Sorry Japanese Only
フィアット 128 イタリア 1971年
1969年に登場したフィアット 128はフィアット初の前輪駆動車でした。128の前輪駆動方式は考案した技術者の名前でダンテ ジアコーサ方式と呼ばれ、ミッション(変速機)に直列に接続したエンジンを横置き配置し左右不等長のドライブ シャフトで前輪を駆動するものでした。これ以前の横置き前輪駆動方式はBMC ミニが採用したエンジンの下にミッションを配置するイシゴニス方式がありましたが、ダンテ ジアコーサ方式は通常の縦置きエンジンが使用できるといったメリットがあり現在の前輪駆動車では主流となっています。
フェラーリから移籍してきたランプレディが設計した4気筒1.1L(55HP)エンジン、前輪駆動方式によるスペース効率の良いボディ、全輪独立懸架サスペンションによる優れた操縦性などこの車は画期的な小型車でした。1970年のEUカー オブ ザ イヤーを受賞し、商業的にも大ヒットしました。当初は2ドア/4ドアセダンと3ドアワゴンの設定で、1971年に1.3L(60HP)エンジンを搭載した3ドアクーペとセダンの高性能版のラリー、1975年に3ドアハッチバックの3Pが追加されました。1974年に1.3Lエンジンがセダン系にも追加され、1976年にはヘッドライトが角型に変更された後期型となり1985年まで長く生産されました。 総生産台数は約350万台で後継車はリトモでした。
ミニカーは1972年に発売されたメーベトイ製の当時物です。この当時のメーベトイはアメリカのマテル社に吸収合併されていましたが、この128はメーベトイらしいセンスの良い造形はそのままでマテル流のフリーホイールもまだ使っていません。シンプルな3ボックススタイルを忠実にモデル化していて良い出来ばえです。ドアが開閉するギミック付きです。ただテールライトの塗装処理を省いているのは今一つですが。なおこの丸型4灯式のテールライトは高性能版ラリーの外観上の相違点でした。(標準仕様は横長角型テールライト) メーベトイは型番A60で高性能版の128 ラリーと型番A77で128 クーペもモデル化しています。これ以外の128の当時物ミニカーはマーキュリーのセダンとクーペ、ポリトーイのラリー 1/25などがありました。当時物以外ではリオが様々なバリエーション展開で約40種類のセダン、ノレブのクーペ、ネオ(レジン製)のセダン、ホワイトボックス(イクソ)のセダンなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=675
フィアット 127 イタリア 1971年
1971年にフィアット 850の後継車で前輪駆動車の第2弾として127が登場しました。当時流行の直線を基調にしたコンパクトなボディに850用の4気筒805㏄エンジンを903cc(45HP)に拡大して搭載し、4段変速機で最高速135km/hの性能でした。当初は2ドアだけでしたが、1972年に3ドアハッチバックが追加されました。全輪独立懸架サスペンションによる優れた操縦性と実用性を兼ね備えた127は、128に続き1972年のEU カー オブ ザ イヤーを受賞し商業的にも大ヒットしました。
1977年にフロントとリアの意匠が変更されたシリーズ2となり、窓が大きくなったリアハッチがバンパー位置から大きく開くようになりました。また1L(50HP)エンジンと、1.3Lディーゼルエンジンが追加されました。1982年にフロントグリルを変更して大きな樹脂製バンパーを採用したシリーズ3となり、オプションで1.3L(75HP)エンジンが追加されました。1983年に後継車のウーノが登場しました。スペインではセアト(SEAT) 127としてライセンス生産され、4ドア/5ドア仕様も設定されました。1987年まで生産され、総生産台数は約510万台でした。
ミニカーは1972年に発売されたメーベトイ製の当時物です。127の初期型をモデル化しています。角ばったボディや角形ヘッドライトでちょっと変わった雰囲気を持つフロント周りがうまく再現されていて良く出来ています。ドア開閉ギミック付で、室内もそこそこ良く再現されています。これ以外の127の当時物ミニカーはポリトーイの1/43と1/25、Bブラーゴの1/24、マーキュリー、オートピレンのセアト 127、イクソのセアト 127などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=677
フェラーリ 512M イタリア 1971年
1969年にグループ4スポーツカー(排気量5L)の最低生産台数が50台から25台に緩和され、排気量の大きいグループ4がプロトタイプより有利になりました。そこでフェラーリはグループ4の512Sを1970年に登場させました。512Sの構造は前述した312Pとほとんど同じで、DOHC V型12気筒5L(550HP)エンジンを搭載し、ボディはクーペ、高速レース用ロングテール クーペ、スパイダーがありました。512Sのデビュー戦は1970年デイトナで、ポルシェ 917に次ぐ3位となりました。ただ1970年はポルシェ勢に勝つことが出来ず、セブリングで1勝しただけでした。
1970年後半にはボディを軽量化し、エンジンを610HPにパワーアップした512Mが登場しました。デザインも低いノーズと緩やかな傾斜のリアカウルに変わりました。512Mは1970年南アフリカのキャラミ 9hでポルシェ 917を制して初優勝しています。1971年になるとポルシェ 917Kが圧倒的に強くなりレースが成立しなくなった為、1972年からは耐久レースは排気量3Lまでのオープントップ プロトタイプカーで行われることになりました。これを受けてフェラーリ 512Mでのワークス活動は中止され、512Mはプライベーターに売却されました。1971年ルマンではプライベーターの512Mがポルシェ 917に次ぐ3-4位となりました。
