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ドライエ (タイプ 0) ヴィザヴィ フランス 1901年
フランス人の技術者エミール ドライエは1894年にドイツのベンツのガソリンエンジン車を模倣して、独自設計した後輪ベルト駆動式の自動車を完成させました。この車は1896年に開催されたパリ-マルセイユ レースに参戦するなどこの当時盛んであった都市間レースで活躍しました。ドライエは当時としては高性能で信頼性が高い車だったようで、1898年からパリの工場で自動車の生産を始めました。初期にはレース活動をしていたドライエでしたが、創業者のエミール ドライエが1901年に経営陣から退いたことで1902年にレース活動から撤退しました。
1902年にドライエ初の4気筒4.4Lエンジン搭載車タイプ 11が登場しました。その後ドライエ車はドイツでライセンス生産され、アメリカのホワイト社に模倣されたりしていますので性能は優れていたようです。1911年に世界初のV型6気筒3.2Lエンジンを搭載したタイプ 44を開発しましたがあまり売れなかったようです。その後の1920年代はトラックや農業機械の生産を主力とする地味なメーカーとなっていましたが、1933年に6気筒エンジンを搭載した高性能車スーパーリュクス(SUPERLUXE)を発表して高性能車市場への進出を図りました。(以下 サラブレット期のドライエ 135Mに続く)
ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)製です。名前のヴィザヴィ(VIS A VIS)とは向かい合わせの座席配置のことを意味しています。サフィールのクラシックカーは当時のミニカーとしてはスケールモデル的なリアルな作風でかなり良い出来ばえでした。モデルとなった実車があまり良く分からないのですが、年式から単気筒エンジン搭載で後輪をチェーン駆動した初期のモデル(タイプ 0 又は タイプ 4)と思われます。まだカーボンが使われていない白いタイヤと屋根の代わりの赤いパラソルが時代を感じさせるかわいらしいミニカーです。なおボディは同じサフィール製のプジョーのボディを流用しているので、見た目はそのプジョーとよく似た雰囲気となっています。以下はフロント/リアの拡大画像と運転席部分の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ドライエ 135M フランス 1935年
ベテラン期に初期のドライエに付いて記載しましたが、1933年には6気筒3.2L(76HP)エンジンを搭載した高性能車スーパーリュクス(SUPERLUXE)が登場しました。(実車画像→ ドライエ 138 スーパーリュクス 1934) スーパーリュクスは横置きリーフスプリング式前輪独立懸架サスペンションを採用していて、4気筒2.2Lエンジン仕様(134)や、スポーツ仕様の18 スポーツがありました。その18 スポーツはスピード記録を数多く達成しドライエは注目を浴びるようになりました。
1935年のアルペン ラリーでの勝利を記念して135 クーペ デ アルペスが登場し、1936年にはドライエとして最も有名な6気筒3.6L(160HP)エンジンを搭載した高性能版の135Mが登場しました。135のレース仕様は1937年モンテ カルロ ラリー優勝、1938年ルマン優勝などレースで大活躍しました。絶頂期のドライエは1935年に経営不振であったドラージュを吸収合併しました。1937年には135の後継車として145が登場しました。当時のドライエとドラージュは贅を尽くした魅力的なデザインの特注ボディを架装した高性能高級車でした。
ミニカーは1970年代に発売されたリオ製です。コーチビルダーのアンリ シャプロン製だと思われる135M クーペをモデル化しています。全長5mを超える大きなボディなので、ミニカーは全長128㎜と大きめのサイズです。プロポーションが良くフロントグリルや室内などの細部も良くできていてリオの傑作ミニカーの一つです。リオのミニカーはシャーシやエンジンなどのメカ部分も再現しているのが特徴ですが、この135Mもボンネットを外すとエンジンが再現され、底板部分にはシャーシやサスペンションも再現されています。これ以外のドライエ 135のミニカーはソリド(べレム)のカブリオレ、ミニチャンプスのカブリオレ 1/43と1/18、イクソのルマン レース仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ドライエ 165 フィゴーニ & ファラスキー フランス 1938年
1937年にドライエ 135の後継車としてドライエ 145が登場しました。ドライエ 145は主にレーシングカーとして使われた高性能車でした。この145をベースにして少量生産された市販ロードスターが165でした。エンジンは145の240HPを165HPにディチューンしていて、4段変速で最高速210km/hの性能でした。ダイナミックで美しいロードスター ボディはコーチビルダー フィゴーニ & ファラスキー(FIGONI FALASCHI)によるもので、実車はその独特のデザインで有名です。
この車のデザインは水上を疾走するボートをイメージしたものでした。フロントフェンダーの造形はボートの先端が掻き分けて盛り上がった波紋を表現しています。このデザインをより印象的にする為に、フェンダーには車輪を完全にカバーして見えなくするスパッツが付けられ、ボンネットから後方にかけて波をイメージさせるクロームモールも付いています。現代的な観点でみると見た目重視で意味のない無駄の多いデザインです。ただこのデザインはそのような現代的な考え方を超越しているので優雅で美しいのです。1930年代のフランス車として個人的に一番好きな車です。
