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フィアット 18/24HP イタリア 1908年
前述したフィアット 16/24HPの後継車として、18/24HPが1908年に登場しました。車格的には16/24HPより上級の中型車として設定されたようで、ホイールベースはショート、ミディアム、ロングの3タイプがあり、全長は約4.3m-4.5mでした。18/24HPは4気筒4.5L(24HP)エンジンを搭載し、4段変速機を介して後輪をチェーン駆動し最高速65km/hの性能でした。このミニカーはイタリアのビスカレッティ自動車博物館に保存されている実車を忠実にモデル化しています。ミラノのカロッツェリアが担当したボディは後席が幌で開閉できるランドー形式でシェーファードリブンのかなり高級な車だったようです。
1900年代後期のフィアットには創業当時の8HPのような小型車はラインナップから外れていて、生産されていたのは中型車と大型車を中心にした数モデルでした。(小型大衆車は1910年代のフィアット 0で復活しました) 当時のフィアットは既にイタリア有数の自動車メーカーとなり、従業員は2500名ほどでした。生産された車の3分の2以上は輸出されていて、アメリカ市場でもある程度の顧客を確保していました。
このミニカーも1970年代に発売されたリオ製です。リオのクラシックカーはマニア向けで灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツから、シャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されています。これは24/32HPに密閉型の高いランドー形式リムジーンのボディを架装した車をモデル化しています。ミニカーは実車に即してカラフルに塗りわけられていて魅力的な仕上がりでした。フロントグリルの立派なロゴ「FIAT 1908」も実車に忠実に出来ていました。屋根の上の飾りのようなものはルーフラックで旅行用の荷物などを載せるものです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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イターラ 35/45HP パロンベッラ (PALOMBELLA) イタリア 1909年
前述したように「北京-パリ」レースの勝利で有名になったイターラ社は業績を伸ばし、1910年頃にはフィアットに次ぐイタリア第2の自動車メーカーになっていました。当時のガソリンエンジン車はほとんどが後輪をチェーンで駆動していましたが、イターラ車はプロペラシャフトとベベルギアを使って後車軸を駆動するシャフトドライブ方式を採用していました。(長距離レースでの優勝がシャフトドライブが耐久性に優れていることを証明しています) イターラはスリーブバルブ エンジンやロータリーバルブ エンジンなど新しい技術を採用したエンジンを開発し、小型車から大型車まで幅広い車種を生産しました。1914年に第1次大戦が勃発しイターラは兵員輸送車両と航空機エンジンの製造を行いました。
イターラ 35/45HPは前述した「北京-パリ」優勝車と同じパワートレインにリムジンボディを架装した高級車でした。特にこのパロンベッラ(PALOMBELLA)と呼ばれた車は、当時のイタリア皇太后であったマルゲリータ ディ サヴォイア(Margherita di Savoia)の御料車としてイタリアを代表するコーチビルダー、ミラノのチェーザレ サラ(Cesare Sala)が特別に架装したリムジンでした。(名前のPALOMBELLAとはイタリア語で「小さなハト」という意味だそうですが、愛称の類でしょうか?) とても気品のある美しいデザインの車で、客室ドア下のステップ、鷲の紋章のドアの取っ手、運転手背後のガラス仕切りに付いた伝声管など特別な仕様となっていました。またフロントグリルの上部にはイターラのロゴの代わりに「PALOMBELLA」のロゴが表示されていました。実車はイタリアのトリノ自動車博物館が所蔵しています。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたイタリアのドゥグー製です。ドゥグーはクラシックカー専門のブランドで、イタリアの博物館の車を40種類ほどモデル化していました。同時期に登場したリオのクラシックカーのミニカーは、当時の玩具としてのミニカーとは一線を画す画期的なものでしたが、ドゥグーのミニカーもマニア向けでリオと同様レベルの出来ばえでした。特にドゥグーのMiniautotoysシリーズはリオよりもさらに緻密な出来ばえでした。(参照ページ→ ドゥグーのミニカー一覧ページ) このイターラ パロンベッラもそのMiniautotoysシリーズの一つで、トリノ自動車博物館に保存されている実車を忠実に再現していました。気品のあるリムジンボディがうまく再現されていて、ドアの取っ手、足下のステップ、フロントグリル上部のPALOMBELLAのロゴなど細部が良く再現されていました。実車に即したカラーリングも綺麗で、とても素晴らしい出来ばえでした。 以下はフロント(フロントグリル拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)




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イソッタ フラスキーニ AN 20/30HP イタリア 1909年
イタリアのミラノで輸入車のディーラを営んでいたチャザーレ イソッタ(Cesare Isotta)と技術者のヴィンチェンツォ フラスキーニ(Vincenzo Fraschini)は1900年にイソッタ フラスキーニ自動車会社を設立しました。当初はルノーの小型車のノックダウン製造を行い、1904年にルノーを真似たイソッタ フラスキーニ社のオリジナルモデルを開発しました。1905年に4気筒17L(100HP)エンジンを搭載する大型のレーシングカー ティーポ Dを開発し、この車をベースにした市販車を発売しました。この車は評判が良かったのですが、あまり売れませんでした。
