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ランボルギーニ ハラマ イタリア 1970年
前述したランボルギーニ イスレロの不人気を挽回するために、1970年に登場したのがハラマでした。(名前はスペインのマドリードにあるハラマ サーキットに由来しています) ボディはエスパーダをベースにしており、ホイールベースを短縮して2+2座に仕立てていました。デザインはベルトーネ(マルチェロ ガンディーニ)で、直線的なラインを基調にしたシンプルなスタイルですが、ハーフコンシールドのヘッドライトを配したフロントグリルはユニークでした。
イスレロと同じDOHC V型 12気筒4L(350HP)DOHCエンジンを搭載し、5速変速で、最高速260km/hの性能でした。そこそこの実用性がある2+2座ながらも、短いホイールベースにより操縦性が優れた車だったようで、創業者のフェルッチオ ランボルギーニ自身が愛用していたそうです。1972年に365HPにパワーアップしたハラマ Sが登場しました。ハラマ Sにはエアコンや3段自動変速機も設定されていました。ただ同時期のミウラに比べると地味な車だったので、販売は低調で1976年までに約300台が生産されました。
ミニカーは2004年に発売されたミニチャンプス製です。ユニークなハーフコンシールド ヘッドライト/フロントグリルとシンプルな面構成のボディなど実車のイメージがうまく再現されていました。室内のインパネなどの細部もリアルに再現されています。当時物ミニカーとしてはポリトーイがそこそこの出来ばえの物を出していましたが、実車の人気を反映してか当時物ミニカーはそのポリトーイしかありませんでした。ミニチャンプス以外の最近のミニカーでは、京商の1/64、ホワイトボックスのラリー仕様があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランボルギーニ ウラッコ P250 イタリア 1974年
ランボルギーニがポルシェ 911クラスの2+2座スポーツカーのマーケットを狙って開発したのがウラッコで、1970年にプロトタイプが発表されました。ウラッコとは「小さな牡牛」の意で「ベビー ランボルギーニ」と呼ばれました。2+2座を実現するためにミドシップ横置きエンジンという難しい構造を採用したのは、ランボルギーニらしさを出すためだったのでしょう。この構造で価格をポルシェ 911と同程度とする必要があったことから量産には問題が多かったようで、実際に生産されたのは1973年からでした。
当初のP250のエンジンはV型8気筒2.5L(220HP)で、1975年に追加されたP300はDOHC V型8気筒3L(250HP)で、P300の最高速は265km/hでした。ベルトーネ(マルチェロ ガンディーニ)のデザインは直線的でモダンでしたが、全長が短いので寸詰まりな感じがしてあまりかっこよくありませんでした。結局この車は1979年までに約800台ほどしか生産されず、ポルシェ 911には遠く及ばない失敗作でした。1976年に後継車のシルエットが登場しました。(実車画像→ ランボルギーニ シルエット)
ミニカーは2004年に発売されミニチャンプス製です。ミニチャンプスらしいそつのない造形で、実車の寸詰まりなイメージがうまく再現されていてかなり良い出来ばえでした。灯火類、リアウィンドーのルーバー、室内のインパネなどの細部もリアルに再現されています。ウラッコの当時物ミニカーとしてはメーベトイとポリトーイがありました。当時物以外では京商の1/18と1/64、イクソとその別ブランドのホワイトボックス、ルックスマート(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランボルギーニ ブラーボ イタリア 1974年
ランボルギーニ ブラーボは1974年にトリノ ショーで公開されたコンセプトカーです。ベルトーネのマルチェロ ガンディーニのデザインで、ウラッコをベースにしていました。ウラッコの後継車として実際に量産準備をしていた走行可能なプロトタイプでした。その為ボディの基本プロフィールはあまり奇をてらったところがないシンプルなデザインです。ただフロントピラーを隠してサイドとフロントを一体化した大きなウインドーは斬新でした。フロントとリアのルーバーパネルはシンプルなボディのアクセントになっていて、フロントのルーバー最前列の左右の2つはリトラクタブルヘッドライトとなっていました。
リア クオーターパネルの窓の切り欠きもデザイン上のアクセントで、この切り欠きのモチーフがフロントエンドとテールエンドに反復されていました。エンジンはウラッコのV型8気筒3Lで横置きミドシップ搭載されていました。ブラーボは量産化されませんでしたが、デザインの特徴(リアフェンダーのホイールオープニング形状など)は同時期に市販化が発表されたカウンタックとよく似ていました。またカウンタックに採用された5穴ホイールがブラーボ ホイールと呼ばれるのは、それがブラーボ用にデザインされた5穴ホイールと同じだったからです。
ミニカーは2008年に発売されたミニチャンプス製です。全盛期のミニチャンプスのそつの無い標準的な良い出来ばえでした。実車に忠実でスモーク ガラス仕様になっているので、室内はほとんど見えません。特筆すべきはその見えない室内の造形も手抜きせずに再現してあることです。当方は興味本位でミニカーを分解して内部を確認してみました。ステアリング センターのランボルギーニのロゴやメータパネルまでちゃんと再現してありました。 当時のミニチャンプスはこのように真摯で良心的な物づくりをしていたので好きなブランドでしたが、最近はその姿勢が崩れました。(1/43のF1や1/18はそうでもないようですが、昔に比べると高価です) これ以外のブラーボのミニカーは、京商の1/64やホワイトボックスなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランボルギーニ カウンタック LP400 イタリア 1974年
