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アウトウニオン タイプ B ドイツ 1935年
アウトウニオンのレーシングカー タイプ Aは1935年にタイプ Bに変わりました。タイプ Bはエンジン排気量を4.4Lから5Lに拡大して295HPから375HPにパワーアップし、ホイールベースを伸ばしトレッドを広げて操縦性を向上させました。またリアサスペンションがリーフからトーションバーに変更されました。タイプ Aとタイプ Bの外観はほとんど同じに見えますが、タイプ Bはコクピット左側のえぐりが深く左右非対称になっていました。
1935年のGPレースではメルセデス ベンツ W25が圧倒的に強かったので、アウトウニオンはあまり活躍できませんでした。主なレース結果は、ドライバー H.スタックがイタリア GPで優勝 ドイツ GPで2位でした。新しいドライバーとしてB.ローゼマイヤーが参入し、彼はスイス GPでは3位となり、シーズン最後のチェコスロバキア GP (マサリク サーキット)で初優勝しました。なおハイパワーエンジンをリアに搭載するアウトウニオン レーシングカーの操縦はきわめて難かしかったとのことです。
ミニカーはミニチャンプス製で、前述したタイプ Aと同じくアウディの特注品で、1935年ドイツGPで2位となった車(ゼッケン #1)をモデル化しています。ミニカーの画像はアウディのWEBサイトから借用しました。同じ物がミニチャンプスの型番410351900で2015年に一般市販されています。これ以外のタイプ Bのミニカーとしては、コクピットやリアタイヤをカバーした流線形の速度記録車をミニチャンプスとブルムがモデル化しています。
以下は1984年に発売されたブルム製のアウトウニオン タイプ B 速度記録車 #4 (1/43 型番R108)の画像です。1935年にドイツのアウトバーンで速度記録320.267km/hを達成した速度記録車をモデル化しているようですが、実際の速度記録車にはゼッケン #4が付いていないようなのでこれはテスト段階の車なのかもしれません。ボディ全体に空力対策の流線形カバーが付いていますが、後輪のカバーがないタイプもありました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウディ フロント 225 ロードスター ドイツ 1935年
1906年に創立されたDKW社は第1次世界大戦後に2ストロークエンジンのオートバイの生産を始めて成功し、1928年に小型4輪車市場に進出しました。DKWは当時経営が悪化していたアウディ社を買収し同社の技術を得て、オートバイと小型車のメーカーとして成功しました。1932年にはDKW社が中心となってホルヒ社、アウディ社、ヴァンダラー社の4社が連合してアウトウニオン社が成立しました。ホルヒは高級車、アウディはホルヒに次ぐ上級車、ヴァンダラーは中型車、DKWは小型車という分担でした。
1931年にDKW社傘下のアウディからタイプ Tが登場しました。タイプ Tは6気筒3.8Lエンジンを搭載する中型車でした。タイプ Tの後継車として1933年に6気筒2Lエンジンを搭載するアウディ フロントが登場しました。名前のフロントとは、当時はまだ珍しかった前輪駆動車であることを示していました。前輪駆動技術はドイツ初の前輪駆動車を作ったDKWによるもので、エンジンはヴァンダラーの6気筒を使い、ボディはホルヒが担当していてアウディ フロントはアウトウニオンの総力を結集した車でした。1935年にフロント 225にモデルチェンジしました。名前が示すように6気筒2.25L(55HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速105km/hの性能でした。
ミニカーはミニチャンプス製で2010年に発売されました。もともとはアウディ社の100周年記念モデルとして製作された物で、そちらは白のボディカラーで出来ているようです。メーカー特注品ということで詳しい実車考証の上でモデル化されていて、細部までリアルに再現されたレベルの高い出来ばえとなっています。特に豆粒のように小さなサイズのワイパーモーター(ウィンドースクリーンの下部にある)が再現されているのには感心しました。この時代のアウディ車のミニカーは珍しくその点で貴重なモデルでした。ただし前述したミニチャンプス製のアウディ タイプ Aと同じことを書きますが、少量生産品故にレジン製で軽くて安っぽい感じがするのがいまいちです。(値段も1万円ほどと高かったです) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ 260D (W138) ドイツ 1936年
戦前の中型車メルセデス ベンツ 230 (W21 6気筒2.3L(55HP)エンジン搭載)に、4気筒2.6L(45HP)のディーゼルエンジンを搭載したのが260Dで、世界初のディーゼルエンジン搭載乗用車として1936年に登場しました。経済性に優れたディーゼルエンジンを搭載した260Dはタクシーや商用車として使われることを想定した車で、実際に初期の260Dは全てタクシーとして使われました。1937年以降の260Dは新型中型車230(W143)をベースにしたものに変わり、個人ユーザー向けのディーゼル乗用車としても普及していきました。
ベンツは1909年にディーゼルエンジンの特許を取り、1923年に世界初のディーゼルトラックを発売しました。その後メルセデス ベンツは乗用車向けのディーゼルエンジンの開発を進め、ボッシュ製による燃料噴射ポンプの開発などの協力を得て小型軽量化した乗用車向けディーゼルエンジンを260Dで実用化しました。現在のヨーロッパで普及しているディーゼルエンジン搭載乗用車の元祖が260Dでした。
