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トライアンフ ドロマイト ドロップヘッド クーペ イギリス 1939年
自転車販売から出発したトライアンフ サイクル社(Triumph Cycles company)は1901年にバイクを開発し大ヒットさせました。1923年に最初の4輪車10/20(1.4Lエンジン搭載)を発売し、1927年に発売したスーパー セブン(4気筒832㏄エンジン搭載)は、オースチン セブンの成功に触発されて開発された小型車でした。(実車画像→ トライアンフ スーパー セブン 1930) この車がヒットしモンテ カルロ ラリーなどで活躍したことでトライアンフ社の名声が確立しました。1930年に社名をトライアンフ モーター社(Triumph Motor Company)に変えました。
1932年にスーパー ナイン(4気筒1Lエンジン搭載)、1934年にグロリア(GLORIA 4気筒1L/6気筒1.5Lエンジン搭載)が登場しました。1934年にDOHC 8気筒2L(140HP)スーパーチャージャーエンジンを搭載した高性能スポーツカー ドロマイト(プロトタイプ)が数台開発されレースに参戦しました。このドロマイトと同じ名前で4気筒1.7Lエンジンを搭載するドロマイト セダンが1937年に登場しました。このドロマイトには1938年にオープンカーが追加され、4気筒1.5L/6気筒2Lエンジンが追加されました。
トライアンフ モーター社は財政悪化で2輪車部門を身売りし、1936年に別会社のトライアンフ社(Triumph Engineering Co)となりました。残った4輪車部門も1939年には管財人管理下となり、戦後の1944年にスタンダード モーター社に吸収合併され、トライアンフ スタンダード社となりました。なお1970年代にドロマイトの名前を復活させた トライアンフ ドロマイトが登場しています。
ミニカーはマッチボックス傘下で一時的に復活したディンキー製で1990年頃に発売されました。このマッチボックス傘下のディンキーのミニカーは、往年のディンキーのファンだったマニア向けとして作られたようで約40車種ほどがありました。昔のマニア向けでしたので、1990年代のミニカーとしてはややレトロな作風でした。このトライアンフ ドロマイト ドロップヘッド クーペはプロポーションが良く、独特の丸みのあるフロントグリルとボンネットサイドのモールなどがリアルに再現されていて、なかなかの良い出来ばえでした。リアのランブルシート(折畳み式補助席)が開閉するギミックが付いているのも昔のミニカー流です。これ以外の戦前のドロマイトの量産ミニカーはないようですが、REPLICARSなどホワイトメタル製の少量生産ミニカーがあるようです。 以下はフロントの拡大画像とリア/ランブルシート開閉ギミックの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トライアンフ TR3A イギリス 1958年
アメリカ市場で好評であったジャガー XKとMG TDの間を狙って開発されたのが、トライアンフ TR1(プロトタイプ)で1952年に発表されました。このTR1の評判が良かったので、翌年にTR2が発売されました。MG TDよりも近代的ですが、イギリス風の切れ込んだドアを持つクラシックな外観のボディに、4気筒2L(90HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速160km/hの性能でした。
TR2はまさしくジャガーとMGの中間のサイズと性能でした。価格的にはジャガーの半値ぐらいで、性能の割に安かったので好評だったようです。1955年にフロントに格子形状のフロンドグリルを追加してエンジンを95HPにパワーアップしたTR3となりました。1957年にはフロントグリルの幅が広くなり、エンジンを100HPにパワーアップしたTR3Aに発展しました。1961年にボディを一新したTR4にモデルチェンジしました。TR2/3シリーズは約8万台が生産され、そのほとんどがアメリカに輸出されました。
ミニカーは1986年に発売された初期のビテス製です。左ハンドルですので輸出仕様のモデル化で、リアに荷物用のラックが付いています。 ビテスはマニア向けのブランドでしたから、1980年代のミニカーとしてはプロポーションが良くそこそこの良い出来ばえでした。ナンバープレートのデカールやドアミラーのパーツが付属していましたが、取り付けていません。TR2/3の当時物ミニカーとしてはテクノ、ディンキー、コーギー、スポットオンがありました。当時物以外では京商の1/18、 ビテスの再販物、バンガーズ、スパーク(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トライアンフ ヘラルド クーペ イギリス 1959年
2輪車メーカーとして成功したトライアンフ社は1923年に4輪車に進出しました。第2次大戦前はモータースポーツで活躍するなどしてスポーティなブランドとして知られていましたが、1939年に一度倒産しています。その後1945年にスタンダード社がトライアンフ社を買い取り、トライアンフ スタンダード社となりました。
そのスタンダード社は、1903年に設立された自動車メーカーで、戦前はナイン、テン、トゥエルブなど小型車から中型車までを販売していました。名前どうりの堅実で地味な会社で、日本ではあまり知られていません。戦後のスタンダード車としては、中型車のバンガードが一番有名で、ディンキーやコーギーのミニカーがありました。戦後のトライアンフは小型車やスポーツカーを担当し、親会社のスタンダード社を上回る業績を上げていました。(実車画像→ スタンダード バンガード 1952)
