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ルノー コロラール サバン フランス 1950年
ルノー コロラールは1950年に登場した、ルノーの中型の乗用/商用車でした。コロラールという名前はフランス語のCOLONIALE(植民地)とRU RALE(田舎)を組み合わせた造語で、フランスの植民地や田舎で使用する多目的車という意味合いのようです。戦後のルノー車は復興に必要とされた4CVなどの小型車が主力でしたが、コロラールは中型車市場への参入を目指した車であり、ほぼ同時期に高級中型車のフレガトも登場していました。
コロラールにはプレイリーとサバンの2タイプがありました。プレイリー(PRAIRIE)は4ドア ブレーク(ワゴン)で、3列シートの6-7人乗りでした。(後席を畳んで荷物が積めます) プレイリーにはタクシー専用モデルがあり、室内は運転席と客席の間に仕切りがあり中央に補助席があるリムジーン仕様となっていました。サバン(SAVANE サバンナ(大草原)の意)は2ドアブレークで、主に商用バンとして使われました。後席の窓はキャンバスが張られていて、キャンバスを巻き上げて窓を開けるといった仕様から分かるように熱帯地方(植民地)で使われることを想定していたようです。コロラールは1952年に新型2Lエンジン(58HP)に変わり、4WD仕様まで設定されました。ただ同じような価格の車に比べると性能が低く見た目も良くなかったので、人気が無く商業的には失敗しました。1957年まで生産され、総生産台数は約4万台でした。
ミニカーは1997年頃に発売されたビテス製です。最盛期のビテスの標準的なうまい造形で良い出来ばえでした。サバンをモデル化しているので前方に開いたウインドスクリーンや巻き上げられたキャンバスなどが再現されていています。ビテスはプレイリーやタクシー仕様など数種類のバリエーションを作っていました。コロラールの当時物ミニカーとしてはCIJの古いレア物がありましたが、それの復刻版をノレブが2006年頃に発売しています。それ以外のコロラールのミニカーはイクソ系のミニカー付雑誌「世界のタクシー」のタクシー仕様やCOFRADIS ブランドの物がありましたが、どちらもビテスの型を使っているようです。最近の物ではソリドとノレブもあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パナール ディナ X フランス 1950年
第2次大戦前は高級車メーカーであったパナールも、戦後は特権階級がいなくなった社会構造の変化に対応する必要があり、小型大衆車を量産することになりました。戦後のパナールのベースとなったディナ Xが1946年に登場しました。ディナ Xはアルミ軽合金のフレームとアルミ製ボディによるセミモノコック構造で、アルミ軽合金製の空冷水平対向2気筒600cc(22HP)エンジンを車軸の前にオーバーハングさせて搭載した前輪駆動方式という極めて革新的な車でした。中身は革新的だったのですが、外観は見てのとおり古くさくユーモラスな感じもします。
外形寸法はルノー 4CVとほとんど同じで最高速100km/hの性能も同じでした。ただしアルミ製ボディなどでコストが数割高いディナはルノー 4CVの1/10ぐらいしか売れませんでした。1954年に外観を大幅に変更したディナ Zにモデルチェンジしました。総生産台数は約4.7万台でした。ディナ Xをベースにした小型2ドアスポーツカー(ロードスター/カブリオレ) ディナ ジュニア(JUNIOR 仏語式に読むとジュニオル)が1952年に登場し、1956年までに約4500台が生産されました。なお優れたサスペンションなどシャーシ性能が高かったディナは、改造されてレースで活躍しました。レースカーではルマンに出場したDB パナールが有名でした。
(実車画像→ パナール ディナ ジュニア 1952)
(実車画像→ DB パナール 1955)
ミニカーはイクソの別ブランドであるノスタルジー製で2010年頃に入手した物です。1949年式フォードを思わせる丸いグリルがフロントに追加された1950年式をモデル化しています。ディナのユーモラスな感じがする面構えがよく再現されていて、灯火類や室内などの細部も結構リアルで良く出来ていました。これ以外のディナ XのミニカーはCIJの当時物、エリゴールの商用車、イクソ、ノレブのカブリオレなどがあります。ディナ ジュニアのミニカーはCIJの当時物、ビザール(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T101 ガングロフ フランス 1951年
ブガッティの創始者エットーレ ブガッティの長男ジャンが1939年にレースカーのT57G タンクのテスト中の事故で他界しました。ジャンの死の直後に第2次世界大戦が勃発しブガッティのような高級車は生産できなくなり、ブガッティは軍需用の航空機部品の生産を行いましたが、工場は戦争で破壊されました。エットーレは戦後の混乱のなかで1947年に病死しました。その後もう一人の息子ローランが事業を統括することとなりましたが、ローランは父親のような優れた才能には恵まれていませんでした。
1951年に新型車としてT101が登場しました。T101は戦前の傑作車T57のシャーシをベースにして開発された車で、内容的にはT57に新しいボディを載せただけの車だったようです。そのような車でしたのでT101はたったの9台しか生産されませんでした。T57と同じDOHC 直列8気筒 3.3L(135HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速160km/hの性能でした。コーチビルダーのガングロフ(GANGLOFF)などが4/2ドアセダン、クーペ、カブリオレなどのボディを架装しました。戦後のブガッティ社は主に航空機用エンジンを生産していましたが、1963年に同業のイスパノ スイザ社に吸収されました。1987年にイタリアの実業家がブガッティの商標を入手しブガッティ アウトモビリ社を設立し、1991年にブガッティ EB110が登場しましたが、1995年に倒産しました。
