Sorry Japanese Only
オースチン A35 イギリス 1956年
戦前の名車オースチン セブンで有名なオースチン グループは第2次世界大戦中は自動車と軍用機の生産に従事していました。戦争が終わると1945年には4気筒2.2L(67HP)OHVエンジンを搭載するオースチン 16を発表し生産を再開しました。1947年には6気筒3.5(110HP)/4L(127HP)エンジンを搭載する大型車のオースチン A110/125が登場しました。16もA110/125も戦前型の古いデザインの車でした。(実車画像→ オースチン 16)
(実車画像→ オースチン A110/125)
1950年に小型車オースチン A30が登場しました。モノコック構造のボディに前輪独立懸架、新開発の4気筒803cc(28HP)エンジン、最高速100km/hとライバルのモーリス マイナー同様に革新的な設計の車でした。当初は4ドアセダンだけでしたが、2ドアセダンやワゴン/商用バンが追加され、1956年には排気量が948cc(34HP)に拡大されA35となりました。 1958年にA40 ファリーナにモデルチェンジしましたが、商用バンは1968年まで生産されました。総生産台数は約28万台でした。
1952年にオースチン グループはモーリスと合併しBMC(ブリティッシュ モーター コーポレーション)となりました。当時のオースチンにはA40 サマーセット(4気筒1.2L)、A70 ヘレフォード(4気筒2.2L)、プリンセス リムジーン(6気筒4L)などがありました。なおこのA40は当時の日産自動車がライセンス契約で日産 オースチンとしてノックダウン生産していました。(実車画像→ オースチン A40 サマーセット)
ミニカーは2002年頃に発売されたコーギー製です。マニア向けの「MOTORING MEMORIES」というシリーズの1台でした。前述したモーリス マイナーと同じような1960年代のコーギー製を思わせるようなレトロな造形で、実車の雰囲気がうまく再現されていました。実車のユーモラスな感じの顔付が少し誇張されていますが、この辺の味付けはコーギーならではのもので、私はこのような少しレトロなミニカーが好きです。A30/35の当時物ミニカーはディンキーのビンテージ物がありました。最近の物ではバンガーズ、イクソなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=764
オースチン ヒーレー 100 BN2 イギリス 1956年
自動車エンジニアのドナルド ヒーレーがオースチンのエンジンを用いてスポーツカーのプロトタイプを製作し、それをBMCのオースチン部門が引き継いで量産化したのがオースチン ヒーレーの始まりでした。最初のモデル 100(BN1)は1953年に登場しました。オースチン A90の4気筒2.7L(90HP)エンジンを搭載した2座のオープンカーで、3段変速で最高速172km/hの性能でした。100という名前は最高速100マイル/h(160km/h)が可能であることを意味していました。
1955年のマイナーチェンジで100 BN2となり、4段変速機が採用されフロントのホイールアーチが少し大きくなりました。1956年にエンジンを6気筒2.6L(102HP)に切り換え、ホイールベースを延長し2+2座とした100/6(BN4)に発展しました。可倒式であったフロントスクリーンが固定され、ボンネットにはエアダクトが追加されました。1958年には2座の100/6(BN6)が追加されました。ヒーレー 100はMGと同じくアメリカ市場で人気を博し、1959年までに約3万台が生産されました。限定生産の高性能版として110HPエンジンを搭載した100M、アルミ製ボディで軽量化し132HPエンジンを搭載した100Sがありました。1953年ルマンに参戦するなどレースでも活躍しました。 1959年にヒーレー 3000にモデルチェンジしました。
ミニカーはマッチボックス傘下でマニア向けとして復活させたディンキー製で1992年頃に発売されました。マイナーチェンジしたオースチン ヒーレー 100 BN2をモデル化しています。フロントフェンダーの雰囲気が少し違うような感じもしますが、豪快なイメージのこの車をそこそこうまく再現していました。当時のミニカーとしては、まずまずの良い出来ばえでした。ヒーレー 100の当時物ミニカーとしては、コーギー、ディンキー、テクノなどがありました。当時物以外では、ビテス、京商の1/18、ホンウェル、オックスフォード、スパーク(レジン製)の100Sなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=874
オースチン ヒーレー スプライト MK I イギリス 1958年
前述したオースチン ヒーレー(ビッグヒーレーと呼ぶ)に対してスモールヒーレーと呼ばれたヒーレー スプライトは、MGのような小型スポーツカーで安価な車を目指して開発され、1958年に登場しました。コストを下げるために、BMCで最も安価なオースチン A35からエンジンやサスペンションなどの基本パーツを流用していました。4気筒948cc(43HP)エンジンは非力ながらも、640kgの軽量モノコックボディ故に最高速は130km/hとそこそこ高性能でした。また小型スポーツカーに造形が深いイギリス流の優れた設計で、小さいながらも優れた操縦性のスポーツカーに仕上がっていました。1961年までに約5万台が生産されました。
