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トヨタ スープラ A80型 日本 1993年
1993年にトヨタ スープラ 2代目が登場しました。ロングノーズに絞り込まれたリアエンドのダイナミックなデザインで、オプションで大きなリアスポイラーが設定されていました。リアエンドの特徴的な丸形テールライトはトヨタ 2000GTを思い起こさせました。プラットフォームはソアラ 3代目と共通ですが、ソアラではリアシート背面に配置された燃料タンクが、スープラでは重?配分適正化でトランク下に配置されていました。4WSやTEMSなどのハイテク装備をあえて採用しない本格的スポーツカーとして開発され、日本初の6段手動変速が設定され、先代から改良された4?ダブルウィッシュボーン方式サスペンションを採用していました。
エンジンはDOHC 6気筒3L(225HP/ツインターボ 280HP)で、新開発の電子制御スロットルシステム「ETCS」が採用されました。1994?のマイナーチェンジで、上級車に17インチ扁平タイヤとそれに対応した大径ブレーキが追加されました。1996?のマイナーチェンジで、内外装が小変更され、最上級仕様のGZがなくなり、全?にABS、デュアルエアバッグが標準装備されました。1997年の最後のマイナーチェンジで、エンジンが可変バルブタイミング化され、左右のダンパーを油圧で結合し走?状況に応じて左右の減衰力を変えるサスペンション システム REASが採用されました。スポーツカー需要が低迷したことと新しい排ガス規制に対応できないとの理由で、2002年に生産中止となりました。
ミニカーは鉄道模型で有名な株式会社カトー(KARTO)が、1993年頃に発売した当時物でプラスチック製です。左ハンドルの輸出仕様をモデル化しています。(同時期にカトーは日産 フェアレディ 300ZXもモデル化していました) プラモデルの完成品のようなミニカーで、塗装されていないのでボディの質感はいまひとつですが、全体的な雰囲気や特徴的なテールライトや室内などは申し分がないほどの良い出来ばえです。底板はダイキャスト製ですので適度の重さがあり、通常のプラスチック製ミニカーのような安っぽい感じはしません。ドアとボンネットが開閉しますが、閉じた状態では隙間が無く非常に緻密な仕上がりで、老舗鉄道模型メーカーの優れた技術力が発揮されています。(塗装しないので、開閉部隙間を最低限に出来るのです) 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ セリカ GT-FOUR T200型 日本 1994年
セリカ 6代目が1993年に登場しました。アメリカのデザインスタジオ CALTYのデザインで、先代のイメージを継承したボディに上級車レクサス クーペ風の4灯式ヘッドライトを付けたようなデザインとなりました。全モデルの車幅が拡大されて3ナンバー規格となり、カリーナ ED系と共通のシャーシは新設計され、ボディが拡大したにもかかわらず先代より軽量化されました。当初のエンジンはDOHC 4気筒2L(140HP/170HP)で、170HPの高性能版にはストラットサスペンションのキャンパー角変化を抑え操縦安定性を向上させた独自開発のスーパーストラットサスペンションが採用されました。
1994年にDOHC 4気筒2L ターボ(255HP)エンジンを搭載しフルタイム4WDのGT-FOURが追加されました。この車はWRCのホモロゲーションモデルでもありました。先代同様にアメリカで生産した電動開閉式幌を持つコンバーチブルが1994年に国内販売されました。またアメリカ限定であったセリカ 6代目のノッチバッククーペをベースにしてコロナ クーペ風のヘッドライトを持つカレンが姉妹車として1994年に追加されました。(実車画像→ トヨタ カレン) 1997年のマイナーチェンジでエンジンが改良され、パワーと燃費が大幅に向上しました。1999年に7代目にモデルチェンジしました。
セリカ 6代目 GT-FOURによる1995年のWRC参戦は車両開発が難航した上に、レギュレーションに抵触して1年間の出場停止処分となりました。その為セリカによるWRC参戦は6代目で終わり、カローラ 8代目のWRC仕様が後継車となりました。
ミニカーは2008年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製で、メーカーはノレブです。プロポーションが良く実車の雰囲気はうまく再現されています。なおリアのスポイラー周りの造形は良くできていると思いますが、正面から見たときにフロントフェンダーが少し膨らみすぎのような気がします。安価な雑誌付きミニカーですから室内は無彩色でインパネ周りも値段なりの出来ばえです。これ以外のセリカ 6代目のミニカーはダイヤペットの当時物、CM'Sのラリー仕様、トロフューのラリー仕様、デルプラドの名車コレクション、トミカ プレミアム、ミニチャンプス、レジン製ではhpiレーシングなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ RAV4 (XA10) 日本 1994年
トヨタ初の乗用車(モノコック構造)ベースのオフロード車 RAV4 (XA10)が1994年に登場しました。専用のプラットフォームとサスペンション、ベベルギア式のセンターデフを持つ本格的なフルタイム4WDでした。当初は3ドア(4人乗り)のみで、リアにスペアタイヤを背負ったアウトドア車定番のスタイルながら、角形ヘッドライトやボディ上下のツートンカラーなど現代的なセンスの良いデザインでした。高い最低地上高と4WDで悪路走破性は高いながら、オンロードでは4輪独立サスペンションで乗用車並みの乗り心地だったそうです。当初はDOHC 4気筒2L(135HP)エンジンを横置きに搭載していました。なおRAV4という名前は「Recreational Active Vehicle 4 Wheel Drive」の略称といわれています。
