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キュニョーの蒸気車 フランス 1771年
蒸気を利用するエンジン(蒸気機関)はイギリスのジェームズ ワットの考案で 1770年代に実用化されつつありました。その蒸気機関を自動車の動力として最初に採用したのはフランスでした。考案したのは、フランス軍の技術者であったニコラス ジョゼフ キュニョー(Nicolas-Joseph Cugnot)で、馬の代わりに大砲を運搬する車両として開発され、1769年に試作車が完成しました。この車両は前輪1輪/後輪2輪の3輪車で、前輪の前に取り付けた窯で蒸気を発生し蒸気で作動させる2つのピストンで前輪を駆動する構造でした。
当時の車輪は木製で外周に鉄板を貼った滑り易いものでしたので、駆動力を路面に伝える為にこのように前輪荷重が掛かる構造となっていたのは合理的な設計でした。ただし操舵する前輪の上に重い窯を載せていたので操舵には大きな力が必要で、そこにはギヤを使った減速機構が使われていましたので、素早い操縦はできない構造でした。
この車両は試運転で時速3km/h程で走行したそうですが、途中で曲がり切れずに壁に衝突して壊れてしまったそうです。これは「世界初の自動車事故」として有名な逸話です。キュニョーは1971年に2号車を完成させましたが、開発は中止となり2号車は評価されないまま放置されました。その2号車が現在博物館に展示されているそうで、実際に走行させている動画があります。(キュニョーの蒸気車の走行動画) この車両が世界で初めて人工的な動力で走行したことから、歴史上最初の自動車とされています。
ミニカーは1978年に発売されたイタリアのブルム製です。ブルムの初期物で蒸気車ばかりをモデル化した「OLD FIREシリーズ」の1台です。博物館に展示されているキュニョーの蒸気車 2号車をモデル化しています。細部まで実車に忠実にモデル化されていてとても良く出来ています。窯を載せた前輪部分は実際に向きが変えられるように出来ています。この蒸気車は歴史的に有名な車なのですが、量産ミニカーはこのブルム製しかないようです。 以下はフロント/リアなど各部の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ぺックールの蒸気車 フランス 1828年
世界初の蒸気車は1771年に製作されたフランスのキュニョーの蒸気車でしたが、この車はその後開発が中止となっていました。フランスでキュニョーの後を継いだのは、機械技術者で時計職人であったオネシフォール ぺックール(Onesiphore Pecqueur)でした。彼は1828年に当時としてはかなり高度な技術を使った蒸気車を完成させました。キュニョーの蒸気車は3輪車でしたが、ペックールの蒸気車は前輪2輪で操舵を行い、車の前部に搭載した蒸気機関で後輪をチェーン駆動する4輪車で全体的な構成は現在の自動車に近いものでした。
全体的な構成だけではなく前輪のステアリング機構も現在の自動車に近いもので、さらに後輪にはコーナリング時の後車輪の左右の回転速度の違いを調整する差動機構(デファレンシャルギヤ)が備えられていました。彼が特許出願したこのプラネタリー(遊星)ギアを使う差動機構は、現在の自動車に使用されているデファレンシャルギヤの基本技術となりました。彼は時計職人だったのでこのような巧みなギヤの使い方が考案できたのでしょう。この蒸気車は完成度が高かったのですが、残念なことにその後の進展はなかったようです。
ミニカーは1978年に発売されたイタリアのブルム製です。ブルムの初期物で蒸気車ばかりをモデル化した「OLD FIREシリーズ」の1台です。実車諸元の参照画像はぺックールの特許関係の図面だと思いますが、ミニカーはそれに基づいてモデル化しているようです。後輪のチェーン駆動、後車軸の差動機構、前輪の操舵機構などこの車の特徴的なメカ部分がよく再現されていてかなり良い出来ばえです。運転席に座っているドライバーのフィギュアは私がサイズ比較用に追加したものでこのミニカーの付属品ではありません。この車はほとんど知られていないようで、量産ミニカー?(模型)はブルム製のこれしかありません。 以下は各部の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アメデ ボレー ラ マンセル (蒸気車) フランス 1878年
フランスの鋳造技術者(鐘職人)であったアメデ ボレー(Amedee Bollee)は1867年のパリ万博でイギリス製の蒸気車の存在を知り、蒸気車の製作に着手しました。彼は1873年に12人乗りの大型の蒸気車(バス)「オベイサント(L'Ob?issante)」を完成させました。この蒸気車は後部に搭載した2つの蒸気シリンダーで左右後輪を独立して駆動する構造でした。この車はデモンストレーションでパリとルマン間を18時間で走行し、最高速は40km/hが可能だったそうです。アメデ ボレーはこの蒸気車を使った運送事業を考えていたそうですが、その大きなサイズが一般人を怖がらせるなど革新的であった蒸気車は理解されず事業化はできませんでした。(実車画像→ オベイサント 1873)
この失敗を糧にしてアメデ ボレーは蒸気車の小型化を目指しました。1878年に6人乗りでサイズを小さくした蒸気車「ラ マンセル」が完成しました。この蒸気車は後部にボイラーを配置しフロントに搭載された蒸気シリンダーからチェーンを介して後輪を駆動する構造で最高速は約40km/hでした。この蒸気車は1878年のパリ万博に出品して高く評価されており高性能かつ実用的でもあったようです。約50台が生産されましたが、蒸気車の本格的な普及には至りませんでした。アメデ ボレーはその後も「ラ ヌーヴェル(La Nouvelle)」や「ラピード(La Rapide)」と呼ばれる蒸気車を製作しており、フランス自動車黎明期に優れた功績を残しました。