特徴的なヘッドライトの形状から日本ではカニ目、アメリカではバグアイ(虫の目)、イギリスではフロッグアイ(カエルの目)とあだ名されていました。スプライトは1961年にMK IIにモデルチェンジして一般的なヘッドライトに変わりました。このMK IIは同じBMCグループのMG ミジェットの姉妹車でもありましたので、両車はまとめてスプリジェットと呼ばれることがあります。 (実車画像→ オースチン ヒーレー スプライト MK II 1962)
ミニカーは1999年頃に発売されたディテールカー製です。プロポーションが良く特徴的なカニ目がうまく再現され、実に愛嬌のあるミニカーに仕上がっていました。フロントグリル/灯火類や室内などの細部もそこそこ良く再現されています。バリエーションでオープントップ仕様のスパイダーもありました。これ以外のスプライト MK Iのミニカーは、このディテールカーのOEMであると思われるソリド、イクソ、エブロ、スパーク、国産名車コレクションなどがあります。なお実車が登場した時期が古いので、スプライト MK Iの当時物ミニカーはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=876
オースチン A40 ファリーナ カントリーマン イギリス 1959年
1958年にオースチン A35の後継車としてA40 ファリーナが登場しました。A35のシャーシにピニンファリーナがデザインしたボディを載せていました。エンジンはA35と同じ948cc(34HP)で、4段変速で最高速113km/hの性能でした。当初は2ドアセダンだけでしたが、1959年には上下2分割式テールゲートを持つカントリーマンが追加され、その機能的なデザインはハッチバック車の元祖とされています。
1961年にフロントグリルを変更してMK IIに発展し、1967年まで生産されました。MK IとMK IIの総生産台数は約34万台でした。テールフィン的なリアエンドを持つこのピニンファリー デザインは好評だったそうで、ADO16シリーズなどその後のBMC車にも使われました。
なおA40という名前の車は、それ以前にも1947年登場のA40 デヴォン、1952年登場のA40 サマーセット、1954年登場のA40 ケンブリッジなどがありました。この40というのはエンジンの馬力がおよそ40HPという意味で、それらは同じエンジンを搭載していました。
ミニカーは2010年に発売されたのバンガーズ製です。バンガーズは老舗コーギーのブランドで、昔のコーギーを感じさせる少しレトロな作風になっています。このA40もプロポーションが良く、実車の雰囲気をうまく再現したシンプルで良質なミニカーに仕上がっていました。安価ながらもエッティング材のワイパーを使い、そのワイパーがほとんど目立たないのもこのブランドの良いところです。A40の当時物ミニカーはコーギー、スポットオンなどがありました。当時物以外ではオックスフォードのMK IIがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=765
オースチン セブン (ミニ) イギリス 1959年
1956年に第2次中東戦争(スエズ動乱)が勃発し石油価格が高騰しました。この状況に対応した経済的な新しいコンセプトの小型車として、BMCの開発コードでADO15(ADO :Austin Design Officeの略)と呼ばれたミニが開発されました。ミニは1959年にオースチン セブンとモーリス ミニ マイナーの名前で登場しました。ミニという名前は先に成功していたモーリス マイナーのMINOR(ラテン語でより小さいの意)に対して、さらに小さいという意味を込めてラテン語で最小を意味するMINIMUSから付けたそうです。
またオースチン版のオースチン セブンという名前(SE7ENと表記されることがある)は戦前の傑作小型車セブンにちなんだものでした。1962年にオースチン セブンは オースチン ミニに、1967年にモーリス ミニ マイナーはモーリス ミニに名称変更されました。また1968年にBMCがBLMCになると、モーリスとオースチンの区別が無くなりました。
モーリスとオースチンはフロントグリルの形状とボンネット/トランクのエンブレムが違っていました。フロントグリルの違いはオースチンが9本の波形横バーで構成されるのに対して、モーリスは7本の縦バーと10本の横バーの格子で構成されていました。簡単にいうとフロントグリルの縦バーが明確に目立つのがモーリスです。(実車画像→ モーリス ミニ マイナー)
ミニカーはビテス製で1992年頃に発売されました。ウインドスクリーンにワイパーやバックミラーを一体化表現したややレトロな作風ですが、プロポーションが良く実車のシンプルな雰囲気がうまく再現されていました。これはオースチン セブンですがビテスはモーリス ミニ マイナーも発売していて、グリルとエンブレムがちゃんと作り分けてありました。ビテスは他にも左ハンドル仕様やラリー仕様などのバリエーションをたくさん出していました。オースチン セブンの当時物ミニカーはコーギー、スポットオンなどがありました。当時物以外ではマッチボックス、コーギー、バンガーズ、エブロ、サンスターの1/12などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=768
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2025 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.