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フェラーリ 312P イタリア 1970年
1968年のレギュレーション変更で、グループ6のプロトタイプ スポーツカーの排気量が3L以下に制限され、フェラーリ 330 P4やフォード GT40などが参戦できなくなりました。それらの大排気量プロトタイプ スポーツカーは北米のカンナム(CAN-AM:カナディアン アメリカン チャレンジカップ)で活動するようになりました。(最高速を抑制するという理由でしたが、ヨーロッパのレースからフォード GT40などのアメリカ勢を締め出すのが目的だったともいわれています)
フェラーリはプロトタイプ スポーツカーへの参戦を1年見送り、1969年シーズンから312Pで参戦しました。312Pは330 P4とほぼ同じシャーシ/サスペンションで、312 F1用のV型12気筒3Lを耐久レース用にディチューンしたエンジンと自社製5速変速機を搭載していました。312Pのデビュー戦は1969年のセブリングで2位でした。その後スパで2位となりますが、ルマンではリタイヤするなどあまり良い結果がでないままシーズンを終えました。
1969年にグループ4スポーツカー(排気量5L)の最低生産台数が50台から25台に引き下げれたことで、排気量の大きいグループ4がプロトタイプより実質的に有利になりました。そこでフェラーリはグループ4の512S(排気量5L)を1970年に登場させました。ところが同じ理由でグループ4に進出したポルシェ 917が圧倒的に強くなり過ぎてレースが成立しなくなった為、1972年からは耐久レースは排気量3Lまでのオープントップ プロトタイプカーに限定することになりました。(当時はころころ変わるレギュレーションに翻弄されていました)
そこで1971年に新レギュレーションに対応したフェラーリ 312 PBが登場しました。オープントップの312 PBは312Pより小さく軽量化され、エンジンは312B F1のエンジンを耐久レース用にディチューンしたものを搭載していました。1971年の312 PBは信頼性が低く、リタイアが多く1勝もしていません。1972年は大幅に改良された312 PBが、出場しなかったルマン以外の10戦を全勝し、マニファクチャーとドライバーズタイトル(J.イクス)を獲得しています。 1973年はレース予算が削減され、強力なライバル マトラの参入もあって、モンザとニュルブルクリングで2勝しルマンは2位で、マトラにマニファクチャラータイトルを奪われました。1974年には親会社フィアットの意向で、フェラーリはスポーツカーレースから撤退し、F1に専念することになりました。(実車画像→ フェラーリ 312 PB)
ミニカーは1992年に発売されたソリド製で、1960-1970年代のソリド製のフェラーリのミニカー 12台を再生産してセットにしたセット物の1台でした。このミニカーのオリジナルは1970年に発売された当時物 フェラーリ 312P (型番177 1969年ルマン仕様)で、オリジナルの金属製ホイールがプラスチック製に変更されていますが、それ以外はオリジナルのままです。付属していたデカールを貼っていませんが、1970年のデイトナ出場車(#24 4位)をモデル化しています。1970年代のビンテージミニカーですので細部は簡素ですが、プロポーションが良く実車のイメージがうまく再現されています。リアカウルが開きエンジンが再現されています。ソリドは312 PBもモデル化していました。312P/PBの当時物ミニカーはディンキー、マーキュリー、ポリトーイ、メーベトイなどがあり、最近の物ではベスト ボックス、ブルムなどがあります。 以下はフロントの拡大画像とリア/リアカウルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 512S モデューロ ピニンファリーナ イタリア 1970年
フェラーリ 512S モデューロは1970年のジュネーブ ショーで公開されたコンセプトカーでした。前述したフェラーリ 512S ベルリネッタと同じピニンファリーナによるミドシップ スポーツカーで極めて未来的なデザインでした。MODULO(イタリア語でモジュールの意)という名前は、分割したモジュールの組合せでボディを構成するというこの車のコンセプトを意味していました。このコンセプトではキャビン部モジュールを屋根を外したモジュールに交換すれば2シーターのオープンカーになり、4シーターのモジュールに交換すれば4シーターのリムジンになるというものでした。ドアはなくキャビン上部がキャノピー式に前にスライドして開閉し、ヘッドライトはリトラクタブル式でした。
このコンセプトカーはタイヤの存在を意図的に隠しているので、自動車というよりも宇宙船のような感じがします。ただ前輪を操舵するスペースが十分に無いようにみえるので、まともにカーブを曲がれるのかどうか疑問です。この車は1970年の大阪万博のイタリア館に未来の車として展示され人気を博しました。1970年に登場したモデューロでしたが、この車以上に未来的なコンセプトカーは2022年現在でも出ていないように思います。なお名前が512Sとなっていますが、実際にはカンナム レース用に開発した612Pのシャーシを使っていたとのことです。
ミニカーは1972年に発売されたマーキュリー製の当時物で縮尺1/32と大きめのミニカーです。車高が高めで実車の平べったいイメージが今一つなプロポーションですが、当時のミニカーとして全体的には良い出来ばえでした。実車同様にキャビン上部キャノピーがスライドしリアカウルが開閉できます。2シーターの内装やリアカウル下のV型12気筒エンジンも良く再現されています。この黒のカラーリングは公開された時のカラーリングを再現したものです。(大阪万博で展示されたモデューロは白でしたが) これ以外の当時物ミニカーはポリトーイとそれをコピーしたオートピレンがあります。当時物以外ではレッドラインやミニ ミニエラのレジン製などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とリアカウルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランボルギーニ ハラマ イタリア 1970年
前述したランボルギーニ イスレロの不人気を挽回するために、1970年に登場したのがハラマでした。(名前はスペインのマドリードにあるハラマ サーキットに由来しています) ボディはエスパーダをベースにしており、ホイールベースを短縮して2+2座に仕立てていました。デザインはベルトーネ(マルチェロ ガンディーニ)で、直線的なラインを基調にしたシンプルなスタイルですが、ハーフコンシールドのヘッドライトを配したフロントグリルはユニークでした。