ランボルギーニ ミウラの後継車として計画されたカウンタックのプロトタイプ LP500は1971年に発表されました。ベルトーネ(マルチェロ ガンディーニ)によるウェッジシェイプの未来的なデザインはセンセーショナルな評判を呼びました。またV型12気筒5L(440HP)エンジンを変速機側を前方に向けてミドシップで縦置きに配置した構造も特異なものでした。
このような特異な構造にはやはり無理があり、エンジンの冷却などに問題が生じそのままでは量産化できませんでした。3年後の1974年に市販されたLP400は冷却用のエアインテークなどが追加され、エンジンはミウラ用のV型12気筒3.9L(375HP)に変更されていました。当時のライバルであったフェラーリ BBと張り合って最高速300km/hを公称していました。 LP400は1978年に改良型のLP400S、1982年に4.7Lエンジン搭載のLP500S、1985年に4バルブ化した5.2L(455HP)エンジンを搭載したLP500QV(QUATTRO VALVOLE)に発展しました。1990年まで生産され、総生産台数は約2000台でした。 カウンタックという名前は本来は「クンタッチ」のような発音で、イタリア語でびっくりしたときに発する感嘆詞だそうです。確かに走行中のこの車を見るとこのような言葉がでます。私は路上でこの車と高速ですれ違ったことがありますが、近づいてくる幅の広い異様な車にびっくりしました。(すれ違った時点でカウンタックであると気づきましたが、実物はどちらかというとかっこいいというよりも変わった車です)
なお当時のランボルギーニ社はウラッコの失敗などで経営不振となり、1978年に一度倒産しています。その後イタリア政府の管理下となり、クライスラー傘下などを経て現在はVWグループのアウディ傘下となっています。 アウディ傘下で2021年にカウンタックの50周年を記念して、V型12気筒エンジンと4電気モーターを搭載したハイブリッド仕様のカウンタック LPI 800-4が発表され、112台が限定生産されました。(実車画像→ ランボルギーニ カウンタック LPI 800-4)
ミニカーは2002年に発売されたミニチャンプス製です。ミニチャンプスらしいリアルな造形で、とてもよく出来ていました。1/43のダイキャスト製ミニカーとしてはプロポーションや灯火類などの細部の仕上げがベストに近い出来ばえだと思います。ただサイドウィンドーの透明度が低いのでそこから室内がほとんど見えないのが今一つです。(室内はサイドウィンドーからの撮影ができませんでしたので、フロントウィンドー越しに撮影しました) カウンタックのミニカーは非常にたくさんあります。プロトタイプ LP500のミニカーはポリスティル(ポリトーイ)の1/25、京商の1/18などがあります。LP400の当時物ミニカーは、ダイヤペット、トミカ、トミカ ダンディ、サクラのスーパーカーシリーズ、シンセイ、ポリスティル(ポリトーイ)の1/25などがありました。当時物以外では京商の1/43と1/18、オートアートの1/18、アイドロン(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランボルギーニ LM002 イタリア 1984年
1976年にランボルギーニはBMWからミッドシップ車 M1の開発/シャーシ製造を依頼され、1977年にはプロトタイプが完成しました。しかしランボルギーニの財政状況の悪化で、製造が遅れたことでランボルギーニは委託契約を破棄され、結局1978年に倒産しました。その後イタリア政府の管理下となり、1987年にクライスラー傘下となるなどして、1999年からはフォルクスワーゲン/アウディ グループの一員となっています。
ランボルギーニはオフロード車のプロトタイプをチーター(CHEETAH)という名前で1977年に発表しました。この車はアメリカのMTI(Mobility Technology International)社の依頼でアメリカ軍向けの軍用車として開発され、クライスラー製のV型8気筒エンジンを横置きでリアミッドシップ搭載していました。しかしこの車は軍用車として採用されませんでした。(実車画像→ ランボルギーニ チーター)
そこでこの車は富裕層向けのオフロード車として見直され、1981年にLM001という名前のプロトタイプが製作されました。LM001はリアエンジン車特有の加速時の操縦性に問題があり、エンジンをフロント搭載に変更して完成したのがLM002でした。豪華な内装や装備を持つ4人乗り高級車で、ボディ後部はピックアップのような荷台になっていました。駆動方式は副変速機を持つフルタイム4WDで、タイヤはパンクしても走行可能なピレリ製の特注品でした。当初のエンジンはカウンタック用を改良したDOHC V型12気筒5.2L(455HP)でした。1993年まで約300台が生産されました。(なお市販されたのは1986年とする資料が多いですが、1982年からとする資料もあります)
ミニカーは2004年頃に発売されたミニチャンプス製です。ミニチャンプらしい手堅い作りで、角ばったボディや底板部分のサスペンションなどの細部もリアルで、全体的に実車をリアルに再現してありました。室内などの細部も彩色され良く再現されていました。これ以外のLM002のミニカーは京商の1/18と1/64、イクソ(廉価版のホワイトボックス)などがあります。プロトタイプのチーターのミニカーは、Bブラーゴ、ダイヤペット、トミカがありました。チーターは実際には販売されなかったので、いずれもショーカーをベースにした創作的なものになっていました。以下はフロント/リアの拡大画像と床下分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)