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ロータス 25 F1 イギリス 1963年
ロータスはイレブンでのルマン参戦に続き、F1/F2に参戦しました。最初のF1/F2マシンは1957年登場のロータス 12で、コベントリー クライマックスの4気筒2L/2.2Lエンジンをフロントに搭載していました。(実車画像→ ロータス 12) 1958年にロータス 16が登場し、1960年にはミドシップ方式を採用したロータス 18が登場しました。ロータス 18は1960年のモナコGPでS.モスのドライブで初優勝します。S.モスはアメリカGPでも優勝し、ロータスはコンストラクター選手権の2位に躍進しました。(実車画像→ ロータス 18)
1961年からF1の排気量が1.5Lに変わりました。1961年にロータス 21が登場しこのシーズンはロータスとフェラーリの2強の争いで、フェラーリ 156が勝利しました。1962年にロータス 24が登場しましたが、すぐに革新的な軽量モノコックシャーシを採用したロータス 25に変わりました。このシーズンはロータスとBRMの2強の争いで、BRM P57が勝利しました。1963年には改良されたロータス 25でJ.クラークが7勝を挙げて初のチャンピオンドライバーとなり、ロータスは念願のコンストラクターチャンピオンを獲得しました。
1964年シーズン前半はJ.クラークがロータス 25で3勝し、シーズン後半に改良型のロータス 33が登場しました。ロータスが後半に勝てなかったことで、フェラーリ 158のJ.サーティースがチャンピオンドライバーとなり、コンストラクターチャンピオンもフェラーリが獲得しました。1965年シーズンはロータス 33が主力となりJ.クラークがほとんどのレースで勝利し、ドライバーとコンストラクタータイトルを獲得しました。その後もロータスはコスワース DFVエンジン(V型8気筒3L)の開発、グラウンド エフェクトカー ロータス 78の開発など、F1レース界に革新を起こし、名門チームとなりました。(実車画像→ ロータス 78)
ミニカーは2002年に発売されたブルム製です。1963年のベルギーGPの優勝車(ドライバー J.クラーク)をモデル化しています。風防形状があまりリアルでなくタイヤ外径が少し小さいような気がしますが、それ以外は当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ブルムは8種類ほどのバリエーションを作っています。これ以外ではポリトーイの当時物(プラスチック製)、最近のものではカルツォやスパークがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン ヒーレー 3000 MK III イギリス 1963年
前述したオースチン ヒーレー 100は1959年に6気筒2.9L(124HP)エンジンを搭載したヒーレー 3000にモデルチェンジしました。古典的なラダーフレームに2+2座(BT7)又は2座(BN7)のオープンボディという基本構造はそのままながら、シャーシを強化しフロントにはディスクブレーキが採用され、最高速は182km/hと高性能でした。室内や装備が豪華になったのでヒーレー 3000は「ビッグヒーレー」と呼ばれ、ほとんどがアメリカ市場に輸出されました。ワイヤースポークホイール、脱着可能なハードトップ、ヒーター、ツートンカラーなどのオプション設定がありました。
1961年にエンジンを132HPにパワーアップしたMK IIとなりました。1963年にはMK IIIに発展しエンジンは148HPまで強化され、最高速は193km/hまで向上しました。1963年からWRCにワークスで参戦し、ラリーでも活躍しました。ヒーレー 3000は1967年まで生産され、総生産台数は約4.2万台でした。ヒーレーは1972年にBMC(オースチン)との契約が終了し、ヒーレー スプライト MK IIが最後のモデルとなり、オースチン ヒーレー ブランドは終わりました。
ミニカーは1985年に発売された初期のビテス製です。1963年式の3000 MK IIIで2+2座のハードトップ仕様をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現されていて、フロントグリルや室内などの細部も当時のミニカーとしては良く出来ていました。(ボンネット上のエアインテークが控え目で目立たないのが今ひとつですが) これ以外のビッグヒーレーのミニカーは、これと同じ型を使っていると思われる最近のビテス(サンスター傘下)、コーギー、京商の1/18、オートアートの1/18、バンガーズ、オックスフォード、スパーク(レジン製)のレース仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン ミニ モーク (パラ モーク) イギリス 1964年
ミニの派生車ミニ モークはミニのシャーシを使った多目的車でした。当初はジープのような軍用車を目指して開発され、パラシュートで降下可能な軽車両として試作車がイギリス軍に提案されました。しかしタイヤが小さい故の低い最低地上高とパワー不足のエンジンはオフロード走行に使えないとして採用されませんでした。そこでBMCは後席やキャンバストップをオプション設定として、安価な一般向け多目的軽作業車としてミニ モークを1964年に発売しました。4気筒848ccエンジン、変速機、タイヤなどのメカはミニと共通で、駆動方式は前輪2WDのみでした。