1972年から始まった排気量3Lの耐久レース世界選手権に合わせてフェラーリは1972年に312 PBを開発しました。312 PBは512MのボディをCAN-AMマシン風に変更し、エンジンは312B F1用の180度V型12気筒3Lエンジンを耐久レース用にデチューンして搭載していました。312 PBは1972年のレースでは出場しなかったルマン以外で全勝し、マニファクチャラーズとドライバーズ タイトル(J.イクス)を獲得しました。1973年はモンザなどで2勝し善戦しましたが、マトラにマニファクチャラーズ タイトルを奪われました。250Pから312PBに至るフェラーリのスポーツカーレースのワークス活動はこの1973年で終了し、以後はF1に専念することになりました。この間に製作されたレースカーは約70台ほどということでした。有名な車が多い割には台数が少ないですが、当時のフェラーリは中小企業レベルで予算が限られていたので、同じ車を改造して何度も使っていたそうです。
ミニカーは1995年頃に販売されたブルム製です。1971年のルマン出場車(結果4位)をモデル化しています。この512Mは全体的に少しごつい感じですが、ホイールなどの細部はそこそこリアルで、当時のミニカーとしては結構良くできていました。ブルムは512Sと512Mを約10種類ほどモデル化しています。512の当時物ミニカーはソリドの512Sと512M、ポリトーイの512Sなどがあり、当時物以外ではイクソ、マテル、テクノモデル(レジン製)の1/18などがあります。レースカーではありませんが、512Sのシャーシを使ったピニンファリーナのスタイリング実験車のベルリネッタやモデューロをポリトーイ、メーベトイ、マーキュリーなどがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1790
フェラーリ ディノ 246 GTS イタリア 1971年
1968年に登場したディノ(ディーノ)はフェラーリの市販車としてエンジンを初めてミドシップ搭載した車でした。フェラーリは12気筒エンジンが基本であったので、V型6気筒エンジンを搭載したこの車にはディノという新しいブランド名(フェラーリ ディノでは無く単にディノ)を与えました。初期モデルのディノ 206 GTのボディは総アルミ製で車重900kgと軽く、排気量2Lながら185HPのハイパワー、5段変速で最高速235km/hと高性能でした。ミドシップ エンジン方式故に、その操縦性は市販車としては並外れたものだったそうです。
ディノ 206 GTは150台ほどで生産中止となり、1969年に2.4L(195HP)エンジンを搭載したディノ 246 GTに切り替わりました。246GTは206 GTに比べるとホイールベースが少し延長され全長が85㎜大きくなり、ボディは量産しやすいスチール製となりました。その為車重も重くなりましたが、エンジンのパワーアップで動力性能はほぼ同じでした。当初は固定ルーフのGTクーペのみで、1971年にオープンルーフの246 GTSが追加されました。1974年まで生産され総生産台数は約3600台(GTSが約1300台)でした。後継車は1973年に登場したディノ 308/208 GT4でした。
ミニカーは1996年頃に発売されたバン製です。バンはディノ 206と246をモデル化していましたが、どちらも実車の雰囲気が実にうまく再現されています。また灯火類や室内などの細部もリアルに仕上げられ、ディノの1/43量産ミニカーとしてはベストの出来ばえといって間違いないでしょう。ディノ 206と246はリアクオーターパネルのデザインが異なり全長も少しだけ違います。全長の違いは1/43サイズのミニカーでは2㎜ほどになりますが、バンの206と246のミニカーは同じ型を流用していて、さすがにその違いまでは再現していません。寸法が測り易いホイールベースをノギスで正確に測ってみると54.5㎜で、246のホイールベース寸法(2340㎜)で統一しているようです。同じ型を使っているので206と246の出来ばえは同じですが、この246 GTSは屋根が開いているので、リアルに再現されたインパネなどが良く見えます。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=736
フェラーリ 365 GTC/4 イタリア 1971年
2+2シーターのファラーリ 330 GT 2+2の後継車として、リトラクタブルヘッドライトを採用してデザインを一新した365 GTC/4が1971年に登場しました。前述した365 GTB4 デイトナに+2の後部座席を追加した豪華仕様のクーペといった位置づけでした。(ただし後席は狭く子供か荷物用でしたが) デザインはピニンファリーナでデイトナに比べると柔らかい曲線で構成され大人しいシックな感じになっていました。
デイトナと同じV型12気筒4.4L(340HP)エンジンを搭載し、5段変速で最高速260km/hとやや大人しいチューンで、その分だけスムーズで静粛性も高かったそうです。デイトナでは変速機が後輪デフと一体化したトランスアクスルを採用していましたが、365 GTCでは変速機はエンジンと一体化していました。 派手なデイトナの陰であまり目立たず、たった1年半の期間しか生産されなかった短命車でした。総生産台数は約500台でした。後継車は実用的な4シーターとして設計された365 GT/4でした。
ミニカーは1972年に発売されたメーベトイ(マテル グラントロス)製の当時物です。アメリカのマテル傘下で「マテル グラントロス」ブランドとなったメーベトイ後期の物で、シャープな造形で実車のデザインがうまく再現されていました。(ただキャビンから上が少し大きめですが) ボンネット/ドア開閉ギミック付で、室内も当時のミニカーとしては良く再現されていました。なおこのミニカーは発売当時からあまり日本国内に出回らず、入手が難しかったレアなミニカーでした。実車が短命で人気が無かった為か、365 GTC/4のミニカーは2008年にイクソがモデル化するまでこのメーベトイ製しか量産ミニカーがありませんでした。イクソ以外ではレジン製でルックスマートとテクノモデルがモデル化しています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=738
ページ « 前へ 1...200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 ...372 次へ »
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.