Sorry Japanese Only
ランボルギーニ 350GT イタリア 1964年
イタリアの農機具(トラクター)メーカー ランボルギーニ トラットリーチ社の社長フェルッチオ ランボルギーニは自動車マニアで、高級車を多く所有していましたが何れにも満足していませんでした。彼は自分のフェラーリの修理費用が高額であったことから高級車ビジネスが儲かることに気がつきました。またメカニックであった彼の自分の思いどおりの車を作りたいというロマンもあいまって、スーパーカーを製造するランボルギーニ社を1962年に設立しました。
最初のモデル350GTVの開発はフェラーリ 250GTOの開発を行ったジオット ビッザリーニが行いました。DOHC V型12気筒3.5L(360HP)エンジンはフェラーリよりも高度な4カム仕様で、サスペンションも4輪ダブルウイッシュボーンとこれもフェラーリを凌ぐ仕様でした。350GTVは1963年にトリノショーに出展されましたが、フランコ スカリオーネのデザインしたリトラクタブルライトを採用したフロント部分や高性能すぎることがフェルッチオ ランボルギーニのお気に召さず、この車は発売されませんでした。(実車画像→ ランボルギーニ 350GTV) ランボルギーニ最初の市販車 350GTは350GTVを改良したもので、アルミ製ボディのデザインはトゥーリングがフロント部分を手直し、エンジンは270HPにデチューンされ最高速250km/hの性能でした。1964年から生産を開始し130台ほどが生産されたそうです。
1966年に350GTのルーフラインを変更し全高を少し上げることで居住性を向上させ、2+2の4座席とした400GTが登場しました。(350GTの後席は1座+荷物スペース) 外観上の大きな違いとしてはヘッドライトが丸型4灯式に変わっていました。居住性の改良に取り組んだという点で、400GTにはフェルッチオ ランボルギーニの考え方が反映されているように思います。エンジンは3.9L(330HP)に拡大され、ボディはスチール製に変更され、最高速は250km/hでした。1966年から1968年までに約220台が生産されました。後継車はイスレロでした。
ミニカーは1968年に発売されたポリトーイ初期のMシリーズです。全体的な雰囲気やきれいな塗装など、当時としては出色の素晴らしい出来ばえでした。当時のポリトーイのミニカーの魅力はエンジンやサスペンションなどのメカ部分をリアルに再現していたことで、これは現在のミニカーが忘れている自動車の本質的な部分のリアリティの追求だと思います。個人的にはワイパーやミラーをリアルに再現することよりもはるかに意味があると思います。この350GTもボンネットを開くとリアルに再現されたV型12気筒エンジンが見えます。(実車画像→ ランボルギーニ 350GT エンジン) 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=743
マセラティ ミストラル イタリア 1964年
1959年にマセラティ 3500GTにV型8気筒5L(340HP)エンジンを搭載した5000GTが登場しました。5000GTの最初の車はカロッツェリア ツーリングが架装したイラン国王用の特注仕様車で「Shah of Persia(ペルシャの国王)」と呼ばれました。その後1966年までに、ツーリングやベルトーネなどのカロッツェリアが特注ボディを架装した5000GTが約30台ほど生産されました。(実車画像→ マセラティ 5000GT Shah of Persia 1959)
3500GTの後継車として1962年に2+2シーターのセブリング、1963年に2シーター クーペのミストラルが登場しました。基本設計はどちらも3500GT スパイダーと同じで、ミストラルはホイールベースが100mm短くなっていました。当初のエンジンはDOHC 6気筒3.5L(235HP)でしたが、すぐに6気筒3.7L(245HP)に代わり、5段変速で最高速245km/hの性能でした。1966年には6気筒4L(265HP)エンジンが追加されました。ミストラルには少数ですがカロッツェリア フルアがデザインしたオープン仕様のスパイダーもありました。1970年まで生産され、総生産台数はミストラルが約1000台、セブリングは約600台でした。(実車画像→ マセラティ セブリング)
ミニカーは1965年に発売されたソリド製の当時物です。1960年代のミニカーなので、バンパー、グリル、ホイールがまだ金属で作られているレトロな作風ですが、実車の雰囲気が良く再現されていて当時のミニカーとしてかなり良い出来ばえでした。ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、エンジンも金属製パーツで再現されています。これ以外のミストラルの当時物ミニカーはメーベトイ、ジク(SIKU)、ポリトーイ初期のプラスチック製とPENNYシリーズの1/66がありました。当時物以外ではミニチャンプスの1/43と1/18、イクソなどがあります。セブリングのミニカーはポリトーイの当時物、ネオ(レジン製)などがあります。5000GTのミニカーはミニチャンプス、ネオ(レジン製)、KESS MODEL(レジン製)などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=755
オースチン ミニ モーク (パラ モーク) イギリス 1964年
ミニの派生車ミニ モークはミニのシャーシを使った多目的車でした。当初はジープのような軍用車を目指して開発され、パラシュートで降下可能な軽車両として試作車がイギリス軍に提案されました。しかしタイヤが小さい故の低い最低地上高とパワー不足のエンジンはオフロード走行に使えないとして採用されませんでした。そこでBMCは後席やキャンバストップをオプション設定として、安価な一般向け多目的軽作業車としてミニ モークを1964年に発売しました。4気筒848ccエンジン、変速機、タイヤなどのメカはミニと共通で、駆動方式は前輪2WDのみでした。