ミニカーは2008年に発売されたイクソ製です。元々はフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.14として作られたもので、これはそれをベースにしてイクソのカタログモデルとして発売されたものです。実車の優雅なデザインが実にうまく再現された素晴らしい出来ばえです。クロームモールや室内などの細部も良く仕上げてあります。これ以外のドライエ 165のミニカーはイクソの別ブランドのホワイトボックス、ミニチャンプスの1/43と1/18、ギロイの1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ドライエ 145 シャプロン フランス 1946年
1930年代後半のGPレース(現在のF1に相当)ではドイツのナチス政権が国策でバックアップするメルセデス ベンツ/アウト ウニオンのドイツ勢が圧倒的に強く、ブガッティ、ドライエ、ドラージュのフランス勢がこれに対抗していました。1937年にドライエ 135の後継車として145が登場しました。145は主にGPレース用に開発された高性能車で3本のカムシャフト、2つの点火装置、3つのキャブレターを備えたV型12気筒4.5L(240HP)エンジンを搭載していました。145のレース仕様は1938年のベルギー ポー(PAU)GPでは、メルセデス ベンツ W154を下して優勝しています。(実車画像→ ドライエ 145 GPレース仕様 1937)
1939年に第2次世界大戦が勃発し、ドライエ社は軍用車(トラック)の生産に集中しました。戦後の1946年には乗用車生産を再開し、戦前の135Mを後継する高級車235が1951年に登場しました。戦後のフランスでは高級車に高い税金が課されたことによりドライエのような高級車は売れなくなり、販売不振となたドライエは1954年にオチキス社に吸収されて消滅しました。
ミニカーはマッチボックス傘下で一時的に復活したディンキー製で1990年頃に発売されました。このマッチボックス傘下のディンキーのミニカーは、往年のディンキーのファンだったマニア向けとして作られたようで、これ以外にキャディラック 62 クーペ デビルやベントレー R コンチネンタルなど約40車種ほどがありました。昔のマニア向けでしたので、1990年代のミニカーとしてはややレトロな作風でした。このドライエ 145は1946年式となっているので戦後にコーチビルダー アンリ シャプロンが架装したクーペをモデル化しているようです。レトロな作風で実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとして良く出来ていました。ドライエのフロントグリルは剣道の面に似ているといわれますが、この車のグリルはまさにその典型的なものです。これ以外のドライエ 145のミニカーはミニチャンプスのクーペとレース仕様、スパーク(レジン製)のレース仕様などがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ドライエ 235 コーチ フランス 1952年
戦前の135Mを後継する高級車 235が1951年に登場しました。戦前の高級車メーカーはシャーシだけを提供しそれにコーチビルダーがボディを架装してました。235も当初はこの方式を踏襲し、シャプロン、フィゴーニ、ソーチックなどが特注のボディを架装していました。(実車画像→ シャプロンのクーペ、ソーチックのロードスター) エンジンは135M用の6気筒3.6L(152HP)を搭載し、最高速170km/hの性能でした。ただコーチビルダーの架装するボディは重かったので、燃費は悪くブレーキの効きも悪かったようです。
コーチビルダーが架装する特注ボディは高価で、販売は芳しくありませんでした。そこで標準化されたシャプロン製ボディが設定されましたが、それでも6気筒エンジンを搭載したシトロエンの最上級車15CV シックスの3台分の値段だったそうです。戦後のフランスではこの種の高級車に高い課税がされたこともあって、販売不振から1954年にドライエはオチキス社に吸収され消滅しました。
ミニカーはイクソのCLCシリーズで、2013年に発売されました。このコーチという名前は標準化されたシャプロン製ボディを架装したモデルのようです。実車緒元の画像参照先の実車を忠実にモデル化しています。カラーリングやモール類、室内などが良く再現されていてかなり良い出来ばえです。ただ実車の全長から逆算すると、1/43よりも一回り大きめにできているようです。(資料の実車全長が間違っているのかもしれませんが) このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「Voitures Francaises d'Autrefois(往年のフランス車)」のNo.3として作られたものでした。(イクソのカタログモデルのこれは内装などの仕上げレベルを変えています) ドライエ 235のミニカーはこれしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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