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モスクビッチ 408 ロシア 1964年
1964年にモスクワ自動車工場のモスクビッチ 407は外観を一新して408に発展しました。ただし中身は407のままで性能もほぼ同じでした。1967年には新設計の4気筒1.5L(70HP)エンジンを搭載し角型ヘッドライトを採用した412が登場し、4段変速で最高速が150km/hに向上しました。1969年に408は412と同じ外観となり408 シリーズ 2として412と併売されました。408と412は丈夫で安価な乗用車として人気があり、西側諸国にも輸出されました。1976年には名前がモスクビッチ 2140に変わり1985年まで生産されました。(実車画像→ モスクビッチ 2140)
モスクビッチ 2140の後継車として1986年に新設計で大幅に近代化されたの5ドアハッチバック 2141 アレコ(Aleko)が登場しました。アレコはフランスのシムカ 1307をコピーした中型車で、4気筒1.5L-1.8Lエンジンを縦置き搭載する前輪駆動車でした。1991年に旧ソビエト連邦が崩壊し西側諸国の車が流入すると、旧ソビエト連邦の国産車は太刀打ちできませんでした。1990年代前半にロシア連邦が成立しモスクワ自動車工場(当時の名前はAZLK)は「Moskvitch Joint Stock Company」と改名され民営化されましたが、結局2002年に倒産しました。(実車画像→ モスクビッチ 2141 アレコ 1986)
ミニカーは1968年に発売されたディンキー(仏)製の当時物です。4灯式ヘッドライトを装備した408の輸出仕様をモデル化しています。(408国内仕様は2灯式ヘッドライト) 1960年代のミニカーですから、フロントグリル/ヘッドライト/バンパーは銀色塗装処理された素朴な作りです。ディンキー(仏)らしいスケールモデル的なリアルな造形で、当時のミニカーとしてはレベルの高い出来ばえでした。ボンネットが開くギミック付きです。当時ソ連車のミニカーはこれだけしかなかったので、車種的には珍しいミニカーでした。これ以外の408のミニカーは以下で紹介するソ連製ミニカー、ヘルパの1/87、IST MODELSなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ガズ 2401 ボルガ ロシア 1970年
前述したガズ M21の後継車としてガズ 2401 ボルガが1970年に登場しました。外観は同時期のアメリカ製コンパクトカーのようなオーソドックスなデザインでしたが、先代と比べるとかなり目新しくなりました。ガズ M21と同じ4気筒2.5Lエンジンながら86HPにパワーアップし、フルシンクロの4段変速で、最高速車145km/hの性能でした。ただしこの性能は同時期の西側の車に比べると見劣りしました。
1972年にステーションワゴンが追加され、1974年にV型8気5L(190HP)エンジンを搭載した政府用公用車が追加されました。ピックアップやパレード用のコンバーチブルも追加され、1985年以降は改良型のガズ 2410 ボルガ(外観はフロントグリルの小変更のみ)として1992年まで生産されました。ソビエト連邦時代の1970年代以降には個人がマイカーを所有するようになったようで、大衆車では前述したモスクビッチやラーダがありました。このガズ 24 ボルガは日本ではクラウン クラスの高級車だったようです。当時数社ほどあったソ連の自動車会社の乗用車は同じような中身で外観を変えただけの物が多く、いずれも親方日の丸的な経営でモデルチェンジもあまりしなかったようです。
ミニカーは1980年頃に発売されたソ連製です。1977年にソ連製ミニカーが大量に輸入されたことがありましたが、これはそれからしばらくしてから輸入された物のようです。1977年に輸入された物(モスクビッチ 403など)はあまり製造品質が良くなかったのですが、このボルガは全体的に品質レベルの向上が見られました。プロポーションはまずまずで、実車の雰囲気がうまく再現されています。前述したモスクビッチと同じようなレトロな作風であるのは変わりませんが、ボンネット/4ドア/トランクが開閉し、開閉ギミックの建てつけは良くなりました。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。エンジンルーム内のエンジンの造形は結構リアルです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ラーダ 1200 (VAZ 2101) ロシア 1970年
アフトヴァース(Avto VAZ)社は現在のロシア最大の自動車会社で、1966年にイタリアのフィアット社と提携して創立されました。当初はボルガ川の近くに本社工場があったので、ボルガ自動車工場(VAZ:Volga Auto Zavod)と呼ばれていました。1970年に最初の自動車としてファイト 124をライセンスしたVAZ 2101(車名ZHIGULI:ジグリとも呼ぶ)の生産が始まりました。VAZ 2101はソ連で開発したエンジンが搭載され、サスペンションを補強するなどロシアの道路環境に合わせて設計変更されていました。当初のエンジンは4気筒1.2L(60HP)で4段変速で最高速140km/hの性能でした。
1971年にワゴン仕様のVAZ 2102が追加されました。1972年に上級仕様として1.5L(75HP)エンジンを搭載したVAZ 2103(フィアットでは124 スペシャルに相当)が追加されました。VAZ 2103は4灯式ヘッドライトと大型化したテールライトで外観を差別化していました。1974年にエンジンを1.3L(68HP)に拡大したVAZ 21011が追加されしました。VAZ 2101は1988年、VAZ 2103は1984年まで生産されました。後継車はVAZ 2105/2106/2107でした。ベースとなったフィアット 124は当時の西側の最新型であった為、VAZ 2101はソ連国内にライバルが無く圧倒的なシェアを確保しました。また低価格な乗用車としてラーダ 1200/1300/1500という名前で西側/東側諸国に輸出されました。(実車画像→ VAZ 2103 1972) (実車画像→ VAZ 2105 1980)
