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三菱 ランサー 1600 GSR 日本 1973年
前述した三菱 ギャラン FTOのセダン版として1973年に登場した大衆車がランサーでした。(ランサーとは「槍騎兵」の意) ギャラン FTOをベースにしており、4気筒1.2L(70HP)/1.4L(92HP)/1.6L(100-110HP)エンジンを搭載し、4/5段変速で最高速165km/h(1.6L)の性能でした。当初は2/4ドアセダンの設定で後に5ドアバンが追加されました。
1973年に高性能版の1600GSRが追加され、この車をベースにしたラリー仕様車は操縦性が優れていたこともあって、サザンクロス ラリーやサファリ ラリーなどで連続優勝しました。ただこの活躍でランサーにはスポーツ志向のイメージがつきすぎて、本来のファミリーカーとしての販売は振るわなかったようです。
1976年のマイナーチェンジで、前後のデザインが変わった後期型となりました。サイレントシャフト付のサターンエンジンの追加、排ガス規制対応などの改良が行われました。1979年に2代目のランサー EXにモデルチェンジしました。
ミニカーは2006年に発売されたアシェット 国産名車コレクションです。国産名車コレクションの初期物で、底板にノレブ製と明記されています。プロポーションが良くライト類などの細部がリアルで、かなり良い出来ばえです。ノレブは自社ブランドでも型番800191で販売していました。当時物のミニカーはありませんが、当時物以外では京商のポリストーン製、コナミの小スケール、CAMのレジン製などがあります。大活躍したラリー仕様はCM'S(1/64)のサザンクロス仕様、CAMのサファリ仕様があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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クライスラー ダッジ モナコ アメリカ 1974年
クライスラーグループのダッジは高級車デソートと大衆車プリムスの間を埋めるブランドでした。1970年代のダッジのラインナップにはコンパクトカーのコルトとダート、中型車のコロネット、フルサイズカーのポラーラとモナコ、スポーティカーのチャレンジャーなどがありました。ダッジモナコ 初代はフルサイズカーのカスタム 880の上級車として1965年に登場しました。当初は2ドアハードトップだけでしたが、その後4ドアセダン/ハードトップとワゴンが追加されました。エンジンは6気筒2.7L、V型8気筒5.2L/6.3L/7.2Lが搭載されました。1966年にカスタム 880はモナコに統合されました。1967年にフロントグリルなど外観が変更されました。(実車画像→ ダッジ モナコ 1965)
1969年にモナコ 2代目が登場しました。V型8気筒6.3L/7.2Lエンジンが搭載され6気筒エンジンの設定はなくなりました。1970年にフロントグリルを囲むループバンパーが採用され、1972年にはリトラクタブルヘッドライトが採用されるなど、当時最新の流行を取り入れた外観の変更が行われました。(実車画像→ ダッジ モナコ 1969) (実車画像→ ダッジ モナコ 1973)
1974年にモナコ 3代目が登場しました。ポラーラが廃止され、ダッジのフルサイズカーはすべてモナコ(スタンダード、カスタム、ロイヤル)となりました。先代で採用されたリトラクタブルヘッドライトは通常の固定式に戻りました。(1976年に再度採用されています) エンジンはV型8気筒5.2L/5.9L/6.6L/7.2Lがありました。1973年に中東戦争が勃発して第1次オイルショックが起こり燃費の悪い大型車は売れなくなり、アメリカ車はサイズが小さくなっていきました。1977年のモデルチェンジでモナコ 4代目が登場し、ロイヤル モナコ以外のモナコはフルサイズカーではなくインターミディエート(中型車)となりました。最終的に1978年にモナコは名前が消えましたが、1990-1992年にフルサイズカーとして名前が一時的に復活しました。(実車画像→ ダッジ モナコ 1977)
ミニカーは2012年に発売されたミニチャンプス製です。1974年式のモナコ 3代目の4ドアセダンをモデル化しています。サイズが小さくなる前の大きなフルサイズカー(全長約5.7m)ですので、ミニカーも全長131㎜と大きなサイズで迫力があります。プロポーション、フロント/リア周りの造形、室内の造形などすべてにそつがないミニチャンプスらしい良い出来ばえでした。ただ室内の仕上げは2000年頃のミニチャンプス製に比べるとやや簡素な仕上げになっていました。 ミニチャンプスはポリス仕様やタクシー仕様など数種類をモデル化しています。ミニチャンプス以外ではポリス仕様がほとんどなのですが、アーテルのポリス仕様 1/18、コーギーのポリス仕様、グリーンライトのポリス仕様 1/18と1/43と1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォルクスワーゲン シロッコ ドイツ 1974年
フォルクスワーゲンの新世代車の第2弾はスポーティなクーペ スタイルのシロッコで1974年に登場しました。パサートと同じコンセプトのデザインは同じイタルデザインのG.ジウジアーロによる物で、短くされたテールが実に軽快な感じがしました。ちなみに前述したパサートとシロッコはどちらも季節風の名前で、新世代を象徴していました。上級グレードは丸型4灯式、それ以外は角形2灯式ヘッドライトでした。シロッコは数ヶ月後に登場したビートル後継車のゴルフをベースにしたクーペで、つまりはカルマン ギア クーペの後継車という位置づけだったのでかっこいいわけでした。
4気筒1.1L/1.6L(70/85HP)エンジンを横置き搭載する前輪駆動車で、エンジンなどのメカはゴルフと同じでしたが、ハンドリングはスポーティな味付けがされていたようです。1975年にゴルフ GTIと同じ1.6L燃料噴射式1.6L(110HP)エンジンを搭載した高性版GTIが追加されました。1978年のマイナーチェンジでフロントのウィンカーが大型化され、バンパーが黒いプラスチック製に変更されました。1982年に2代目にモデルチェンジしました。総生産台数は約50万台でした。
