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ルノー ヴィヴァスポール カブリオレ フランス 1934年
1930年代前半のルノーのラインナップは、前述した8気筒エンジン搭載の最上級大型車のネルヴァステラ、その下に6気筒エンジン搭載の中型車でヴィヴァステラ(VIVASTELLA)/プリマステラ(PRIMASTELLA)、その下の4気筒エンジン搭載の小型車にヴィヴァカトル(VIVAQUATRE)/プリマカトル(PRIMAQUATRE)/モナカトル(MONAQUATRE)がありました。(QUATREとはフランス語で4の意味で4気筒エンジンを意味しています) 1929年に登場したヴィヴァステラは6気筒3.2L(52HP)エンジンを搭載した、全長約4.5m-4.9mの4ドアセダンの高級中型車でした。ラジエーターはまだエンジン後方に配置されていましたが、フロントグリルが付いていました。(実車画像→ ルノー ヴィヴァステラ 1930)
1934年にエンジンが3.4L(85HP)に拡大され、1935年にはボディ全体が丸みを帯びた新型に変更されました。1933年に上級車として6気筒3.6L(80HP)エンジンを搭載したヴィヴァスポール(VIVASPORT)が登場しました。このスポール(SPORT)という名前は高性能の上級グレート車に付けた名前のようです。ヴィヴァスポールは1934年にはエンジンが4L(95HP)に拡大されました。2ドア/4ドアセダンやスタイリッシュな2ドアクーペ/カブリオレなどがありました。ヴィヴァスポールは1938年まで生産され総生産台数は約5000台でした。
ミニカーは1970年代に発売されたフランスのデュブレイ(DUBRAY)製です。デュブレイはフランスのプラスチック製ミニカーの老舗ブランドで、フランス車のクラシックカーを1/43でモデル化していました。これはヴィヴァスポールの2ドア4座カブリオレをモデル化しています。1970年代のミニカーとしてはリアルな造形で、実車の雰囲気がうまく再現されていて良い出来ばえです。プラスチック製ですが塗装されていますので、ボディには塗装による艶があります。プラスチック製ミニカーで問題となる経年変化がほとんどみられないので、ABS樹脂のような耐久性のある材質が使われているようです。これ以外のヴィヴァスポールのミニカーはユニバーサルホビー、ノレブなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー セルタカトル フランス 1934年
1930年代前半のルノーのラインナップは、前述した8気筒エンジン搭載の最上級大型車のネルヴァステラ、その下に6気筒エンジン搭載の中型車でヴィヴァステラ(VIVASTELLA)/プリマステラ(PRIMASTELLA)、その下の4気筒エンジン搭載の小型車にヴィヴァカトル(VIVAQUATRE)/プリマカトル(PRIMAQUATRE)/モナカトル(MONAQUATRE)がありました。(QUATREとはフランス語で4の意味で4気筒エンジンを意味しています) 1931年に登場したモナカトルは4気筒1.3L(25HP)エンジンを搭載した全長約3.9mの小型車で、2ドア/4ドアセダンと2ドアクーペ/カブリオレがありました。1932年にエンジンが1.5L(30HP)に拡大され、ボディも丸みを帯びたデザインに変わりました。それと同時期にモナカトルより上級のプリマカトルとヴィヴァカトルが登場しました。(実車画像→ ルノー モナカトル 1931)
モナカトルの後継車として1934年にセルタカトルが登場しました。セルタカトルは4気筒1.5L(34HP)エンジンを搭載した小型車で、当時のルノーでは一番安いモデルでした。ボディは当時流行った流線型を取り入れていましたが、同時期のライバルであったシトロエン 7CVに較べると今ひとつ古くさい感じがします。中身も独立でない前輪サスペンションやフレーム構造など技術的にはライバルから遅れていましたが、値段が安いことでそこそこ成功したようです。1937年に後継車のジュバカトルが登場し、1939年まで生産されました。総生産台数は約4.4万台でした。
ミニカーは2005年に発売されたノレブ製です。プロポーションが良く、フロントグリルと灯火類、ワイパー、リアの荷物棚などの細部までよく作りこんでいます。特にフランス車の特徴である黄色のヘッドライトが付いたフロント周りの造形は、実車の雰囲気がうまく再現されています。セルタカトルの量産ミニカーはノレブ製しかないようです。なお同じフランスのビンテージ ミニカーメーカー CIJのプリマカトル(1/20 ブリキ製玩具)の復刻版を、ノレブがNOREV CIJブランドで発売しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー 601 コーチ FUSELE フランス 1934年
プジョーの新しい命名法(3桁の数字)で登場した201から始まる初代01シリーズには、1932年に登場した201より少し大きいサイズの301(4気筒1.5L(34HP)エンジン搭載)、1934年に登場した中型車の401(4気筒1.7L(44HP)エンジン搭載)、1934年に登場した大型車の601(6気筒2.1L(60HP)エンジン搭載)の4モデルがありました。この01シリーズには201で採用された前輪独立懸架サスペンション、油圧ダンパー、シンクロメッシュ式変速機などの先進技術が採用されていました。1934年にはシリーズ全体で3万台以上を生産していました。
601は戦前のプジョーとしては最後の6気筒エンジン搭載車でした。長短2タイプのホイールベースがあり、4ドアセダン/リムジン、2ドアクーペ/カブリオレなどがありました。カブリオレには電動で収納できるハードトップを備えたエクリプスというモデルもありました。(401にも同じ仕様のエクリプスがありました) この601は2ドア4座セダンで、名前の「FUSELE」とはフランス語で「先細り/流線型」の意ですから、細長い流線型のボディ形状のことを示していると思われます。601は1935年までの1年半に約4000台が生産されました。
