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フィアット 500C イタリア 1949年
第2次大戦の敗戦とその後のインフレでイタリア経済は壊滅状態でした。したがって戦後のイタリアは一般大衆が車を買えるような状況ではなく、スクーターなどの2輪車に需要が移っていました。当時の映画「ローマの休日」(1953年公開)には劇中車として2輪車のべスパや戦前型の500A(トポリーノ)がたくさん出てきますが、当時のイタリアの世相をよく反映していました。そんな訳で安価な小型車500Aは、戦後もそのまま生産されていました。
1948年にはエンジンを16HPにパワーアップした500Bとなり、同時に派生車として4シーター ワゴンのジャルディニエラ(GIARDINIERA)が追加され、それをベースにした商用バンのフルゴンチーノも追加されました。1949年にはボディを一新した500Cとなりました。500Cはライトをフェンダーに埋め込み、スペアタイヤを内蔵しバンパーを追加して現代的なスタイルに変わりました。この変更でトポリーノのユーモラスなイメージは薄くなり、ビジネスライクな小型車といった感じが強くなりました。1951年にジャルディニエラは側面の木製パネルを金属製に変更したベルヴェデーレ(BELVEDERE)に変わりました。500Cは1955年まで生産され、後継車の600にモデルチェンジしました。500シリーズの総生産台数は約65万台でした。
ミニカーは1978年に発売されたブルム製で、1970年代に作られたブルム初期のミニカーでした。前述した同じブルム製の500Aと同様に、実車の雰囲気がうまく再現されていて当時のミニカーとして良く出来ていました。少し古くさい作風でしたが、この車のイメージにはうまくマッチしていました。ブルムは500Cのワゴンのジャルディニエラやベルヴェデーレ、商用バンなどのバリーエーションもたくさん作っています。ブルム以外の500Cのミニカーはマーキュリーの当時物、イクソ、リーツェの1/87、ノレブのジャルディニエラなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロールス ロイス シルバー ドーン イギリス 1949年
1946年に登場したベントレー MK VIは同時期に登場したロールス ロイス シルバー レイスのホイールベースを短縮したものでした。ベントレー MK VIにはメーカー標準のスチール製ボディが設定されていました。当時のアメリカ市場のコンパクトセダンの需要に対応して、ロールス ロイス初の標準ボディ設定で低価格化したMK VIのロールス ロイス版が検討され、ロールス ロイス シルバー ドーン(DAWN:夜明けの意)として1949年に発表されました。当初のシルバー ドーンは全てが左ハンドル(輸出仕様)でした。
シルバー ドーンとベントレー MK VIはエンジンのチューンとグリルが異なるだけで基本的には同じ車でした。(ベントレーはツインキャブ、シルバー ドーンはシングルキャブで少しだけパワーが小さい) 当初のエンジンは直列6気筒4.3Lで、1951年にはシルバー レイスの変更に合わせて4.6Lに拡大されました。1952年には4段自動変速がオプションで設定されました。シルバー ドーンは1955年にシルバー クラウド Iに切替わって生産中止となり、生産台数は約760台でした。なお標準ボディではなく、従来通りのコーチビルダー製ボディのシルバー ドーンもあったようです。
ミニカーは2017年に発売されたオックスフォード製です。シルバー ドーンの標準スチール製ボディ仕様をモデル化しています。品の良いツートンカラー、良くできたフロントグリルとその上のマスコット、そこそこ再現された室内など、実車の雰囲気が良く再現されている良い出来ばえでした。ただ屋根のラジオのアンテナは、少し目立ち過ぎで目障りです。オックスフォード ブランドは登場した当初より仕上げレベルが向上していましたが、このロールス ロイスの値段は約6000円とそんなに高くはありませんでした。 シルバー ドーンのミニカーは最近までウエスタンモデル(ホワイトメタル製)の物しかなかったのですが、2014年にトゥルースケール(レジン製)でモデル化されました。このオックスフォードのシルバー ドーンはトゥルースケールの約半値ですが、出来ばえはほぼ同等でした。以下はフロント(マスコットの拡大)の拡大画像とリアの拡大画像です(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM キャディラック 62 コンバーチブル アメリカ 1950年
GM キャディラックの1940年代のラインアップは戦前(1930年代)の60(シリーズ)が61(シリーズ)に、65が62に、70が60Sになり、その上にはリムジンの75がありました。62はキャディラックとしてはエントリーレベルのフルサイズの高級車で、初代は1940年に登場し、4ドアセダン、2ドアクーペ、2ドアコンバーチブルがありました。1942年に2代目にモデルチェンジしましたが、2代目でもまだヘッドライトを組込んだフェンダーがボディ側面から独立していて、1930年代のイメージを残していました。(実車画像→ キャディラック 62 初代 1941)
1948年にフェンダーがボディと一体化された戦後型のキャディラック 62 3代目が登場しました。1950年代に自動車デザインの流行となったテールフィンを最初に採用したのがこの車でした。テールフィンは双胴の戦闘機ロッキード P-38 ライトニングの垂直尾翼のイメージを自動車に取り込んだ物でした。(戦闘機の画像→ ロッキード P-38 ライトニング) この頃のアメリカ車はクロームメッキされた派手で巨大なバンパー、グリルが特徴で、美しいかどうかは別にしてそのダイナミックな迫力には魅了がありました。1953年に2ドアコンバーチブルに特別仕様のエルドラド 初代が設定されました。キャディラック 62は1954年に4代目にモデルチェンジしました。 (実車画像→ GM キャディラック 62 4代目)
