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フェラーリ F40 イタリア 1987年
1987年にフェラーリ創業40周年記念車として開発され、そのままでレースに出られる市販車フェラーリ F40が登場しました。308 GTBのグループB仕様 288 GTO エボルツィオーネをベースにして、DOHC ツインターボ V型8気筒3L(478HP)エンジンをリアに縦置きでミッドシップ搭載していました。リアに大きなスポイラーを持つクーペスタイルはピニンファリーナの風洞で空力的な検討がされました。レーシングカーそのものの鋼管スペースフレームに複合素材のボディを載せ、エアコンが装備されるものの内装は最低限で、パワステやブレーキアシストはありませんでした。最高速度は324km/h、0-400m加速 11秒台と当時世界最速の市販車でした。(実車画像→ フェラーリ 288 GTO エボルツィオーネ)
1991年にレースカーのベースとして、シャーシを大幅に強化し780HPにパワーアップした、F40 コンペティツィオーネが限定生産されました。GTカーレース用のF40 GTや、F40 コンペティツィオーネをベースにした耐久レース用のF40 GTE/LM(ルマン用)などのレース用車両が作られました。F40 GTはイタリア国内のスーパーカーGT選手権では対抗できる車がなく圧倒的な強さでした。 ただ耐久レースではF40 LMで参戦したルマンで勝てず、それ以外のレースでもあまり芳しい成績を収めていません。(F40は基本設計がやや時代遅れだったようです) 1992年の生産中止までに約1300台が生産されました。新車価格は4650万円でしたが、バブル景気の日本では2億5000万のプレミアム価格が付いたこともありました。1995年に後継車のF50が登場しました。
ミニカーは1990年に発売されたヘルパ製の当時物で、1/43サイズのプラスチック製です。ヘルパのフェラーリ 348 TBと同様に全体的にかなり良く出来ていました。ドア/前後カウルが開閉し、エンジンやサスペンションなど内部メカがリアルに再現されていました。特にエンジンルームでは V型8気筒エンジン、BEHR製のインタークーラー、サスペンションのコイルスプリング、インボートディスクブレーキの空冷ダクトなどが実にリアルに再現されていました。ドアは1/43ミニカーでは一般的なヒンジが室内に見える方式ではなく実車に即した開閉機構となっていました。また室内もシートベルト付きのバケットシートなど1/43サイズとしては良く再現されていました。出来が良いだけに当時の定価は5500円と高価でした。ただプラスチック製で塗装されていないので、ボディの質感だけはいまひとつでした。これ以外のF40の当時物ミニカーとしては、ブラーゴの1/18と1/25/と1/43、ポリスティルの1/18と1/25、ディテールカーなどがありました。当時物以外では京商の1/18と1/43と1/64、エブロのレース仕様、京商の1/12と1/18と1/43と1/64、トミカ リミッテドの1/64、マテルの1/18と1/43、イクソのレース仕様、ルックスマート(レジン製)などたくさんあります。以下はフロント/フロントカウルを開いた画像とリア/リアカウルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アストン マーチン V8 クーペ イギリス 1987年
1972年にアストン マーチン DBS V8は名前をV8に変えました。DBS V8で評判の良くなかった4灯式ヘッドライトを2灯式(6気筒版DBSの最終型ヴァンテージとほとんど同じ)に変更し、AM V8と呼ばれるシリーズ 2に変わりました。エンジンはDBS V8と同じボッシュの燃料噴射を採用したV型8気筒5.3L(320HP)でした。ただしこのエンジンは北米の排ガス規制に対応できなかったようで、1973年には燃料噴射をキャブレターに変更して、シリーズ 3に変わりました。この変更でシリーズ 3はボンネット上に大きな開口部を持つパワーバルジが追加されました。
1974年にV8をベースにした4ドアサルーンのラゴンダが登場しました。1978年にオスカー インディア(OSCAR INDIA)と呼ばれるシリーズ 4が登場し、コンバーチブルのボランテが設定されました。バンパー下にエアダクトを設けたことで、ボンネット上の開口部は閉じられ、リアにスポイラー的処理が追加されました。この頃には排ガス規制でエンジンは240HPほどにパワーダウンしていました。1986年に最終型のシリーズ 5が登場し、エンジンは燃料噴射方式に戻りましたので、ボンネットのパワーバルジがなくなりました。1989年に後継車のヴィラージュにモデルチェンジしました。(実車画像→ アストン マーチン ヴィラージュ)
ミニカーは2012年に発売されたミニチャンプス製です。前述したミニチャンプス製のDBS同様に実車の雰囲気がうまく再現されていて、とても良い出来ばえでした。底板に1987年式と銘記されていますので最終型シリーズ 5のモデル化のはずですが、ボンネット上のパワーバルジがわずかに残っていてバンパー下周りの造形もシリーズ 5とは少し違うような気がします。ただ手作りのような車ですから色々とバリエーションがあったのでしょう。ミニチャンプスはボランテもモデル化しています。これ以外のアストン マーチン V8のミニカーは、ポリスティルの1/25 ボランテ、コーギーの1/36で映画'007 リビング デイライツ'(1987年)のボンドカー仕様、オートアートの1/18、スパーク(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 Be-1 日本 1987年
1980?代のバブル景気の下で各自動車会社から個性的なスタイリングの車が登場した時期がありました。昔の車に似せたレトロなデザインから前衛的なデザインまで色々ありましたが、それらはまとめてパイクカー(PIKE CAR '尖ったクルマ')と呼ばれています。最初のパイクカーは日産 Be-1でした。Be-1は1985?の東京モーターショーに参考出展され、そのレトロ風のデザインが高評価だったので1987年に限定1万台で市販化されました。新型車にレトロ風のデザインを採用して成功した最初の?だと思います。