アフトヴァース社はヴォルガ自動車工場時代にロータリーエンジンを製造しており、パトカーやKGB向け車両として1ローターのロータリーエンジン(70HP)を搭載したVAZ 21018がありました。ただこのロータリーエンジンは耐久性に問題があったようで少量生産だったようです。同社は2002年頃までロータリーエンジン搭載車を生産したとのことですが、NSUやマツダへのライセンス料を支払っていなかったとのことです。
ミニカーは1977年に発売されたソ連製の当時物で、前述したモスクビッチ 408と同時期に輸入された物です。輸出仕様のラーダ 1200をモデル化しています。金属製のグリル/バンパーなど作風がやや古くさいですが、プロポーションが良く当時のミニカーとしてはそこそこの良い出来ばえでした。外観が同じですのでフィアット 124をベースにしていることは明確ですが、このソ連製ミニカーではやや雰囲気が違う感じがします。ボンネットとトランクが開閉するギミック付きです。ボンネット内のエンジンや室内の造形も結構リアルです。バリエーションでワゴン仕様のVAZ 2102もありました。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ラーダ ニーヴァ (VAZ 2121) ロシア 1976年
前述したアフトヴァーズ社のラーダ 1200の派生車として、乗用車タイプの4WD車ラーダ ニーヴァ(VAZ 2121)が1976年に登場しました。 フィアット124がベースですが、ボディ、四輪駆動システム、サスペンションなどはアフトヴァース社の設計でした。センターロック機能を持つデフと副変速機を持つ本格的なフルタイム4WD車で、当時のソ連車としては非常に先進的な車でした。4気筒1.6L(76HP)エンジンを搭載し、5段変速で最高速132km/hの性能でした。優れたサスペンションと高い最低地上高で悪路走破能力が高く、ソ連の厳しい道路事情を反映した車でした。
優れた4WD性能に加えて安価で頑丈なこの車は世界各国に輸出され、日本でも硬派の4WD車マニア向けに1980年代に販売されました。価格以外の点で評価された唯一のソ連車ではないかと思います。1.7Lエンジンや1.9Lディーゼルエンジンが追加され、2006年頃まで生産されました。アフトヴァーズ社は2001年にGMと合弁しGM-AvtoVAZ社を設立しています。現在はオペルやシボレーの小型車をベースにした車を販売しているようです。ニーヴァも改良されてシボレー ニーヴァとして発売されました。(実車画像→ シボレー ニーヴァ 2002)
ミニカーは1980年代に発売されたソ連製の当時物です。1970-1980年代に購入したソ連製ミニカーのなかでも、このミニカーが一番凝った作りのミニカーとなっていました。自国の優れた車ですから、モデル化する際の思い入れが違うのでしょう。独得のフロントグリルや高い車高など実車の雰囲気がかなりよく再現されています。ドア、ボンネット、テールゲートが開閉し、床下部分には実車に即したサスペンションが再現されていて前輪が操舵できます。さらにソ連製ミニカーは塗装の経年劣化が多いのですが、このニーヴァはなぜかほとんど劣化していません。これ以外のニーヴァのミニカーはブレキナのポリス仕様など約30種類 1/87、IST モデル、イクソ、ホワイトボックス、ネオ(レジン製)などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/テールゲート開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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RAF 2203 ミニバス ロシア 1976年
RAF(Riga Autobus Factory)はソビエト連邦(現ロシア)のバン/ミニバスの製造メーカーでした。同社のバン/ミニバスは救急車やパトカーなどの公用車として使用され、一般人が所有するには子供が5人いる家族しか許可されなかったそうです。同社の最初のモデルは乗用車ガズ(GAZ)をベースにして1955年に登場した小型バス RAF 251(22人乗り)でした。 1958年にミニバス RAF 977(10人乗り)が登場しました。フォルクスワーゲン T1の構造を真似て運転席シート下に4気筒2.5L(75HP)エンジンを搭載した後輪駆動車で、3段変速で最高速100㎞/hの性能でした。この車も郵便車や救急車などの公用車でした。(実車画像→ RAF 977)
1976年にRAF 977の後継車として、RAF 2203が登場しました。エンジンをシート下に搭載する構造などはRAF 977と同じでしたが、独立式フロントサスペンションを採用していました。10/12人乗りのミニバスや救急車があったようです。外観も角型ヘッドライトを採用して目新しくなっていました。ただ品質管理がずさんであったこととロシアの厳しい道路事情もあって、故障が多かったようです。この車はソビエト連邦が崩壊した1990年代以降も生産されましたが、その頃には時代遅れとなっていました。1998年にRAFは倒産しました。
ミニカーは1985年頃に発売されたと思われるソ連製のミニカーです。(オークションで入手したので正確な発売時期はわかりません) RAF 2203の12人乗りミニバスをモデル化しています。1980年代のミニカーとしては、フロントグリル/バンパー/ホイールが金属製でややレトロな作風ですが、プロポーションが良く実車がリアルにモデル化されています。ドア/リアゲートが開閉するギミック付きで、室内には2座/3座/3座/4座の4列シートが再現されています。バリエーションでパトカーやタクシーなどがあったようです。1970年代に輸入されたソ連製ミニカーは粗悪なダイキャスト材が使われ塗装もひどかったのですが、1980年代に作られたミニカーは品質レベルが向上したようで、このRAFには塗装劣化などの不具合はありません。これ以外のRAFのミニカーは同じソ連製でRAF 977、イクソがRAF 2203のラリーアシスタントカーをモデル化しています。 以下はフロント/ドアを開いた運転席とリア/リアゲート開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)