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スチュードベーカー コマンダー ロードスター アメリカ 1935年
スチュードベーカー社は1911年に設立され、1914年から自社ブランドの自動車を発売しました。1920年代のスチュードベーカーのラインナップにはライト フォー(4気筒3.1L)、ライト シックス(6気筒2.8L)、スペシャル シックス(6気筒4.7L)、ビック シックス(6気筒5.8L)がありました。1928年に4気筒エンジン搭載車がなくなり、ライト シックスはディクテーター(DICTATOR 独裁者の意)、スペシャル シックスはコマンダー(司令官の意)、ビック シックスは8気筒5.1Lエンジン搭載のプレジデントに変わりました。コマンダーは1929年に8気筒4.1L(107HP)エンジンが搭載されました。コマンダーは極端な縦長のフロントグリルが特徴的なデザインで、2ドアクーペ/ロードスターや4ドアセダンなどがありました。1935年に一旦モデルレンジから外れ1937年に名前が復活しました。
1929年から始まった世界大恐慌による販売不振でスチュードベーカーは資金繰りが悪化し1928年に買収したピアス アローを売却しましたが、1933年に一旦破産しました。その後経営陣が変わり運転資金を調達してディラー網を整備し車種を6気筒エンジン搭載車に絞るなどして1935年に会社は再建されました。1939年に低価格の6気筒搭載車チャンピオンで大衆車市場に進出し、この車は成功しました。(実車画像→ スチュードベーカー チャンピオン 1939)
ミニカーは1990年代に発売されたイギリスのブルックリン製です。スチュードベーカー コマンダー 1935年式のスポーティなクーペをモデル化しています。ブルックリンはハンドメイドのホワイトメタル製少量生産ミニカーで、ほとんどのパーツが金属製なのでずっしりと重く存在感があります。縦長のグリルや小さめの幌など実車の雰囲気がうまく再現されていました。またフロントグリル上の鳥のマスコットや室内などの細部も良く再現されていました。戦前のスチュードベーカー コマンダーの量産ミニカーは2024年現在でもこれしかないようです。このようなニッチなクラシックカーのミニカーはブルックリンなどのホワイトメタル製少量生産でモデル化されることが多いです。 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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ジャガー SS 100 イギリス 1935年
ウイリアム ライオンズがサイドカー製造を行う「スワロー サイドカー カンパニー」を1922年に興したのがジャガー社の始まりでした。スワロー サイドカー カンパニー社は自動車のボディ製造を手がけ、大衆車オースチン セブンにアルミ製ボディを換装したオースチン セブン スワローは大成功しました。1933年に専用設計のシャシーを持つSSシリーズ(SS1、SS2など)を発売しこの車がヒットし、社名を「SS カーズ リミテッド」と変更しました。1935年にはエンジン、シャシー、ボディを自社開発したジャガー SS 100を発売しました。(実車画像→ ジャガー SS1 サルーン 1935)
ジャガー SS 100は6気筒2.7L(104HP)エンジンを搭載し、最高速は150km/hと高性能でした。なおSS 100の100には最高速が100mph(160km/h)という意味が込められていました。高級車ベントレーにも引けをとらない性能と見た目で、価格はその半額以下ということから高い人気を得ました。1937年には6気筒3.5L(125HP)エンジン搭載車が追加されて、この車は名前どうりの最高速100mphを達成しました。第2次世界大戦の勃発で1940年に生産中止となり、総生産台数は約300台と少数でした。戦後の1945年にSS カーズ リミテッドは社名をジャガー カーズに変更しました。