イスレロと同じDOHC V型 12気筒4L(350HP)DOHCエンジンを搭載し、5速変速で、最高速260km/hの性能でした。そこそこの実用性がある2+2座ながらも、短いホイールベースにより操縦性が優れた車だったようで、創業者のフェルッチオ ランボルギーニ自身が愛用していたそうです。1972年に365HPにパワーアップしたハラマ Sが登場しました。ハラマ Sにはエアコンや3段自動変速機も設定されていました。ただ同時期のミウラに比べると地味な車だったので、販売は低調で1976年までに約300台が生産されました。
ミニカーは2004年に発売されたミニチャンプス製です。ユニークなハーフコンシールド ヘッドライト/フロントグリルとシンプルな面構成のボディなど実車のイメージがうまく再現されていました。室内のインパネなどの細部もリアルに再現されています。当時物ミニカーとしてはポリトーイがそこそこの出来ばえの物を出していましたが、実車の人気を反映してか当時物ミニカーはそのポリトーイしかありませんでした。ミニチャンプス以外の最近のミニカーでは、京商の1/64、ホワイトボックスのラリー仕様があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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リライアント ボンド パグ 700ES イギリス 1970年
イギリスの3輪車の代表的なメーカー リライアント(RELIANT)社は、1935年に創立されました。前1輪後2輪の構造の3輪車としてリーガル(REGAL)、ロビン(ROBIN)、リアルト(RIALTO)などがあり、創業当時から2000年頃まで長い間作られていました。またリライアント社はシミター(SCIMITAR)というV型6気筒2.5-3Lエンジンを搭載した高性能なスポーツカー(4輪車)も手がけており、こちらも1990年頃まで生産していました。なおリライアント社は2002年に自動車生産を止めました。(実車画像→ リライアント リーガル MK III、リライアント シミター)
ボンド バグは同じような3輪車を作っていたボンド社が、リライアント社の傘下となって1969年に登場させた3輪のスポーツカーでした。(実車画像→ ボンド 3輪車) リーガルをベースにしていましたが、若者向けとして思い切ったウエッジシェイプを採用したかっこいいスタイルが特徴でした。通常のドアではなくキャノピー全体を大きく上に開いて乗り降りします。水冷4気筒700cc(29HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速120km/hと結構高性能でした。ただ当時人気のあったミニよりも値段が高かったそうで、その為4年間で2000台ほどしか生産されなかったようです。
ミニカーは1971年に発売されたコーギー製の当時物です。実車はもう少し全体的にシャープな感じですが、このミニカーはフロントの顔つきなど子供向けのかわいらしい感じにコーギー流のデフォルメがされていました。また実車のキャノピー側面はキャンバス生地のようですが、そこは黒いラベルを貼って済ませています。ただ未来的なキャノピー開閉をギミックとして実現させていたのは、コーギーらしいところでした。リア車軸の上にある銀色のレバーを押すことでキャノピーのロックが外れ、バネの力でキャノピーが自動的に開きます。ナンバープレートの「JB 007 GB」も遊び心の感じられる番号です。2023年現在でもボンド バグの量産ミニカーはこれしかないようです。(1/18のレジン製モデルを「DNA Collectibles」という新興ブランドが手掛けていて、オックスフォードからも1/76で2024年に発売される予定です) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランドローバー シリーズ IIa 109 ピックアップ イギリス 1970年
ランドローバー シリーズ IIは、1961年にマイナーチェンジされてシリーズ IIaに変わりました。シリーズ IIとシリーズ IIaは外観はほとんど同じで、ディーゼルエンジンが4気筒2.3Lに変わりました。1967年にはロングホイールベース仕様に6気筒2.6L(83HP)エンジンが追加されました。1969年には法規制に対応する為にヘッドライトがフェンダーに移動し、特徴的な寄り目スタイルが変更されました。ランドローバーは1970年頃には年間約6万台が生産され絶好調でした。(半数以上は世界中に輸出されていました) 1971年にシリーズ IIIにモデルチェンジしました。
1950年代後半から1960年代にはフォワード コントロールと呼ばれるエンジンを座席下に搭載したキャブオーバー式商用車が多く登場しました。(実車画像→ フォード テームズ 400E、ベッドフォード CA) ランドローバーもシリーズ IIa 109をベースにしたキャブオーバー式商用車 シリーズ IIa FC(FOWARD CONTROLの略)を1962年に登場させました。1966年にはホイールベースを110インチに延ばした改良型のIIb FCに変わりました。FCは消防車などの特殊車に使用されたようですが、あまり売れなかったようで、1974年には生産中止となりました。(FCは鼻が短いですが、顔つきはランドローバーでした) (実車画像→ ランドローバー FC 消防車)
ミニカーは1970年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。シリーズ IIa 109のピックアップをモデル化しています。(年式は不明なので、シリーズ IIaの最終年式にしています) ディンキーらしいがっちりとした作風で、当時のミニカーの標準的な出来ばえでした。ドアとボンネットが開閉するギミック付きです。同じ型を使った消防車、爆弾処理車、レッカー車などのバリエーションが数種類ありました。以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/荷台の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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