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フォルクスワーゲン ジェッタ ドイツ 1979年
フォルクスワーゲン ジェッタはゴルフのノッチバックセダン版で1979年に登場しました。ゴルフより上級な車で、北米市場やハッチバックを好まない保守層向けに2ドアと4ドアが設定され、ヘッドライトは角形に変えてありました。リアに追加されたトランクはこのクラスでは最大の容量でした。(トランクを後付けしたのが明らかに分かりますので、デザイン的にはいまひとつですが) エンジンはゴルフとほぼ同じ4気筒1.1L」/1.3L/1.5L(70HP)/1.6Lエンジン、4気筒1.6Lディーゼルエンジンが設定され、4段変速 最高速156km/h(1.5L)の性能でした。
北米市場ではゴルフもラビットという名前で販売されていたのですが、ジェッタのほうが良く売れました。北米市場向けに1981年に設定されたGLIは4気筒1.8L(90HP)エンジンを搭載し5段変速で最高速172km/hと高性能で、この車が主力モデルとして売れたそうです。1984年にジェッタ 2代目にモデルチェンジしました。総生産台数は約57万台でした。
ミニカーは1979年に発売されたドイツのシャバック製です。シャバックはシュコーの販売代理店で、シュコーが1976年頃に倒産した後でシュコーのミニカー事業を引き継ぎました。そんなわけでシャバックはシュコーに良く似た作風で出来ばえもほとんど同じようなレベルでした。このジェッタもシュコーにそっくりの作風で良く出来ていました。ドア/トランクの開閉ギミック付きです。なおシャバックは2006年には復活したシュコーに逆に買収され、現在は航空機モデルを製作しています。ジェッタ 初代の当時物ミニカーはこれしか無いようです。当時物以外ではNEO(レジン製)が2ドアと4ドアをモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とトランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ポルシェ 935 ターボ ドイツ 1979年
1976年にメイクス チャンピオンシップがグループ5(生産車ベースで大幅に改造したシルエット フォーミュラ)規格で行われることに変わりました。ポルシェはグループ4(WRCカー)、グループ5、グループ6(プロトタイプ スポーツカー)に対応したポルシェ 934、935、936を開発しました。935は930ターボをベースにして大幅な改造を施したグループ5のレースカーでした。空力向上の為ヘッドライトをチンスポイラーに組込んで下げたノーズと、大きなFRP製オーバーフェンダー/リアスポイラーが935の特徴でした。エンジン排気量は最低重量の点で有利になる4Lクラスに収める為、ターボ係数1.4を掛けて4Lとなる2857ccとし、その出力は560HPでした。
ポルシェ 935のデビューは1976年のムジェロ 6hで、初戦から優勝しました。その後もグループ6の936とともに優勝を重ね、1976年ルマンでは936が優勝し935が4位となり、両車ともそのクラスのメイクスチャンピオンとなりました。1977年にはエンジンをツインターボ化して630HPにパワーアップし、さらに圧倒的な強さを発揮するようになりました。1977年のルマンでは936が優勝し、935が3位となりました。1977年のメイクスチャンピオン(グループ5)もポルシェが獲得しました。
1978年にはレギュレーションの緩和で、前後オーバーハングの拡大が可能となり、ロングノーズ/ロングテールで排気量を3.2L(950HP)に拡大した935/78が登場しました。935/78はその外観から「モービイ ディック(小説「白鯨」に登場する巨大な白いマッコウクジラの名前)」と呼ばれました。935は1979年のルマンで1.2.3位を独占するなどあまりに強くなりすぎた為、シルエット フォーミュラの人気は低迷しました。その為ポルシェは935の新規販売を自粛するようになり、有力チームが自身で935の改良を行うようになり、クレーマーレーシング製の935Kといったモデルが登場しました。935と936の活躍で1978年と1979年のメイクスチャンピオンをポルシェが獲得しました。
ミニカーは1980年に発売されたソリド製の当時物です。1979年ルマンで2位となった#70をモデル化しています。(優勝車は#41) 40年以上も昔のミニカーですから、現在のようにワイパーやミラーなどの細部は再現していませんが、プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていました。当時のミニカーはデカールの一部を貼った状態で販売されていたので、残りのデカールは自分で貼るものでした。(特にホイールのデカールは貼るのが面倒でした) 当時の日本はスーパーカーブームでしたので、ダイヤペット、トミカ、エーダイ グリップの1/28、バンダイのBEC43、サクラの世界の名車シリーズなどの国産ブランドからも多くの935のミニカーが発売されました。当時物以外ではミニチャンプス、エブロ、京商、カルツォ、スパーク(レジン製)などたくさんモデル化されてます。936のミニカーはトミカやソリドの当時物があり、当時物以外ではミニチャンプス、トロフュー、イクソ、スパーク(レジン製)などでモデル化されてます。 以下はフロント/リアの拡大画像です。画像では分かり難いですが、室内にはロールケージが付いています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オペル カデット D ドイツ 1979年
オペル カデットは1979年に5代目カデット Dにモデルチェンジしました。1974年に発売されたフォルクスワーゲン ゴルフの大ヒットを受けて、カデットも横置エンジンで前輪を駆動する2ボックス車として大きく変わりました。外観は2ボックス車としては一般的なスタイルで平凡な感じがしました。ボディ形式は2/4ドアセダンと3/5ドアワゴン(バン)で、先代にあったクーペは設定されませんでした。なおセダンのテールゲートにはハッチバック式とトランクリッド式の2タイプがありました。エンジンは4気筒1.2L/1.3Lで、自動変速機は開発が遅れ1981年に追加されました。