ミニカーは1988年に発売されたフランクリン ミント製です。フランクリン ミントの1/24のミニカーとしては初期の物になりますが、当時の量産大スケールミニカーでこれ以上に精密なミニカーはありませんでした。(その分当時の価格も18000円と高価でした) フロントスクリーンを倒すことができ、ボンネット/ドアが開閉し、エンジン/シャーシ/サスペンションなどのメカ部分や室内もリアルに再現されていました。室内の床は起毛仕上げで、シートも柔らかいプラスチック製でリアルな質感でした。前輪はステアリングホイールと連動して操舵できます。それらのギミックは既にBブラーゴなどが1/24で実現していましたが、その仕上げレベルをもう一段階上げたのがフランクリン ミントでした。このSS 100も最近の大スケールミニカーと比べてもあまり遜色がないほどの良い出来ばえでした。(最近の物より金属製パーツが多くので頑丈にできていました) これ以外のSS 100のミニカーはディンキー(英)のビンテージ物、マッチボックス、Bブラーゴの1/18、ウエスタン モデル(ホワイトメタル製)、デルプラドの世界の名車シリーズなどがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。ヘッドライトには破損防止用の金網を再現しています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)






















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ジャガー 2.5 サルーン (MK IV) イギリス 1935年
前述したウイリアム ライオンズが創立した「スワロー サイドカー カンパニー」は1933年に専用設計のシャシーを持つSSシリーズ(SS1、SS2など)を発売しこの車がヒットし、社名を「SS カーズ リミテッド」と変更しました。(実車画像→ ジャガー SS1 サルーン 1935) SS1の後継車としてジャガー 2.5 サルーンが1935年に登場し、同時にSS2の後継車としてジャガー 1.5 サルーンも登場しました。この車はSSカーズ リミテッド社として初めての4ドア セダンで、この車に初めてジャガーという名前が付けられました。2.5 サルーンは前述したSS 100と同じ自社開発した6気筒2.7L(104HP)エンジンを搭載し、セダンなのでシャシーはホイールベースが違っていましたが、半楕円リーフの前後サスペンションなどはSS 100と同じでした。最高速はこのクラスのセダンとしては俊足の138km/hでした。ボディは当時の高級車ベントレーあたりをよりスポーティにした美しいデザインでした。
6気筒エンジンを搭載する既存メーカー高級車に劣らない装備や性能を持ちながら、半額ほどの価格であったので2.5 サルーンもヒットしました。1938年には3.5L(125HP)エンジンを搭載する3.5 サルーンが追加されました。第2次世界大戦の勃発で生産が一時中断されましたが、戦後の1945年に会社名が車名と同じジャガーとなり、1.5/2.5/3.5 サルーンは1948年まで再生産されました。この車の後継車がMK Vという名前となったので、2.5 サルーンと3.5 サルーンはMK IVと呼ぶようになりました。(実車画像→ ジャガー MK V)
ミニカーは2010年に発売されたオックスフォード製です。オックスフォードは2009年から輸入されるようになったイギリスの新ブランドで、老舗のコーギーのブランドであるバンガーズに似たレトロな作風で、主に古いイギリス車をモデル化しています。このジャガー 2.5 サルーンはキャビンがすこし小さめに感じますが、実車の雰囲気がうまく再現されていました。特別に凝ったところはありませんが、細部もリアルに仕上げてありクラシックカーのミニカーとして良く出来ていました。なおフロントグリル上のジャガーのマスコットがありませんが、この当時の実車にはまだ付いていなかったようです。 戦前のジャガー セダンの量販品ミニカーは無かったので車種的には貴重でした。戦後型のMK IVのミニカーはフランクリン ミントの1/43とCENTURY DRAGON(レジン製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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ERA R1B (GP2) イギリス 1935年
ERAとはEnglish Racing Automobilesの略で、イギリスの威信を高める為のGP レーシングカーを製作する会社として1933年に創立されました。創立者はレイモンド メイズ(Raymond Mays)とピーター パーソン(Peter Berthon)で、レーサーのハンフリー クック(Humphrey Cook)が資金援助しました。本格的なGPマシン開発には莫大な資金が必要な為、当初は現在のF2クラス相当のヴォアチュレットクラス(GP2)のマシン開発を行いました。
