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ランチア Y10 / アウトビアンキ Y10 イタリア 1985年
アウトビアンキ A112の後継車としてアウトビアンキ Y10が1985年に登場しました。親会社のフィアットの意向で、アウトビアンキ Y10はほとんどの輸出先でランチア Y10として販売されました。(イタリア本国、フランス、日本ではアウトビアンキだった) 黒く塗装されたリアハッチが特徴的なシンプルなボディは、フィアット、ピニンファリーナ、イタルデザインの3社のコンペで決まったデザインでした。横置きエンジンの前輪駆動車で、オメガサスペンションと呼ばれる凝ったリアサスペンション、豪華な内装/装備など小さいながらも高級な車でした。当初のエンジンは4気筒1Lと4気筒1L/1Lインタークーラー付ターボ(85HP)でした。
この1Lエンジンはファイア(FIRE:Fully Integrated Robotized Engine ロボットによる自動組立式エンジン)と呼ばれる最新技術を使ったエンジンで、その後のフィアットのエンジンのベースとなりました。1986年にシュタイア製4WDシステムを搭載した4WDが設定されました。1989年のマイナーチェンジで、内装やライト類が変更されました。また4気筒1.1Lエンジンが追加され1Lターボに代わる1.3Lエンジン(78HP)搭載の1.3 GT ieも追加されました。1992年のマイナーチェンジでフロントグリルが変更され1994年まで生産され、後継車のY(イプシロン)にモデルチェンジしました。(実車画像→ ランチア Y 1995)
ミニカーは1986年頃に発売されたポリスティル(旧ポリトーイ)の当時物で、アウトビアンキ Y10をモデル化しています。型番がEから始まるEシリーズは当時のポリスティルの廉価版的なミニカーでしたので、リアライトの塗装処理が省略されているなど仕上げは簡素です。ただしプロポーションが良く安っぽいフリーホイールではないきちんとしたホイールが付いているなど結構良く出来ていました。ポリスティルは1/25でもモデル化していて、それ以外のY10のミニカーはスターラインのアウトビアンキ Y10、エジソンのアウトビアンキ Y10があります。ランチア Y10としてモデル化されているものはイタリアのミニカー付雑誌「LANCIA COLLECTION」ののNo.47(スターライン製だと思います)ぐらいしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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サーブ 9000 CC スウェーデン 1985年
1985年にサーブ 900の上級車9000が登場しました。この車はサーブがイタリアのフィアットの「TIPO 4プロジェクト」に参加して共同開発したモデルでした。このプロジェクトでは、フィアット クロマ、アルファ ロメオ 164、ランチア テーマが姉妹車として開発されました。このなかでサーブだけがハッチバック スタイルで、900のスタイルを継承していました。全長は900より短いのですが、ホイールベースが長いので室内は900より広く9000はサーブの最上級車という格付けでした。
1987年にはノーズが少しスラントした4ドアセダンの9000 CDが追加されました。1990年にはハッチバックもCDと同じスラントノーズに変わりました。1991年にハッチバックはノーズを低くして横長のヘッドライトを採用した9000 CSに変わりました。(なお初期型の5ドアリフトバックは区別する為にCCと呼ぶことになりました) 1994年にはセダンのCDもCSと同じ低いノーズのデザインに変わりました。9000は1998年までに約50万台が生産されました。(実車画像→ サーブ 9000 CS 1991)
サーブは1990年代にアメリカのGM傘下となりました。1997年に9000の後継車9-5が登場しました。GM傘下で開発された9-5はGM系列のオペルのプラットフォームを流用しており、4ドアセダンとエステート(ワゴン)の2タイプで、エンジンは4気筒2L/2.3LターボとV型6気筒3Lなどでした。(実車画像→ サーブ 9-5 1997) 2002?と2006?のマイナーチェンジでフロントやリアのデザインが変更され2010?まで生産され、9-5 2代目にモデルチェンジしました。9-5 2代目はボディが大型化され、4ドアセダンと5ドアワゴンの2タイプでした。9-5 2代目は2012年に生産中止となりました。(実車画像→ サーブ 9-5 2010)
ミニカーは1987年に発売されたコーギー製の当時物です。ヨーロッパの不況のせいで1980年代のミニカーは部品点数を減らしてコストダウンした安価で簡素な物がほとんどでした。このコーギーの9000もその代表的なもので、プロポーションは悪くないですが雑な作りと子供だましのデカールであまりよろしくない出来ばえでした。(室内も妙な形状のステアリングホイール?がついてます) ただサーブ 9000のミニカーは最近までこれしかなかったということで、その点では貴重なミニカーかもしれません。9000のミニカーとしては2010年頃にNEO(レジン製)がモデル化しています。また欧州で販売されているミニカー付雑誌「SAAB COLLECTION」のNo.26とNo.38で9000 CSと9000 CDがモデル化されているようです。(メーカーはイクソだと思われます) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ジル 115 (41047) ロシア 1985年
