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フィアット 132 イタリア 1972年
フィアット 132は名前から高級車フィアット 130の上級車と勘違いしそうですが、当初はフィアット 125を後継する中型車として1972年に登場しました。125より大きくなったボディは4ドアセダンのみで、同時期のBMW 5シリーズによく似たモダンなスタイルとなっていました。標準のエンジンはフィアット 125から引継いだDOHC 4気筒1.6L(98HP)で、上級クラスのスペシャルにはDOHC 4気筒1.8L(105HP)エンジンが搭載されました。5段変速/3段自動変速で最高速172km/h(1.8L)の性能でした。車体が重くなったことなどから、125のようなスポーティさはなくなりました。
1976年のマイナーチェンジでフロントグリルが変更されました。同年に130が生産中止となったことで132にはフィアットの最上級車としての役割が加わり、再度のマイナーチェンジで大型バンパーが採用されました。また1977年には4気筒2L(112/122HP)エンジン、1978年には4気筒2.5Lディーゼルエンジンが追加されました。1981年には前後のデザインを変更してアルジェンタ(ARGENTA)という名前に変わり、1984年まで生産されました。後継車は1985年に登場したクロマでした。(実車画像→ フィアット アルジェンタ 1981)
ミニカーは1972年に発売されたマーキュリー製の当時物です。この132のミニカーはフロントグリルと底板を一体化してコストダウンをしている廉価品で、その上カラーリングも地味でいまひとつ出来は良くありません。本来はもっと直線的なボディでシャープなデザインなのですが。。。サイドビューを見てもらえば、BMWに似ていることが分かると思います。ドア開閉ギミックが付いています。これ以外の132のミニカーはポリトーイの当時物、ミニカー付雑誌「FIAT STORY COLLECTION」のNo.67の132とNo.68のアルジェンタがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット X1/9 イタリア 1972年
1972年にフィアット 850 スパイダーの後継車として、フィアット 128の駆動ユニットをリアにミドシップ配置したスポーツカー X1/9が登場しました。X1/9は1969年に発表されたアウトビアンキ ランナバウトのコンセプトを発展させた車で、ベルトーネのマルチェロ ガンディーニが全体的なデザインを決定しました。シャーシやサスペンションが全て新設計された本格的なスポーツカーでした。4気筒1.3L(75HP)エンジンを搭載し4段変速機で最高速170km/hと高性能でした。
屋根を取り外してフロントのトランクに格納することが出来、リアのトランクに荷物も詰めるなど実用的なこともあってこの車は大ヒットしました。1979年には1.5L(85HP)エンジンが追加され、1982年にはベルトーネが販売権を買い取りベルトーネ X1/9となり、1989年まで生産されました。総生産台数は約17万台でした。1995年に登場したフィアット バルケッタが後継車でした。(実車画像→ フィアット バルケッタ 1995)
ミニカーは1974年に発売されたノレブ製の当時物です。初期のノレブはプラスチック製の安っぽい物が多かったのですが、この頃になるとダイキャスト製がメインとなり、安価ながらも出来のよいミニカーを作るようになりました。このX1/9(ダイキャスト製)も実車の雰囲気が良く再現されていて、当時のミニカーとしてはレベルの高い出来ばえでした。当時の定価は800円(先に発売されていたプラスチック製は600円)で、同時期のソリド製のX1/9の定価950円より少し安かったです。しかしこのノレブ製X1/9はコストダウンで手抜き(テールライトの塗装処理省略など)が目立つソリド製よりも良く出来ていました。またドア開閉だけではなくリアパネルの開閉ギミックもついています。これ以外のX1/9のミニカーはソリドの当時物、国産のダイヤペットの1/30、トミカ ダンディのレース仕様、コーギーの当時物の1/36、ミニチャンプスの1/43と1/18、ヘルパの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とリアパネルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 126 イタリア 1972年
フィアット 126はフィアット 500の後継車として1972年に登場しました。同時期にフィアット 127や128など前輪駆動車が立て続けに発表されましたが、この126は空冷エンジン搭載の後輪駆動車で500の構造を継承していました。500の2気筒エンジンは594cc(23HP)に拡大され、最高速は105km/hに向上しました。デザイン的には上級車128のような角張ったボディで居住性も改善されていました。1977年にエンジンが652㏄に拡大され馬力はそのままでトルクがアップしました。
ただフィアット 126が発売された後もフィアット 500の人気は衰えず、126は500のユーザーにはあまり歓迎されなかったようです。その為500の実質的な後継車の役目は1980年代になって登場したフィアット パンダが担いました。フィアットとして最後のリア エンジン車となった126は、イタリアでは約135万台が1980年頃まで生産されました。その後もポーランドで生産が続けられ、エンジンの排気量拡大などの改良が加えられ約330万台が2000年頃まで生産されました。