最初に開発されたタイプ R1Aは1934年に登場しました。エンジンはライレーの6気筒エンジンを改造した1.1L/1.5L(180HP)/2L(250HP)があり、スーパーチャージャー過給していました。タイプ R1Aはその後1938年までにタイプ R1B、R1C、R1Dに発展しました。ERAは初期トラブルを解決し改良とパワーアップを行い、第2次大戦前にはヴォアチュレットクラスで活躍していました。
戦後 創立者のレイモンド メイズとピーター パーソンはERAを去り、新たにBRM (British Racing Motors)を創立しました。ERAは1947年にレーサーのレスリー ジョンソン(Leslie Johnson)が買い取り、戦前に開発されていたタイプ E(6気筒1.5Lエンジン搭載)でレースを再開しました。(実車画像→ ERA タイプ E) 1952年からGPレースがF2規格となりました。ERAはブリストルの6気筒1.5Lエンジンを搭載した新開発のタイプ Gで参戦しましたが、活躍できませんでした。結局資金不足でレスリー ジョンソンはブリストルにERAを売り払い、シーズン終盤にレースから撤退しました。(実車画像→ ERA タイプ G)
ミニカーは1986年に発売されたマッチボックス製のYシリーズです。ERA R1B 初期型をモデル化しています。縮尺1/35と中途半端なサイズですが、サスペンション/ドラムブレーキをリアルに再現しているなど、当時のミニカーとしてはそこそこの良い出来ばえでした。ERAの量産ミニカーは2023年現在でもこれしか無いようなので、その点では貴重なミニカーでした。マッチボックス製のYシリーズにはこのERAのように他社がモデル化していないマイナーな車種がありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)






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メルセデス ベンツ 260D (W138) ドイツ 1936年
ベンツは1909年にディーゼルエンジンの特許を取り、1923年に世界初のディーゼル トラックを発売しました。同時期にディーゼルエンジンを開発していたダイムラー社とベンツ社が合併して1926年にダイムラー ベンツ社となりました。ダイムラー ベンツは乗用車向けのディーゼルエンジンの開発を進め、ボッシュによる燃料噴射ポンプの開発などの協力を得て小型軽量化した乗用車向けディーゼルエンジンを開発しました。
戦前の中型車メルセデス ベンツ 230 (W21 6気筒2.3L(55HP)エンジン搭載)に、4気筒2.6L(45HP)のディーゼルエンジンを搭載したのが260Dで、世界初のディーゼルエンジン搭載乗用車として1936年に登場しました。経済性に優れたディーゼルエンジンを搭載した260Dはタクシーや商用車として使われることを想定した車で、実際に初期の260Dは全てタクシーとして使われました。1937年以降の260Dは新型中型車230(W143)をベースにしたものに変わり、個人ユーザー向けのディーゼル乗用車としても普及していきました。現在のヨーロッパで普及しているディーゼルエンジン搭載乗用車の元祖が260Dでした。
ミニカーは2010年に発売されたイクソ製です。メルセデス ベンツ 260D 初期型のタクシー仕様をモデル化しています。緑/黒のボディカラーはタクシーのカラーリングで、室内を見ると運転席と後席の間にパーティション(仕切り)があることが分かります。またリアには荷物を載せるラックを備えています。出来ばえはイクソのこのMUSシリーズの標準的なもので、木材を模した室内の茶色のパーティション、メーターパネルなど室内もそこそこ良く再現されていました。なおドアミラーの手前にある縦長の箱は腕木式の方向指示器を再現しています。(腕木式方向指示器を知らない方はWEBで検索してみてください) 実車はメルセデス ベンツ博物館に所蔵されていて、その画像は参照画像リンクで見ることができます。所蔵されているモデルは1938年式でミニカーとはボディカラーや補助灯などが少し異なっています。これ以外の260Dのミニカーはイクソの別ブランド(廉価版)のホワイトボックスの型番 WB018とヴェーキングの1/87があります。 以下はフロント(フロントグリル上のエンブレム拡大/腕木式方向指示器拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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