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ディムラー 38HP イギリス 1910年
イギリスの技術者フレデリック シムス(Frederick Richard Simms )はゴットリープ ダイムラーからダイムラー製エンジンの特許実施権を得て、そのエンジンを搭載した自動車を完成させました。投資家のハリー J ローソン(Harry John Lawson)はシムスの特許権を買い取り、1896年にイギリス最古の自動車メーカー ディムラー モーター社を設立しました。1897年には最初のディムラー車(2気筒エンジン搭載)が発売されました。なお「ディムラー」と「ダイムラー」はどちらも綴りは同じDAIMLERなのですが、イギリス製のDAIMLERはドイツ製と区別する為「ディムラー」と表記しています。(最近はあまり区別しないようですが、私は昔流でディムラーとしています)
1900年にイギリス王室は初めての自動車としてディムラー車を購入し、エドワード7世がディムラー 22HP(1902年式)を王室最初の御料車に指定したことで、それ以後の約50年間 英王室御料車はディムラーが担当するようになりました。(実車画像→ ディムラー 22HP) ディムラーは御料車に指定されたことで上流階級の人気を得て業績を伸ばしていきました。1908年にはスリーブ バルブ(シリンダ側面のスリーブに吸排気ポートを設ける構造)式エンジンの製造権を得て、このエンジンの優れた静粛性を生かした高級車を製造しました。画像のディムラー 38HPもそのスリーブ バルブ式エンジンを搭載した車で、この車のリムジーンは王室御料車に採用されていました。
ミニカーは1964年に発売されたコーギー製で、当時のマニア向けのクラシック シリーズの一台です。コーギーのクラシック シリーズはいずれも当時のミニカーとしては素晴らしい出来ばえでした。このディムラー 38HPもディムラーの特徴である上部にフルート(縦溝)が刻まれたフロントグリル、ウインドースクリーン中央のクラクション、灯火類などの細部がリアルで良く出来ています。またコーギーが得意としていたフィギュアが4体乗っています。この当時の服装をしたフィギュアは綺麗に彩色された良い出来ばえで、お抱え運転手の運転で家族がドライブしているといった楽しい雰囲気のミニカーになっています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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デニス 消防車 はしご付 イギリス 1910年
イギリスのデニス スペシャル ビークル社(Dennis Specialist Vehicles)は大型トラックと消防車のメーカーでした。その前身はデニス兄弟が1895年に創立した自転車を製造するデニス兄弟社で、1898年から自動車の製造を始めました。同社はイギリス初の自動車製造工場を設立し、1900年代には小型車から中型車まで数モデルを販売するようになりました。1903年には最初のバス、1908年に最初の消防車を製造し商用車メーカーとして発展しました。第1次大戦では軍用車を製造しましたが、戦後は軍用車の需要がなくなり清掃車やバスなどを製造し乗用車生産から撤退しました。第2次大戦中はトラック製造を行い、戦後はバス/トラック/消防車のメーカーとして2007年まで存続しました。
同社は消防車に関しては独特の技術を保有していました。デニス消防車は当初から、他のメーカーが使用しているピストンポンプではなく遠心ポンプまたはタービンをウォーターポンプとして使用していました。これは一般的なピストンポンプよりも構造が複雑で製造が難しいのですが、送水ポンプとして利点がありました。河川などから消火用の水を吸引するのではなく消火栓から水が供給される場合、この消火栓の水圧は遠心ポンプを介することで増圧されるのですが、ピストンポンプではその増圧が出来ませんでした。またピストンポンプの吐出圧は大きく変動するので、この変動を抑えるために空気を満たしたレシーバーを介する必要がありました。