ミニカーは2013年に発売されたイクソ製です。実車はシャーシNo.57454にコーチビルダー ガングロフが2ドアクーペ ボディを架装したもので、1951年のパリ サロンで公開されました。2ドアながら全長5.2mの大柄な車で、実車はフランス国立自動車博物館(シュルンプ コレクション)に展示されていました。このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「Voitures Francaises d'Autrefois」シリーズのNo.5として作られたミニカーで、それをリファインしてイクソのカタログモデルとしたものです。実車と見比べると、ボディカラーからAピラー近くの小さなアンテナ(ラジオ用)まで忠実にモデル化されていました。フロントグリル上のブガッティの赤いエンブレム、クロームモール類、精緻なエッチング材を使ったスポークホイールとワイパーなどの細部も良く仕上げられています。T101はブガッティとしてあまり知られておらず、量産ミニカーとしてはこれが初めてのモデル化でした。これ以外のT101のミニカーはマトリックス(レジン製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ドライエ 235 コーチ フランス 1952年
戦前の135Mを後継する高級車 235が1951年に登場しました。戦前の高級車メーカーはシャーシだけを提供しそれにコーチビルダーがボディを架装してました。235も当初はこの方式を踏襲し、シャプロン、フィゴーニ、ソーチックなどが特注のボディを架装していました。(実車画像→ シャプロンのクーペ、ソーチックのロードスター) エンジンは135M用の6気筒3.6L(152HP)を搭載し、最高速170km/hの性能でした。ただコーチビルダーの架装するボディは重かったので、燃費は悪くブレーキの効きも悪かったようです。
コーチビルダーが架装する特注ボディは高価で、販売は芳しくありませんでした。そこで標準化されたシャプロン製ボディが設定されましたが、それでも6気筒エンジンを搭載したシトロエンの最上級車15CV シックスの3台分の値段だったそうです。戦後のフランスではこの種の高級車に高い課税がされたこともあって、販売不振から1954年にドライエはオチキス社に吸収され消滅しました。
ミニカーはイクソのCLCシリーズで、2013年に発売されました。このコーチという名前は標準化されたシャプロン製ボディを架装したモデルのようです。実車緒元の画像参照先の実車を忠実にモデル化しています。カラーリングやモール類、室内などが良く再現されていてかなり良い出来ばえです。ただ実車の全長から逆算すると、1/43よりも一回り大きめにできているようです。(資料の実車全長が間違っているのかもしれませんが) このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「Voitures Francaises d'Autrefois(往年のフランス車)」のNo.3として作られたものでした。(イクソのカタログモデルのこれは内装などの仕上げレベルを変えています) ドライエ 235のミニカーはこれしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー フレガート アミラル フランス 1953年
第2次大戦中に連合軍の空襲で壊滅的に破壊されたルノー社は、戦後フランスの国策で国有化されました。ルノーの復興は戦前型のジュバカトルの生産再開から始まり、1946年の新型小型車4CVの発表と続きました。ルノーは新型車として中型車を企画していたのですが、戦後復興のために小型車4CVの開発を優先しました。その後1951年になって当初予定していた2Lクラスの中型車フレガートが登場しました。フレガートは戦前のヴィヴァステラの後継車で全長4.7mの大柄なボディに4気筒2L(56HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速132km/h の性能でした。
1953年にデラックス仕様のアミラル(AMIRAL)と廉価版のアフェール(AFFAIRES)にグレードが分けられ、1956年に2.1L(77HP)エンジンが追加され豪華仕様のグラン パヴォア(GRAND PAVOIS)とステーションワゴンのドメン(DOMAINE)が追加されました。1959年にトルコン式3段自動変速機が設定されましたが、1960年には生産中止となりました。総生産台数は約16万台でした。ルノーではその後1975年に30が登場するまで中型車が無くなるのですが、これは1955年に登場したシトロエン DSが大ヒットして中型車市場を占有してしまったことが原因のようです。
ミニカーは2002年に発売されたコフラディス(COFRADIS)のノスタルジー(NOSTALGIE) シリーズです。コフラディスはフランスの模型ショップで、ノスタルジーという独自ブランドで名前どおりの懐かしい感じのするクラシックカーのミニカーを販売していました。このブランドのミニカーはイクソ製がほとんどで、意図的にややレトロな作風に仕上げているようです。このフレガートも素朴な作風ながら、フロントグリルや室内などの細部は結構リアルで、実車の雰囲気がうまく再現された良い出来ばえでした。これ以外のフレガートのミニカーはCIJやノレブの当時物、エリゴールのセダン/ワゴン/カブリオレ、最近のノレブのセダン/大統領車などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)