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ナッシュ ランブラー 2ドア コンバーチブル アメリカ 1950年
シカゴで自転車を製造していたトマス B ジェフリー(Thomas Buckland Jeffery)が自動車製造に進出し、1902年にトマス B ジェフリー社を創立しました。最初の量産車ランブラー タイプ C/タイプ D(単気筒エンジン搭載車)はヒットし初年度に1500台が生産され、これは同時期のオールズモービルに次ぐ台数でした。(実車画像→ ランブラー タイプ C) その後4気筒エンジン搭載の高級車やジェフリーという名前のトラックを発売しました。1916年にGMの5代目社長であったチャールズ W ナッシュがトマス B ジェフリー社を買い取り、ナッシュ モーターズ社を創立しました。この時点でランブラーはナッシュのブランド名になりました。
ナッシュ社の最初の車は6気筒4Lエンジン搭載の中型車でした。1920年代には中堅の中型車メーカーとなり、同業のラファイエット社やエイジャックス社を買収して高級車などのバリエーションを増やしました。1930-1940年代には温調付ヒーター、バキューム駆動式自動変速機シフト装置、流線形ボディを採用した1939年式アンバサダー 、アメリカ量産車初のモノコックボディを採用した1941年式600など新技術を採用した先進的な車を販売していました。(流線形ボディ実車画像→ ナッシュアンバサダー 1939) (量産車初のモノコックボディ実車画像→ ナッシュ 600 1941)
戦後の1949年にアンバサダーなどが戦後型となり、1950年には600から名前を変えたステーツマンが、エアフライトと称する前後フェンダーのホイール部分を完全にカバーした斬新なデザインになりました。(実車画像→ ナッシュ ステーツマン 1951) 1950年にはアメリカ初のコンパクトカー ランブラーを発表し、ランブラーの名前が復活しました。当初は2ドアセダン、コンバーチブル、ワゴンの構成で、後に4ドアも追加されました。ランブラーは装備の良い小粋な小型車として人気がありました。1954年にナッシュ社はハドソン社を吸収し、AMC(アメリカンモータース)社が発足しました。
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製です。ルーフが幌仕様のランブラー 2ドアコンバーチブルをモデル化しています。フランクリン ミントの1/43のクラシックカーは現在のミニカーと比べるとやや古臭い作風ですが、それが実車の雰囲気に似合っていて、いずれも良い出来ばえでした。いずれもドア/ボンネットが開閉しエンジンやドライブトレーンが再現されている凝った作りでした。このランブラーもプロポーションが良く、フェンダーでホイール上部がカバーされた独特のデザインがうまく再現されていて良く出来ていました。ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、エンジンルーム内のエンジン、フロントのマスコットやオーナメント、室内などの細部も良く再現されています。ただこの個体だけかもしれませんが、ボンネットの建付けが悪くきちんと閉じません。最近までナッシュ ランブラーの量産ミニカーはこれしかありませんでしたが、2024年にオックスフォードが1/87でモデル化しました。以下はフロント(ノーズ部分拡大)/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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スチュードベーカー チャンピオン 2ドア クーペ アメリカ 1950年
スチュードベーカーは戦前の1939年に低価格の6気筒エンジン搭載車チャンピオンで大衆車市場に進出し成功しました。1942年にスチュードベーカー チャンピオンは2代目にモデルチェンジしました。第2次大戦中のスチュードベーカーは軍用機エンジンや軍用トラックなど軍需品の製造を行いました。(実車画像→ スチュードベーカー チャンピオン 1942)
大戦後の1947年にチャンピオン 3代目が戦後型として登場しました。3代目のデザインは有名な工業デザイナーのレイモンド ローウィによるもので、フェンダーとボディを一体化したフラッシュ サーフェスと独立したトランクの3ボックス スタイルを量産車として初めて採用しました。ボディ形式には2/4ドアセダン、2ドアクーペ/コンバーチブルがありました。2ドアクーペのリアウィンドウは側面まで大きくラップアウンドした独特のデザインでした。(実車画像→ スチュードベーカー チャンピオン 1947)