ミニカーは1985年に発売されたコンラート(CONRAD)製で、1910年のデニス 消防車をモデル化しています。コンラートはドイツのミニカーメーカーで、1950年代からダイキャスト製のミニカーを販売していました。(以前はGESCHというブランド名も使っていました) 1980年代には1/43の乗用車も手掛けていましたが、現在は1/50のトラックやクレーン車などをメインにしています。(日本国内にはほとんど輸入されていませんが) このデニス 消防車は、はしご以外はほとんどがメタル製パーツなので、がっちりとした出来ばえです。実車の画像と見比べると、クラクションと鐘やはしごの取り付け金具など細かなところまで良く再現されています。ボンネットを取り外すとエンジンが再現されています。また移動用の車輪が付いたはしごは実車同様に脱着でき、はしごは3段重ねで延ばすこともできます。これ以外のデニス消防車のミニカーは同じようなタイプの1921年式をヤトミンが1/43でモデル化しています。消防車以外のデニスのミニカーとしてはTINYが2階建てバスを10数種類モデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。フロントグリルの上部には見難いですが「DENNIS」のロゴが付いています。リアの荷台の横には「LONDON FIRE BRIGADE(ロンドン消防署)」と表示されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン 15HP バン イギリス 1911年
羊毛刈込機と農業機械、据置型エンジンの製造を行なっていたウーズレー エンジニアリング社の工場長であったハーバート オースチンはエンジンで駆動する自動車に関心を持ち自ら設計し製作しました。1896年に完成した第一号車は2人乗りの3輪車でした。その後ウーズレー社の自動車部門が1899年に単気筒エンジンを搭載した4輪車を発売し、この車がウーズレー社の第一号車となりました。ウーズレー社の自動車部門は1901年に独立して、ウーズレー ツール&モーターカー会社が誕生しました。この会社は1926年にウーズレーモーター社と改名し1935年にモーリス傘下となり、モーリスがBMC傘下となってからはモーリス系の上級車としてブランド名は1975年まで存続しました。
ハーバート オースチンはウーズレー社を退社して1905年にオースチン モーター社を設立しました。最初のオースチン車は4気筒5Lエンジンを搭載した高級車でした。その後エンジンの種類を増やしレースに参加するなどして規模を拡大し、乗用車ベースの商用車やトラック、軍用車なども手がけました。第1次大戦中は装甲車などの軍需品を生産して企業規模を拡大しました。戦後は4気筒3.6Lエンジンを搭載する大型車20(トゥエンティ)を大量生産する方針を立てましたが、これはうまくいかず資金難に陥りました。そこで方針を変更して1921年に投入した4気筒1.7Lエンジン搭載の中型車12(トゥエルブ)が成功し、さらに1922年に登場した4気筒747㏄エンジン搭載の小型車7(セブン)が大ヒットし、オースチンはイギリスを代表する自動車会社に成長しました。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたフランスのMINIALUXE(ミニオール)製です。1908年に登場した4気筒2.5Lエンジンを搭載した15HPの商用車仕様(デリバリーバン)をモデル化しています。MINIALUXEのミニカーは全てプラスチック製でクラシックカーに付き物の灯火類や操作レバーがきちんと別パーツで取付けられているなど、当時のミニカーとしてはかなりリアルに作ってありました。このオースチンの商用車は現在のキャブオーバー車の元祖のような独特のスタイルがうまく再現してあり、当時の商用車の雰囲気が良くわかります。側面に表記されている「LAWRENCE WHITE & CO LD LONDON」は会社名のようですが詳細は不明です。リアゲートが開閉するギミック付きです。オースチン初期ののミニカーはこれしかありません、またこの時代の商用車のミニカーはほとんどありませんのでその点でも興味深いミニカーです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロールス ロイス シルバー ゴースト (40/50HP) イギリス 1912年
イギリスの電気技術者フレデリック ヘンリー ロイス(Frederick Henry Royce)が製作した試作車の性能に惚れ込んだ貴族の貴族のチャールズ スチュアート ロールズ(Charles Stewart Rolls)がその車を独占販売する契約を結び1904年にロールス ロイス社が誕生しました。初期のロールス ロイスには2、3、4、6気筒の4モデルがありました。ロールス ロイスは部品の規格化を徹底して行うことで高品質を誇っていました。1906年には自動車史上最も偉大な車であるシルバー ゴースト(40/50HP)が発表されました。