Be-1はマーチ 初代をベースにした4気筒1L(52HP)エンジンを搭載する前輪駆動車で、ボディはBMC ミニに似た丸みのあるデザインでした。当時は高性能エンジンやハイテク機器を搭載した車が持てはやされた時代でもありましたが、Be-1はそれに対するアンチテーゼという存在でした。衣類、時計、文房具などBe-1のキャラクターグッズが販売され社会的なブームとなり、限定生産ということで中古車にプレミアム価格が付くなど人気がありました。この車の成功でその後パイクカーとしてパオ、フィガロ、エスカルゴが次々と登場しました。なおトヨタは2000年代に実験的なデザインのWILL シリーズ(VI、VS、サイファー)を登場させていますが、それもパイクカーといえます。
ミニカーは2008年に発売されたアシェット製 国産名車コレクションです。国産名車コレクションの初期物でメーカーはノレブです。安価な雑誌付きミニカーながら、プロポーションが良く灯火類や室内などの細部もリアルでノレブらしいレベルの高い出来ばえになっていました。カラーリングも実車に即していて、実車の雰囲気が良く再現されていました。同時期の日産名車コレクションのNo.24でも色違い(赤)が発売されました。これ以外のBe-1のミニカーはバンダイ傘下のシンセイの当時物 1/35、京商の通常ルーフ/キャンバストップ仕様、トミカ リミッテドの通常ルーフ/キャンバストップ仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 MID4 II 日本 1987年
日産が1980-1990年代のスポーツカーレースのベースとして開発したのがMID4で、1985年のフランクフルト モーターショーでプロトタイプが公開されました。(実車画像→ 日産 MID4 1985) MID4という名前は新開発したVG30DE型 DOHC V型6気筒3L(230HP)エンジンを横置きにミドシップ搭載したことと、フルタイム4WDに加えて4WS(四輪操舵)システムを採用したことを意味していました。ボディはフェラーリ風の2シータークーペで、リトラクタブルヘッドライトを採用していました。
1987年東京モーターショーで、MID4を発展させたMID4 IIが公開されました。エンジンは搭載方式が縦置きに変更され、インタークーラー付ツインターボが付加され、出力は330HPにパワーアップしていました。デザインは1985年のMID4より洗練されていて、国産スーパーカーとしてそのまま市販されることが期待されました。しかしこの車は市販するには高額すぎるとの理由で結局日の目を見ませんでした。なおほぼ同時期の1990年にホンダはNSX 初代を約800万円で発売し、国産車初のスーパーカーとなりました。
ミニカーはノレブ製ルミノ(LUMINO)シリーズで、2010年に発売されました。当時ノレブはアシェット製 国産名車コレクション向けに日本車をモデル化していました。ルミノ シリーズには国産名車コレクションと同じ型で仕上げを良くした物と、国産名車コレクションにはない日本車もありました。このMID4はその国産名車コレクションにはないレジン製のミニカーで、レジンキットで有名なプロバンス ムラージュが製作していたようです。プロポーションが良く室内などの細部も良く再現されていて、かなり良い出来ばえでした。ノレブのルミノ シリーズでは1985年のMID4もプロバンス ムラージュのレジン製でモデル化していました。ノレブ以外ではトミカが1985年のMID4をモデル化していますが、2024年現在でそれ以外のミニカーはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 セドリック ブロアム VIP Y31型 日本 1987年
日産 セドリック 7代目/グロリア 8台目 Y31型が1987年に登場しました。先代の直線的な角ばったデザインから、角に丸みがついたやや曲線的なデザインとなりました。Y31型は4ドアセダンと4ドアハードトップだけで、スポーティ仕様のグランツーリスモが新設され、ワゴンやバンはY30型が継続して生産されました。エンジンはV型6気筒2L/3L、6気筒2.8L/2Lディーゼルなどが搭載され、V型6気筒2Lターボ(185HP)はセドリックとしては初のDOHCエンジンでした。サスペンションにはセドリック初の4輪独立懸架が採用されました。
1988年にY31型をベースにした3ナンバー専用の上級車シーマ 初代が登場しました。セドリックは1989年のマイナーチェンジで後期型となり、リアライトの意匠が変更され、DOHCエンジンはインタークーラーの追加で210HPにパワーアップされました。1989年にセドリック ブロアムのホイールベースを延長して全長を約5mに伸ばした、Lシリーズが追加されました。1991年にセドリック 8代目 Y32型にモデルチェンジしました。
ミニカーは1988年に発売されたダイヤペット製の当時物で、セドリック 4ドアハードトップ ブロアム VIPをモデル化しています。リアルな造形が特長であった12番工場製で、プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていました。フロントグリル/灯火類/バンパーなどがリアルで、当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。ダイヤペットはバリエーションでグロリアもモデル化していました。これ以外のセドリック/グロリア Y31型のミニカーはトミカの当時物 セドリック、トミカ リミッテドのセドリック/グロリア 前期/後期型、ハイストーリー(レジン製)のセドリック、WIT'S(レジン製)のセドリックなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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