の設定がありました。エンジンは4気筒1.6L/2Lと4気筒2.2Lディーゼルがありました。1983年のマイナーチェンジでフロントグリルが変更され、乗用車系には角形4灯式ヘッドライトが採用されました。1986年にキャラバン 3代目/ホーミー 4代目(E24型)にモデルチェンジしました。(実車画像→ 日産 ホーミー コーチ E24型)
ミニカーは2010年に発売された国産名車コレクション製でメーカーはノレブです。プロポーションが良く、フロント周り/ドアミラー、室内などの細部も良く再現されていて雑誌付きミニカーながら良い出来ばえです。同じ型の色違い(茶M)が日産名車コレクションのNo.15でも発売されました。キャラバン 初代の当時物ミニカーはエーダイ グリップの事故処理車/救急車 1/52、ダイヤペットのホーミー 1/32、トミカがありました。最近の物ではトミーテックの1/80と1/150があります。キャラバン 2代目のミニカーはダイヤペットの1/35がパトカー/救急車など十数種類、トミカ ダンディの1/43などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マツダ ファミリア FF (323) 日本 1980年
マツダ ファミリア 4代目は1977年にファミリア APとして登場しました。(APはAnti Pollusion(低公害)の略) ハッチバック ボディを採用して若返ったスタイルは、4気筒1.3/1.4Lエンジンを搭載し若年層に人気がありました。MAZDA 323として海外でも性能や信頼性で好評でした。このファミリア APは結構人気があったのですが、何故かミニカーが最近までありませんでしたが、2022年になってハイストーリーでモデル化されました。(実車画像→ マツダ ファミリア AP)
マツダ車として最大の大ヒットとなったファミリア FF (ファミリア 5代目)が1980年に登場しました。先代のデザインを発展させたスクエアな台形ボディはかっこよく、最初に見たときからこの車が大ヒットすることは容易に予想できました。(大ヒットする車はほとんどが見た目で決まります) デザインだけではなく、初の前輪駆動方式ながら優れた操縦安定性で高性能であったことから、第1回目の日本 カー オブ ザ イヤーを受賞しています。4気筒1.3L/1.5L(85HP)エンジンを横置きに搭載し、3段自動変速/5段変速で最高速160km/hの性能でした。
当初は3/5ドアハッチバックだけでしたが、すぐにノッチバックセダンも追加されました。特に赤いボディカラーの3ドア XGは若年層に絶大な人気を博し、「赤いファミリア」と呼ばれて社会現象にまでなりました。1982年と1983年には国内でカローラを抜いて月間ベストセラー車になることがあり、海外(輸出名 323)でもその高性能が評価されて大ヒットしました。さらに量産開始から27ヶ月で100万台生産を達成し100万台生産の世界最短記録を達成しています。1982年には姉妹車としてフォード レーザーが登場し、1983年のマイナーチェンジで後期型となり1.5Lターボ仕様(115HP)が追加されました。ファミリア FFの大ヒットでマツダは大躍進し、1984年に社名を東洋工業からマツダ株式会社に変更しました。1985年にファミリア 6代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは1981年に発売されたダイヤペット製の当時物です。フロントのスラント具合がややオーバーにデフォルメされていますが、当時としてはリアルな造形のフロントグリルなど全体的にかなり良い出来ばえでした。ボンネット/ドア/テールゲートが開閉するギミック付きです。実車人気にあやかってこのミニカーも良く売れたそうです。ディーラー販促用ノベルティとして作られた金メッキ仕様のレア物、フェード レーザー仕様のレア物もありました。当時物ミニカーはトミカの3ドアがありました。当時物以外ではSAPI(サピ)のXG 前期型/後期型とターボ仕様、国産名車コレクションの輸出仕様の323、HI-STORY(レジン製)などがあります。以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/テールゲート開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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