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フォルクスワーゲン ビートル ドイツ 1948年
戦後フォルクスワーゲンの工場はイギリス軍が管理し、1946年から生産が再開されました。ただ戦前のナチス政権が推進していたフォルクスワーゲン KdF(ビートル)に戦勝国は魅力を感じなかったようで、引取先がありませんでした。結局オペルで工場長をしていたハインツ ノルトホフが再建を引き受けました。 彼はオペルの親会社GMで生産と販売について学んでおり、アメリカ式の大量生産方式を取り入れ、販売面でもアメリカ式サービスを徹底させKdFを世界のビートルに変身させました。
初期のビートルは戦前のKdFとほとんど同じ構造/デザインで、空冷4気筒1131㏄(25HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速105km/hの性能でした。初期型はリアウィンドーが2分割でしたのでスプリット ウィンドーと呼ばれています。そのリアウィンドーは1953年には楕円形に変わりました。1947年頃には輸出されるようになり、1950年からサンルーフがオプション設定されました。1954年からエンジンが1192㏄(30HP)に変わり、最高速が110km/hに向上しました。
戦前のKdFも含めてフォルクスワーゲン ビートルのミニカーはたくさんあります。当サイトのデーターベースでは約1500件がリストアップされています。(ビートルのミニカーは年式が明確にわからない物が多いので4割ぐらいは年式未記載です) 私はビートルのミニカーを約50台保有していますので、それらを年代別に分けて紹介することにします。まずは1952年以前のスピリット ウィンドーのビートルを紹介します。最初の1台は私の好みで1988年に発売されたリオ製のビートルを選びました。リアウインドーが2分割の初期型をモデル化しています。プロポーションが良く適度に古くさい(懐かしい)作風で、ビートルらしさが感じられるミニカーです。ドアが開閉するギミック付きです。リオは商用車、軍用車などビートルのバリエーションを約60種類ほど発売しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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タルボ ラーゴ T26C F1 フランス 1948年
戦前の1920年代にSTDグループ(サンビーム、タルボ、ダラック)は、速度記録やGPレースに挑戦していました。速度記録車ではサンビーム 1000HP (1927年 327.97 km/h)、レースカーでは1926年のタルボ ダラック 1500などが代表的なマシンでした。1935年にSTDグループのフランス工場をアンソニー ラーゴが買い取ってタルボ ラーゴとなってからも、タルボ ラーゴ T150などがレースで活躍していました。(実車画像→ サンビーム 1000HP、タルボ ダラック 1500)
第2次大戦後にタルボ ラーゴは戦前に開発していたT26でレースに復帰しました。1948年にT26を改良したT26Cが登場しました。当時はスーパーチャージャーで過給したアルファ ロメオ 158やマセラティ 4CLTが強かったのですが、タルボ ラーゴは1949年のベルギーGPとフランスGPで優勝するなど活躍しました。1950年に始まったF1選手権でも1951年まで参戦し、マイナーなレースでは優勝していました。またT26Cの2座仕様のT26 GSが1950年ルマンで総合優勝(ドライバー ルイ ロジェ/ジャン-ルイ ロジェ)しています。
ミニカーは1982年に発売されたブルム製です。1948年式でとくにどのレースのモデルというわけではないようです。(ブルム初期のモデルにはこのように時代考証がアバウトなものがありました) 今見ると細部に少し物足りない部分もありますが、1980年代当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。後に作られた型番R113のT26Cは1951年ドイツ GPの出場車をモデル化していました。これ以外のT26Cのミニカーは老舗ディンキー(英)の当時物がありました。また1950年ルマン優勝車のT26 GSをイクソやスパーク(レジン製)がモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 1100B イタリア 1948年
戦前の1937年に登場したフィアット 508Cは1939年にフロントグリルがアメリカ車風に変えられ名前が1100となりました。1100は戦後の1948年に1100Bとなり、1949年にはトランクが追加されるなどして1100Eとなりました。1100Eはエンジンが少しだけパワーアップしていましたが、ボディはリアにトランクが追加されただけで、見た目はほとんど同じでした。1100シリーズのボディ形式は2ドア/4ドアセダンとコンバーチブル、2ドアクーペ/スパイダー、ロングホイールベースのバリアント、商用バンなどなんでもありでした。508Cから始まった1100シリーズは1953年に新型の1100が登場するまで、外観は変更されましたが、中身はほぼ同じまま生産されました。
以下は1940-1950年代のフィアットの車種構成です。(Wikipediaなどを参照して作成しました)
前述した小型車500の上級車として1100シリーズがあり、その上級車には戦前に登場した1500の戦後型1500Eと1950年に登場した1400がありました。
