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ブガッティ T57S アタランテ フランス 1939年
ブガッティ T57は1934年に発表された3Lクラスのツーリングカーで1940年までに約700台が生産され、ブガッティとして最もたくさん生産されたモデルでした。主に4ドアセダンや2ドアクーペのボディが架装されました。エンジンはレーシングカー T59で使われたDOHC 直列8気筒3.3L(135HP)を搭載していました。エンジンを170HPにパワーアップしホイールベースを短縮したスポーツ仕様のT57S、さらにスーパーチャージャーを追加して195HPにパワーアップしたT57SCがありました。
ブガッティ T57のボディはソーチック、ガングロフ、フィゴーニ&ファラスキーなどの著名なコーチビルダーが架装していました。それぞれ以下のようなヨーロッパの地名などにちなんだ名前が付けられていました。
ミニカーは1979年頃に発売されたソリド製です。同じものが1980年に型番4088でも発売されました。ソリドの型番40**はクラシックカーのシリーズで、クラシックカーのミニカーとしては比較的安価(当時の定価約2000円)ながらも出来の良い物が揃っていました。このT57S アタランテも細部の仕上げは値段相応ですが、独特のスタイルがうまく再現されていて良く出来ていました。型番4109でオープントップ仕様のバリエーションがありました。これ以外のアタランテの量産ミニカーは2000年以前にはフランクリン ミントの1/24ぐらいしかありませんでしたが、最近になってミニチャンプスやスパーク(レジン製)などからも発売されました。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー スープラステラ カブリオレ フランス 1939年
前述したルノー ネルヴァステラの後継車として、戦前のルノー最後の旗艦となったのがスープラステラで1938年に登場しました。スープラステラは8気筒5.4L(110HP)エンジンを搭載した全長5mを超える大型車で、ロングホイールベース版で全長6.5mのリムジーンもありました。ボディは4ドアセダンがメインでしたが、洒落た2ドアクーペ/カブリオレもありました。フロントグリルは同時期のアメリカ車を真似たあまり品の良くないデザインで、高い位置にあるボンネットと広い車幅が相まって押し出しの強い迫力のあるスタイルとなっていました。ちなみにスープラステラとは英語に直すと「SUPER STAR」ということになります。
コーチビルダー フラナイ(FRANAY)の架装でリムジンボディをカブリオレ仕様にしたスープラステラが戦前のフランス ペタン首相の公用車として使われ、戦後もしばらくの間オリオール 第16代フランス大統領の大統領車として使われました。(実車画像→スープラステラ 大統領車) コーチビルダーがボディを架装する高級車としては、フランスではスープラステラが最後の車でした。なおイギリスのロールス ロイスは1950年代まではまだコーチビルダーがボディを架装していました。
以下は2007年頃に発売されたイクソ製です。スープラステラの2ドアカブリオレをモデル化しています。このミニカーはフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.19として作られたもので、私はオークションで入手しました。同じものの色違いがイクソのカタログモデルとして型番MUS022で発売されています。この車は2ドアカブリオレとしては大きなボディで、戦前のルノーの豪華な高級車の雰囲気がうまく再現されています。フロントグリル/灯火類/室内などの細部もそこそこ良く再現されています。これ以外のスープラステラのミニカーは少量生産のレジン製でクーペや大型リムジンがありますが、2023年時点で量産ミニカーは無いようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ドラージュ D8 120 フランス 1939年
世界大恐慌による1930年代の不況で高級車が売れなくなったことでドラージュは経営破たんし、1935年に同業のドライエに吸収合併されました。合併後もドラージュはドライエの最上級車として存続し、D8シリーズは1935年のD8 85(3.6L 85HP)、1936年のD8 100(4.3L 90HP)、1937年の最後のモデルD8 120(4.8L 115HP)とエンジン排気量が拡大されていきました。D8の最初の8気筒4.1Lエンジンはドラージュの設計でしたが、D8 120の8気筒4.8Lエンジンはドライエ 135の6気筒エンジンに2気筒を追加したものに変わりました。
ドラージュとドライエは名前が似ていてさらにドライエがドラージュを吸収合併しているので両車を混同しやすいですが、どちらもフランス車が最もフランス的であった1930年代を代表する車でした。両車とも当時のフランスのコーチビルダーが贅を尽くした魅力的なデザインのボディを架装していました。それらのなかには退廃的で奇抜なデザインの物もありましたが、それもこの時代のフランス車の魅力でした。戦後の1954年にドライエはオチキスに吸収されドライエ/ドラージュの両ブランドは消滅しました。
