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フォード リンカーン モデル L スポーツ フェートン アメリカ 1928年
精密機械エンジニアのヘンリー リーランドはこの当時のアメリカ製高級車ブランド(キャディラックとリンカーン)の成立に深く関わっていた人物でした。彼は1902年にキャディラック社が創立された際の技術責任者で、彼がキャディラック社の高品質な車造りを推進しました。そのキャディラック社が1909年にGM傘下となった後も、技術責任者としてキャディラックをGMの最高級車に育て上げました。しかしその後リーランドはGM首脳と対立してGMを辞職し、1917年にリンカーン モータ社を設立しました。
リンカーンの最初の乗用車 モデル LはV型8気筒5.9L(90HP)エンジンを搭載した高級車で1921年に登場しました。この車はV型8気筒エンジンを搭載したキャディラックより高性能で高品質な車として脚光を浴びましたが、デザインが良くなくてあまり売れませんでした。(リーランドはデザインには無頓着でした) その為業績不振だったリンカーン社は1922年にフォード社に買収されました。ヘンリー フォードは高級車リンカーンの買収にあまり賛成ではなかったそうですが、息子のエドセル フォードがリンカーンをフォードの最高級車に育て上げることになりました。(実車画像→ リンカーン モデル L 1921)
モデル Lは、エドセルが有名なコーチビルダーにボディを架装させるようになり、1928年には排気量を6.3L(90HP)に拡大しました。1930年には新型のV型8気筒6.3L(125HP)エンジンを搭載したモデル Kにモデルチェンジしました。(実車画像→ リンカーン モデル K) GM キャディラックは1930年には世界初のV型16気筒7.4Lエンジンを搭載したモデル 452を登場させました。この車に対抗してリンカーンも1931年にV型12気筒7.3Lエンジン(150HP)を積んだモデル KBを登場させました。この当時のリンカーンは大衆車メーカー フォード社の車ということで、高級車としてはまだキャディラックにかなわなかったようです。
ミニカーは1974年に発売されたリオ製です。後席にもウィンドスクリーンを持つデュアルカウル フェートン(4ドア オープン)のモデル Lをモデル化しています。このデュアルカウル フェートンは当時の標準ボディの一つでした。当時のリオのクラシックカーは1970年代のミニカーとしては抜群の出来ばえでした。このリンカーン モデル Lもそのリオの標準的な出来ばえで、フロントグリル、灯火類、室内、ホイールなどがリアルに再現されています。ボンネットを外すとエンジンが再現され、床下部分にはシャーシやサスペンションなどのメカ部分も再現されているなど、とても良く出来ています。(50年後の2023年現在でも第一級の出来ばえといって良いでしょう) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード リンカーン ゼファー コンバーチブル アメリカ 1939年
GMの中級車(ビュイックやオールズモービルなど)に対抗してフォードは1935年にリンカーンの廉価版リンカーン ゼファー(V型12気筒4.4Lエンジン)、1938年に新ブランドのマーキュリー(V型8気 4Lエンジン)を発売しました。リンカーン ゼファーはフェンダーに埋め込まれたヘッドライトなど空気力学に基づいてデザインされた流線形ボディを備えた先進的な車でした。4ドアセダン/コンバーチブル、2ドアセダン/クーペ/コンバーチブルのボディ形式がありました。8気筒エンジンを搭載していたライバルのキャディラックやパッカードの廉価版に対して、V型12気筒エンジンを搭載していたのは優位でした。
ゼファーは初年度に約15000台が販売され、リンカーン ブランドの販売台数の大半を占め、大ヒットしました。1941年以降は全てのリンカーンはゼファーをベースにしたモデルになりました。その為ゼファーという名前は戦前に使われただけで、戦後はリンカーンに統合され使われなくなりました。リンカーン ゼファーは「アメリカで最初に成功した流線型デザイン」といわれ、同時期に流線型を打ち出して失敗したクライスラーエアフローとは違い傑作車として高く評価されています。
ミニカーはシグネチャー製のクラシックカーシリーズで、2007年頃に購入しました。フロントグリルが大幅に変更された1939年式のリンカーン ゼファー コンバーチブル クーペをモデル化しています。このクラシックカーシリーズは1/32と中途半端な縮尺ですが、そのサイズを生かしてドア/ボンネット開閉などのギミック付きで室内やエンジンもそこそこ再現してありました。このゼファーもプロポーションが良く、実車の流線形ボディがうまく再現されています。室内やエンジンなどの細かいところもきちんと作ってあり、さらに前輪の操舵ギミック(ステアリングホイールとは連動しない)まで付いています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード リンカーン コンチネンタル アメリカ 1941年
フォードは1922年にリンカーンを買収して傘下に収めました。大衆車フォード T型の大量生産で成功した創設者ヘンリー フォードは、市場の狭い高級車販売には消極的でリンカーンの買収に乗り気ではありませんでした。ヘンリーの息子のエドセルには世界一の高級車を作りたいという夢があり、リンカーンの買収にはエドセルの意思が働いていました。
リンカーン部門のイメージアップを図るため、キャディラック シリーズ 60に対抗できる高級車開発が販売部門から要求されていました。そこでリンカーン ゼファーをベースにした試作車が作られました。この試作車は芸術的な素養があったエドセルの嗜好を盛り込んだ欧州風の品の良いデザインでした。この車を見たエドセルの友人から同じ車が欲しいという要望があり、この車は1940年にリンカーン コンチネンタルの名前で限定生産されることとなりました。