ジル社はロシアのトラックや重機のメーカーでした。ジル社は1916年にモスクワ自動車として設立され、トラック、バス、装甲車などを製造していました。1931年に当時の指導者スターリンにちなんで第2スターリン記念工場(Zavod Imeni Stalina:略称ZIS(ジス))と改名しました。ZISはソ連政府要人向けにアメリカ製高級車をお手本にした高級車を生産してきました。1936年にアメリカのキャディラック フリートウッド 75をコピーした8気筒5.8Lエンジンを搭載した7座リムジンのZIS 101を生産しました。1946年にはアメリカの高級車パッカードの旧型ボディのプレス型が譲渡され、パッカードのボディで8気筒6Lエンジンを搭載する高級車ZIS 110を生産しました。
スターリンの失脚後1950年代にZISは先代の工場長リハチョフにちなんで「リハチェフ記念工場(Zavod Imeni Likhacheva)と改名され、略称がジル(ZIL)となりました。1958年にソ連が初めてオリジナルで設計したジル 111が登場しました。ジル 111はパッカードに似たデザインの全長約6.2mの大型リムジンで、8気筒6L(200HP)エンジンを搭載し2段自動変速機で最高速170km/hの性能でした。ジル 111の後継車として1967年にジル 114が登場しました。ジル 114はクライスラー インペリアルに似た直線的なデザインの全長約6.2mの大型リムジンで、8気筒7L(300HP)エンジンを搭載し2段自動変速機で最高速200km/hの性能でした。1971年に派生車として全長約5.7mのセダン ジル 117が追加されました。(実車画像→ ジル 114)
1978年にジル 114の後継車としてジル 115(後に4104に改名)が登場しました。ジル 115は全長6.4mの政府要人向けのリムジーンで、V型8気筒7.7L(315HP)エンジンを搭載し2段自動変速で最高速200km/hの性能でした。(エンジン排気量は当時世界最大でした) シャーシと動力系は114とほとんど同じで、外観も114同様の直線的なデザインでした。年に数十台しか生産しないハンドメイドの特注車で、派生車として装甲仕様の4105やシュートホイールベースのコンバーチブルの41044などがありました。1983年にフロントの車幅灯をヘッドライト下に配置して外観を変更した41045が登場しました。外観の変更のみで内部構造はそのままでした。(実車画像→ ジル 115) (実車画像→ ジル 41045)
1985年に丸形4灯式を角型4灯式ヘッドライトに変更し車幅灯をヘッドライト横に配置して外観を変更したジル 41047(リムジン)/41041(セダン)が登場しました。(外観変更はソ連の共産党書記長が変わる度に行われたようです) この41047も基本的な構造は先代と同じながら、やっと3段自動変速機が採用されました。1991年にソビエト連邦が崩壊しジルは民営化されましたが、41047は2002年まで生産されました。民営化されたジルはトラックやバスを生産していましたが、西側諸国の最新の車両には対抗できず2012年頃に車両生産を終了しているようです。
ミニカーは1989年頃に発売されたソ連製の当時物です。ミニカーの箱にはジル 115と表示されていますが、正確には角型ヘッドライトを採用したジル 41047 リムジン(通称ではジル 115と呼ぶようですが)をモデル化しています。実車がウナギの寝床のように長大なので、ミニカーも全長146㎜と迫力のある大きなサイズになっていました。前述した同じロシア製のチャイカに比べると、ミニカーの完成度はかなり向上していました。威圧感のある角ばったデザインが良く再現されていて、当時のミニカーとしては良く出来ていました。ボンネット/4ドア/トランクが開閉するギミック付きで、4ドアの開閉ギミックの建付けはかなり良くなっていて、室内もそこそこ良く再現されていました。ボンネット上のマスコットはロシア語のЗиЛ(ZIL)の文字を紋章化した物で、大きめで金属製なので触っても壊れないよう配慮がされています。同じソ連製でジル 117もモデル化されています。これ以外のジル リムジンのミニカーはIST MODELSのジル 111G、41047やDIP MODELSのジル 4104などがあります。またデアゴスチーニのミニカー付き雑誌「AUTO LEGENDS USSR」シリーズで、ジル 111、114、117、4104、41047がモデル化されています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。トランク内にはスペアタイヤを備えています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 スカイライン ハードトップ GT パサージュ ツインカム 24 R31型 日本 1985年