多分ミニのブランド力のおかげだと思いますが、ミニ モークは世界各国のリゾートで使用されるビーチバギーとして成功しました。イギリスでは1968年まで生産され、生産台数は約1.5万台でその1/10がイギリス国内で販売されました。1968年以降はオーストラリアで生産されました。最低地上高を高めるためにホイールを10インチから13インチに変更し、1098ccエンジンを搭載したMK IIが設定されました。MK IIはオーストラリア陸軍に採用されるなど成功しました。オーストラリアでは1980年台まで生産され、その後はポルトガルで1990年代まで生産されました。ミニ モークの最終的な総生産台数は約5万台でした。
ミニカーはディンキー(英)製の当時物で1967年に発売されました。採用されなかったパラシュートで投下できる車両として試作された軍用車(PARA-MOKEと呼ぶようです)をモデル化しています。試作車なので一般市販した車とは少し感じが違っていますが、ミニカーは結構良く出来ていると思います。この型番601はミニ モークと車両を載せる車台とビニール製のパラシュートがセットになった物で、型番342でミニ モーク単体もありました。これ以外のミニ モークのミニカーとしては、ビテスとスパークがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン 1800 イギリス 1964年
ミニの上級車のADO16シリーズ(モーリス 1100など)をさらに発展させ大型化したのがADO17シリーズでした。第一弾としてオースチン 1800が1964年に登場しました。その後1966年にモーリス 1800、続いて1967年にウーズレー 18/85が登場しました。デザインはADO16同様にピニンファリーナで、ADO16を引き延ばしたようなスタイルをしていました。長いホイールベースを生かした6ライトの開放的なキャビン、前後輪関連懸架機能を持つハイドロ ラスティック方式サスペンション、簡易なアンチロック機能を持つブレーキシステムなど進歩的な技術が使われました。
オースチン 1800はスポーツカーMG MGBと同じ4気筒OHV1.8L(80HP)のBMCのBタイプ エンジンを搭載し、4段変速で最高速147km/hの性能でした。1965年のヨーロッパ カー オブ ザ イヤーを受賞しましたが、このクラスの車では前輪駆動のメリットがあまり生かせず、商業的にはADO16シリーズほどは成功しませんでした。ADO17シリーズは1968年のマイナーチェンジでフロントグリルなど内外装を変更したMK IIになりました。1972年にはMK IIIとなり、6気筒2.2Lエンジンを搭載したオースチン 2200/モーリス 2200などが追加され、1975年まで生産されました。後継車はオースチン プリンセスでした。
ミニカーは1965年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。プロポーションが良く、ホイールベースが長いことで「Land crab:陸の蟹」と揶揄された独特のスタイルがうまく再現されていました。フロント周りの造形はうまく出来ていますが、B/Cピラーが少し太めなので開放的なキャビンの感じは今ひとつです。ボンネット/トランクが開閉するギミック付きです。これ以外の当時物としてはスポットオンもありました。最近ではバンガーズがADO17の3ブランド(オースチン/モーリス/ウーズレー)をモデル化しています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マーコス ボルボ 1800GT イギリス 1964年
ジェム マーシュ(Jem Marsh)とフランク コスティン(Frank Costin)が1959年にマーコス社を設立し、レーシングカーの設計/製作を始めました。マーコスという名前は2人の名前を組み合わせたものでした。航空機の設計者であったフランクが設計したベニア合板製の軽量シャーシを持つレースカー マーコス GT (ザイロン)は軽量故に優れた性能でしたが、FRP製ボディが奇抜なデザインであったので醜いアヒル(Ugly Duckling)と呼ばれていました。(実車画像→ マーコス GT (ザイロン))
1964年に発売した市販車1800GTはザイロンをベースにして改良したもので、不評であったボディをスタイリッシュなものに変更し、ボルボ製の4気筒1.8L(114HP)エンジンを搭載していました。レースカーがベースなので操縦性に優れ、4段変速で最高速185km/hと高性能でした。 エンジンはフォード製の1.5L、1.6L、2L、V型6気筒3Lなど次々と変更され、木製フレームも1969年から鋼管スペースフレームに変更されました。主たる販売先はアメリカで1972年までに約1000台が生産されました。1965年にはミニのパーツを流用したマーコス ミニが登場しました。
ミニカーは1966年に発売されたコーギー製の当時物です。キャビンの形状は良く出来ているのですが、タイヤが大きめで全体的に車高が高くなったことで実車のイメージから少し外れています。フロントパネルとドアが開閉するギミック付きです。大きく開くフロントパネルのギミックが面白いからだと思いますが、このミニカーは人気があり約80万台も販売されましたので、実車よりミニカーの方がよく知られていると思います。昔のミニカーは生産台数が数十万台と多いので、あまり知られていないマイナーな実車はミニカーとなって知られることがありました。(特にコーギーのミニカーにはそのような物が多い) マーコス GTはマイナーな車なので、量産ミニカーはこのコーギー製しかありません。(レジン製の少量生産品がありますが) 以下はフロント/フロントパネルを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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