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童夢 零 (ゼロ) RL ルマン 日本 1979年
童夢 零の開発が成功した林みのる氏が率いる童夢は、次の目標として自前のマシンによるルマン参戦を目指しました。童夢はレーシングカーの専門家が結集していたのですから、当然の成り行きだったのでしょう。スーパーカーブームで零のミニカーなどの玩具が売れて、そのライセンス収入が開発資金に充てられたそうです。
自社製シャーシにフォード コスワース DFV エンジンとZF変速機を搭載した、プロトタイプクラス(Gr.6)のレーシングカー 童夢 零 RLが1979年に2台製作されました。当時の主流のマシンはポルシェ 936に代表されるオープンのグラウンド エフェクト カーでした。零 RLも同様のデザインでしたが、全体的に平坦でテールが非常に長く、ストレートでの最高速を重視したデザインでした。なお屋根に見える部分はバックミラーのカバーで、フロントウィンドーが無いオープンカー仕様でした。(実車画像→ ポルシェ 936)
国内でのテスト後イギリス シルバーストーンに参戦し12位で完走しました。ルマンでは序盤で7号車がトップグループに入り、最高速では世界に通用することを示しましたが、約1時間半でオーバーヒートで脱落しその後リタイア、6号車は約5時間でガス欠でリタイアとなりました。ルマンを走るには資金も経験も不足していたことを示す結果でした。翌年の1980年ルマンにも改良型の童夢 RL80で参戦し、トラブルがあったものの最後まで走り続け、最下位の25位ながら日本車初の正式な完走を果たしました。(この年も最高速はトップグループ並みの性能でした) 童夢はその後も1986年までルマンに参戦しました。
ミニカーは1979年に発売されたカドー製の当時物です。カドーは玩具問屋の可堂玩具が興したブランドで、マニア向けのホワイトメタル製ミニカーやトミカ等他社のミニカーのオリジナル仕様を発売していました。この零 RLのミニカーはK & M プラニングという会社が製作した物を、カドーが販売したようです。これは1979年ルマンに参戦してリタイアした6/7号車をモデル化しています。当時のミニカーとしてはそこそこの良い出来ばえで、零 RLの雰囲気がうまく再現されていました。なおオレンジの部分は全て紙のシールで、ゼッケン(#6と#7)や企業ロゴなどの紙シールも付属していましたが、貼っていません。カドーからは1/28の零 RLも発売されていて、当時物ミニカーはこのカドーの2点しかありませんでした。(その頃は国内のスーパーカーブームが終っていましたので、童夢関係のミニカーもこれが最後でした) 当時物以外の零 RLのミニカーは2002年に発売されたビザール(レジン製)、2020年に発売されたアシェット製 ルマン24時間レース カーコレクションがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM キャディラック セビル エレガンテ アメリカ 1980年
GM キャディラック セビル 2代目が1980年に登場しました。1930年代のイギリス製高級車に見られたリア/トランクのデザイン(レザーエッジと呼ばれる)を取り入れた懐古調スタイルが外観上の特徴でした。(レザーエッジ 実車画像→ ロールス ロイス ファントム 25/30) 全長5.2mX全幅1.8mとトヨタのセンチュリー並の大きさで、前輪駆動方式が採用されました。アメリカ車としては珍しいことに燃費対策でV型8気筒5.7L(105HP)ディーゼルエンジンを標準エンジンとしていました。(ガソリンエンジンはオプション) ボディは4ドアセダンのみで4段自動変速で最高速180km/hの性能でした。
1982年からはV型8気筒4.1L(125HP)ガソリンエンジンが標準となり、ディーゼル エンジンはオプションとなりました。セビル 初代同様にキャディラックの中でも高価な車でしたが、個性的なスタイルが好評で、初代同様に成功しました。1986年にセビル 3代目が登場しました。ボディが小型化され、当時のGM車に共通したリアウインドーがほぼ直立したキャビンを持つデザインとなりました。1992年にセビル 4代目が登場しました。ボディが大きくなり欧州のオペル車のような雰囲気のおとなしいデザインに変わりました。1998年に登場したセビル 5代目は4代目のデザインを踏襲していました。 (実車画像→ GM キャディラック セビル 3代目、実車画像→ GM キャディラック セビル 4代目、実車画像→ GM キャディラック セビル 5代目)
ミニカーは2013年に発売されたイクソのプレミアムX製です。上級グレードのエレガンテをモデル化しています。2009年に登場したプレミアムX ブランドの初期のミニカーはレジン製でしたが、これはダイキャスト製です。実車に即したツートンカラーで、セビル 2代目のスタイルをうまく再現していて非常に良い出来ばえでした。またリアルなフロントグリル、その上に付いた凝った造りのエンブレム、ナンバープレート、室内の造形などの細部も良く再現されていました。1970年代後半以降のサイズダウンされたアメリカ車はあまり人気がないので、セビル 2代目のミニカーはトミカの外国車シリーズ(型番F45 1/69)の当時物ぐらいしかありませんでした。その後2009年頃にネオ(NEO レジン製)がセビル 初代と2代目をモデル化しています。 以下はフロント/フロントグリルのエンブレム拡大画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォルクスワーゲン パサート (B2) ドイツ 1980年
フォルクスワーゲンの最上級車パサートの2代目が1980年に登場しました。初代と同様グループ内のアウディ 80をベースとしたハッチバック車でした。初代のデザインを引き継ぎながら、全体的に角が取れたスタイルをしていました。4気筒1.6/1.8L、5気筒2L(115HP)、4気筒1.6Lターボディーゼルエンジンを縦置きに搭載した前輪駆動車で、5段/3段自動変速 最高速188km/h(2L)の性能でした。当初は5ドアハッチバックのみで、1984年にバリアント(ワゴン)が追加されました。