多分ミニのブランド力のおかげだと思いますが、ミニ モークは世界各国のリゾートで使用されるビーチバギーとして成功しました。イギリスでは1968年まで生産され、生産台数は約1.5万台でその1/10がイギリス国内で販売されました。1968年以降はオーストラリアで生産されました。最低地上高を高めるためにホイールを10インチから13インチに変更し、1098ccエンジンを搭載したMK IIが設定されました。MK IIはオーストラリア陸軍に採用されるなど成功しました。オーストラリアでは1980年台まで生産され、その後はポルトガルで1990年代まで生産されました。ミニ モークの最終的な総生産台数は約5万台でした。
ミニカーはディンキー(英)製の当時物で1967年に発売されました。採用されなかったパラシュートで投下できる車両として試作された軍用車(PARA-MOKEと呼ぶようです)をモデル化しています。試作車なので一般市販した車とは少し感じが違っていますが、ミニカーは結構良く出来ていると思います。この型番601はミニ モークと車両を載せる車台とビニール製のパラシュートがセットになった物で、型番342でミニ モーク単体もありました。これ以外のミニ モークのミニカーとしては、ビテスとスパークがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=772
オースチン 1800 イギリス 1964年
ミニの上級車のADO16シリーズ(モーリス 1100など)をさらに発展させ大型化したのがADO17シリーズでした。第一弾としてオースチン 1800が1964年に登場しました。その後1966年にモーリス 1800、続いて1967年にウーズレー 18/85が登場しました。デザインはADO16同様にピニンファリーナで、ADO16を引き延ばしたようなスタイルをしていました。長いホイールベースを生かした6ライトの開放的なキャビン、前後輪関連懸架機能を持つハイドロ ラスティック方式サスペンション、簡易なアンチロック機能を持つブレーキシステムなど進歩的な技術が使われました。
オースチン 1800はスポーツカーMG MGBと同じ4気筒OHV1.8L(80HP)のBMCのBタイプ エンジンを搭載し、4段変速で最高速147km/hの性能でした。1965年のヨーロッパ カー オブ ザ イヤーを受賞しましたが、このクラスの車では前輪駆動のメリットがあまり生かせず、商業的にはADO16シリーズほどは成功しませんでした。ADO17シリーズは1968年のマイナーチェンジでフロントグリルなど内外装を変更したMK IIになりました。1972年にはMK IIIとなり、6気筒2.2Lエンジンを搭載したオースチン 2200/モーリス 2200などが追加され、1975年まで生産されました。後継車はオースチン プリンセスでした。
ミニカーは1965年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。プロポーションが良く、ホイールベースが長いことで「Land crab:陸の蟹」と揶揄された独特のスタイルがうまく再現されていました。フロント周りの造形はうまく出来ていますが、B/Cピラーが少し太めなので開放的なキャビンの感じは今ひとつです。ボンネット/トランクが開閉するギミック付きです。これ以外の当時物としてはスポットオンもありました。最近ではバンガーズがADO17の3ブランド(オースチン/モーリス/ウーズレー)をモデル化しています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=777
マーコス ボルボ 1800GT イギリス 1964年
ジェム マーシュ(Jem Marsh)とフランク コスティン(Frank Costin)が1959年にマーコス社を設立し、レーシングカーの設計/製作を始めました。マーコスという名前は2人の名前を組み合わせたものでした。航空機の設計者であったフランクが設計したベニア合板製の軽量シャーシを持つレースカー マーコス GT (ザイロン)は軽量故に優れた性能でしたが、FRP製ボディが奇抜なデザインであったので醜いアヒル(Ugly Duckling)と呼ばれていました。(実車画像→ マーコス GT (ザイロン))
1964年に発売した市販車1800GTはザイロンをベースにして改良したもので、不評であったボディをスタイリッシュなものに変更し、ボルボ製の4気筒1.8L(114HP)エンジンを搭載していました。レースカーがベースなので操縦性に優れ、4段変速で最高速185km/hと高性能でした。 エンジンはフォード製の1.5L、1.6L、2L、V型6気筒3Lなど次々と変更され、木製フレームも1969年から鋼管スペースフレームに変更されました。主たる販売先はアメリカで1972年までに約1000台が生産されました。1965年にはミニのパーツを流用したマーコス ミニが登場しました。
ミニカーは1966年に発売されたコーギー製の当時物です。キャビンの形状は良く出来ているのですが、タイヤが大きめで全体的に車高が高くなったことで実車のイメージから少し外れています。フロントパネルとドアが開閉するギミック付きです。大きく開くフロントパネルのギミックが面白いからだと思いますが、このミニカーは人気があり約80万台も販売されましたので、実車よりミニカーの方がよく知られていると思います。昔のミニカーは生産台数が数十万台と多いので、あまり知られていないマイナーな実車はミニカーとなって知られることがありました。(特にコーギーのミニカーにはそのような物が多い) マーコス GTはマイナーな車なので、量産ミニカーはこのコーギー製しかありません。(レジン製の少量生産品がありますが) 以下はフロント/フロントパネルを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=877
ページ « 前へ 1...141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 ...372 次へ »
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.