スタンダードの戦前型のエイトやテンを刷新する小型車として、1959年に登場したのがヘラルドでした。ミケロッティのデザインによる軽快なボディーに、全輪独立懸架といった先進的な車でした。エンジンは4気筒948cc(35HP)、4段変速で最高速124km/hという性能でした。2ドア セダン、クーペ、コンバーチブル、ワゴンとボディ バリエーションが多く、エンジンも1.2L、1.3Lが追加され、1971年まで12年間も生産されました。
ミニカーは1961年に発売されたコーギー製の当時物です。ヘラルド クーペのモデル化で、ツートンカラーのカラーリングで実車の雰囲気が良く再現されていました。このミニカーの最大の見せ所はボンネットが前方に大きく開くことで、当時のミニカーとしてはエンジンが良く再現されていました。このボンネットは閉じた状態を保持する金具が付いた凝った構造で、その為閉じた状態は適度に保持され、開く場合は少し力を入れる必要があるといった節度感がある開閉動作でした。この構造は当時のコーギーのギミック設計レベルが高かったことを示しています。ヘラルド 2ドアセダンの当時物ミニカーはディンキーが型番189でモデル化していました。当時物以外のヘラルドのミニカーは、バンガーズ、カララマ、プレミアムXなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とボンネットを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トライアンフ ビテス イギリス 1962年
前述したトライアンフ ヘラルドをベースにして、新設計の6気筒1.6L(77HP)エンジンを搭載した上級車がビテスで、1962年に登場しました。2ドアセダンとカブリオレがあり、ボディはヘラルドとほとんど同じでしたが、フロント部分が1960年代初めに流行した釣り目(チャイニーズ アイと呼ばれた)の4灯式ヘッドライトに変えられていました。このデザインはミケロッティによるもので、同じミケロッティがデザインした日産 スカイライン スポーツ(1962年発売)も同じような灯式ヘッドライトを使っていました。4段変速で最高速145km/hの性能でした。(実車画像→ 日産 スカイライン スポーツ)
1966年にはエンジンが2L(95HP)に拡大され、1968年にはリアサスペンションをダブルウィッシュボーン式に変更したMK IIに発展しました。コンパクトなボディに高性能な6気筒エンジンを搭載し操縦性も優れていたビテス MK II(最高速160km/h)は、「プアマンズ ロータス コルチナ」と呼ばれたそうです。(ロータス コルチナは当時の高性能セダン) 1971年まで生産され、総生産台数は約5万台でした。なお車名のビテス(VITESSE)とはポルトガル語で「速い」という意味で、もともとはポルトガルのミニカーメーカーであったビテスも同じ由来の名前です。
ミニカーは1963年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。ビンテージ物のミニカーですから素朴な作りですが、当時のミニカーとしてはかなりリアルに実車を再現していてかなり良い出来ばえでした。サイドの白いストライプは実車に即したもので、スポーティな雰囲気を出しています。トライアンフ ビテスの当時物ミニカーはこれしかないようで、当時物以外でもネオ(レジン製)やブルックリン(ホワイトメタル製少量生産)のランスダウン(Lansdowne)シリーズのカブリオレぐらいしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トライアンフ スピットファイアー MK I イギリス 1962年
当時の安価なスポーツカーであったBMCのスプリジェット(オースチンヒーレー スプライトとMG ミジェットのことを意味します)に対抗して、トライアンフが開発したのがスピットファイアーで1962年に登場しました。ヘラルドのエンジンとシャーシを流用した2座のオープンカーで、ツイン キャブレターで強化した4気筒1.2L(63HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速151km/hの性能でした。ボディはヘラルドと同じミケロッティのデザインで、ヘラルド同様にフロントボンネット部分が大きく開きます。また最初から巻上げ式のサイドウインドウが装備されていて、居住性はスプリジェットより優れていたようです。
1965年にエンジンを67HPにパワーアップしたMK II、1967年にアメリカの安全基準に対応したバンパーに変更しエンジンを1.3L(75HP)に変更したMK IIIに発展しました。その1967年にはレイランド(トライアンフの親会社)とBMCが合併しBL(ブリティッシュ レイランド)となったことで、ライバルだったBMCのスプリジェットが同じBL グループとなりました。1971年にはノーズ部分のデザインを変更しリアサスペンションを改良したMK IVとなり、1975年に1.5L(71HP)エンジンに変更した最終型の1500に改名されました。1980年まで生産され、総生産台数は約30万台でした。
ミニカーは1963年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとしてかなり良い出来ばえでした。実車同様フロント部分が大きく開き、モールドされたエンジンを見ることが出来ます。付属している女性ドライバーのフィギュアがちゃんと着脱できるシートベルトをしているのはずいぶん凝った作りでした。当時はシートベルトが目新しい装備だったのでこのようなギミックを付けたのでしょう。なおこのサイズでシートベルトが着脱できるミニカーはこれぐらいしかありません。スピットファイアーの当時物ミニカーは何故かこれしかなく、8年間も生産されていたので、スピットファイアーのミニカーとしては一番知られていると思います。当時物以外のミニカーではビテスのMK IV、ミニチャンプスのMK IVと1500、スパーク(レジン製)のレース仕様と1500などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)