ミニカーは2010年に発売されたイクソ製です。メルセデス ベンツ 260D 初期型のタクシー仕様をモデル化しています。緑/黒のボディカラーはタクシーのカラーリングで、室内を見ると運転席と後席の間にパーティション(仕切り)があることが分かります。出来ばえはイクソのこのMUSシリーズの標準的なもので、木材を模した茶色のパーティション、メーターパネルなど室内もそこそこ良く再現されています。なおドアミラーの手前にある縦長の黒い箱は腕木式の方向指示器を再現しています。(腕木式方向指示器を知らない方はWEBで検索してみてください) 実車はメルセデス ベンツ博物館に所蔵されていて、その画像は参照画像リンクで見ることができます。所蔵されているモデルは1938年式でボディカラーや補助灯などが少し異なっています。これ以外の260Dのミニカーはイクソの別ブランドのホワイトボックス(廉価版)とヴェーキングの1/87があります。 以下はフロント(腕木式方向指示器拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ 170V (W136) ドイツ 1936年
サラブレッド期のメルセデス ベンツは前述したような高級車ばかり作っていた訳ではありませんでした。1931年に発表されたメルセデス ベンツ 170(W15)はメルセデス ベンツとしては大衆向けの小型車で、6気筒1.7L(32HP)の小さなエンジンを搭載し4段変速で最高速90km/hの性能でした。小型車にも6気筒エンジンと全輪独立懸架サスペンションを採用したあたりがメルセデス ベンツらしいところでした。1936年にエンジンが4気筒1.7L(38HP)に変わり丸みを帯びた近代的なデザインの170V(W136)に変わりました。170VのVはドイツ語 VIER(4の意)だと思っていましたが、正しくはVORN(フロントの意)でフロントエンジンを意味し、同時期のリアエンジンの170H(HはHECK リアの意)と区別する為に付けたそうです。(実車画像→ メルセデス ベンツ 170 1931)
当時のメルセデス ベンツのラインアップとしては、170の上に1936年発表の中級車230(6気筒エンジン搭載)、その上に1937年発表の320(6気筒エンジン搭載)がありました。また170より小さい130Hというベンツとしては風変わりな車(リアエンジンで後のフォルクスワーゲン ビートルに似ている)もありました。170Vにはカブリオレ、2座のロードスター、商用車(バン 、トラック)などもあったようです。170Vは息の長いモデルで戦時中には軍用車として使われ、戦後もディーゼルエンジン搭載の170Dや上級仕様の170Sが追加され、1955年まで生産されました。総生産台数は約15万台でした。
ミニカーは2005年頃に発売されたサンスター傘下のビテス製です。170Vの4ドアセダンをモデル化しています。このセダンは前後ドアのヒンジがセンターにある逆観音開きの4ドアです。プロポーションが良くフロントグリルやエッチング材のワイパーなど細部もリアルで良く出来ています。ビテスはサンスター傘下となる前に170Vをモデル化していましたので、これはそれの細部をリファインしたものです。サンスター傘下となる前のビテスの170Vにはカブリオレや商用バンなど十数種類ほどのバリエーションがありました。ビテス以外の170Vのミニカーはシュコーの1/18と1/43と1/90、ブッシュの1/87、イクソなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウトウニオン タイプ C ドイツ 1936年
1936年にアウトウニオン タイプ Bは排気量を6Lに拡大し過給圧を上げてエンジンを520HPまで大幅にパワーアップし、さらにホイールベースを伸ばしトレッドを広げて操縦性を向上させたタイプ Cに発展しました。外観的にはコクピット左右のえぐりが均等になり(レースによって多少異なるが)、フロントノーズの形状が少し変わりました。さらに1937年には排気量が6.3Lに拡大され、545HPにパワーアップされました。
1936年は圧倒的に強かったメルセデス ベンツ W25の戦力が落ちたので、アウトウニオンが勝つレースが増えました。メインのGPレースでは、ドイツ、スイス、イタリアで優勝し(ドライバー B.ローゼマイヤー)、それ以外でもトリポリやフェルトベルク(ドイツ ヒルクライム)などで優勝しました。 1937年シーズンには、強力なメルセデス ベンツ W125が登場したので、タイプ Cはベルギー GPでの優勝(ドライバー R.ハッセ)以外ではW125の後塵を拝していました。タイプ Cは1938年にタイプ Dに変わりました。
ミニカーはブルム製でブルム初期の1981年に発売されました。1936年のドイツ GPまたはスイス GPの優勝車(ドライバー B.ローゼマイヤー)をモデル化しています。ノーズが短いアウトウニオン GPカーの独特なスタイルがうまく再現されていて、ボディ細部やコクピット内の仕上げもそこそこリアルで、1980年代当時のミニカーとしては良く出来ていました。なおリアエンドの小さな丸い突起はエンジンを始動するスターターを接続する部分です。ブルムはバリエーションでリアにダブルタイヤを履いたタイプもモデル化しています。これ以外のタイプ Cのミニカーはメルクリンの戦前の当時物(超レア物)、シュコーのブリキ製 1/24?、ミニチャンプスのアウディ特注品/ドイツ GP仕様、CMCの1/18 超精密モデル、ブッシュの1/87などがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。なおこの上に載せたタイプ Cの画像は2006年に撮影したもので、以下の拡大画像は2021年に撮影したものです。以下の画像ではゼッケン #4のデカールが変形して別物のように見えますが、これは経年変化でデカールが膨潤したものです。今回この記事を更新したことで、デカールがこんな具合に経年劣化するものだということが良くわかりました。原因はデカールの質が良くないということですが、箱から出してガラスケース内で保管していたことも劣化を促進した要因でしょう。(どんなものにも寿命がありますので仕方ないことですが) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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