リンカーン コンチネンタル初代は月100台の限定生産といった高価な車(当時の定価約3000ドル 現在の貨幣価値で700万円ぐらい?)でしたが、そのスタイルには絶大な人気があり、リンカーンとして最も成功したモデルとなりました。第2次大戦で生産中止となり、1946年に戦後型が発売されて1948年まで生産されました。戦前からの総生産台数は約5000台でした。リア トランクにスペアタイヤを背負った独特のスタイルは、リンカーンの最上級ブランドの象徴として1980年代まで継承されました。
ミニカーは1973年頃に発売されたリオの初期モデルです。1970年代のミニカーですが、コンチネンタル初代のミニカーとしては現在(2023年)でも一級品の出来ばえといっても良いでしょう。フロント/リアの独特の個性的な造形がうまく再現されていて、実車の雰囲気が巧みに再現されています。(ヘッドライトは大きめにデフォルメされています) ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、エンジン/シャーシなどのメカ部分や室内も良く再現されています。幌を開いた仕様とハードトップ リムジーンのバリエーションがありました。これ以外のリンカーン コンチネンタル(戦前型)のミニカーは、デルプラドの世界の名車コレクション、フランクリン ミントの1/24、イクソ、オックスフォードの1/76、グリーンライトの1/43などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。ボンネットの下にはトランペット型のホーンが2つ付いています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード リンカーン コンチネンタル アメリカ 1946年
1940年に登場した初代 リンカーン コンチネンタルは、1942年のマイナーチェンジでエンジンが5L(130HP)にパワーアップされ、ボディが大型化され、フロントグリルとフェンダーが変更されました。太平洋戦争の勃発で生産台数は数百台と僅かでした。1946年から戦後型の製造が再開されました。フロントグリルなどが当時のアメリカ車に共通する派手な大型のものに変更され、初代の上品な雰囲気はなくなりましたが、基本的なスタイルはそのままでした。(初代を発案したエドセル フォードは1943年に若くして亡くなったので、この戦後型のデザインを見ることはなかったと思いますが)
戦後型は1948年までに約2800台が生産されて生産中止となり、初代リンカーン コンチネンタルの総生産台数は約5000台でした。V型12気筒エンジンを搭載したアメリカの量産車としてはこの車が最後となりました。(最近の車ではトヨタ センチュリー GZG50型やメルセデス ベンツ Sクラス W221型などが搭載しています) 1956年に後継車のリンカーン コンチネンタル MK IIが登場しました。
ミニカーはアルゼンチンのブービー(BUBY)製で、2009年頃に入手しました。ブービーは1950年代から1/43や1/64のダイキャスト製ミニカーを製造していた老舗メーカーで、日本国内では流通しなかったのであまり知られていません。1990年頃に1950-60年代のアメリカ車を「COLLECTORS CLASSICS」と「BUBY'S CLASSICS」シリーズとして数十種類モデル化しています。このコンチネンタルもその「COLLECTORS CLASSICS」シリーズの1台で、フロントグリルやバンパーなどに金属製パーツを使っているのが特徴です。昔のアメリカ車のイメージを再現するのに金属製パーツは効果的で、重厚な雰囲気のミニカーに仕上がっています。スケールモデル的な観点で評価すると最近のミニカーは優れていますが、昔のミニカーも雰囲気や質感ではまだまだ捨てたものではありません。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード リンカーン コンチネンタル MK II アメリカ 1956年
この当時のフォード リンカーンにはマーキュリーをベースにしたスタンダードと高級なコスモポリタンの2シリーズがありました。リンカーン コスモポリタン 1950年式は大統領専用車「コスモポ リタン スペシャル」として有名でした。フォードは1956年にヨーロッパ的な高級車を担当するコンチネンタル部門を新設し、戦前のコンチネンタルをコンチネンタル MK IIとして復活させました。リアトランクに搭載したスペアタイヤなど初代のイメージを残しながら近代化した優雅なデザインで、初代同様に品があって美しい車でした。(当時のアメリカ車につきものだった派手なクロームモールも極力抑えてありました)
コンチネンタル MK IIは月100台の限定(手作り!)生産で、価格1万ドル(普通のリンカーンの2倍 現在の貨幣価値で約1000万円くらい)もするロールス ロイス並みに高価な車でした。ただ1万ドルでも手作りゆえに赤字だったそうで、約3000台が生産されただけで1957年には生産中止となりました。1957年以降コンチネンタル部門は、ヨーロッパ風高級車ではなく、GM キャディラックなどの他社製高級車に対抗する車を担当する部門にかわりました。1958年に3代目のコンチネンタル MK IIIが登場しました。
ミニカーはフランクリン ミント製で1950年代のアメリカ車を1/43でモデル化した1950年代シリーズの1台で、1989年頃に発売されました。ヘッドライトをメッキパーツで表現するなどややレトロな作風ですが、その作風が実車の雰囲気にうまくマッチしていて、実に良い出来ばえでした。ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、エンジンルーム内のエンジンや室内のインパネなど細部がリアルに再現されていて、当時の1/43サイズのミニカーとしては最上級レベルの出来ばえでした。(ボンネット先端のエンブレムもリアルです) これ以外のコンチネンタル MK IIのミニカーとしては、マーキュリーの当時物、フランクリン ミントの1/24、ヤトミンの1/18、ミニチャンプス、オックスフォードの1/87などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)