ミニカーは1974年に発売されたシュコー製の当時物です。丸型4灯式ヘッドライトの上級グレードをモデル化しています。前述したパサート 初代と同じシュコーの新しい1/43シリーズの1台でした。シャープな造形でプロポーションが正確で、実車のイメージが良く再現されたとても良い出来ばえでした。ボンネット/ドア/ハッチバックの開閉ギミック付きで、開閉部のチリ合わせも良好でした。またエンジンも当時のミニカーとしてはリアルに再現されていました。当時のシュコーは意欲的に自国車をモデル化していましたので、当時のほとんどのドイツ車がシュコーで揃いました。ただたくさん作りすぎた為か?、シュコーは1976年頃に一度倒産しました。(1990年代に復活しました) シロッコ 初代の当時物ミニカーはスペイン ディンキー、オートピレン、ポリトーイ、ソリドのレース仕様などがありました。当時物以外ではミニチャンプス、シュコー、ホワイトボックス、ネオ(レジン製)のレース仕様などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/ハッチバック開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォルクスワーゲン ゴルフ I ドイツ 1974年
フォルクスワーゲン新世代車の本命であるビートルの後継車ゴルフが1974年に登場しました。台形のシルエットで背が高い独特なスタイルはイタルデザインのG.ジウジアーロのデザインで、コンパクトながらも広い室内を実現していました。このゴルフという名前はスポーツのゴルフの意とメキシコ湾流(による季節風)の意もあるそうです。ちなみに先に登場した新世代車でパサートは貿易風、シロッコは季節風の名前です。
パサートと同じ4気筒エンジンを使っていましたが、縦置きから横置き搭載に変更した前輪駆動方式もコンパクトな外形寸法を可能にしていました。当初のエンジンは1.1L(50HP)と1.5L(70HP)の2つでしたが、後に1.3L(60HP)、高性能版1.6L(82HP)、経済版ディーゼル1.5L(50HP)などが追加されました。1976年に追加された高性能版GTiは、燃料噴射式1.6L(110hp)のハイパワーエンジンと硬められたサスペンションで、最高速180km/hの本格的なスポーツ仕様でした。1979年にはカルマン製のカブリオレが設定されました。バリエーションとして北米向けのラビット(RABBIT:ウサギの意)、3ボックス セダンのジェッタがありました。
ゴルフは大ヒットし1977年には生産累計100万台を達成し、1979年には年間生産台数66万台でトヨタ カローラを抜いて量産車世界一にもなりました。1984年にゴルフ 2代目にモデルチェンジし、総生産台数は約600万台でした。ゴルフはその後の他社の小型車設計に多大な影響を与えた傑作車でした。
ミニカーは1974年に発売されたシュコー製の当時物です。これも前述したシュコーの新しい1/43シリーズの1台でした。プロポーションが正確なシャープな造形で、当時物ミニカーとしてとても良く出来ていました。ボンネット/ドア/ハッチバックの開閉ギミック付きで、エンジンも当時のミニカーとしてはリアルに再現されていました。ただ当時のシュコーは塗装品質が今一つでした。ゴルフ 初代の当時物ミニカーはガマ、ソリド、マッチボックス、メーベトイ、ポリトーイの1/55と1/25、ノレブのJET CARシリーズなどがありました。当時物以外ではディテールカー、ミニチャンプス、ビテス、ノレブの新作、シュコーの新作、ブレキナの1/87などたくさんあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/ハッチバック開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウディ 50 GL ドイツ 1974年
アウディ 50はフォルクスワーゲン ポロの姉妹車で、小型車クラスの市場調査用としてポロに先行して1974年に登場しました。アウディとしては前身のアウトウニオンが併合したNSUの小型車プリンツの後継車という位置づけでもありました。NSUのデザイナーによるシンプルな3ドアハッチバックはポロと同じデザインで、違いはアウディのエンブレムぐらいでした。当初は4気筒1.1L(50HP)エンジンを搭載し、4気筒895cc(40HP)エンジンを搭載するポロより車格が上で、値段もポロより高価でした。
ポロと同じ895ccエンジンや1.3Lエンジンも後に追加されましたが、値段が安いポロのほうが2倍以上多く売れました。フォルクスワーゲン グループとしてアウディ ブランドはもっと上級な車を担うことになったため、アウディ 50は1978年に生産中止となりました。総生産台数は約18万台でした。(同時期にポロは50万台が生産されました)
ミニカーは1970年代に発売されたシュコーの当時物です。シュコーはドイツの老舗玩具メーカーで1950年代のぜんまい仕掛けの精巧なブリキ製自動車玩具で有名でした。1960年代にダイキャスト製の小スケールミニカーを発売し、1970年代には1/43のミニカーも発売しました。これはアウディ 50をモデル化していますが、実車同様にフォルクスワーゲン ポロのグリルを変えて、アウディ 50に仕立てています。フロントグリルが黒塗装されていてやや見難いですが、グリルにはアウディのエンブレムがついてます。ボンネット/ドア/ハッチバックが開閉するギミック付きで、当時のミニカーとしては良く出来ていました。これ以外の当時物としては、ポリスティルの1/25がありました。当時物以外ではミニチャンプス、ヴェーキングの1/87があります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/ハッチバック開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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