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ルノー トノー (タイプ D) フランス 1900年
前述したルノー タイプ Bと同時期の1900年のパリ国際博覧会にタイプBの改良型のタイプ Cが出品されました。ド ディオン ブートン製のエンジンが空冷から水冷に変更されたので、ボンネットの左右にラジエターを配置した独特のフロントスタイルを持つようになりました。シャーシはタイプ Bと同じですが、ボディは少し大きくなり、後部座席を持つ4人乗り仕様もありました。タイプ Cは1900年に179台が生産されたとのことです。なお当時のフランス全体の自動車生産台数(たぶん乗用車以外も含む)は約4200台だったとのことです。
タイプ Cの改良型のタイプ Dが1901年に登場しました。見た目はほとんど同じに見えますが、タイプ Dはサイズが少し大きくなり、エンジンが4HPにパワーアップしていました。(パワーアップしましたが車重の増加で最高速は40km/hと少し低下) またルノーとしては初めて円形のステアリングホイールを採用していました。(それ以前はホイールではなく2輪車のようなレバーだった) タイプ Dのレース仕様としてエンジンを1.2L(6.5HP)にパワーアップしたタイプ Eがあり、商用車(バン)としてタイプ Fがありました。1902年には後継車のタイプ G、より大型のタイプ Hが登場しました。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたラミー(RAMI)製です。ラミーはフランスなどの自動車博物館に展示されているクラシックカーを1/43サイズで40種類ほどモデル化していました。昔のミニカーですからあまり細かいところまでリアルという訳ではないですが、レトロな作風がクラシックカーには似合っていました。また自動車初期のユニークな車種が多く、クラシックカーを集めるなら外せないブランドでした。ミニカーの底板にはルノー トノー(TONNEAU) 1900と銘記されています。トノーとはフランス語で樽状の籠のことで、このような横向きの後席がついている仕様を意味しています。また円形のステアリングホイールが付いているので、これはタイプ Dのモデル化で本来の年式は1901年のはずです。(ただし当時の車の年式は厳密なものではないので、多少のずれは許容範囲と考えます) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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リュック コート フランス 1901年
フランスの工科大学を卒業したリュック コート(Luc Court)は、自動車の備品を製造するリュック コート社(?tablissements LucCourt et Cie)を1892年に設立しました。彼はリバース(後退)ギヤを備える変速機に関する特許を出願し、この特許を使った自社設計の自動車を1899年に発売しました。この車は水冷2気筒2.4L(13HP)エンジンを搭載する小型車で、当時としては先進的なリバースギヤを装備した5段変速機を介して後輪をチェーン駆動していました。この先進的な構造が評判となり、リュック コートは当時の自動車メーカーとしての地位を確立しました。
その後4気筒エンジンを搭載した20/24CVが発売されました。1904年にはエンジンを搭載したシャーシ前部とシャーシ後部を分割できる構造の車を開発しました。この構造は車体部分を搭載するシャーシが交換できるので、乗用車と商用車を作り分けるのに都合がよかったようです。1910年には4気筒2.1Lエンジン搭載のH4 14CVと6気筒エンジン搭載の18CVが登場しました。第1次大戦後は4気筒4.7Lエンジン搭載の大型車も登場しました。1930年代に乗用車の生産が終了し、その後は商用車の生産がメインとなりトラックは1952年頃まで生産していたようです。(実車画像→ リュック コート H4)
ミニカーは1960年代に発売されたラミー(R.A.M.I.)製です。リュック コート社の最初の自動車をモデル化しています。実車の画像と見比べると、フロント先端にあるラジエーター、ヘッドライト、前後フェンダー、右サイドのブレーキレバーなど当時のミニカーとしてかなりリアルに実車を再現しています。 カラーリングも実車に準じていますが、シートを白/赤に変えて少しカラフルな見た目にしています。これ以外のリュック コートのミニカーはないようです。ラミーはフランスのミニカーメーカーJMK社のブランドで、この車のような初期の自動車を1/43サイズでモデル化していました。(参照ページ→ ラミーのミニカー一覧) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ドライエ (タイプ 0) ヴィザヴィ フランス 1901年
フランス人の技術者エミール ドライエは1894年にドイツのベンツのガソリンエンジン車を模倣して、独自設計した後輪ベルト駆動式の自動車を完成させました。この車は1896年に開催されたパリ-マルセイユ レースに参戦するなどこの当時盛んであった都市間レースで活躍しました。ドライエは当時としては高性能で信頼性が高い車だったようで、1898年からパリの工場で自動車の生産を始めました。初期にはレース活動をしていたドライエでしたが、創業者のエミール ドライエが1901年に経営陣から退いたことで1902年にレース活動から撤退しました。
1902年にドライエ初の4気筒4.4Lエンジン搭載車タイプ 11が登場しました。その後ドライエ車はドイツでライセンス生産され、アメリカのホワイト社に模倣されたりしていますので性能は優れていたようです。1911年に世界初のV型6気筒3.2Lエンジンを搭載したタイプ 44を開発しましたがあまり売れなかったようです。その後の1920年代はトラックや農業機械の生産を主力とする地味なメーカーとなっていましたが、1933年に6気筒エンジンを搭載した高性能車スーパーリュクス(SUPERLUXE)を発表して高性能車市場への進出を図りました。(以下 サラブレット期のドライエ 135Mに続く)
ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)製です。名前のヴィザヴィ(VIS A VIS)とは向かい合わせの座席配置のことを意味しています。サフィールのクラシックカーは当時のミニカーとしてはスケールモデル的なリアルな作風でかなり良い出来ばえでした。モデルとなった実車があまり良く分からないのですが、年式から単気筒エンジン搭載で後輪をチェーン駆動した初期のモデル(タイプ 0 又は タイプ 4)と思われます。まだカーボンが使われていない白いタイヤと屋根の代わりの赤いパラソルが時代を感じさせるかわいらしいミニカーです。なおボディは同じサフィール製のプジョーのボディを流用しているので、見た目はそのプジョーとよく似た雰囲気となっています。以下はフロント/リアの拡大画像と運転席部分の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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デコービル 5CV ヴィザヴィ フランス 1901年
サトウキビ農場を経営していたポール デコービル(Paul Decauville)は労働力不足を解決する為に、農作業の機械化を考えていました。彼は農作物の搬出用に小型蒸気機関車を使用する簡易的な可搬式鉄道を考案しました。これはデコービル システムと呼ばれ、レールと枕木を組合わせて一体化した簡易線路(軌匡:ききょう)を並べるもので、通常の枕木上にレールを敷く方式に比べて簡単に敷設/撤去ができるものでした。このシステムは鉱山や軍事用にも使用されることになりました。このシステム用の線路や蒸気機関車を製造するデコービル社(Soci?t? Decauville)が1875年に設立されました。
デコービル社は自転車や自動車も製造しました。デコービル自動車社(Voitures Automotives Decauville)は1897年にデコービル社の子会社として設立されました。最初の自動車(Voiturelle)は3人乗りの小型車で、ド ディオン ブートン製の空冷2気筒498㏄(3HP)エンジンをリアに搭載し2段変速でした。この車は好評で大成功し、エンジン水冷化パワーアップ(5HP)、変速機の3段化、エンジンのフロント搭載化などの改良が行われました。その後1902年に水冷2気筒1.4L(8.5HP)エンジン搭載車、さらに1903年には4/6気筒エンジン搭載の大型車などが発売されましたが、販売は芳しくなく1909年に自動車生産から撤退しました。
ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)製です。デコービル社の初期型(Voiturelle)をモデル化しているようです。車名のヴィザヴィとは前席と後席が向かい合わせに配置されている形式のことです。WEBサイトで見つけた実車と思われる画像と見比べると、フロント周りの造形が多少違っています。これは同じサフィール製のプジョーのボディを流用しているからです。モデル化された実車もプジョーによく似ていますので、プジョーのライセンスを得てボディを真似たのかもしれません。(WEBで検索数するとプジョー デコービルという名前のモデルがありましたので、そのように思います) ミニカーはボディは共用していますが、灯火類や操作レバーなどの細部は変更しています。座席右横の丸ハンドルはエンジンを始動させるハンドルのようです。前席の前に付いている円筒形の物は燃料タンクだと思われます。 同時期のデコービルのミニカーはガマもモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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モトブロック トノー フランス 1902年
19世紀後半にチャールズ シャウデル(Charles Schaudel)は自転車を製造していました。彼は1897年に横置き2気筒エンジン、クラッチ、3段変速機を一つの筐体(ブロック)に収めた構造の自動車を開発し、シャウデル社(Ateliers Schaudel)を設立して自動車製造を始めました。この先進的な構造はモトブロックと呼ばれました。1902年にシャウデル社を買い取った義理の兄弟エミール ドンブレット(Emile Dombret)が、会社名をモトブロック自動車(Automobiles Motobloc)に変更しました。
モトブロック自動車の最初の自動車はシャウデルの開発した2気筒エンジン搭載車がベースで1904年まで生産されました。モトブロックの自動車は当時の様々なレースで活躍していましたので、高性能だったようです。その後1910年代には4気筒エンジン搭載の小型車や6気筒エンジン搭載車の大型車が登場しました。第1次大戦中は軍用車、銃弾、航空機用エンジンを製造しました。大戦後に自動車生産を再開しましたが、大量生産されるようになったルノーやシトロエンに対抗できず1933年に破産しました。
ミニカーは1971年頃に発売されたラミー(R.A.M.I.)製です。ラミーはフランスのミニカーメーカーJMK社のブランドで、この車のような初期の自動車を1/43サイズでモデル化していました。モトブロック社の最初の自動車をモデル化しています。名前のトノーとは初期の自動車で後部座席を備える乗用車を意味します。フロント下にあるラジエーター、ヘッドライト、クラクションなど博物館に保管されていた実車を忠実に再現してあり、当時のミニカーとしては良く出来ていました。(参照画像→ モトブロック トノー) リアシートが変わった形状をしていますが、これは後部座席中央背後に乗り降りする為のドアがあるからです。したがって後部座席の側面にはドアがありません。このミニカーはラミーの最後のモデルで、型番2のド ディオン ブートンを置き換える型番2-bとなっています。ラミーとしては製作時期が新しいのでプラスチックメッキ製のホイールが採用されています。モトブロックのミニカーはこれしか無いようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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