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アルファ ロメオ 6C 2500 フレッチア ドーロ イタリア 1947年
アルファ ロメオは第2次大戦中には軍需品の生産に従事し、戦火でほとんどの工場を失いました。戦後の1946年には6C 2500 戦前型の再生産が始まり、1948年に社名をS.A. ALFA ROMEO.からALFA ROMEO S.P.Aに改めました。なおアルファ ロメオは1930年代に国有公社化されましたが、その体制は1986年にフィアット傘下となるまで続きました。1947年には6C 2500を改良したフレッチア ドーロ(FRECCIA D'ORO:金の矢の意)が登場しました。フレッチア ドーロは戦前型よりホイールベースが長く、ボディ剛性を向上させる為にフラッシュサーフェースを採用した戦後型デザインのボディをフレームに溶接していました。
このフレッチア ドーロ以外にもピニンファリーナやトゥリングなどのカロッツェリアが華麗なボディを架装した6C 2500 スポルト/ツーリスモなどが1952年まで生産されました。戦前のアルファ ロメオは少量生産の高性能高級車メーカーでしたが、戦後の6C 2500はその路線の最後を飾る高級車となりました。その後アルファ ロメオは時代の変化に対応し、高性能なツーリングカーを量産して比較的低価格で提供するといった新路線に転換しました。
ミニカーは2004年に発売されたミニチャンプス製です。実車が全長4.9mほどの大柄な車ですので、ミニカーも全長114㎜と結構でかいです。トゥリング製の豪奢なボディを渋い濃紺のカラーリングでうまく再現していました。この6C 2500から続いているアルファの象徴である細い盾型のフロントグリル、ワイヤースポークホイール、内装などの細部もミニチャンプスらしいリアルな仕上げで、とても良く出来ていました。これ以外のフレッチア ドーロのミニカーは、ウエスタンモデル(ホワイトメタル製)、JOLLY MODEL(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 125S #10 ミッレ ミリア イタリア 1947年
前述したアウト アビオ コストルツィオーネ社は第2次大戦後にレーシングカーの開発を再開しました。エンツォ フェラーリはアルファ ロメオ在籍時の同僚であったジョアッキーノ コロンボの協力を得て、高性能なV型12気筒エンジンを開発しました。エンツォ フェラーリは1947年にフェラーリ社を創立し、同年にフェラーリの名前を冠した最初のモデルである125Sが登場しました。125Sは新開発したV型12気筒1.5L(100HP)エンジンを搭載し、5段変速で最高速は170km/hの性能でした。名前の125は1気筒あたりの排気量が125ccであることを表しています。フェラーリは第1号車から高性能な12気筒エンジンを使っていたのです。(しかも1.5Lで12気筒です!)
125Sにはロードカー仕様の125GTも計画されましたが、実現しませんでした。エンジンをスーパーチャージャーで過給して230HPにチューンした、フェラーリ初のF1マシン 125 F1が1948年に登場しました。 (実車画像→ フェラーリ 125 F1) 125 F1と同時期に活躍したアルファ ロメオ 158もジョアッキーノ コロンボの設計でしたので、とても良く似ていました。 125Sは3台生産され、パルマ サーキットなどイタリア国内のレースで活躍しました。125Sはレースに使用された後、後継車の159S、166のベースとして再利用されました。
ミニカーは1989年に発売されたブルム製です。1947年のミッレ ミリアの出場車(レース結果はリタイア)をモデル化しています。独特のフロントの顔つきがうまく再現されているなど、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。インパネのメーター類も当時のミニカーとしてはリアルな仕上げでした。ブルムはバリエーションで125Sのデビュー戦のピアチェンツァ サーキット仕様など4種類をモデル化しています。これ以外の125Sのミニカーは、アートモデル、イクソ、マテルの1/18などがあります。125 F1はイクソがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。リアの画像を見ると、この当時のレースカーのテールライトは丸形1灯式だったことが分かります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ トヨペット SA型 日本 1947年
終戦後すぐにトヨタ自動車は小型車開発を決定し、1947年には試作車が完成しました。同年にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から年間300台に限り乗用車生産が許可されたので、この車はトヨペット SA型として発表されました。なおトヨペット(TOYOPET)はこの時に付けられた愛称でした。SA型は全輪独立懸架の鋼板バックボーンフレームに鋼板ボディを載せた極めて先進的な構造で、戦前の欧州製小型車をお手本にしていました。流線型のボディも欧州的で、ちょっと変わったデザインのグリルが付いていました。新開発した4気筒995cc(27HP)のS型エンジンを搭載し、3段コラムシフトで最高速87km/hの性能でした。