ミニカーは1990年頃に発売されたビテス製で、キャディラック 62 3代目 コンバーチブルをモデル化しています。ビテスは1940-50年代のアメリカ車をモデル化していました。このキャディラックもその一つで、派手なクロームメッキのグリル/バンパー、特徴的なテールフィンがうまく再現されていて、当時としてはかなり良い出来ばえでした。室内もそこそこ良く再現されていました。なおエンブレム/ナンバープレートのデカールやドアミラーなどの後付け用パーツが付属していて、それらを付けるとよりリアルになるのですが、取り付けていません。バリエーションとして幌を下した仕様、映画女優のフィギュア付、アイゼンハワー大統領の就任式パレード仕様などがありました。これ以外の1950年代のキャディラック 60系のミニカーはフランクリン ミントの1/24、スパーク(レジン製)、ネオ(レジン製)、グリーンライトの1/64、デルプラド 世界の名車シリーズなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM ビュイック スーパー アメリカ 1950年
デイヴィット ダンバー ビュイック (David Dunbar Buick)が1903年に設立したビュイック社は、当初は業績が芳しくなく馬車製造会社のウイリアム C.デュラントに援助を求めました。デュラントの采配でビュイック社は業績が回復しましたが、創業者のビュイックは会社をさりました。1908年にデュラントはGM(ジェネラル モータース)社を創立し、キャディラックやオールズモービルを買収し、GMはアメリカ4大メーカーの一つとなっていきました。ビュイックはGMではキャディラックに次ぐ高級車ブランドでした。(1930年代のビュイック)
ビュイックの最上級モデルはV型8気筒5.2Lエンジンを搭載するロードマスターで、ロードマスターと同じサイズで排気量の小さい8気筒4..1Lエンジンを搭載する スーパー 初代が1940年に登場し、1942年に2代目が登場しました。スーパー 3代目が戦後の1949年に登場しました。8気筒4.1L/4.3Lエンジンを搭載するフルサイズの大型車で、4ドアセダン、2ドアクーペ/コンバーチブル、4ドアワゴンがありました。3代目は戦後型でしたがまだ独立したフェンダーが少し残っていました。派手なクロームモールの楕円形フロントグリルは正面から見ると歯をむき出しているような感じであまり上品ではないですが、インパクトがありました。この楕円形フロントグリルはビュイックの伝統として2000年代のビュイックにも使われていました。ボンネット後部にある3連の穴(VentiPorts)はこの時期のビュイック車の特徴で下位グレードのスペシャルとスーパーは3連、V型8気筒5.3Lエンジン搭載の上級グレードのロードマスターは4連でした。1954年にスーパー 4代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ ビュイック スーパー 1954)
ミニカーは1987年に発売されたソリド製です。ソリドは1950-1960年代のアメリカ車を1980年代に数種類ほどモデル化していましたが、このビュイック スーパーもその一つです。プロポーションが良く、特徴的な楕円形のフロントグリルやボンネット後部の穴もうまく再現されていました。このボンネット後部の穴は戦闘機のエンジン排気口を模したもので、ボンネット前端についているマスコットは戦闘機の銃撃照準器を模したものらしいので、この当時は自動車のデザインにも戦争の影響が残っていたようです。ソリドは型番4512で幌を閉じたバリエーションがありました。同時期のビュイックのミニカーはディンキーの当時物、フランクリン ミントの1/24と1/43、ダンバリー ミントの1/24、ブッシュの1/87、SIGNATUREの1/32などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM シボレー セダン アメリカ 1950年
1930年代のGMの大衆車シボレーはマスターと呼ばれる世代で、スタンダード シックス(1937年まではマスターと称する)と上級グレードのマスター デラックスがありました。1941年にマスターはデラックスと呼ばれる世代にモデルチェンジしました。フロントグリルが大きくなりヘッドライトがフェンダーに埋め込まれた新しいデザインになりました。6気筒3.5L(85HP)エンジンを搭載し、3段変速/2段自動変速(パワーグライド)で最高速約120km/hの性能でした。ボディ形式は4ドアセダンと2ドアクーペがありました。(実車画像→ シボレー デラックス 1941 )
第2次大戦後の1949年にシボレーのデラックス世代は、前後フェンダーがボディとほぼ一体化した戦後型の新しいデザインに一新されました。この頃からシボレーは4ドアセダン/2ドアクーペ以外に2ドアクーペ/コンバーチブル、ステーションワゴンが設定されるなどしてボディ形式が増えました。エンジンはそれまでと同じ6気筒3.6Lでしたが、オプションで6気筒3.9L(105HP)が追加されました。1953年にシボレーは210(Two-Ten)/150(One-Fifty)と呼ばれる世代にモデルチェンジしました。(実車画像→ シボレー 4ドアセダン 1953 )
ミニカーは1986年に発売されたソリド製です。1950年式のオーソドックスな4ドアセダンをモデル化しています。ソリドの型番45**の4500シリーズは1950-1960年代のクラシックカーをモデル化していました。このシリーズは定価2000円ほどの比較的安価なミニカーでしたが、老舗らしいツボを心得たうまい造形になっていました。このシボレーはアメリカ車のミニカーとしては地味ですが、戦後型シボレーのデザインがうまく再現されていて良く出来ていました。(特にバンパーなどのメッキパーツの使い方が上手です) 室内もそこそこ良く再現されていました。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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