資金難に陥ったイソッタ フラスキーニは1907年にフランスのロレーヌ ディートリッヒに買収されました。1908年に4気筒1.2Lエンジンを搭載する小型レーシングカー ティーポ FEが開発され、この車は1908年のタルガ フローリオで優勝するなどレースで活躍しました。そこでティーポ FEをベースにして4気筒1.3Lエンジンを搭載する市販車ティーポ FENCが発売され、この車をベースにした小型車が成功しました。その後イソッタ フラスキーニは4気筒10.6Lエンジン搭載の大型車(KM型)を発売するなど車種を拡大していきました。(→ ビンテージ期のイソッタ フラスキーニ)
ミニカーは1962年に発売されたポリトーイ製です。WEBサイトで見つけた実車画像のイソッタ フラスキーニ ティーポ AN 20/30HP 1909とそっくりですので、それをモデル化しているようです。ポリトーイ初期のクラシックカーシリーズの1台でプラスチック製です。プロポーションが良くクラシックカーに付き物の灯火やレバーなどの金具類がきちんと作られていて、当時のクラシックカーのミニカーとしてはレベルの高い出来ばえでした。当方は2010年頃にWEBオークションで入手したのですが、入手した時から右側ヘッドライトに明らかに異品が付いており、これは前の所有者が変更したもの?と思われます。ポリトーイは型番112で1902年式イソッタ フラスキーニもモデル化していました。ベテラン期のイソッタ フラスキーニのミニカーはこのポリトーイ製しかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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フィアット タイプ 2 (15/20HP) イタリア 1910年
大型の高級車を作ってきたフィアットは1908年に小型車のタイプ 1(12/15HP)を発売しました。タイプ 1は4気筒1.9L(15HP)エンジンを搭載した小型車で、4段変速で最高速70km/hの性能でした。このタイプ 1は基本的にはタクシーキャブで、イタリアだけではなく欧州の大都市のタクシー会社で大量に使われました。タクシーキャブを大量生産して市場を拡大するやり方は、同時期のフランスのルノー タイプ AGと同じでした。(当時の自動車は高価で一般庶民が購入することは難しかったので) タイプ 1は1922年まで生産され、総生産台数は約6000台でした。(実車画像→ フィアット タイプ 1 1908)
1910年には一般向けとしてタイプ 1をベースにしたタイプ 2 (15/20HP)が登場しました。タイプ 2は4気筒2.6L(20HP)エンジンを搭載した小型車で、4段変速で最高速70km/hの性能でした。ただしまだ高価格で大衆車とは言えませんでした。タイプ 2はイタリアの軍隊に正式採用された最初の車となりました。1912年にエンジンを4気筒2.8L(28HP)に拡大したタイプ 2Bに変わりました。ボディ形式はランドレー型セダン、オープンのトルペード、商用バンなどがありました。1920年まで生産され、タイプ 2/2Bの総生産台数は約2.2万台でした。
ミニカーは1978年頃に発売されたリオ製です。一般的にお抱え運転手が運転するランドレー型セダン(後部が幌になっている)をモデル化しています。リオのクラシックカーはマニア向けで灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツから、シャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されていました。このタイプ 2も折れ曲がったフロントスクリーンやボンネットからキャビンにつながる曲面的な造形など実車のボディ形状をよく再現していました。当時のクラシックカーのミニカーとして非常に良い出来ばえでした。タイプ 2のミニカーはこれしかありませんので、車種的にも貴重です。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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フィアット タイプ 4 (35HP) イタリア 1911年
前述したように大型の高級車を作ってきたフィアットは1908年に小型車タイプ 1(12/15HP)を発売しました。1910年にはタイプ 2が登場し、フィアットは自社のラインアップを一新し、タイプ 1からタイプ 6まで6車種を設定しました。以下はその概要です。
タイプ 4は3番目に高級な大型車でしたが、タイプ 5/6は最上級車でしたから一般向けとしては一番上級の車だったはずです。4気筒5.7L(45HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速95km/hの性能でした。ボディ形式はランドレー、リムジン、オープンのトルペードなどが架装されました。トルペード仕様がイタリア国王が旅行の際に使用する車として使われたそうです。この車はアメリカのフィアット工場でも生産され、アメリカではタイプ 56(35HP)の名前で販売されました。1918年まで生産され、総生産台数は約700台でした。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたクラシックカーの専門ブランドのドゥグー製です。タイプ 4のオープン仕様のトルペード(3列シート)をモデル化しています。ドゥグーは大人のマニア向けのミニカーで、イタリアのビスカレッティ自動車博物館に保存されている実車を忠実にモデル化していました。このフィアット タイプ 4も全体的なプロポーションが良く、フロントグリルや灯火類の細部も実車に忠実に再現していました。メッキパーツがピカピカではなく少し鈍いメッキになっているのが、いかにも古い車らしいリアルさがありました。(少し埃で汚れていることもありますが) また幌の前端をフェンダーに接続している革バンドは本物の皮革なので経年劣化で半分腐ってしまい、触ると完全に崩壊する寸前の状態になっています。なおドゥグー初期のミニカーには合成ゴムのタイヤに含まれる可塑剤(有機溶剤)がプラスチック製ホイールを溶かして変形させるという問題があったのですが、このタイプ 4に関してはホイールの材質が改善されていたようでその問題は発生していません。これ以外のタイプ 4のミニカーはガマの1/45がありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)





