Sorry Japanese Only
メルセデス ジンプレックス 40HP ドイツ 1902年
前述したレーシングカーメルセデス 35HPをベースにして乗用車に発展させたのがこのジンプレックス 40HPでした。35HPに楕円形のヘッドライト、前後のフェンダー、クラクションなどが追加されています。実車はメルセデス ベンツ 博物館に保存されていて、茶色の木製スカットル パネルや黒いストライプが付けられた青いボディなど乗用車らしくなっています。4気筒6.8L(45HP)エンジンを搭載し、4段変速機を介して後輪をチェーン駆動し、最高速70km/h の性能でした。
ミニカーは2011年に発売されたイクソ製です。メルセデス ベンツ 博物館に保存されている実車を忠実にモデル化しています。(実車諸元 画像参照のリンク先に実車画像があります) イクソはレーシングカー 35HPも型番MUS027で2010年にモデル化しています。どちらもシャーシのメカ部分などの細かいところまでよく再現されています。35HPと40HPが同じブランドで作られているので、この2台を並べるとレースカーから乗用車に発展したことがよく分かります。
縦長のヘッドライトはアセチレンガスを燃焼させる方式のアセチレンランプです。前後フェンダーに付けられた黒いラインとホイールに付けられた細い赤いラインは実に細かい細工です。ドライバー正面にある木製のスカットル パネルには縦長の金属製円筒が並んでいる装置がありますが、それぞれの円筒がエンジン各部の潤滑系統に接続されていて、潤滑系の作動状態を内蔵しているガラス管でチェックしたりオイルを供給する装置です。運転席右側にある2本のレバーはハンドブレーキ レバーと変速機のシフトチェンジ レバーです。なおリアフェンダーがやや後ろに長すぎる点と、ドライバーシートの右側面に追加されたはずのクラクションがついていない点は見なかったことにしておきます。以下フロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1112
メルセデス ジンプレックス 26/40HP ドイツ 1902年
前述したようにメルセデスという名前がつけられたレーシングカー 35HPが活躍したことで、ダイムラー社の車はメルセデスと呼ばれるようになりました。当時のチーフエンジニアのヴィルヘルム マイバッハはメルセデス 35HPの改良に着手し、1902年にメルセデス ジンプレックスと呼ばれた新型車が登場しました。ジンプレックス(SIMPLEX)とは英語のSIMPLE(簡潔)で、シフトチェンジのクラッチ操作を簡単にするなどして操作を簡素したことを意味する名前でした。ジンプレックスには4気筒4L(20HP)/5.3L(32HP)/6.8L(40HP)のエンジンを搭載する3モデルがありました。
6.8L(40HP)エンジン搭載のジンプレックス 26/40HPは当時の最上級車で、それ以前のメルセデス 35HPの後継車でした。全長約4.8mの大型車で、4段変速機を介して後輪をチェーン駆動し、最高速85km/hの性能でした。ジンプレックス シリーズは1910年まで生産され、途中で4気筒8L(50HP)と4気筒9.2L(60HP)エンジンが追加されました。なおこの時代の車名は課税馬力/実馬力を意味する表記で、例えば26/40HPとは課税上の馬力(排気量)が26HP(排気量262㏄程が1HPなので6800㏄に相当)で、実際の出力が40HPであることを意味します。(ただし課税馬力の定義や実馬力は変化しましたので、表記もそれに応じて変わっていきました)
ミニカーは1960年代に発売されたクラシックカーミニカーの老舗ブランドのリオ(RIO)製です。メルセデス ジンプレックスの最上級車である26/40HPをモデルしています。リオのミニカーは細部までリアルに再現されていて、当時のミニカーとしては別格の素晴らしい出来ばえでした。(値段もその分だけ別格でしたが) このジンプレックスもフロントグリル、灯火類などが実車に忠実に作りこまれていて、床下のフレーム構造やエンジン/変速機/サスペンションまで良く再現されています。リア フェンダーの前にある箱状の出っ張り部分は後輪駆動用チェーンのカバーで、床下部分をみるとチェーン駆動部が再現されてます。リオ以外のジンプレックスのミニカーはガマ、チィス(ZISS)、フランクリン ミントの1/24、イクソの2シータと60HP リムジンなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=21
オペル ダラック 8HP ドイツ 1902年
前述したようにオペルの第1号車 オペル ルッツマンは技術的に未熟で商業的には失敗作でした。そこでオペル社はフランスのルノー社やダラック社と提携しライセンス生産を行うことで自動車技術の習得に努めました。1902年に登場したオペル ダラックはダラックのライセンス生産車でした。オペル ダラックは単気筒1.1L(8HP)エンジンをフロントに搭載し、3段変速機を介して後輪をチェーン駆動し最高速20km/hの性能でした。
ダラックは当時最も進んだ技術を採用していた車で、今日の自動車の基本的な構造は全て備えていました。オペル ダラックは商業的に成功し、オペルは自動車メーカーとしての基礎を固めることが出来ました。1906年にオペルはダラックとの提携を解消し、オペル ダラックは生産中止となりました。その後オペルは自社開発した車を発売するようになりました。