1981年にはこの車をベースにしてノッチバックセダンのサンタナが登場しました。1984年にアウディ 80 クワトロのフルタイム4WDシステムを搭載したパサート シンクロも登場しました。1985年のマイナーチェンジでフロントグリルやバンパーなどが変更されました。1988年にパサート 3代目(B3)にモデルチェンジしました。ドイツ国内での生産台数は約330万台でした。(中国や中南米でも生産されました)
ミニカーは1980年に発売されたコンラート製の当時物です。コンラートはトラックや建機をモデル化しているドイツのミニカーメーカーです。1980年代にフォルクスワーゲンとアウディのプロモーション用の1/43ミニカーを製作していて、これもその1台でした。当時のドイツ製ミニカーの作風はいずれも似ていたのですが、これもフロントグリルの造形などが倒産する前のシュコー風の作風で当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ボンネット/ドア/ハッチバックが開閉するギミック付きです。同じ物がガマのブランドでも発売されていました。コンラートはバリアント(ワゴン)もモデル化していました。パサート 2代目の当時物ミニカーはこれぐらいしかなく、当時物以外ではブッシュ(BUSH)やユーロモデルの1/87などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/ハッチバック開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウディ UR クワトロ ドイツ 1980年
センターデフを使ったフルタイム4WD方式を採用したアウディ クワトロが1980年に登場しました。従来の4WDは悪路走破を目的としたパートタイム方式が一般的でしたが、道路状況に関係なく4輪を駆動するフルタイム4WD方式を採用したことは画期的なことでした。アウディ 80 2代目の2ドアをベースにした設計で、ハッチバッククーペのように見えますがリアエンドはトランクとなっていました。アウディ 200用の5気筒2.1Lエンジンをインタークーラー付ターボで過給して200HPにパワーアップし、5段変速で最高速222km/hの性能でした。
エンジンは1987年に2.2Lに拡大され、1989年にはDOHC化されて220HPまでパワーアップされました。1983年のマイナーチェンジでシリーズ2となり、ヘッドライトが4灯式から2灯式に変わりました。この車をベースにしたラリー車は1981年の世界ラリー選手権(WRC)第2戦スウェーデンで初優勝し、その後1982と1984年にメイクスチャンピオンとなりました。この成績はラリーにおけるフルタイム4WDの有効性を証明しました。何度かマイナーチェンジされて1991年に生産中止となり、総生産台数は約1.1万台でした。アウディにはクワトロという名前を使ったモデルがいくつもあるので、クワトロ 初代はUR-クワトロと呼んでいます。(Urとは独語でFirstの意)
ミニカーは1982年に発売されたコンラート製の当時物です。コンラートはドイツの老舗玩具メーカーで、現在はトラックや産機などのミニカーを発売していますが、1980年代には1/43のダイキャスト製ミニカーも発売していました。(参照WEBサイト→ CONRAD WEB SITE) 当時のコンラートのミニカーは同時期のシュコーと非常によく似た作風で、出来ばえも同等レベルでした。このクワトロも実車のイメージが良く再現されていて、前後のブリスターフェンダー形状やドアに付いているアウディのロゴなどの細部も当時としてはリアルな出来ばえでした。(ただしブリスターフェンダーにホイールアーチの膨らみが残っているのとフロントバンパーのウィンカーが無いのがいまひとつですが) ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。バリエーションでラリー仕様もありました。これ以外の当時物ではこれと同じ型を流用しているガマのラリー仕様、ポリスティルの1/25、Bブラゴーの1/43と1/24、マッチボックスのラリー仕様、ソリドのラリー仕様などがありました。 当時物以外ではミニチャンプス、オートアートの1/18、ビテス、トロフューなどからたくさんモデル化されてます。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー フエゴ GTS フランス 1980年
スポーティーカールノー 15/17の後継車として3ドアハッチバッククーペのフエゴが1980年に登場しました。ルノー 18をベースにしたクーペで、フロントはルノー 18とほぼ同じデザインでボディサイドの黒いガーニッシュ風の処理や大きなガラス製リアハッチなど個性的でスタイリッシュなデザインになっていました。4気筒1.4L/1.6L(96HP)/2L(109HP)エンジンを全車軸にオーバーハングして縦置きする前輪駆動車でした。
1982年に4気筒2.1Lターボディーゼルエンジン、1983年に4気筒1.6L(132HP)ターボエンジンが追加されました。1983年のマイナーチェンジで、フロントグリル/バンパーが小変更されました。ベースがルノー 18でしたから、特別に高性能な車ではなかったようですが、見た目のかっこよさで、発売当初は欧州で最も売れたクーペとなりました。ただし数年後には販売が落ち込み、ルノー 18の後継車ルノー 21が登場したことで1985年に国内生産中止となりました。総生産台数は約23万台でした。
ミニカーは2000年に発売されたノレブ製です。ノレブは1982年にフエゴの当時物ミニカーを発売していましたが、これはそれの細部をリファインして再発売したものでした。当時物はJET-CARシリーズという廉価版ミニカーで安っぽいホイールを履いたあまり程度の良くない物でしたが、このリファイン版はまともなホイールに履き替えて細部の仕上げをレベルアップしただけで見違えるような良い出来ばえのミニカーに変わっていました。ワイパーをフロントウィンドー上に一体成型する昔流のやり方で表現されていることが、当時物ミニカーの型を流用したことを示す証拠です。これ以外のフエゴの当時物ミニカーはこれのベースとなったノレブ、ポリスティルの1/25、ソリドなどがありました。当時物以外ではミニチャンプス、イクソ、ノレブの型を更新したターボなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)