ミニカーは1975年に発売されたソリド製です。ドラージュ D8 120のカブリオレをモデル化しています。実車は全長5mを超える大型車ながら2ドアのカブリオレという1930年代流の贅沢な車です。コーチビルダーはアンリ シャプロン(Henri Chapron)でした。ソリドのクラシックカーのミニカーは当時は一級品の出来ばえでした。ただ1970年代のミニカーですので現在のようには細部をリアルに再現していませんが、実車の全体的なイメージは良く再現されていました。赤/黒のカラーリングが綺麗で、後方に飛び出した丸いテールライトの付いたリアエンドの造形は個人的に気に入っています。これ以外のドラージュ D8 120のミニカーはイクソのエアロクーペ、ミニチャンプスのカブリオレ、スパーク(レジン製)のクーペ/カブリオレなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オチキス 686 コーチ パリ-ニース フランス 1939年
フランスのオチキス社の前身はベンジャミン オチキス(Benjamin Hotchkiss)が1867年に創業した銃器製造工場でした。同社は機関銃などの武器を製造していましたが、財務状況が悪化したことで自動車産業に参入しました。1903年に発売した最初の車は4気筒エンジンを搭載した17CVで、1906年には6気筒エンジン搭載の20CVを発売しました。第1次大戦中は軍需品の製造に専念し、戦後の1923年に4気筒2.5Lエンジン搭載のAM2、1928年に6気筒3.5Lエンジン搭載のAM80が登場しました。このAMシリーズのレース仕様車は1932年から1934年まで3年連続でモンテ カルロ ラリーで優勝しており、優れた性能だったようです。1936年には6気筒3Lエンジンを搭載する上級中型車680/686が登場しました。(実車画像→ オチキス AM80)
第2次大戦の勃発で戦時中オチキス社は軍需品製造に専念し、戦後に680/686の生産が再開されました。1948年に4気筒2.3Lエンジン搭載の13CVが登場し、1950年には686がモンテ カルロ ラリーで優勝しました。1950年に680/686の後継車として4気筒2.3L/6気筒3.5Lエンジン搭載の高級車アンジュ(ANJOU)が登場しました。戦後のフランスでは高級車を抑制する政策がとられたのでオチキスは経営不振となり、1954年に高級車/トラック製造メーカーのドライエを買収しトラック製造に専念し乗用車生産から撤退しました。1954年にウイルスのライセンスでジープ製造を行いましたが、1970年に自動車生産を終了しました。(実車画像→ オチキス アンジュ 1955)
ミニカーは1979年に発売されたエリゴール製です。エリゴールは初期にホワイトメタル製少量生産品を数車種発売していて、これはその一つです。(ホワイトメタル製なのでずっしりと重いです) パリ-ニース都市間レースで活躍したことを記念して設定されたオチキス 686の高性能版パリ-ニース仕様のクーペをモデル化しています。オチキスの特徴である楕円型のフロントグリルがうまく再現されているなど、実車の雰囲気が良く再現されています。室内もそこそこ再現されています。これ以外のオチキスの乗用車のミニカーはノレブの686、イクソの686とアンジュ、ノスタルジーのアンジュなどがあります。乗用車以外ではエリゴールとソリドがオチキスの消防車やトラックをモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ベルリエ 11CV ドーフィン フランス 1939年
ベルリエは自動車創世期に設立された自動車メーカーでした。第1次世界大戦中は軍用トラックを生産し、大戦後に乗用車生産を再開し1920年代には4気筒の小型車から6気筒の大型車まで数モデルを販売していました。1929年のアメリカ株価大暴落による金融危機で景気が悪くなり、自動車の販売は低迷しました。その影響で1930年代になると、ベルリエの乗用車は1934年に発売した11CV ドーフィンだけになりました。(実車画像→ ベルリエ 11CV ドーフィン 1934)
ミニカーはベルリエ 11CV ドーフィンで、ボディを大きく変更した1939年式をモデル化しています。ベルリエはこの頃には経営不振でボディの内製化ができず、ライバルのプジョー 402のボディを流用し、フロントを当時のアメリカ車に似せたデザインに変えていました。ただこの車もすぐに生産中止となり、ベルリエはトラックだけを生産するようになりました。(後にバスを追加) ベルリエは1967年にはシトロエン傘下となり1974年にはルノーに売却されて同じトラック製造ののサビエムと合併しルノー トラックスとなりました。
ミニカーは2014年に発売されたイクソ製です。元々このミニカーはフランスのミニカー付き雑誌「Voitures francaises d'autrefois」シリーズのNo.9用に作られた物でした。これはその型を使って仕上げをリファインしてイクソのカタログモデルとして発売された物です。実車が忠実にモデル化されていて、キャビン部分の形状を見ればプジョー 402がベースになっていることが良く分かります。また変更されたフロントグリルがうまく再現されていて、灯火類などの細部も良く出来ています。ベルリエのミニカーはトラックなどの商用車がほとんどで、商用車以外のミニカーはポリトーイ初期とラミー(RAMI)のベルリエ 1910ぐらいしかありません。したがってこのベルリエ 11CV セダンのミニカーは車種的には貴重です。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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