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フェルビーストの蒸気車 中国 1672?年
ブランドル地方(現在のベルギー北部)出身のフェルディナント フェルビースト(Ferdinand Verbiest)は天文学や数学を収めた学者で、イエスズ会(カトリック教会の男子修道会)の宣教師として清代の中国を訪れました。彼は当時の皇帝であった康熙帝に信頼され、天文学や数学に関する講習を行いました。そのような科学的な講習の一環として、彼は古代中国の書物に書かれた「火車」を参考にしてして蒸気力で作動する蒸気車を設計して1672年頃に実験を行いました。
それは水をいれた金属の釜を熱して蒸気を発生させ、ノズルから噴出する蒸気をギヤにあてて車輪を駆動するといったものでした。実験的な装置で大きさは60㎝程の物だったらしいので、物や人を乗せることは出来なかったようです。この話はフェルビースト自身が著書に記載しているのである程度は確かなようです。蒸気エンジンの歴史に関する書籍にはこの蒸気車が世界で初めて作成された蒸気車という記載をしているものがあります。実用性がなかったとはいえ、使用目的を考えるとこれが世界初の自動車といえるかもしれません。
ミニカーは1978年に発売されたイタリアのブルム製です。ブルムの初期物で蒸気車ばかりをモデル化した「OLD FIREシリーズ」の一台です。実物は実車諸元の参照画像のリンク先画像のような形状だったという資料があり、このミニカーとは形状が違っています。したがってこのミニカーはそれとは別の資料に基づいたモデル化で、そこにはブルムが創作した部分があると思います。ただいかにもそれらしい形状をしていますので、そのセンスは悪くないと思います。後輪を駆動するギヤは実際に可動します。この蒸気車の量産ミニカーはたぶんこれしかないと思います。 以下は各部の拡大画像とギヤが可動する画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ジェナッツィ 「ジャメ コンタント号」 (電気自動車) ベルギー 1899年
自動車創世記には蒸気機関、内燃機関、電気モーターを使った自動車が考案されていて、それらの自動車が最高速度などの動力性能を競っていました。1898年にパリで最高速を競う世界初のイベントが開催されました。そのイベントにはガソリンエンジン自動車も参加していたのですが、優勝したのは黎明期のレースドライバーであったガストン ド シャスルー ローバ伯爵(Gaston de Chasseloup-Laubat)が運転するフランス製の電気自動車でした。その時の最高速は時速63.15㎞/hで、これは当時の世界記録でした。(実車画像→ ローバ伯爵の電気自動車 1898)
当時電気自動車を製造していたベルギーの発明家であったカミユ ジェナッツィ(Camille Jenatzy)はその速度記録を知り、自社製電気自動車の性能を知らしめる為に速度記録対決の挑戦状をローバ伯爵に送りました。この対決は1899年1月から4月にかけて何度か行われ、ローバ伯爵とジェナッツィが交互に勝ちましたが、最終的にジェナッツィが時速105.88㎞/hの世界記録で勝ち世界で初めて時速100km/h以上を達成しました。200V 25KWの電気モーターを2個搭載して出力は68HP、ボディはアルミ合金製で空気抵抗の少ない砲弾型となっていました。なお「ジャメ コンタント」とはラテン語で「決してあきらめない」の意味だそうで、何度も世界記録に挑戦する決意を示した車名でしょう。
ミニカーは1978年に発売されたリオ製です。リオのクラシックカーはマニア向けで、灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツから、シャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されていました。実車の画像は2018年のモーターショーに展示されたレプリカの写真ですが、それを見ると砲弾型のボディやシャーシなどの下回りが実車に即して結構リアルに出来ていることが分かります。コクピットの操蛇レバーで前輪を操蛇できるギミックがついています。リオは同じものを色を変えて型番4280と型番4504でも発売しています。なおこの車の量産ミニカーはリオ以外にはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像と床下の前輪操舵ギミックの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イスパノ スイザ アルフォンソ XIII スペイン/フランス 1913年
スペインの自動車会社がスイス人の技術者マルク ビルキヒト(Marc Birkigt)をチーフエンジニアに採用し、1904年にスペインのバルセロナに設立したのがイスパノ スイザ社でした。「イスパノ スイザ(Hispano-Suiza)」とは「スペインとスイス」という意味で、設立した経営者がスペイン人、チーフエンジニアがスイス人という意味で命名されました。(フランス語ではHを発音しないのでイスパノ スイザと発音します)イスパノ スイザ社は一般乗用車/トラックに加えて高級車やレーシングカーも生産しました。
イスパノ スイザ社はスペイン王室の援助を受けて王室御料車になったことで、高級車メーカーとして知られることになりました。初期の名車としては、スペイン国王のアルフォンソ 13世の名前を冠したアルフォンゾ XIIIがありました。この車はスペイン国王が開催した1911年のレースに優勝したレーシングカーをベースにしたスポーツカーでした。トランスミッションと一体化した高性能な4気筒3620cc(64HP)エンジンを搭載し、3段変速で最高速120km/hの性能で、当時としては高性能で軽快なスポーツカーでした。約500台が1914年までに生産されました。
