Sorry Japanese Only
メルセデス ベンツ 220SE カブリオレ (W111) ドイツ 1961年
現在のSクラスに相当するメルセデス ベンツ 220S (W128)の後継車として、220SE(W111)が1959年に登場しました。ボディは一回り大きくなり縦型ヘッドライトが採用された直線的なデザインになりました。当時のアメリカ車の流行を取り入れてリアフェンダーに小さなテールフィンがついていましたので、俗に「羽ベンツ」と呼ばれました。当初は4ドアセダンだけで、1961年に2ドアクーペ/カブリオレが追加されました。
クーペ/カブリオレはホイールベースがセダン(W111)と同じだったので、後席もセダン同様の居住性がありました。またテールフィンがセダンよりかなり控えめでしたので、セダンより上品でした。内装は高級パーソナルカー300Sの後継でしたから、木材の削りだしのダッシュボード、本革の内張りなど現在の車では考えられない豪華さで、量産ラインとは別のラインで手作りで入念な仕上げがされていたそうです。
1968年にW111のセダンは生産中止となりましたが、クーペ/カブリオレは1965年に6気筒2.5L(150HP)エンジン搭載の250SEに、1967年に6気筒2.8L(160HP)エンジン搭載の280SE、1969年に6気筒3.5L(200HP)エンジン搭載の280SE 3.5となり1971年まで生産されました。W111 クーペ/カブリオレの総生産台数は約3.3万台(カブリオレは約7500台)でした。暫定的な後継車は1971年登場の350SL(C107)で、Sクラスとしての後継車は1981年登場のSクラスの2ドアクーペ(C126)でした。
ミニカーは1996年に発売されたドイツのファラー(FALLER)製です。ファラーは鉄道模型ジオラマ用のアクセサリーや建築物などのプラモデルで有名な老舗ブランドですが、「MEMORY CARS」という名前でメルセデス ベンツとフォルクスワーゲン ビートルの1/43のプラモデル完成品を販売していたことがありました。これは220SE カブリオレで他にも20種類ほどがあるようです。(これ以外のファラーのミニカー → 220S (W180)、 200D (W115)) プラモデル完成品なのでダイキャスト製に比べると軽いのですが、塗装されていないボディに艶があるのでプラスチック製の安っぽい感じはあまりなく、実車同様に重厚な感じがします。またボンネット/ドア/が開閉し、エンジンや室内の細かいところまで良く再現されていて、素晴らしい出来ばえです。プラスチックはABS樹脂を使っているようで、レジン樹脂のような変形等の問題はほとんどありません。実際にこのミニカーは購入後20年以上経過していますが、変形等の問題は全くありません。以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=479
BMW 1500 ドイツ 1961年
前述したBMW 700の成功で経営が安定したBMWは、より上級な1.5-2Lクラスの小型車の開発に着手しました。エンジン、シャーシ、サスペンション、ボディの全てを刷新した新型車1500が1961年に登場しました。エンジンをフロント搭載するオーソドックスな後輪駆動車で、4気筒1.5L(80HP)エンジンはボンネットを低くするために30度傾斜して搭載されました。フロントサスペンションはマクファーソンストラット、リアはコイルスプリングで吊ったセミトレで、フロントはディスクブレーキを採用していました。ボディもオーソドックスな4ドアセダンでしたが、デザインは700と同じミケロッティによるスポーティでセンスが良いものでした。このスタイルはその後のBMWに継続して使われました。
このクラスとしては高品質/高性能であった1500は、スポーティセダンとして好評を博しました。1500はBMW社内でNeue Klasse(ノイエ クラッセ:新しいクラス)と呼ばれていたシリーズの第1弾で、その後このシリーズには1963年に1.8Lエンジン搭載の1800、1964年に1.6Lエンジン搭載の1600、1966年に2Lエンジン搭載の2000が追加されました。1966年に1500が1968年に1600が生産中止となりましたが、1800/2000は1972年まで生産されました。2Lクラスの後継車は5シリーズ(E21)となりました。
ミニカーはディンキー(仏)の当時物で、1963年に発売されました。ビンテージ物のミニカーですから素朴な作りですが、ディンキー(仏)のミニカーは当時からスケールモデル的な作風でしたので、プロポーションが良く結構リアルに出来ていました。1500の当時物ミニカーはジク(SIKU)やガマがありました。当時物以外ではブレキナ(1/87)の1500/1800/2000、ミニチャンプスの1500/1800/2000、シュコーの1600/2000などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=498
フォルクスワーゲン 1500 (タイプ3) ドイツ 1961年
フォルクスワーゲン ビートルの後継車として1961年に登場した1500は、ビートルのシャーシのトレッドを拡大し幅広い近代的なノッチバックボディを載せたものでした。空冷エンジン(4気筒1500cc 45HP)をリアに搭載する基本構成は踏襲していました。このモデルはタイプ3と呼ばれました。(ビートルをタイプ1、1ボックストランスポーターをタイプ2と呼びます) 当初は2ドアセダンとカルマン ギア クーペ(タイプ34)だけでしたが、1962年にバリアント(ワゴン)が追加されました。
1965年にエンジンが1600cc(54HP)に強化され、名前が1600に変わりました。同時にファーストバック スタイルを採用した2ドアセダンの1600TLが追加されました。これはアメリカ市場を狙ったモデルで、地味なノッチバックセダンと比べるとなかなか魅了的なスタイルとなっていました。(ノッチバックセダンはアメリカに輸出されませんでした) 1968年には量産車として世界初の電子制御式ガソリン燃料噴射システム(ボッシュ製)を採用するなど改良が加えられました。しかし空冷リアエンジン方式は時代遅れとなり、結局1600はビートルの後継とはならず、水冷エンジンで前輪駆動方式のパサートが登場したことで1973年に生産中止となりました。総生産台数は約250万台でした。
