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実車諸元 画像参照
GM キャディラック モデル 30 ツアラー アメリカ 1913
フォード自動車の創立者のヘンリー フォードは個人的な趣味として自宅で自動車を製作していました。彼が33歳の1898年に製作した自動車にほれ込んだ地元の材木商のウイリアム H マーフィーは、1899年に「デトロイト自動車」社を創立し、ヘンリー フォードを主任技術者に雇いました。この会社は1901年に「ヘンリー フォード」社に変わり、この会社に精密機械エンジニアのヘンリー リーランドが雇われました。高級車を目指していたヘンリー リーランドと大衆車を目指していたヘンリー フォードは意見が対立し、ヘンリー フォードは会社を辞めてしまいました。その後会社は「キャディラック自動車」社に改名され、1902年にキャディラック モデル A(→モデル A 実車画像)が登場しました。(「キャディラック」とはデトロイトの町をひらいた人の名前) なおヘンリー フォードは1903年に現在まで続く「フォード モータ」社を設立しています。
精密機械エンジニアのヘンリー リーランドが率いるキャディラック社は高い製造品質の自動車を製造しました。1908年には3台の車を分解し部品をバラバラに混ぜあわせてから組立て直して走行させることで部品の互換性を実証する試験を行い有名になりました。1909年にはキャディラック社はGM傘下となり、GMの最上級車となりました。なおヘンリー リーランドはGM首脳とそりが合わなくなり、1917年にGMを退社し「リンカーン モーター」社を設立しています。(フォードの最上級車リンカーンの前身です)
ミニカーがモデル化しているのはキャディラック モデル 30 1913年式のスポーティな2ドア ツアラーです。1909年に登場したモデル 30は4気筒エンジンを搭載したキャディラックとしては最後のモデルで、この1913年式には4気筒6L(48HP)エンジンが搭載されていました。またこの車には世界初の電気式スターターとライトが標準装備となっていました。特に電気式スターターは自動車の取り扱いを極めて簡便にしました。
ミニカーは1968年に発売されたマッチボックス製です。1960年-1980年代に発売されたマッチボックスのクラシックカーは型番がYから始まるのでY シリーズと呼ばれ、それまで専門メーカーが作っていたマニアックなクラシックカーのミニカーを手ごろな値段で一般向けに提供したものでした。その為ライト等の細部の造形が簡略されていますが、クラシックカーらしくないカラフルなカラーリングで比較的安価(1970年代当時の値段は約1000円)であったのでマニア以外にも結構売れました。Yシリーズは本格的なクラシックカーとしてはやや物足りない出来ばえでしたが、車種的には貴重なモデルがたくさんありました。この初期のキャディラックも車種的には貴重なモデルです。ライトがフロントグリル横から生えているなど細部がマッチボックス流で簡略化されていますが、ボディ全体のプロポーションは実車を良く再現しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とキャビン/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マーサー タイプ 35 レースアバウト アメリカ 1913
開通当時世界最長の吊橋であったニューヨークのブルックリン橋の建設に貢献した富豪ローブリング家のワシントン A.ローブリング II (Washington A. Roebling II)は自動車に興味を持っていました。彼の友人W.ウォルター(William Walter)は「ウォルター自動車」を設立しニューヨークで高性能な自動車を少量生産していました。ウオルターはローブリング IIの勧めで工場をニュージャージー州トレントンに移しました。1908年にウォルター自動車が経営難となったので、ローブリング IIはウォルターの会社を買い取って再建し、1909年に会社名をマーサー自動車(MERCER MOTOR CARS)としました。マーサーとは工場があったニュージャージー州マーサー郡に由来したものでした。
マーサーの代表的なモデルで当時の高性能スポーツカーとして知られているタイプ 35 レースアバウトは1911年に登場しました。ドアのない開放的な2人乗りロードスターで4気筒4.8L(55HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速140km/hと高性能でした。レースアバウトのレース仕様車は当時同じような仕様でライバルであったスタッツ ベアキャットと競い合い、1913年のインディ 500で2位、1914年のアメリカGPで優勝するなど大活躍しました。ただしレースアバウト以外はあまり売れなかったようで1919年には他社に買収され、その会社も買収され1925年にマーサー車は生産中止となりました。
ミニカーは1961年に発売されたマッチボックス製です。歴史的に有名なクラシックカーをモデル化しているYシリーズ(Yesteryear Series)の1台です。1960年代に作られたビンテージ ミニカーですので金属パーツが多い素朴な作りですが、実車の雰囲気がうまく再現されていて当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。Yシリーズは造りを簡素化することで安価となっていましたが、縮尺が一定していないことがコレクションには不向きでした。このマーサーも縮尺1/46と中途半端に小さいので、1/43サイズと並べるとやや貧弱な感じに見えます。なおマーサーの量産ミニカーは2020年現在でもこれ以外にはないようなので、その点ではこのミニカーはかなり貴重です。以下はフロント/リアの拡大画像とコクピット周りの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード T型 セダン アメリカ 1915
T型フォードは1908年に発売され、基本的なモデルチェンジなしで1927年まで生産され、総生産台数は約1500万台でした。この記録を凌ぐのはフォルクスワーゲン ビートルのみで、総生産台数は約2100万台でした。ただし生産期間は1941年から2003年までとT型フォードより長期間でした。
1920年代頃には世界中で生産される自動車の半分はT型フォードでした。発売当初の生産台数は年間1万台ほどでしたが、1913年には年間10万台を超え、1922年には100万台を超えました。レールで移動させる台車に車体を載せて作業する流れ作業方式は1912年頃に始まりました。(エンジン単体などもベルトコンベアによる流れ作業で生産されました) これにより1台を完成させるのに必要な時間が初期の12時間から1.5時間に短縮されました。