ミニカーは1960年代に発売されたクラシックカー専門のフランスのラミー(RAMI)製です。ラミーは当時のフランスの博物館に保存されていたクラシックカーをモデル化していましたが、これもサルト自動車博物館(現在のルマン24時間レース博物館)が所蔵する実車(ラ マンセル 1878)をモデル化しています。60年以上も昔に作られたミニカーですので現在のように細部までリアルではないですが、当時の手法で実車を忠実にモデル化していて雰囲気もうまく再現されています。特に金属パーツ製のリアのボイラーはいかにもそれらしい感じに仕上がっています。なお実車は地味な色でしたが、ミニカーでは見た目を良くする為にカラーリングをカラフルに変えています。ラ マンセルの量産ミニカーは2023年現在でもこれしかありませんので、車種的には貴重なミニカーです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ドラマール ドブットビルとマランディン(の試作車) フランス 1884年
内燃機関を搭載した実用的な自動車の発明は一般的にはドイツのカール ベンツが1886年に発明したベンツ 3輪車ということになっていますが、フランスはこれに異を唱えています。1884年にフランスのドラマール ドブットビルと彼のアシスタントのマランディンがガソリン自動車の試作に成功しており、これが世界初の自動車だと主張しています。(これを根拠として1984年には「フランス自動車100周年」を記念する行事を開催しています) この車は2気筒4L(約8HP)エンジンを搭載し、エンジン回転はチェーンでデファレンシャルギヤの付いた後輪駆動シャフトに伝達され、その後輪駆動シャフトから左右後輪をチェーンで駆動する構造でした。
実際にこの車が特許を取得したのはベンツ 3輪車より早かったのですが、この試作車は試運転中に故障するなど信頼性がありませんでした。さらにその後に市販されるなどの実質的な進展もありませんでした。したがってこの試作車が世界初の実用的な自動車であるとのフランスの主張にはやや無理があります。自動車黎明期の実用化段階においてはフランスのプジョーなどがドイツよりも進んでいたことは事実ですが、それでも世界初の自動車を発明したのはドイツということになっています。
ミニカーはフランスが1984年に開催したフランス自動車100周年行事を記念して作られた物でした。ミニカーのディスプレイケースの台座には「100 ANS D'AUTOMOBILE FRANCAISE(フランス自動車100周年)」のラベルが貼ってあります。メーカー名はどこにも表示されていないのですが、ミニカーの箱がエリゴールの物なので、エリゴール製だと思われます。スケールモデル的にそれほどリアルな造形ではありませんが、ステアリング機構、ベルト駆動する後輪、荷台の横掛け式座席などの構造がこのミニカーから分かります。前輪は実物同様に操舵することができます。 以下はフロント/リアの画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー ヴィザヴィ (タイプ 3) フランス 1891年
19世紀からフランスで金属加工業を営んでいたプジョー家のアルマン プジョーは1880年代に会社としてのプジョーを設立し、当初は自転車の製造を行っていました。(現在でもプジョーは自転車を製造しています) 1889年に蒸気エンジンを使った3輪車(タイプ 1)を試作しましたが、これはまともに動きませんでした。その後ドイツのダイムラー社製ガソリンエンジンの製作権を持つ同じフランスのパナール ルヴァッソール社の協力で、そのエンジンを搭載する車を開発することになりました。1890年に完成した最初の試作車は「クアドリシクル (タイプ 2)」(QUADRICYCLEとは4輪車の意)と呼ばれる2人乗りの小型車で、V型2気筒565㏄(2HP)エンジンを運転席床下に搭載し4段変速機/デフを介してチェーンで後輪を駆動し最高速18km/hの性能でした。この車は数台製作されました。(実車画像→ プジョー クアドリシクル)
1991年にはクアドリシクルを4人乗りとした「ヴィザヴィ(VIS A VIS)(タイプ 3)」が製作されました。「ヴィザヴィ」とは前後に向かい合って座る座席形式のことで、ドライバーの前に人が座ったときはドライバーは前が見づらくなります。この車は1891年の自転車競技のツール ド フランスの伴走車として、往復の1200㎞を平均時速13.5㎞/hでトラブル無しで走破しました。それがきっかけとなって1894年に史上初の自動車レース「パリ-ルーアン」が開催されました。このレースでプジョーは優勝しました。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたフランスのMINIALUXE製で材質はプラスチックです。(実際の発音とは違うようですが、MINIALUXEはミニオールと呼んでいます) MINIALUXEは主にフランスの乗用車やクラシックカーをモデル化していました。1960-1970年代のミニカーですが、クラシックカーに付き物の灯火類や操作レバーが別パーツで取付けられているなど、当時のミニカーとしてはかなりリアルに作ってありました。また塗装ではありませんが、白/赤のカラーリングが綺麗です。当時クラシックカーのミニカーを購入していたのは大人のマニアが中心でしたから、クラシックカーのミニカーは子供向けのミニカーとは違いスケールモデル的な造形でした。これ以外のプジョー初期のミニカーは、同じフランスのクラシックカー専門メーカーのサフィール(SAFIR)、イタリアのドゥグー(DUGU)、ドイツのガマなどがありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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