戦後いち早く発売されたSA型は意欲的な車でしたが、少し時代に先んじすぎていました。当時の乗用車はほとんどがタクシーに使われましたが、全輪独立懸架は当時の劣悪な道路で酷使される用途には不向きでしたし、2ドア仕様もタクシーには不向きでした。 そんなわけでSA型は1952年まで約200台ほどしか生産されず、営業的には失敗作でした。ただSA型はその後のトヨタの自動車開発にとって、極めて重要な布石となったと思われます。トヨタ自動車が欧米メーカーと技術提携せず、独自技術に拘ったのもこの車での経験が有ったからだと思われます。
ミニカーは1970年代に個人コレクターが起ち上げたブランドのリーンレプリカ製です。リーンレプリカは1/43のホワイトメタル製ミニカーで、初期の国産車を6車種モデル化していました。個人が私費を投じて製作していたのでコストがかけられず、ウィンドーや室内の造形は省略されて初期のビンテージミニカーのような素朴な造りでした。リーンレプリカはそれまでミニカーになっていなかった車をモデル化しており、このトヨタ SA型もその一台でした。室内の造形がない素朴な作りですが、プロポーションはしっかりしていて実車の雰囲気が良く再現されていました。トヨタ博物館や日本自動車博物館にある実車(レプリカ?)と比べると、屋根の形状が少し違っています。なお2024年現在でもトヨタ SA型のミニカーはこれしかありませんので、車種的に大変貴重なミニカーです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロールス ロイス シルバー レイス イギリス 1947?年
第2次大戦中のロールス ロイスは航空機用エンジン 「マリーン」の量産にかかり切りで自動車生産は中断していました。「マリーン」エンジンは戦闘機のスピットファイアーなどに搭載され、「バトル オブ ブリテン(イギリス空軍とドイツ空軍との航空機空中戦)」の勝利に寄与しました。
戦時中に開発が進められていたロールス ロイス シルバー レイスが1947年に登場しました。シルバー レイスは戦前の小型車レイスの改良型ですが、シルバー レイスの6気筒4.3Lエンジンは耐久性を向上させていて、シャーシもエンジン搭載位置が前進するなど大幅な近代化が図られていました。シルバー レイスは排気量を4.6L、4.9Lに拡大して、ファントム Vが登場する1959年までに約1700台が生産されました。
なお戦前のロールス ロイスの最上級車ファントム IIIは生産中止となりました。ファントム IIIが生産中止となったのは、戦前の世界大恐慌と戦後の経済状況の悪化でファントム IIIのような運転手付高級車を購入する富裕層が減ったことでした。
ミニカーは1970年代後半にスーパーカーシリーズを出したサクラが、世界の名車シリーズとして1979年に発売しました。箱にシルバー レイスと記載されていますが、年式などは明確化されていません。コーチビルダー マリナー パークウォード製の公用車的なリムジンをモデル化しているようです。スーパーカーシリーズでは欧州製ミニカーをコピーしていたようですが、このシルバー レイスはサクラがオリジナルで起こした型と思われます。フロントグリル周りの造形はかなり適当な出来ばえですが、サイドビューについてはそこそこうまくモデル化しているので、この時代のシルバー レイスの雰囲気がそれなりに感じられる出来ばえとなっていました。ドアが開閉するギミック付きです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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タッカー 48 アメリカ 1948年
起業家で自動車デザイナーでもあったアメリカ人 プレストン タッカー(Preston Tucker)は自分が理想とする車を作るためにタッカー自動車を1946年に設立しました。彼が計画したタッカーは流線型ボディ、リアエンジン搭載の後輪駆動、自動変速機、全輪独立懸架サスペンション、ステアリングと連動するセンターヘッドライト、シートベルトなど先進的で安全性に配慮した乗用車でした。しかしあまりに先進的だったために、エンジンや変速機の開発が思うように進みませんでした。結局は資金難で計画が挫折し車は51台が製作されただけでした。
フランシス コッポラが監督した1988年の映画「タッカー(原題Tucker: The Man and His Dream)」は、プレストン タッカーとこの車を題材とした話で、この映画のヒットでタッカーが広く知られることになりました。この映画には当時残存していた実車が登場し、タッカーに脅威を感じた既存自動車メーカー(BIG3)が政治的な妨害をしたという話もでてきます。(実際には確たる証拠などはないようですが) この車が量産されていたとして本当に売れたかどうかは疑問ですが、技術的には非常におもしろい車でした。
ミニカーは1990年に発売されたソリド製です。1948年に少量生産されたタッカー 48をモデル化しています。ミニカーの発売時期から考えると、この車がミニカーとなったのは映画「タッカー」がヒットしたからでしょう。当時としては先進的な流線型ボディ、特徴的な3つ目ヘッドライト(センターヘッドライトが前輪と連動して左右に動く)のフロント周り、リアエンドの放熱用グリルなど実車の特徴がリアルに再現されていて良く出来ていました。室内のステアリングホイール部分の造形も結構リアルでした。これ以外のタッカーのミニカーは京商の1/18、フランクリン ミントの1/24、マッチボックス ディンキー、ジョニーライトニングの1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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