一台当たりの作業時間が減り生産台数が飛躍的に増えることで、T型フォードの価格は低下していきました。標準的なセダンは発売当初850ドルでしたが、1925年には290ドルまで低下しました。この290ドルは現在の価格に換算すると、約100~150万円ぐらいになるようです。ちなみにフォードの生産工場での作業者の日給は5ドルで、これは年収1000ドル以上となり、当時はかなりの高給だったようです。(ただし単純作業の連続できつい職場だったそうです)
T型フォードのミニカーはたくさんあります。ここでは1960年代のイギリスの老舗ミニカーブランドであったコーギーとディンキーの物をまとめてみました。コーギーのT型フォードは1964年に発売されました。コーギーの型番9000番台はクラシックス シリーズと呼ばれ、種類は少ないですが、マニア向けの本格的なクラシックカーをモデル化していました。これもそのひとつで1915年式T型セダンのモデル化です。ラジエータグリル形状や運転席部分へ繋がるボンネット後部形状などがきちんとその年式どおりに再現され、クラシックカーのミニカーとしてかなり良い出来ばえです。さらにいかにもそれらしい服装をしたフィギュアを乗せているのは、コーギーらしい遊び心が感じられます。バリエーションとして実車とおなじ黒一色のものと幌を立てた状態のものがありました。 以下はフロント/リアの拡大画像とフィギュアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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スタッツ ベアキャット ロードスター アメリカ 1916
アメリカのハリー C スタッツ(Harry Clayton Stutz)が友人と共同で1911年に「IDEAL MOTOR CAR」社を設立しました。同社が製作したスタッツ 1号車は1911年のインディ 500に出走し11位となり、翌年のインディ 500でも4、6位となるなど活躍しました。1913年に会社は「スタッツ モーターカー」社に改名されました。スタッツのレーシングチームは1915-1916年にもインディなどのアメリカのレースで活躍し高い評価を確立しました。
そのレーシングカーをベースにした市販車ベアキャットが1914年に発売されました。フロントウィンドーやドアがなく、シャシーの上にバケットシート、ガソリンタンク、スペアタイヤを備えただけの硬派仕様のロードスターに人気がありました。小さな丸いフロントウィンドーや一般的なドアを設けたロードスターもありました。エンジンは4気筒6.4L(60HP)が標準で、オプションで6気筒6.5Lエンジンもあったようです。スタッツ ベアキャットは同時代のマーサー レースアバウトを真似たものだったので非常によく似ており、両車は当時のスポーツカー市場を2分する人気がありました。ベアキャットはボディやエンジンの改良などが行われて1924年まで生産されました。1919年に創業者のC.スタッツが会社を去って経営者が変わり、1925年に8気筒エンジンを搭載した高級車スタッツ バーティカル エイトが登場しました。
ミニカーは1980年代に購入したレンウォール(RENWAL)製です。レンウォールはアメリカのプラモデル メーカーで、これはプラモデル完成品として販売されたものでした。最も人気のあった硬派仕様のロードスターをモデル化しています。プラモデルの完成品ですので、細かいところまでリアルに再現されていてかなり良い出来ばえです。ただプラスチック製ですので、軽くて安っぽいのと細かいパーツが壊れ易いのが難点です。これ以外のスタッツ ベアキャットのミニカーはフランクリン ミントの1/24、マッチボックスなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピット周りの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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レオ ツーリング アメリカ 1917
アメリカの技術者ランサム E オールズ(Ransom Eli Olds)はオールズ モーター ビークル社を1897年に設立しました。同社は1899年に別の会社に買収され、その経営者とオールズはそりが合わず会社を離れることになりました。1905年にオールズは新たにレオ自動車会社を設立しました。会社名のレオ(REO)は自分の名前の頭文字をつなげたものでした。最初の車は単気筒/2気筒エンジンを搭載したオールズモービル カーブド ダッシュによく似た車でした。レオ社は順調に業績を上げて1907年には販売台数で業界3位となりました。しかし1908年以降は他社の追い上げでシェアは低下していきました。
1910年にはトラックの製造部門が追加され、カナダに製造工場を建設しました。1915年に登場した商用車レオ スピードワゴンは現在のピックアップの元祖のような車として知られています。1930年代になると大恐慌による不況で自動車販売台数が減少し、GMとフォードによる市場寡占化が進みました。1931年に登場した8気筒エンジンを搭載した高級車レオ ロワイヤルは流線形ボディをいち早く採用し、流線形ボディが流行するきっかけとなった車でした。1936年に販売不振でレオは乗用車市場から撤退し、トラックなどの商用車に特化することになりました。第2次大戦後もレオは商用車を生産し、1957年に同業のホワイト社の子会社となりました。(実車画像→ レオ スピードワゴン 1915) (実車画像→ レオ ロワイヤル 1931)
ミニカーは2006年頃に発売されたシグネチュアー製です。1917年に登場した6気筒エンジンを搭載したモデル M ツーリングをモデル化しています。このシグネチュアーの1/32シリーズは定価約3500円ほどの比較的安価なミニカーでしたが、マニア向けの本格的な出来ばえになっていました。このレオ ツーリングも実車の雰囲気がうまく再現され、フロントグリルとその上のレオのエンブレムをかたどったマスコット、室内の造形などがリアルに再現されています。またボンネットが開閉可能でエンジンが再現されていて、床下部分のシャーシ/サスペンションもそこそこ再現されています。開閉2タイプの幌が付いているのもクラシックカーのミニカーとしては本格的です。レオの乗用車のミニカーはこれ以外にはないようで、商用車や消防車などが十種類ほどモデルされています。 以下はフロント(マスコット部拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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