ミニカーは1960年代に発売されたイタリアのドゥグー(DUGU)製です。ドゥグーは当時のクラシックカー専門ブランドで、「Miniautotoys」シリーズと「Museo」シリーズがありました。どちらのシリーズもトリノ自動車博物館が保管していたクラシックカーをモデル化していました。「Miniautotoys」シリーズは1/43スケールの高品質のミニカーで、「Museo」シリーズは1/43スケールでホイールなどの部品を共用し梱包箱を簡素化した廉価版ミニカーでした。このダラックは「Museo」シリーズの1台で、オペル ダラックではなくフランスの本家ダラックをモデル化したものですが、外観はほとんど同じだと思います。廉価版とはいえフロント床下のラジエータなど結構リアルな造形で、当時のクラシックカーのミニカーの標準以上の出来ばえでした。この車の後席にはリアシート背後のドアを開いて乗り込むようになっていて、リア中央に足を乗せるステップが付いています。これ以外ではガマもオペル ダラックをモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=26
メルセデス ジンプレックス 60PS リムジン ドイツ 1903年
前述したジンプレックスは1903年に当時のダイムラー社の主任設計者であったヴィルヘルム マイバッハが設計した改良型60PSに変わりました。ジンプレックスでは一番大きな4気筒9.2L(60HP)エンジンが搭載され、名前の60PSは60HPの意味です。運転席も含めた密閉式のリムジンボディ(3列シート 6-7人乗り)を架装したこの車は、長距離旅行用に使われたようです。ルーフラックにはスペアタイヤ(丸いカバーを被せてある)やスーツケースが積載されています。この車はマイクロバス並みに人や荷物が積めることから、かなりの重量だったようで、後輪がダブルタイヤとなっています。
なおヴィルヘルム マイバッハは1909年にダイムラー社を退社して戦前の高級車メーカーであったマイバッハ社を設立しています。戦後マイバッハ社はダイムラー ベンツの傘下となり、現在はダイムラー ベンツの最上級ブランドとして存続しています。
ミニカーは2018年に発売されたイクソ プレミアムX製です。メルセデス ベンツ博物館に保管されている実車(参照画像)を忠実にモデル化しています。(ただしボディカラーは青に変えています) エッチング材で作られた精緻なルーフラックの枠、そこに積載したスーツケース、細い金モール(イクソ得意のメッキ調印刷で形成している)で飾られたボディ、そこそこ良く再現された室内などクラシックカーのミニカーとしてかなり良い出来ばえです。
同時代のメルセデス車ではエドワード期のメルセデス 37/65HP 1908をリオがモデル化しています。(参照→ リオの37/65HP) リオのメルセデス 37/65Hとこのイクソのジンプレックスを比較すると、イクソのエッチング材の枠や細かなメッキモールの出来ばえは最近の技術が採用されていて優れていますが、それ以外はあまり遜色がありません。逆にリオの床下部分の別パーツで再現したエンジン等のメカ部は、一体成型で塗装したイクソより優れています。約50年も昔に作られたリオのミニカーが素晴らしい物であったことが改めてわかります。 以下はフロントの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1946
N.A.G. (エヌ アー ゲー) ツーリング スポーツ ドイツ 1904年
1902年ドイツの電気会社AEGは初期の電気自動車や単気筒エンジンを搭載した小型車を製造していた会社を買収し、会社名をN.A.G.(Neue Automobil Gesellschaft:新自動車会社の意)に変更しました。同社の最初の車は2気筒エンジンを搭載したタイプAと4気筒エンジンを搭載したタイプBで、同時期のメルセデスに似ていました。その後4気筒7.9Lエンジンを搭載するタイプB2が登場し、この車は1907年にドイツ王室の御料車として採用されドイツ皇帝ヴィルヘルム 2世の妻 アウグステ ヴィクトリア皇后に愛用されました。(皇帝ははメルセデスを使ったようです) その後AEGは自動車事業から撤退しましたが、N.A.G.は単独で事業を継続しました。
1908年にK2パック(PUCK)と呼ばれる4気筒1.5Lエンジン搭載の小型車が登場し、このエンジンは高性能でレースで活躍しました。K2パックはK2 ダーリン(DARLING)というモデルに発展し、K2以外の1910年代のN.A.G.には8.5Lエンジン搭載の大型車60HPから2LエンジンのK4、3.3LエンジンのK5、5.1Lエンジンの25/35HPなどがありました。第1次大戦後に4気筒2.5Lエンジン搭載の中型車C4が登場し、この車もレースで活躍したのですが、会社の経営は不振でした。1927年に6気筒3L/3.6Lエンジン搭載の201/204、1931年にドイツ初のV型8気筒4.5Lエンジンを搭載した前輪駆動方式の218などが登場しましたが、それを最後にしてN.A.G.は1934年に消滅しました。
ミニカーは1960年代に発売されたドイツのチィス(ZISS-MODELL)製です。チィスはMINI-AUTO社のブランドでドイツ車中心でクラシックカー、乗用車、商用車などのミニカーを1960年代に生産していました。チィスのクラシックカーのミニカーはフロントグリルや灯火類などに金属製パーツを使っていますのでがっちりとしたつくりとなっています。モデル化された実車の詳細はよくわからないのですが、年式から4気筒5.2Lエンジンを搭載したタイプ B (20/24HP)だと思われます。4人乗りのオープンカーで、リアにスペアタイヤを積んでいますのでレース仕様なのかもしれません。この当時のN.A.G.はこのミニカーのような丸いラジエーターグリルが付いていたようです。1960年代のクラシックカーのミニカーとしては良く出来ていました。バリエーションで幌の付いたフェートンもモデル化していました。これ以外のN.A.G.のミニカーはありませんが、N.A.G.を買収したビュッシングのトラックのミニカーがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=72
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.