ミニカーは1960年代に発売されたスペインのエコー(EKO)製です。エコーのミニカーはプラスチック製で、1/87サイズの乗用車/商用車や1/43サイズのクラシックカーをモデル化していました。このイスパノ スイザ アルフォンソ XIIIは自国の名車であることからモデル化に気合が入っているようで、車名ロゴの付いたフロントグリル、軽快なサイクルフェンダーなど実車がうまく再現されています。それ以外の細部もリアルで、1960年代のクラシックカーのミニカーとしてはレベルの高い出来ばえとなっていました。これ以外のアルフォンソ XIIIのミニカーはミニチャンプスのレジン製があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イスパノ スイザ H6 スペイン/フランス 1919年
高級車メーカーとして知られるようになったイスパノ スイザ社は第1次大戦前にフランスに主力工場を建設しました。同社が開発した高信頼性の戦闘機用V型12気筒エンジンは第1次大戦中に広く採用され、航空機用エンジン製造メーカーとしても成功しました。イスパノ スイザ車のマスコットは飛翔するコウノトリですが、これは同社エンジンを積むフランス空軍戦隊のエンブレムをベースにしたものでした。第1次大戦後の1919年に登場したイスパノ スイザ H6はこの戦闘機用V型12気筒エンジンの片バンクを流用したアルミニウム合金製SOHC6気筒6.6L(120HP)エンジンを搭載していました。(参照画像→ イスパノ スイザのマスコット)
イスパノ スイザ H6の特筆すべき先進機能として世界初のサーボ機能付き4輪ブレーキ(減速時にギヤボックスの回転力を使って制動力を機械的にアシストする)がありました。この技術はライバルのロールス ロイスなどにライセンス供与されました。H6は当時のコーチビルダーがセダンやトルペードなどの豪華なボディを架装しました。全長約5mの大型車で3段変速で最高速130km/hの性能でした。1922年にエンジンが少しパワーアップされてH6Bとなり、1924年にはエンジンが8L(145HP)に拡大されたH6Cに発展しました。ホイールベースを短縮し200HPまでパワーアップしたエンジンを搭載したレース仕様のH6Cもありました。H6は1933年まで生産され、総生産台数は約2350台でした。この車の成功でイスパノ スイザは世界的な最高級車として評価されるようになりました。後継車はV型12気筒エンジンを搭載したJ12でした。
ミニカーは1966年頃に発売されたソリド製です。キャビン部分を小型ボートのデッキ風にしたしゃれたデザインのH6B トルペードをモデル化しています。1960年代のソリドのクラシックカーは当時の一級品でとても良く出来ていました。このH6Bもカラーリングが綺麗で、特徴的なキャビンの造形や有名なマスコット(飛翔するコウノトリ)が見事に再現されています。フロント/リアのナンバープレートは箱に添付されていた紙製のシールを貼り付けたものです。これ以外のH6のミニカーは、ソリドのH6B、フランクリン ミントのH6B 1/24と1/43、イクソのH6Cなどがあります。 以下はフロント(エンブレム拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イスパノ スイザ H6C チューリップウッド スペイン/フランス 1924年
イスパノ スイザ H6Cは前述したH6の6.6Lエンジンを8Lに拡大したスポーツ仕様でした。このチューリップウッドという名前の車は元々はレーシングカーで、フランスの富豪アンドレ デュポネ(レーシングドライバーでもあった)が、戦前の戦闘機メーカーNIEUPORT(ニューポール)社に製作させた特注品でした。ボディは軽量化の為に木製フレームの上に木の薄板を貼り付けた構造となっていました。「TULIPWOOD(ユリノキ材の意)」の名前は使われた木材にちなんだものです。
この車はレーシングカーとして1924年のタルガ フロリオで6位、コッパ フロリオでは総合5位でクラス優勝しています。その後実用的なフェンダーやスペアタイヤなどが付けられて、ツーリングカーに改装されました。6気筒8L(200HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速170km/hの性能でした。アンドレ デュポネはこの車をイギリスに売却し、現在はアメリカのブラックホーク博物館に所蔵されているようです。
このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUESシリーズ」のNo.17向けに作られた物でした。これはその雑誌付きミニカーを流用して細部をリファインしてイクソのカタログモデルとして2010年に発売されたものでした。実車の板張りのボディがうまく再現されていてフロントグリルなどの細部もリアルで、とても良く出来ています。雑誌付きミニカーとカタログモデルでは細部の仕上げに大きな違いがありました。特にカタログモデルのスポーク ホイールはスポークが細くなりリアリティが圧倒的に向上していました。また木目を再現したボディの塗装や、メッキされた金属パーツも雑誌付きミニカーよりレベルの高い仕上げとなっていました。(詳細が知りたい方は当サイトのこちらを参照されたし→ 2010年新製品レビュー) なお側面についたスペアタイヤやフェンダーは取り付け部がプラスチック材なので強度がなく折れやすいので取り扱いに注意する必要があります。イクソ以外のH6C チューリップウッドのミニカーではフランクリンミントの1/24がありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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