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アルファ ロメオ ジュリエッタ スパイダー イタリア 1958年
1950年に登場したアルファ ロメオ 1900は成功し、より小型でスポーティな1.3Lのジュリエッタが1954年に登場しました。ジュリエッタはまずクーペ ボディのスプリントが登場しました。ボディのデザインはベルトーネによるもので、スポーティでセンスの良いものでした。次にベルリーナ(セダン 750型)が1955年に登場しました。ホイールベースは スプリントと同じでしたが、全長と全高を大きくして5人乗りとなっていました。エンジンは53HPにディチューンされ、最高速は135km/hとなっていました。1957年には65HPにパワーアップした高性能版のベルリーナ TIが追加されました。
さらに1955年にスパイダー、1957年に高性能版のスプリント スペチアーレ(SS)とスプリント ザガート(SZ) (レース仕様車)が追加されました。 スパイダーはピニンファリーナのデザインによる2座のオープンカーで、性能的にはスプリントと同じでしたが、比較的安価でピニンファリーナ製の美しいオープンカーが買えるとあって人気がありました。エンジンを90HPにパワーアップして最高速180km/hの高性能版ヴェローチェもありました。1961年まで生産され、総生産台数は約16000台でした。1962年からは1.6Lエンジンが搭載されジュリア スパイダーに名前が変わりました。
ミニカーは1995年に発売されたディテールカー製です。ディテールカーはイタリアのCDCグループのブランドで、1992年頃から主に1/43のダイキャスト製ミニカーを作っていました。ディテールカーはその名のとおりディテールにこだわった良い出来ばえのミニカーが多かったです。このジュリエッタ スパイダーはヘッドライトとタイヤがやや大きめの感じがしますが、雰囲気はよく再現されていました。特に実車に即したリアルな内装(赤いラインのシートなど)が良い出来ばえです。ジュリエッタ スパイダーの当時物ミニカーとしてはソリドやポリトーイ初期のプラスチック製などがありました。当時物以外ではソリド(ディテールカーのOEMと思われる)、ミニチャンプス、オートアートの1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア フラミニア クーペ イタリア 1958年
アウレリアの後継車として1957年にフラミニアが登場しました。アウレリアと同じV型6気筒エンジンは排気量を2.5L(102HP)に拡大し、高度なトランスアクスル方式を踏襲していました。長く続けられたスライディングピラー式前輪サスペンションはダブルウイッシュボーン方式に変わりました。ボディは全長4.85mとかなり大きくなり、ピニンファリーナ デザインの美しいスタイルとなりました。
フラミニアにはピニンファリーナのデザインによる2+2シータークーペ、ツーリングのデザインによる4灯式ヘッドライトの2シーター クーペ/コンバーチブルのGT、ザガートのデザインによる2シータークーペ(アルミニウム製ボディ)のスポルトといったバリエーションがありました。フラミニアはベルリーナ(セダン)よりもクーペやGTが多く生産されており、パーソナルカーとしての使い方が多かったようです。(実車画像→ ランチア フラミニア GT ツーリング)
なかでも一番数が多かった2+2シータークーペはコンセプトカー ランチア フロリダ IIをベースとした車で、当時世界で最も美しい車とされていました。古典的なプロポーションの集大成的なスタイルでしたが、今でも通用する普遍的な美しさであると思います。(最近の車しか知らない方は、単に古臭いデザインだと思われるかもしれませんが) (実車画像→ ランチア フロリダ II 1957)
ミニカーは1961年に発売されたソリド製の当時物で、2+2シータークーペをモデル化しています。ソリドらしいシャープな造形で、実車の美しいプロポーションが忠実に再現されていました。当時のミニカーとしてはとても良い出来ばえでした。このミニカーは当時一般的であった車軸のスプリング サスペンション動作のギミックに加えて、ドアが開閉するギミックが初めて採用されました。ドアの開閉用ヒンジ部を板バネで抑えることによって開閉動作にメリハリを付ける方式(半開きでブラブラしない)は、ソリドの特許だったようです。この特許方式でソリドのミニカーのドア開閉ギミックは節度があり可動部の隙間が小さかったのでした。なおこれはヘッドライトにラインストーンが使われていますが、初期物は銀色塗装処理されていました。これ以外のフラミニア クーペのミニカーは、ポリトーイ初期(プラスチック製)の当時物、最近では結構良く出来たスターライン製などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 246 F1 (ディノ 246) イタリア 1958年
創業者エンツォ フェラーリの長男アルフレード (愛称 ディノ)は1956年に若くして亡くなりました。彼のアイデアだったといわれるV型6気筒エンジンを搭載した車(ディノ 246など)にはディノのブランド名がつけられました。このエンジンを搭載したF2マシン(1957年 156 F2)をベースにして、排気量を2.4Lに拡大した246 F1が1958年に登場しました。1958年シーズン終盤には排気量を2.5Lに拡大しディスクブレーキを採用した256 F1が登場しました。
1958年シーズンはバンウォールやクーパーなど強いイギリス勢に対抗して、フランスGP(ドライバー M.ホーソン)とイギリスGP(ドライバー P.コリンズ)で優勝しています。M.ホーソンは優勝1回ながら2位5回でポイントを稼いでドライバーズチャンピオンを獲得しました。
