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ランドローバー シリーズ II 109 レッカー車 イギリス 1958年
前述したようにランドローバーは戦時中のジープをヒントにした多目的の小型車として開発されました。したがって最初はホイールベースが80インチ(2.03m)と短いオープンの小型トラックでした。ボディはアルミ製のシンプルな物で、キャンバス製の屋根とドア上半分はオプションで、ヘッドライトは最初はフロントグリルの内側についていました。(多分オフロード走行を考量しての処置?) またエンジン始動は手動のクランク式ハンドル(知らない人もいるでしょうが)でも可能でした。
初期のランドローバーの4輪駆動方式は2段の副変速機を持つ本格的なフルタイム4WDでした。副変速機は通常は高速側で使い、極めて滑り易い路面などを極低速で走行する場合に低速側にセットします。フルタイム4WDながらトランスファーにフリーホイール機構を備えていたので、前輪の駆動力をカットすることもできました。後に高速では2WDと4WDを切り替えることもできるようにもなったようです。
農業用トラクターとしての需要も見込んでいたので、農業用のスキやクワを取り付けるアタッチメント接続機構やそれを駆動する為のPTO(Power Take Off:動力取出装置)も最初から設定されていました。この構造はドイツの多目的車 メルセデス ベンツ ウニモグと同じで、ウニモグ同様にランドローバーも乗用車だけではなく、消防車やレッカー車など様々な用途で使われることになりました。
ミニカーはコーギーの当時物で、1974年に購入しました。このランドローバー ピックアップをコーギーが最初にモデル化したのは1957年で、シリーズ Iをモデル化していました。その後この型を使って様々なバリエーションが作られ、1960年頃に型が少し修正されてシリーズ IIのモデルに変わったようです。(ただ小修正なので厳密にはシリーズ IIとは言えないかも) このレッカー車仕様は1960年に型番417で登場しその後3回仕様変更されて、最終的に型番477として1977年頃まで販売されたロングセラーのミニカーでした。(約170万台以上が売れました)
画像のレッカー車は型番477の最終型で、ホイールが見た目が良くないスピードホイールに変更されていました。1960年代に型が作られているので素朴な作りですが、プロポーションは良くできていました。クレーンは左側面のノブを回すことで巻上げることができます。単純なしかけですが、子供向けギミックとしては人気があったようです。これ以外のシリーズ IIの当時物ミニカーとしてはスポットオン、ディンキーなどで色々な仕様がありました。当時物以外では、ビテス、オックスフォード、ブレキナ、バンガーズなどたくさんあります。以下はフロント/リアの拡大画像と荷台のカバーを外したクレーンの巻上げ部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トライアンフ TR3A イギリス 1958年
アメリカ市場で好評であったジャガー XKとMG TDの間を狙って開発されたのが、トライアンフ TR1(プロトタイプ)で1952年に発表されました。このTR1の評判が良かったので、翌年にTR2が発売されました。MG TDよりも近代的ですが、イギリス風の切れ込んだドアを持つクラシックな外観のボディに、4気筒2L(90HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速160km/hの性能でした。
TR2はまさしくジャガーとMGの中間のサイズと性能でした。価格的にはジャガーの半値ぐらいで、性能の割に安かったので好評だったようです。1955年にフロントに格子形状のフロンドグリルを追加してエンジンを95HPにパワーアップしたTR3となりました。1957年にはフロントグリルの幅が広くなり、エンジンを100HPにパワーアップしたTR3Aに発展しました。1961年にボディを一新したTR4にモデルチェンジしました。TR2/3シリーズは約8万台が生産され、そのほとんどがアメリカに輸出されました。
ミニカーは1986年に発売された初期のビテス製です。左ハンドルですので輸出仕様のモデル化で、リアに荷物用のラックが付いています。 ビテスはマニア向けのブランドでしたから、1980年代のミニカーとしてはプロポーションが良くそこそこの良い出来ばえでした。ナンバープレートのデカールやドアミラーのパーツが付属していましたが、取り付けていません。TR2/3の当時物ミニカーとしてはテクノ、ディンキー、コーギー、スポットオンがありました。当時物以外では京商の1/18、 ビテスの再販物、バンガーズ、スパーク(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ヒルマン ミンクス IIIA イギリス 1958年
1919年に自動車ディーラーとして創業したルーツ社は、1920年代にイギリス最大の自動車販売会社に発展しました。ルーツ社は1930年代にヒルマン、ハンバー、サンビーム、タルボといった自動車メーカーを傘下に収め、ルーツ グループを形成しました。第2次大戦後にシンガーを買収し、ルーツ グループは1950年代後半にはBMCに次ぐ自動車メーカーとなりました。
ルーツ グループ傘下となったヒルマンは自転車メーカーの創業者であったウイリアム ヒルマンが起こした老舗の自動車メーカーでした。ミンクスは戦前の1931年に発表された大衆車で、戦前はかなりヒットした車でした。信頼性が高かったので、戦時中も軍用車として生産され、戦後もそのまま生産されました。(実車画像→ ヒルマン ミンクス 1932年 参照画像→ ヒルマン ミンクス 1946年)