ミニカーは1990年頃に発売されたビテスの初期物です。これといった特徴の無いスタイルがうまく再現されています。サンルーフ付で、室内などの細部もそこそこ良く再現されていて当時としては良い出来ばえでした。サンルーフ無しセダンやポリス仕様など数種類のバリエーションがありました。1500/1600の当時物ミニカーはディンキー、ガマ、ジク、ノレブ、テクノ、メルクリンのバリアント、ポリトーイの1500(プラスチック製)/1600TL/バリアントなどたくさんありました。当時物以外ではミニチャンプス、ブレキナの1/87、シュコー ピッコロなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=515
DKW (デー カー ヴェー) 750 ジュニア デラックス ドイツ 1961年
前述したDKW F91の後継車として下級グレードはDKW 750 ジュニア、上級グレードはアウトウニオン 1000がありました。1959年に登場した750 ジュニアのボディはフェンダーとボディが一体化しテールフィンが付いた戦後型の斬新なデザインでした。デザインは一新されましたが、中身は2サイクル3気筒(741cc 34HP)エンジンを横置き搭載した前輪駆動車で、DKW F91の構成をそのまま継承していました。2ドアセダンに加えて2ドアカブリオレが限定生産されました。デザインが良かったせいでしょうか、この車は商業的にかなり成功しました。
1961年に排気量を796ccに拡大したジュニア デラックスが追加され、ジュニアが置き換えられていきました。1963年にジュニア デラックスは排気量889cc(40HP)に拡大したF12に発展しましたが、外観はほとんど同じでした。また元の796ccエンジンを搭載したF11も設定されました。1963年には上級車アウトウニオン 1000の後継車とし3気筒1.2Lエンジンを搭載したF102が登場しました。その後1965年にアウトウニオン社がフォルクスワーゲン グループのNSU傘下となった時点でDKWブランドは消滅しました。 (実車画像→ DKW F102 1963)
ミニカーは1961年に発売されたテクノ製の当時物です。DKW 750 ジュニア デラックスをモデル化しています。1950-1970年代に北欧デンマークのテクノは他社があまりモデル化しなかった北欧車(ボルボ、サーブ)を主にモデル化していて、独得の雰囲気がある高品質なミニカーを作っていました。このDKWは北欧車ではないですが、プロポーションが正確で実車の雰囲気がうまく再現され、60年も前に作られたとは思えないほど良い出来ばえでした。流行りのテールフィンがついた当時の最先端であったデザインがよく分かります。フロントグリルにはアウディのロゴの4ツ輪が付いています。なお1/43サイズより少し大きめで、1/40ぐらいで出来ていました。テクノのミニカーは1960年代後半から凝った構造の前輪操舵ギミックが付くようになったのですが、このDKWにも簡単な前輪操舵ギミックが付いていました。これ以外のDKW ジュニアのミニカーはジク(SIKU)初期の当時物(プラスチック製) 1/60、ノレブ初期の当時物(プラスチック製)、ヘルパとブレキナの1/87、ビテス、ミニチャンプスなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=527
NSU (エヌ エス ウー) プリンツ IV ドイツ 1961年
NSU (エヌ エス ウー)社のNSUとは、所在地のNeckarsulmer(ネッカーズルム)に因んだ名前で、20世紀初頭から小型車を生産していました。第2次大戦前にはバイク製造に軸足を移し、軍用の無限軌道バイクとして有名なケッテンクラートはNSU社の製品でした。(実車画像→ NSU ケッテンクラート) 戦後の1958年に自動車製造を再開し、プリンツ I を発表しました。プリンツ I は空冷2気筒583cc (20HP)エンジンをリアに搭載した全長3.3m程の4座席の小型車でした。
プリンツ Iは1959年にシンクロメッシュギアボックスを採用してプリンツ IIとなり、1960年にはエンジンを30HPにパワーアップしてプリンツ IIIとなりました。1961年にやや大きなボディに空冷2気筒598cc (30HP)エンジンを搭載したプリンツ IVに発展しました。プリンツは小型車ながらコイルスプリングの全輪独立懸架サスペンションを採用し走行性に優れていたので、かなり人気があったようです。上級車としてボディを大型化し4気筒1Lエンジんを搭載した1000が1964年に追加されました。プリンツ 1000に空冷OHC4気筒1.2L(65HP)エンジンを搭載したTT/TTSはスポーツカー並みに高性能でした。1969年にNSUはフォルクスワーゲンに買収され、プリンツは1973年に生産中止となりました。(実車画像→ NSU プリンツ 1000)
ミニカーは1964年に発売されたドイツのガマ製の当時物です。実車が小さいうえに縮尺が1/46なので全長76㎜程の小さなミニカーです。ビンテージ物のミニカーですので素朴な出来ばえですが、プロポーションは正確にできていました。こんな小さなミニカーでもスライディングルーフが開閉するギミックが付いているのが当時のミニカーらしいところです。 NSU プリンツの当時物ミニカーはジク(SIKU)、ソリド、スポットオンがありました。当時物以外ではノレブ、ブッシュの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=531
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.