1981年に1.6L(90HP)エンジンが追加され、スポーティな外観のSRが設定されました。1982年に1.6L(54HP)ディーゼルエンジンが追加されました。1983年に1.8L(115HP)エンジンを搭載しエアロパーツを装着した高性能版 GT/E(最高速185km/h)が追加されました。カデット Dはイギリスではヴォクスホール アストラとして発売されました。1984年に5代目のカデット Eにモデルチェンジしました。総生産台数は約200万台でした。
ミニカーは1979年に発売されたガマ製の当時物です。ガマは1976年に倒産したシュコーの金型の一部を引き継いだことで、フロントグリル/ヘッドライト/バンパーを一体成形した造形はシュコーの作風を踏襲していました。この作風は現在の感覚ではややリアルさに欠けるのですが、このカデット Dは当時のミニカーとしてはプロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現された良い出来ばえでした。ただテールライトの塗装が省かれていているのは手抜きの感じがします。ドア/テールゲートが開閉するギミック付きです。(なおウィンドーに薄い青色を着色した透明プラスチックを使うのはガマの特徴でした) カデット Dの当時物ミニカーはこれしか無いようです。当時物以外ではミニチャンプスの3ドア/5ドアワゴン、シュコー、イクソなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とテールゲート開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー 505 フランス 1979年
1979年にプジョー 504の後継車として505が登場しました。少し大きくなったボディは先代と同じピニンファリーナのデザインで、504の吊り目のヘッドライトを踏襲して、よりシンプルで美しくなっていました。基本的な構造も504を踏襲した4輪独立懸架サスペンションを持つ後輪駆動車でした。当初のエンジンは4気筒1.8L(90HP)/2L(ルノーとボルボとの共同開発のPRVエンジン)、4気筒2.3L(70HP)ディーゼルでした。当初はセダンだけで、1982年にホイールベースが延長されたブレーク(ワゴン)/ファミリアーレ(3列シート8人乗り)が追加されました。
1980年にディーゼルエンジンにターボ仕様が追加され、1982年に4気筒2.2L(90HP)エンジン、1984年以降にはその燃料噴射仕様やターボ仕様が追加されました。1986年には生産中止となった604の暫定的な後継車としてV型6気筒2.8L(170HP)エンジンを搭載した505 V6も追加されました。1990年に後継車の605が登場し、ヨーロッパでは1992年に生産中止となりましたが、南米や中国などでは1999年まで生産されました。全世界での総生産台数は約135万台でした。
ミニカーは1981年に発売されたノレブ製の廉価版JET CARシリーズの当時物です。このシリーズに共通使用されていたフリーホイールが安っぽいですが、プロポーションは良いのでまずまずの良い出来ばえでした。ドアが開閉するギミック付きです。なおこの当時はどこのメーカーもこのような廉価版ミニカーがほとんどでした。これ以外の504の当時物ミニカーはソリドの廉価版とそれを流用したべレム、コーギーの1/36などがありました。当時物以外ではノレブが当時物をリファインして2004年頃に発売した物があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット リトモ 75 イタリア 1979年
1978年にフィアット リトモがフィアット 128の後継車として登場しました。(RITMOとはイタリア語でリズムの意) 小さなフロントグリルと一体化したフロントバンパーを持つやや角ばったデザインはベルトーネによるもので、それまでのフィアットとは一味違っていました。ボディは3/5ドアハッチバックの2タイプでした。ダンテ ジアコーサ方式の横置エンジンの前輪駆動車で、当初のエンジンは4気筒1.1L(タイプ60 60HP)/1.3L(タイプ65 65HP)/1.5L(タイプ75 75HP)でした。
1980年に4気筒1.7L(54HP)ディーゼルエンジンが追加され、1981年に1.3L/1.5LエンジンをパワーアップしたスーパーとDOHC 4気筒1.6L(105HP)エンジンを搭載した高性能版の105TCが追加されました。さらに105TCをベースにしてアバルトがチューンしたDOHC4気筒2L(125HP)エンジンを搭載したアバルト 125TC(後に130TCに発展)も登場しました。またベルトーネが製造するロールバー付のカブリオレがベルトーネ ブランドで1981年から販売されました。(実車画像→ ベルトーネ リトモ カブリオ 1981) 1982年のマイナーチェンジで丸形4灯式ヘッドライトで独立したフロントグリルを持つ後期型に変わりました。(実車画像→フィアット リトモ 1982) 1988年に後継車のティーポにモデルチェンジしました。
ミニカーは2017年に発売されたアシェットの国産名車コレクション製です。メーカーはイクソで、リトモ タイプ75をモデル化しています。特徴的なフロントの顔つきや樹脂製バンパーがうまく再現され、ホイールやドアハンドルなどの細部もリアルです。室内もそこそこ再現されていますが、彩色を省いているのはこの名車コレクションシリーズの標準的な仕上げです。当時物ミニカーではソリド、メーベトイ、マーキュリー、ポリスティルの1/25、ブラーゴなどがありました。当時物以外ではノレブ、プロゲットKの60と125TC、エジソン(EDISON GIOCATTOLI)の60Lとカブリオ、イタリアのミニカー付雑誌ミニカー付雑誌「FIAT STOY COLLECTIO」のNo.56(60L エジソン製のようです)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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