チャンピオンは6気筒2.8L(80HP)エンジンを搭載し、1950年のマイナーチェンジで85HPにパワーアップしました。このマイナーチェンジで採用された特徴的な丸い突起を備えたフロントグリルは、同時期のフォードのデザインを模倣したようです。スチュードベーカーのフラッシュ サーフェスの3ボックス スタイルは他社に波及し、当時のセダンの基本スタイルとなりました。GMなどのBIG3は戦後の生産体制回復が遅れたので、いち早く発売された戦後型のチャンピオン 3代目は圧倒的な人気を博して大成功しました。1953年に4代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ スチュードベーカー チャンピオン 1953)
ミニカーは2007年に発売されたヤトミン製です。チャンピオン 3代目の2ドアクーペ(スターライト クーペ) 1950年式をモデル化しています。1950-1970年代の代表的なアメリカ車を1/43でモデル化したヤトミンのビンテージ アメリカ車シリーズの一つです。このシリーズは定価1500円ほどの廉価版ミニカーでしたのであまり細かいところまでは再現していませんが、実車の雰囲気はうまく再現していました。このチャンピオンもフラッシュ サーフェスのボディ、特徴的な突起の付いたフロントグリル、ラップアウンドしたリアウィンドーなど時代を先取りしたこの車のデザインが良く再現されていました。室内もそこそこ良く再現されています。これ以外のスチュードベーカー チャンピオンのミニカーはダンバリー ミントのコンバーチブルとクーペ 1/24、ブルックリン(ホワイトメタル製)のクーペ、BOS MODELS(レジン製)のクーペなどがあります。なおLUCKY DIE CAST製のチャンピオンはこれと同じ物をヤトミンがLUCKY DIE CASTブランドとして再販した物でした。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード マーキュリー モントレー アメリカ 1951年
GMの中級車(ビュイックやオールズモービル)に対抗して、フォードは1938年に新ブランドのマーキュリーを設定しました。マーキュリーは大衆車フォードと高級車リンカーンの間を埋めるブランドで、最初に登場したマーキュリー エイトはリンカーンの廉価版ゼファーに似せたデザインでV型8気筒3.9L(95HP)エンジンを搭載していました。4ドアセダン、2ドアクーペ/コンバーチブル、4ドアステーションワゴンなどが揃っていました。(実車画像→ フォード マーキュリー エイト 1939)
戦後の1950年にエイトの上級グレードの2ドアクーペとしてモントレーが設定されました。基本設計は前述した大衆車のフォードと同じでした。デザイン的にはまだ前フェンダーが残りボンネット位置が高い戦前型のオーソドックスなスタイルでした。このクラシックな外観ゆえにこのマーキュリーは当時もその後の時代でもホッドロッドなどの改造車のベースとして人気がありました。V型8気筒4.2L(110HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速140km/hの性能でした。1952年にエイトはフラッシュサーフェースの戦後型ボディに一新されモントレーに改名されました。(実車画像→ フォード マーキュリー モントレー 1953)
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製の1950年代のアメリカ車をモデル化した1950年代シリーズの1台です。1951年式のモントレー クーペをモデル化しています。ヘッドライトをメッキパーツで表現するなどややレトロな作風なのですが、その作風が実車の雰囲気にうまくマッチしているように思います。プロポーションが良く丁寧な仕上げで良く出来ています。ボンネット/ドアが開閉し、室内やエンジンもリアルに再現されています。(インパネのメーターは紙のシールです) これ以外のモントレー 初期型のミニカーはミニチャンプスやジャダトイ(JADA TOYS)のホットロッド仕様 1/24などがあります。 以下はフロント(マスコット拡大)/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ハドソン ホーネット クーペ アメリカ 1951年
ハドソン モーターカー社はデトロイトで1909年に設立されました。当初のモデル 20(4気筒3.3Lエンジン搭載)は、$900という低価格が人気を呼び大ヒットしました。(同時期の初期のフォード T型は$850でした) 1912年にモデル 6(6気筒3.7L)を発売、1916年に発売した発展型のスーパー 6は優れたエンジン性能などで成功し、当時のハドソンは「世界一の6気筒車メーカー」を自負していました。