1995年にホイールベースと全長を延長した5ドア(5人乗り)のV(ファイブ)が追加されました。(実車画像→トヨタ RAV4 V 1995) 1996年のマイナーチェンジで高性能版 タイプ GにDOHC 4気筒2L(165HP)エンジンが追加され、3ドアにソフトトップ仕様が設定されました。1997年には2WD仕様も設定されました。同年にはRAV4をベースにした電気自動車 RAV4 EVが登場し、少数がフリート販売(買戻しオプション付き販売)されました。2000年にRAV4 2代目(XA20)にモデルチェンジしました。
ミニカーは1997年に発売されたビテス製の当時物です。輸出仕様のRAV4をモデル化しています。ビテスが倒産する直前の一番出来が良かったころの物ですので、プロポーションが良く室内などの細部の仕上げも凝っていて良い出来ばえです。ただ残念なことに合成ゴムのタイヤに含まれる可塑剤(有機溶剤)がプラスチック製ホイールを溶かす不具合が発生しています。これは良く起こる問題で、1970年代から2000年代まで何社ものメーカーで繰り返し発生しています。不具合は数年単位の時間が経過してから分かるので、返品も修正もできない困った問題でした。これ以外のRAV4 初代のミニカーはダイヤペット、Mテック、トミカ、ホンウェルの1/72などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ タウンエース ノア (R40/50) 日本 1996年
1996年にトヨタ タウンエース 3代目(姉妹車ライトエース 5代目) (R40/50)が登場しました。乗用車のワゴンにはノアというサブネームが付いてタウンエース ノアとなり、商用バンと差別化されました。先代はノーズのないキャブオーバーボディでしたが、衝突安全基準強化に対応する為フロントにクラッシャブルゾーンを設け短いノーズ付のセミキャブオーバーとなりました。なおタウンエース トラックは先代がマイナーチェンジされて1999年まで生産されました。4気筒1.8L/DOHC 4気筒2Lと4気筒2.2Lディーゼルターボエンジンを搭載する後輪駆動車で、ディーゼルエンジン搭載車には4WDがありました。
1998年のマイナーチェンジで、ノアは内外装が変更されました。2001年にタウンエース ノアの後継車として乗用車のノア(初代)が登場し、タウンエースはバンとトラックだけになりました。(姉妹車ライトエース ノアはヴォクシーに変わりました) ノア(初代)は前輪駆動車に変わったことで低床化され両側スライドドアを採用するなど、ライバルのホンダ ステップワゴンなどに対抗できるミニバンとして商品力を向上させました。なお商用車のタウンエースは2008年にタウンエース 4代目にモデルチェンジしバン/トラックのみの構成で小型化され、先代より格下の商用車になりました。(実車画像→ トヨタ ノア 2001) (実車画像→ トヨタ タウンエース 2008)
ミニカーは1997年に発売されたダイヤペット セガ製の当時物で、タウンエース ノアをモデル化しています。当時のダイヤペットはセガ トイスの傘下となり、従来の縮尺1/40の玩具的なミニカーだけではなく、縮尺1/43のマニアを意識したミニカーも作るようになりました。このノアもその一つで、従来のダイヤペットの作風をある程度継承していますが、従来よりリアルな造形のミニカーになっています。また灯火類や内装などの細部もリアルに仕上げてあり、全体的にレベルの高い出来ばえとなっています。ボンネットとドアの開閉ギミック付きです。ただこの個体は塗装の下地処理が良くなかったのか 塗装下の金属表面が錆びて?塗装膜が膨潤したように劣化しているのが残念です。(特にボンネットがひどい) なおタウンエース ノア 初代のミニカーは2022年現在でもこれしかないようです。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ MR-S プロトタイプ ZW30型 日本 1997年
トヨタ MR2の3代目としてMR-Sが1999年に登場しました。先代の曲線的なデザインから、初代のような角ばったデザインに戻りました。手動ソフトトップを持つオープンカーに変わったことで、国内では名前をMR-Sに変えましたが、海外ではMR2(北米ではMR2 スパイダー)を継承していました。先代はハイパワーエンジンによるトリッキーな操縦性に問題があった為、MR-Sではエンジンは1.8Lノンターボの140HPと控えめになりました。ただしスポーツカーとしての性能を確保するため、軽量化と重量配分の適正化が図られました。その為リアトランクはなくなり、シート背後に荷物スペースが付きました。
2002年のマイナーチェンジで、前後のデザインを変更し、ボディ剛性が強化され変速機が6段となりました。実用性の低い2シーターのオープンカーということであまり売れず、2007年に生産中止となりました。総生産台数は約8万台でした。MR-Sをベースとしたカスタムカーとして、トヨタ モデリスタが企画したモデリスタ カセルタ、ザガートがデザインした限定車 TMI VM180 ザガートがありました。(実車画像→ TMI VM180 ザガート、MR-S カセルタ) MR-Sのレース仕様車は全日本GT選手権(JGTC)やスーパー GTに参戦していました。
ミニカーは2000年に発売されたエブロ製です。1997年の東京モーターショーで発表されたプロトタイプをモデル化しています。プロトタイプなのでシート背面のカウル部分が量産型と異なっていますが、それ以外はほぼ量産型と同じです。エブロらしいそつの無いリアルな造形で良く出来ています。オープンカーなので良く見える室内も細部まで良く仕上げてあります。エブロは量産型やレース仕様もモデル化しています。これ以外のMR-Sのミニカーは、ミニチャンプス、ハイスピード、オートアートの1/18、京商の1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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