初期のシルバー ゴーストはオープンカーが多かったのですが、密閉式キャビンを持つセダンもありました。画像のミニカーの実車はイギリス王室の馬車を製作していたコーチビルダーのバーカー(BARKER)がボディを架装した1912年式のリムジーンです。このバスのような一風変わったボディは長距離旅行用にデザインされたもので、古い列車の客室のような窓の構成から「Railway Carriage」と呼ばれていたそうです。室内はシルク張りの内装など豪華で、後席はソファーのようなシートで、広い足元にはアルコール燃料の湯沸かし器や茶器などのピクニックセットが装備されていました。この車は数年前にオークションに出品され、約7億円で落札されたそうです。
ミニカーは1966年に発売されたコーギー製です。本格的なクラシックカーを数点ほどモデル化したコーギーのクラシックス シリーズの一つで、1960年代のコーギーの傑作ミニカーでした。実車を忠実に再現した客室部分はプラスチック製ながら銀色に塗装されているなど丁寧な仕上げがされていて、コーギーのこのミニカーに対する心意気が感じられます。またかなり大きめに作られているグリル上のマスコット「フライング レディ(The spirit of Ecstasy)」は本物のような芸術的な出来ばえです。このミニカーは約20万台が販売され、実車が「コーギーのシルバー ゴースト」と呼ばれるようにもなりました。このミニカーは、実車が持つ魅力とは別物であるミニカーそれ自体が持つ魅力があります。なおこのミニカーを流用して1970年代のTVアニメ「The Hardy Boys」のキャラクター物ミニカーが1970年に発売されています。(このアニメとシルバー ゴーストとの関係が不明ですが) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アベルドニア パーク ロイヤル ランドー イギリス 1912年
この車は馬車にガソリンエンジンを搭載した構造の自動車で、イギリス ロンドンのパーク ロイヤル地区にあったアベルドニア社が製造しました。この当時は内燃エンジンを搭載した馬車と異なる外観を持つ自動車が実用化されつつありましたが、伝統的な馬車の外観を懐かしく思う人もいました。そのような人向けにアベルドニア社は古典的な馬車の外観を持つ自動車を提供することにしました。製造は受注が減少していた馬車コーチビルダーのブラウン(BROWN)、ヒューズ(HUGHES)、ストラカン(STRACHAN)が担当しました。
1911年に発表したパーク ロイヤル ランドーは、ランドー形式の馬車(開閉できる屋根付き密閉式ボディで向かい合わせの4人乗り)にエンジンを後付けした構造でした。4気筒3.2L(20HP)エンジンを馬車前方のドライバー席の後方に搭載した後輪駆動車で、3段変速で最高速60km/hの性能でした。このボディ以外にも7人乗りツーリングカー仕様(たぶん幌の付いたオープンカー形式)もあったようです。ただ同社の事業は第1次大戦の勃発で中断され1915年に終わりました。製造された車は少数だったと思われます。
ミニカーは1960-1970年代に製作されたフランスのクラシックカー専門メーカーのMINIALUXE製で、ボディ全体がプラスチック製です。(実際の発音とは違うようですが、MINIALUXEはミニオールと呼んでいます) MINIALUXEのミニカーはクラシックカーに付き物の灯火類や操作レバーがきちんと別パーツで取付けられているなど、当時のミニカーとしてはリアルに作ってありました。このパーク ロイヤル ランドーも当時の実車のパンフレット(参照画像→ パーク ロイヤル ランドー)と見比べると、結構リアルに作ってあります。キャビンのドア開閉ギミック付きで、開くとソファーのようなシートを備えた室内が見えます。発売されてから約50年間の経年劣化でタイヤの一部が切れていますが、MINIALUXEのミニカーには良く見られる経年劣化です。この車は見た目の面白さでモデル化されたのだと思いますが、これ以外のミニカーは無いようです。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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