ミニカーは2005年に発売されたソリド製です。ソリドの型番4000-4100番台のシリーズはビンテージ期のクラシックカーをモデル化していたのですが、これはその4100シリーズとしては最近の物(といっても15年以上前ですが)となります。ソリドらしいシャープな造形で、実車の雰囲気が良く再現されています。当時の定価は2100円と安価ながら、フロントグリルや灯火類はリアルで、室内もそこそこ良く再現され、空/青のツートンカラーも綺麗でとても良い出来ばえです。 601の量産ミニカーはこれしかないようですので、その点でも貴重なミニカーです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シトロエン 22CV フランス 1934年
1934年にシトロエンの名前を不動のものとし、自動車の歴史を大きく変えた画期的な車トラクシオン アヴァン(7/11CV)が発表されました。トラクシオン アヴァンとはフランス語で前輪駆動のことですが、この方式を最初に実用化しそれを低重心のモノコック構造ボディと組み合わせることで全く新しいタイプの車として完成させたことから、7/11CVは前輪駆動車の元祖という意味でトラクシオン アヴァンと呼ばれています。
そのトラクシオン アヴァンの最上級(プレステージ)モデルとして企画されていた22CVは1934年のパリ サロンに展示されました。後述する11CV ファミリアーレと同じロングホイールベース版で室内が広く、大型のヘッドライトが埋め込まれたフロントは高級車らしい堂々としたデザインでした。エンジンは11CV用の4気筒エンジンを2つ繋げたV型8気筒3.8L(99HP)エンジンを採用する予定でした。しかしエンジンの開発がうまくいかずシトロエン社の財政事情が悪化したので、製品カタログまで準備されていながら発売中止となった幻の車でした。
22CVの実車は発売されませんでしたが、ノレブ製のミニカーではクーペやファミリアーレまでもがモデル化されています。ミニカーはオークションで入手したので発売時期が分からないのですが、たぶん1992年頃に発売されたようです。埋め込み式ヘッドライトのフロントなどの細部がリアルで、高級車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ています。(フロントグリルのダブル シェブロンが良く見えないのが惜しいですが) 底板部分は金属製ですがボディは軽いのでプラスチック製のようです。ノレブは2000年以降にクーペやファミリアーレなどもモデル化していますが、これはそれより前にモデル化されていますので、シトロエン社の何らかの記念モデルとして作られたものではないかと思います。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ヴォアザン C23 (17CV) フランス 1934年
ブガッティの創設者エットール ブガッティと並び称される鬼才ガブリエル ヴォアザン(Gabriel Voisin)は弟のシャルルとともに初期の航空機の開発を行いました。1907年に複葉機の初飛行を行い、その後ヴォアザン飛行機会社を設立し、第1次大戦中にはフランス軍向けに軍用機を生産しました。戦後は軍事産業からの転換を図り、まずは現在のツーバイフォー工法のようなプレハブ住宅の開発を行いましたが、既存の建築業界の反対にあって断念しました。そこで次に自動車の製作を行うことになりました。(ヴォアザンの航空機の画像→ ヴォワザン III 1911)
最初に開発されたC1は1920年に登場しました。この車は4気筒4L(80HP)のスリーブバルブエンジンを搭載した高級車で、シトロエン社の創立者であったアンドレ シトロエンから製造権を購入したプロトタイプをベースにしていました。C1は洗練されたパワフルな車で富裕層に愛用されました。その後C1はC3となり1922年にC3のレース仕様車がストラスブール ツーリングカーレースで優勝しヴォアザンの名声が高まりました。(実車画像→ ヴォワザン C1 1920) その後1927年に6気筒2.4Lエンジン搭載のC11、1929年にフランス初のV型12気筒3.8L/4.8Lエンジン搭載のC17/C18、1931年に6気筒3Lエンジン搭載のC23など独創的な高級車が登場しました。1939年にヴォアザンは経営状態の悪化で自動車生産から撤退し航空機エンジン生産に転じました。
当時ガブリエル ヴォアザンの下で働いていた技術者アンドレ ルフェーブルは後にシトロエンに入社し、第2次大戦後に偉大な名車シトロエン 2CVやDSの開発にかかわっています。シトロエン 2CVがなんとなく以下で説明しているC25 アエロディーヌに似ているのは、シトロエンのユニークなデザインにガブリエル ヴォアザンが影響していたと考えると納得できます。
ミニカーは1966年に発売されたソリド製のヴォアザン C23(17CV)です。モデル化しているC23はスリーブバルブ式6気筒3L(85HP)エンジンを搭載したヴォアザンとしては後期のモデルでした。1960年代のソリドのクラシックカーのミニカーは20車種ほどありましたが、いずれもかなり良い出来ばえで当時の一級品でした。このミニカーも角ばったボディが良く再現されていて、ヴォアザン車に共通する特徴である独特のフロントグリルとその上のマスコット(鳥)も実に忠実に再現されています。前フェンダー上にある箱は据付式のトランクです。ドア開閉のギミック付で、室内もそこそこ良く再現されています。ヴォアザンのミニカーは最近までこのC23しかなかったのですが、2010年以降にミニチャンプスのC25とC27、スパーク(レジン製)のC25とC27、イクソのC25とC28などがモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)