ミニカーは1977年に発売されたポリトーイ製の当時物です。当時ポリトーイが先鞭をつけていた縮尺1/25の大スケールミニカー Sシリーズの1台です。プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現され、サイズが大きいので当然ですが、結構細かいところも再現されています。フロントトランク/ドア/リアパネルが開閉するギミック付で、エンジンルーム内のエンジンや室内の造形などもリアルに仕上げられています。これ以外の126の当時物ミニカーではメーベトイとポリトーイの1/43もあるのですが、どちらも廉価版ミニカーなので今ひとつの出来でした。当時物以外ではスターライン、ブレキナの1/87、ミニカー付雑誌「FIAT STOY COLLECTIO」のNo.47などがあります。 以下はフロント/トランク開閉の画像とリア/リアパネルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 131 ミラフィオーリ イタリア 1974年
1974年にフィアット 124の後継車としてフィアット 131が登場しました。サブネームのミラフィオーリとは生産工場の名前でした。124は平凡な設計ながらスポーティな味付けの車でしたが、131はごくオーソドックスな乗用車に変わりました。124に装備していた4輪ディスクブレーキは後輪がドラム式に代わり、クーペやスパイダーの設定は無くなり代わりに2ドアセダンが設定されました。ボディはシンプルなセダン スタイルで、エンジンは4気筒1.3L(65HP)と1.6L(75HP)の2種類、1.6L搭載車は丸型4灯式ヘッドライト、1.3L搭載車は角形2灯式ヘッドライトとなっていました。
フィアット 131は1978年のマイナーチェンジで、大型の角形2灯式ヘッドライトを採用し内装などが高級な物に変わりました。また4ドア版にエンジンをDOHC化した高性能版のスーパーミラフィオーリが追加され、2ドア版にはフィアット 132用のDOHCエンジン(2L 115HP)を搭載したレーシング(最高速180km/h)が追加されてスポーティさも加わりました。131は大衆車として大成功し、1983年に登場した前輪駆動のレガータを後継車として生産中止となりました。総生産台数は約150万台でした。
ミニカーは1975年に発売されたメーベトイ(マテル)製の当時物です。この頃はミニカーの簡素化(コストダウン)が進んでいた時期でしたので、この131もコレクションの対象として見ることは出来ますが、あまり良くない出来ばえです。プロポーションは良いのですが、バンパーと一体化したヘッドライトのフロントグリル造形や、安っぽいホイールなどがいただけません。ただし当時の廉価版ミニカーはほとんどがこんな感じでした。ドア開閉ギミック付です。これ以外の当時物ミニカーはマーキュリーのセダンとブレーク、ポリトーイの1/25と1/43、Bブラーゴの1/24などがありました。当時物以外ではスターライン、ブレキナの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 131 アバルト ストラダーレ イタリア 1976年
フィアット グループのラリーカーとして1974年からランチア ストラトスが活躍していましたが、ストラトスはラリー専用車故にフィアットの乗用車販売には貢献しませんでした。そこでフィアットのスポーツイメージを高める為に、大衆車フィアット 131をWRCカーに仕立てることになりました。車両開発はアバルトが行いベルトーネがボディ製作を担当し、131 アバルトが1976年に登場しました。FRP製のフェンダー/ボンネットなどで軽量化したボディに機械式燃料噴射式エンジン(4気筒2L 140-215HP)を搭載し専用設計の後輪サスペンションとなっていました。WRC グループ4の認証用に400台のストラダーレ(ストリート仕様)が市販され、総生産台数は約1000台でした。
初戦は1976年のモロッコ ラリーで結果は12位(#8)でした。1000湖ラリーで初優勝しましたが、この年はランチア ストラトスがマニファクチャラータイトルを獲得しました。(フィアット グループ内でも競争していたのです) 1977年はポルトガル、ニュージーランド、サンレモなどで5勝し、マニファクチャラータイトルを獲得しました。1978年にはストラトスのワークス活動が終了し、131 アバルトがポルトガル、アクロポリス、1000湖などで5勝し、マニファクチャラータイトルを連覇しました。
1979年は1000湖での1勝しかできず、マニファクチャラータイトルはフォード エスコート MK IIが獲得しました。1980年はモンテ カルロ、ポルトガル、1000湖などで5勝し、3回目のマニファクチャラータイトルを獲得しました。1981年はポルトガルの1勝しかできず、1982年にはWRCのレギュレーションに追加されたグループB(ラリー専用車)として開発されたランチア ラリー 037が後を引継ぎました。
ミニカーは1978年に発売されたトミカ ダンディ製の外国車シリーズです。このシリーズはほとんどが縮尺1/43でモデル化され当時としては出来の良い物が揃っていました。この131 アバルトも派手なオーバーフェンダーで迫力のある実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ています。ボンネット/ドアの開閉ギミック付きです。131 アバルトのラリー仕様はたくさんモデル化されましたが、ストラダーレ(ストリート仕様)でのモデル化は私のような乗用車仕様が欲しいコレクターにはうれしいものでした。これ以外の131 アバルトのミニカーはBブラーゴの1/43と1/24、メーベトイのラリー仕様、ポリトーイの1/24 ラリー仕様、ノレブのストラダーレ、ソリドのラリー仕様、デルプラドの世界の名車シリーズのストラダーレ、イクソのラリー仕様、京商のラリー仕様 1/18、トミカのストラダーレとラリー仕様、トロフューのストラダーレとラリー仕様(50種類以上もある)などたくさんあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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