ヒルマン ミンクスは1956年に著名なデザイナーのレイモンド ローウイがデザインした新型にモデルチェンジしました。新型は4気筒1.4L(51HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速125km/hの性能でした。セダン、コンバーチブル、エステートワゴン(ハスキー)がありました。ミンクスはルーツ グループの他のブランドであるシンガーやハンバーの名前を付けた姉妹車のプラットフォームとしても使われました。ミンクスは改良されて1970年頃まで生産されました。なお日本のイスズ自動車がこの車のノックダウン生産を行い、イスズのヒルマン ミンクスとして1953年から1964年まで販売していました。
ミニカーは2004年に発売されたバンガーズ製です。1958年に登場したミンクス シリーズ IIIAと呼ばれるタイプをモデル化しているようです。レイモンド ローウイがデザインした一番知られているデザインのボディを正確に再現していて、当時の流行だったツートンカラーのカラーリングで仕上げてあり良い出来ばえでした。フロントグリルや室内などの細部も良く仕上げてあります。当時物ミニカーとしてはスポットオンやディンキーの物がありました。なおイスズのヒルマン ミンクスはトミカ リミッテドでもモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン ヒーレー スプライト MK I イギリス 1958年
前述したオースチン ヒーレー(ビッグヒーレーと呼ぶ)に対してスモールヒーレーと呼ばれたヒーレー スプライトは、MGのような小型スポーツカーで安価な車を目指して開発され、1958年に登場しました。コストを下げるために、BMCで最も安価なオースチン A35からエンジンやサスペンションなどの基本パーツを流用していました。4気筒948cc(43HP)エンジンは非力ながらも、640kgの軽量モノコックボディ故に最高速は130km/hとそこそこ高性能でした。また小型スポーツカーに造形が深いイギリス流の優れた設計で、小さいながらも優れた操縦性のスポーツカーに仕上がっていました。1961年までに約5万台が生産されました。
特徴的なヘッドライトの形状から日本ではカニ目、アメリカではバグアイ(虫の目)、イギリスではフロッグアイ(カエルの目)とあだ名されていました。スプライトは1961年にMK IIにモデルチェンジして一般的なヘッドライトに変わりました。このMK IIは同じBMCグループのMG ミジェットの姉妹車でもありましたので、両車はまとめてスプリジェットと呼ばれることがあります。 (実車画像→ オースチン ヒーレー スプライト MK II 1962)
ミニカーは1999年頃に発売されたディテールカー製です。プロポーションが良く特徴的なカニ目がうまく再現され、実に愛嬌のあるミニカーに仕上がっていました。フロントグリル/灯火類や室内などの細部もそこそこ良く再現されています。バリエーションでオープントップ仕様のスパイダーもありました。これ以外のスプライト MK Iのミニカーは、このディテールカーのOEMであると思われるソリド、イクソ、エブロ、スパーク、国産名車コレクションなどがあります。なお実車が登場した時期が古いので、スプライト MK Iの当時物ミニカーはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン A40 ファリーナ カントリーマン イギリス 1959年
1958年にオースチン A35の後継車としてA40 ファリーナが登場しました。A35のシャーシにピニンファリーナがデザインしたボディを載せていました。エンジンはA35と同じ948cc(34HP)で、4段変速で最高速113km/hの性能でした。当初は2ドアセダンだけでしたが、1959年には上下2分割式テールゲートを持つカントリーマンが追加され、その機能的なデザインはハッチバック車の元祖とされています。
1961年にフロントグリルを変更してMK IIに発展し、1967年まで生産されました。MK IとMK IIの総生産台数は約34万台でした。テールフィン的なリアエンドを持つこのピニンファリー デザインは好評だったそうで、ADO16シリーズなどその後のBMC車にも使われました。
なおA40という名前の車は、それ以前にも1947年登場のA40 デヴォン、1952年登場のA40 サマーセット、1954年登場のA40 ケンブリッジなどがありました。この40というのはエンジンの馬力がおよそ40HPという意味で、それらは同じエンジンを搭載していました。
ミニカーは2010年に発売されたのバンガーズ製です。バンガーズは老舗コーギーのブランドで、昔のコーギーを感じさせる少しレトロな作風になっています。このA40もプロポーションが良く、実車の雰囲気をうまく再現したシンプルで良質なミニカーに仕上がっていました。安価ながらもエッティング材のワイパーを使い、そのワイパーがほとんど目立たないのもこのブランドの良いところです。A40の当時物ミニカーはコーギー、スポットオンなどがありました。当時物以外ではオックスフォードのMK IIがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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