1919年にフォードやシボレーに対抗して、ハドソンの子会社エセックス(ESSEX)社で生産した低価格なエセックスを登場させました。エセックスは低価格ながら6気筒エンジンを搭載し屋根付きのクローズドボディを採用したことで大ヒットしました。エセックスの上級車テラプレーンや8気筒エンジン搭載車を追加して、1920年代後半にハドソンはアメリカで第3位の自動車メーカーになりました。1930年代になるとビッグ3の攻勢に苦しめられ、エセックスとテラプレーンはなくなりました。
1951年に登場した戦後型のホーネット初代は「ステップダウン」と称する車体フレームより床を低くしたボディ構造を特徴としていました。この構造は室内が広く、低重心で操縦性が優れていました。高性能なホーネットは当時のNASCARレースで圧倒的に強く人気がありました。1950年代になると資金力などでビッグ3に対抗できなくなり、1954年にナッシュと合併してAMC(アメリカンモータース)社となりました。
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製です。フランクリン ミントの1/43のクラシックカーは現在のミニカーと比べるとやや古臭い作風ですが、それが実車の雰囲気に似合っていていました。いずれもドア/ボンネットが開閉するギミック付きで、エンジンやドライブトレーンが本物のように組み込まれ、室内のインパネも良く再現されていました。このハドソン ホーネット クーペも実車の雰囲気がうまく再現されていて、とても良く出来ていました。ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、ボンネット先端のマスコット、エンジンルーム内、室内などの細部も良く再現されています。これ以外のハドソン ホーネットのミニカーは同じフランクリン ミントの1/24、アーテルの1/18などがあります。 以下はフロント(ノーズ部分拡大)/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM シボレー コルベット C1 アメリカ 1953年
第2次大戦後にヨーロッパに派兵されたアメリカ軍人が祖国に持ち帰ったヨーロッパ製小型スポーツカー(MG、ジャガーなど)の魅力に気付いたGMは、小型スポーツカー シボレー コルベット(C1型)の開発に着手しました。1953年にプロトタイプが発表され同年にシボレー初の2シーターオープン スポーツカーとして発売されました。量産車として初めてボディにFRP樹脂製パネルを採用していました。初期のC1型は6気筒3.9L(150HP)エンジン搭載で2段自動変速機仕様しかなく、本格的なスポーツカーと言うよりも見た目重視の車でした。
初期のC1型の不評に対応して、1955年にはV型8気筒4.3L(195HP)エンジンと手動変速仕様がオプション追加され、その後エンジンは4.6Lに拡大され燃料噴射で300HP以上まで強化されていきました。またボディも1956年にフロントとリアのデザインが一新されました。その後様々なオプションが追加されたことで、C1型は本格派スポーツカーとして認められるようになっていきました。
コルベット C1型はレースカーとしてアメリカの国内レース(SCCA:スポーツカークラブ オブ アメリカなど)でクラス優勝するなど活躍しました。レースではジャガー D タイプなどと互角に勝負していたそうですから、エンジンがハイパワーだっただけではなく操縦性もそこそこの実力があった?と思われます。1963年にコルベット 2代目(C2型)にモデルチェンジしました。
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製です。コルベットの各世代を1/24でモデル化したフランクリン ミントのコルベット コレクションの1台でした。なお当時のフランクリン ミント製ミニカーは日本では通信販売だけで販売されていて一般市販はされていませんでした。C1が登場した初年度の1953年式をモデル化していて、フロントやリアの独特のデザインがうまく再現されていて良く出来ていました。ヘッドライトカバーにストーンガード(金網)が付いているのは初期型の特徴です。ボンネット/ドア/トランクが開閉し、エンジンやサスペンションなどのメカ部分や室内もリアルに再現されています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)