1985年に日産 スカイライン 7代目(R31型)が登場しました。先代のデザインをややおとなしくしたようなデザインとなりました。当初は4ドアセダン/ハードトップのみで、1986年にワゴンと2ドアクーペが追加されました。エンジンは6気筒2L(DOHCターボ 210HP/SOHCターボ 170HP)、6気筒2Lディーゼル、4気筒2Lなどで、4段AT/5MTで最高速は180Km/hでした。最上級グレードには世界初の4輪操舵システムが設定されていました。
大人しいイメージになったスカイラインは、同じ車台を使うローレルやレパードとの違いがあやふやになり、販売が低迷しました。そこで1986年にはクーペに高性能版のGTSを追加するなどの対策が行われました。1987年のマイナーチェンジでは、外観をクーペ系のデザインに統一し、グループAのホモロゲーションモデル GTS-Rが限定販売されました。(実車画像→ 日産 スカイライン GTS-R) 販売が低迷した7代目はスカイラインで初めての失敗作であると評価されています。当時の日産車がどれも似たり寄ったりのデザイン/性能だったのが一番の原因だったと思います。1989年にスカイライン 8代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは1986年に発売されたダイヤペット製の当時物です。最上級グレードのパサージュ ツインカム 24をモデル化しています。ダイヤペットの協力会社の12番工場製で、プロポーションが良く全体的な雰囲気はうまく再現されているのですが、黒いフロントグリルとヘッドライトの枠が目立ちすぎるのが今一つです。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。これ以外の当時物としてはダイヤペットのクーペ GTS、トミカのクーペ GTSとそのレース仕様などがありました。当時物以外では京商のクーペ GTS(1/43、1/64)、エブロのGTS レース仕様、アオシマのクーペ GTS、イグニションモデル(レジン製)のクーペ GTS、ハイストーリー(レジン製)のセダンとワゴンなどたくさんあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ タウンエース 4WD ロイヤルラウンジ 日本 1985年
1967年にパブリカの空冷2気筒800㏄エンジンを搭載するキャブオーバーの商用車ミニエースが登場しました。当初はトラックだけでしたが、1968年にハイエースの小型版としてワンボックスのバンが追加されました。1970年にミニエースの後継車としてライトエース 初代(4気筒1.2L/1.3Lエンジン搭載)が登場しました。1976年にはライトエースの上級車としてタウンエース 初代(4気筒1.2L/1.6L、後に1.3L/1.8Lエンジン搭載)が登場しました。この時点でトヨタの商用車のラインナップはハイエース、タウンエース、ライトエースとなりました。
(実車画像→ トヨタ ミニエース 1968) (実車画像→ トヨタ ライトエース ワゴン 1970) (実車画像→ トヨタ タウンエース ワゴン 1976)
当初のタウンエースは商用車が主体でしたが、3列シートのワゴンは徐々に乗用車的要素が充実していきました。1982年にタウンエース 2代目(4気筒1.6L/1.8Lと4気筒1.8Lディーゼルエンジン搭載)が登場しました。乗用車系のワゴンは見た目だけでなく、冷温蔵庫やカラーTVなど装備が高級化し、トラック系はライトエースと共通化されました。1983年に4気筒2Lエンジンを追加し、1985年のマイナーチェンジでは開閉脱着可能なガラス製サンルーフが設定され、パートタイム式4WD仕様が追加されました。1987年のマイナーチェンジで外観が丸みを帯びたデザインに変更されました。1992年にはライトエースの乗用車系がタウンエースと共通化されました。1996年にタウンエース 3代目にモデルチェンジし、ワゴン系はタウンエース ノアとなりました。
ミニカーは1987年に発売されたダイヤペット製の当時物です。ダイヤペットの協力工場の14番工場製で、タウンエース 2代目の最上級仕様の4WD ロイヤルラウンジをモデル化しています。当時のミニカーとしてはプロポーションが良く、実車に即した4WDのロゴ(紙シール)が貼られているなど、かなりリアルに出来ていました。(デカールでナンバープレートまで付いていました) ただし縮尺1/32の中途半端なサイズでモデル化されているのが今一つでした。スライドドアとテールゲートが開閉するギミック付きです。このタウンエースのミニカーは、当時のタウンエースがファミリーユースの乗用車として人気があったことを示すものでした。ダイアペットはバリエーションで救急車やパトカーもモデル化していました。これ以外のタウンエースのミニカーはトミカ リミッテドが初代を数種類モデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とテールゲート開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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