ミニカーは1984年に発売されたブルム製です。1948年式の1100Bをモデル化しています。ブルムは前述したように戦前の508C(1100)をモデル化していましたので、これはその型を流用したバリエーションでフロントグリルの造形が変更されています。地味な実用車のミニカーですが、実車の雰囲気が良く再現されていて、当時のミニカーとしては良く出来ていました。ブルムはボディにトランクが追加された1100Eもモデル化していて、1100Eの商用車のバリエーションもたくさんあります。これ以外の1100シリーズのミニカーはスターラインがスポーツ仕様の2ドアクーペ 1100Sをモデル化しています。自動車の歴史を作ってきたのは派手な高級車だけではなく、このような地味な大衆車の存在も大きいのです。したがって自動車の歴史を知るためにはこの類の実用車のことも知る必要があります。そのような観点から地味な実用車をミニカーにしてくれるブルムのようなブランドはありがたい存在なのです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 166 MM イタリア 1948年
前述したフェラーリ 125Sはレースの成績が振るわない為、排気量を1.9Lに拡大し125HPにパワーアップした159Sとなりました。さらに1948年には排気量を2Lに拡大し140HPにパワーアップした166Sに切り替わりました。166Sは1948年のミッレ ミリア、タルガ フロリオで総合優勝し、1949年のルマンで総合優勝するなどレースで大活躍して、フェラーリの名前を知らしめました。なお1948年のミッレ ミリアで優勝したことを記念して、166Sはミッレ ミリアのイニシャルを付与した166 MMに改名されました。
1947年にロードカー仕様の166 SC(スパイダー コルサ)が登場し、GPカー 125F1に166 SCの2Lエンジンを搭載した125 F1/166も設定されました。1948年にロードカー用のシャーシが初めて生産され、166 インテル(INTER)として設定されました。166 インテルはトゥーリング、ヴィニャーレなどのカロッツェリアがクーペやカブリオレなどの華麗なボディを架装しました。166 インテルは約40台ほどが生産されました。これらの富裕層向けの車もフェラーリの名声を高めました。
ミニカーは1994年に発売されたイタリアのM4社のブランドのアートモデル製です。166 MMのトゥーリング製バルケッタ(オープンカー)をモデル化しています。微妙なボリュームがある曲面的なボディがうまく再現されていて実に良い出来ばえでした。フロントグリルやインパネのメータ類などの細部も良く再現されていました。またワイヤスポークホイールの出来が良いのでミニカーの足回りが引き締まって見えます。これ以外の166のミニカーは、アートモデル(約40種類)、イクソ、マテルの1/18と1/43、最近のレジン製ではトップモデル、ルックスマートなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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チシタリア 202 クーペ イタリア 1948年
チシタリア社はイタリアの実業家ピエロ ドゥジオ(Piero Dusio)が1946年に設立したスポーツカーメーカーでした。チシタリアという名前は「Compagnia Industriale Sportiva Italia (イタリアのスポーツ産業社)」に因んだものでした。最初のモデルはフィアット 1100のパーツを使ったレーシングカー D46で、ダンテ ジアコーサ(フィアットの技術者) が設計しました。鋼管スペースフレーム構造による軽量化で高性能だったD46はレースで成功しました。その後ポルシェ設計事務所が設計した水平対向エンジンをミドシップ配置し4WDシステムを採用した極めて進歩的なGPカー タイプ 360を開発しました。ただ複雑な構造故に高価だったので、資金不足で活躍できなかったようです。(実車画像→ チシタリア D46 1947)(実車画像→ ポルシェ タイプ 360 チシタリア 1947)
チシタリアの名前を有名にしたのは、1947年に発表されたピニンファリーナ デザインの202 クーペでした。ボディとフェンダーが完全に一体化したフラッシュサイドの美しいボディは、戦後の自動車デザインのスタンダードとなりました。202 クーペは手作業による少量生産車で、レース仕様車が1947年のミッレ ミリアでクラス優勝しています。戦後の車のデザインに多大な影響を与えたチシタリアは資金難から1965年に活動を停止しました。202 クーペは戦後の車を代表する優れたデザインとしてニューヨークの近代美術館に展示されました。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたイタリアのドゥグー製です。ドゥグーはクラシックカー専門のブランドで、トリノ自動車博物館が所蔵する実車をモデル化していました。このチシタリア 202 クーペもトリノ自動車博物館の実車をモデル化していました。プロポーションが正確で実車のデザインが忠実に再現され、フロントグリルや灯火類などの細部もそこそこ良く再現されています。ボンネットが別パーツになっていますが、ボンネットが開く構造にはなっていません。(たぶん最初はボンネットを開くようにするつもりだったのでしょう) これ以外のチシタリアのミニカーはマーキュリーが当時物で初期のGPカーを作っていましたが、202のミニカーは最近までこのドゥグー製しかありませんでした。2010年にスターラインが202のスパイダーとクーペを数種類をモデル化し、最近ではミニ ミニエラ(MINI MINIERA レジン製)が202 クーペをモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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