1959年シーズンは、T.ブルックスのドライブでフランスGPとドイツGPで優勝していますが、軽量でエンジンをミドシップ搭載した操縦性の良いクーパーに苦戦するようになりました。1970年にはほとんど勝てなくなり、イギリス勢が参加しなかったイタリアGPでは優勝していますが、これはエンジンをフロントに搭載した古典的なF1マシンの最後の勝利となりました。1961年に後継車の156 F1が登場しました。
ミニカーは1982年に発売されたブルム製です。1958年のイギリス GPの優勝車(ドライバー P.コリンズ)をモデル化しています。ホイールのドラムブレーキやコクピット周りなどそこそこ再現されていて、当時のミニカーとしては良く出来ていました。ブルムは型番R058でイギリスGP 2位の#2もモデル化しています。これ以外の246 F1のミニカーはマッチボックス、イクソ、カルツォなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 250 テスタロッサ イタリア 1958年
ワールド スポーツカー チャンピオンシップは当初はエンジン排気量の規制がなかったので、フェラーリなどの参戦メーカーは大排気量のマシンを投入していました。しかし1958年から排気量が3Lまでとなった為に、新規に開発されたのが250 テスタロッサでした。エンジンは250 GT用を大幅に変更してあり、旧型と区別するためにエンジン上部のカムカバーを赤く塗っていました。テスタロッサ(TESTAROSSA:イタリア語で赤い頭の意)という名前はこのエンジンの外観から名付けられたものです。
初期のテスタロッサはブレーキドラム冷却用にフロントグリルとフロントフェンダーの間に切り込みがある独特なスタイルをしていました。このスタイルは昔のアニメ「マッハGoGoGo」のマッハ号のベースになったと言われています。(参照サイト→ マッハGoGoGo) 1959年からはディスクブレーキに変わった為、普通のノーズのTR59型に変わりました。肝心のレース戦歴ですが、1958、1960、1961年のスポーツカー チャンピオン シップをフェラーリが獲得していることから、圧倒的に強かったことがわかります。なおテスタロッサの名前を最初に使った車は、1956年の500 TR(テスタロッサの略)とその発展型の500 TRCでした。500 TRは4気筒2Lエンジンを搭載しており、250 TRとは別物でした。
ミニカーは1996年に発売されたバン製です。バンはボックスモデルから1991年に分離したブランドで、主にイタリア車をモデルしていて2006年に廃業しました。実車の雰囲気が実にうまく再現されていて非常に良く出来ています。リアルなワイヤースポークホイール、ボンネットを固定する革バンドと金具、リアルな室内の造形など細部も良く再現されています。少しくすんだ赤色のボディカラーも、当時の実車に即しているそうです。独特なフロントノーズを持つ初期のテスタロッサの1/43量産ミニカーとしてはベストの出来ばえだと思います。これ以外では、アートモデル、ブラーゴの1/43と1/18、プロゲット K、イクソ、ブルムのレース仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 1800 イタリア 1959年
1959年にフィアット 1400とその上級車1900は、フィアット 1800/2100にモデルチェンジしました。フィアット 1800/2100は全長約4.5mの大型高級車で、当初は4ドアセダンと5ドアワゴン(ファミリアーレ)がありました。ピニンファリーナがデザインしたセダンは、この当時の最新のスタイルでした。エンジンは6気筒1.8L(75HP)と6気筒2.1L(82HP)で、4段変速で最高速146km/h(2.1L)の性能でした。2100にはホイールベースを延長して全長4.75mとし、4灯式ヘッドライトを採用したスペチアーレという上級モデルが設定され、このモデルが当時のフィアットの最上級車でした。(実車画像→ フィアット 2100 スペチアーレ)
1800は1961年に81HPにパワーアップして1800Bとなりました。2100にはギヤのデザインした2+2座のGTカー 2100S クーペが1961年に追加されました。2100は1961年に排気量を2.3L(105HP)に拡大して4灯式のヘッドライトを持つ2300に変わり、2100S クーペは2300S クーペに変わりました。2300にはフィアットとしては初の自動変速機が1966年にオプション設定されました。1800の廉価版として4気筒1.5Lエンジンを搭載した1500L(主にタクシー用途)もありました。1800/2300は1969年まで生産され、後継車はフィアット 130でした。
ミニカーは1960年に発売されたコーギーの当時物です。コーギーとしては初のイタリア車のミニカーで、縮尺1/47と小さめに出来ていました。まだドア開閉ギミックが付かない実にシンプルな作りですが、角ばったフロント造形やフロント/リアが逆スラントしている直線的なスタイルがよく再現されています。コーギーは同じ型を使い型番232で2100もモデル化していました。コーギー以外の1800/2300の当時物ミニカーはマーキュリーの1800、ディンキーの1800 ファミリアーレと2300 ワゴン、ガマの1800、ノレブ初期のプラスチック製の23000、ポリトーイ初期のプラスチック製の1800などたくさんありましたので、当時の実車は人気があったようです。当時物以外ではヴィーキングの1800、スターラインの2300 ワゴンなどがあります。ミニカー付雑誌「FIAT STORY」のNo.66で1500Lがモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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