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ランチア アスツゥーラ カブリオレ ピニンファリーナ イタリア 1934年
ビンテージ期の傑作車ランチア ラムダの後継車として1931年にアルテナ(ARTENA)が登場しました。アルテナのセダンはランチアが自社製標準ボディを設定していましたが、それ以外のボディ(クーペ、コンバーチブルなど)は従来通りカロッツェリアが特注ボディを架装していました。その為ボディはラムダの特徴であったモノコック構造ではなくフレーム構造を採用していました。V型2L(55HP)エンジンを搭載し4段変速で最高速115km/hの性能でした。1942年まで生産され総生産台数は約5500台でした。(実車画像→ ランチア アルテナ 1931)
1931年にランチアの最上級車ディラムダの後継者としてアスツゥーラが登場しました。アスツゥーラはアルテナと同じプラットフォームでしたが、ホイールベースが延長されV型8気筒2.6L(72HP)エンジンを搭載していました。エンジンは1933年には3L(82HP)に拡大され、短いホイールベース版が追加されました。アスツゥーラはV型8気筒エンジンながら排気量は3Lと控えめで、スポーティな高級車として名だたるカロッツェリアが豪華なボディを架装していました。1939年まで生産され、総生産台数は約2900台でした。ランチアは車名にギリシャ文字を使っていましたが、この頃からアルテナとアスツゥーラなどローマ帝国時代の地名を使うようになりました。
ミニカーは2006年頃に発売されたフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.16として作られた物でイクソ製です。ピニンファリーナがデザインしたコンバーチブルをモデル化しています。品の良いスポーティなデザインに青/空色のツートンカラーが良く似合っています。プロポーションが良く、室内もそこそこ良く再現されていて雑誌付きミニカーの標準的なレベル以上の良い出来ばえでした。これはオークションで入手した物ですが、2010年に色違いがイクソの型番MUS029(黄/金 ツートンカラー)でも発売されました。これ以外のアスツゥーラのミニカーはソリド、ミニチャンプス、スターラインなどがあります。アルテナのミニカーはKESS MODEL(レジン製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)






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パッカード トゥエルブ ルバロン アメリカ 1934年
前述したパッカード ツイン シックス(量産車初のV型12気筒6.9Lエンジン搭載)の後継車として、V型12気筒エンジンの排気量を7.3L(160HP)に拡大したトゥエルブが1933年に登場しました。パッカードの最上級車トゥエルブは極めて高価な車で、この当時はまだコーチビルダーがボディを架装していました。標準のホイールベース仕様には2ドアロードスター/クーペ、4ドアセダン/フェートンなど、ロングホイールベース仕様にはリムジーンなど様々な特注ボディが架装されました。
このパッカード トゥエルブ ルバロンはコーチビルダー ルバロン(LE BARON)社が架装した豪華な二人乗りのボートテール型ロードスターで、このタイプは僅か数台しか作られなかったそうです。(ボートテール型とはテールが小型ボートのような形状になっています) この車の初代のオーナーは有名な映画スターのクラーク ゲーブルだったそうです。(実車画像→ パッカード トゥエルブ ルバロン クラーク ゲーブル パーソナルカー) 1935年にエンジンが7.7Lに拡大され175HPにパワーアップし、ギヤボックスはシンクロ付きになり、1937年にブレーキが油圧式となりました。トゥエルブは1940年に生産中止となり、総生産台数は約5000台でした。
ミニカーは2006年頃に発売されたフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」シリーズのNo.28でイクソ製です。ほとんど同じで色違いの青がイクソのカタログモデルでは型番MUS043で2012年に発売されました。実車諸元の画像参照リンク先に載っている実車を忠実にモデル化しています。出来ばえはこのシリーズのイクソ製の標準的なものでしたが、特にこのパッカードはフロントグリルまわりの造形が良くできていました。グリルの外枠とセンターラインが車体と同じカラーに塗られたフロントグリルがきちんと再現され、グリルの上に付いているマスコットもはっきりと形が分かるように再現されていました。(かなりオーバースケールですが、マスコットは大きめで再現するのが良いのです) このパッカードのマスコットは差し出した両手で車輪を掲げている女神の姿で「Goddess of Speed(スピードの女神)」と呼ばれている有名な物です。これ以外のパッカード トゥエルブのミニカーはフランクリンミントの1/24と1/43、アンソンの1/18や1/24、GREAT LIGHTNING(レジン製)などがあります。以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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パッカード トゥエルブ コンバーチブル アメリカ 1934年
1920-1930年代のパッカードはGM キャディラックと双璧をなす高級車ブランドでした。前述したツイン シックス(量産車初のV型12気筒6.9Lエンジン搭載)の後継車として、V型12気筒エンジンの排気量を7.3L(160HP)に拡大したトゥエルブが1933年に登場しました。パッカードの最上級車トゥエルブは極めて高価な車で、この当時はまだコーチビルダーがボディを架装していました。標準のホイールベース仕様には2ドアロードスター/クーペ、4ドアセダン/フェートンなど、ロングホイールベース仕様にはリムジーンなど様々な特注ボディが架装されました。なお一番人気があって高価だったのは、前述したルバロン ロードスターだったそうです。
これは4ドアのコンバーチブルで、正式にはデュアル カウル フェートン(前席/後席のどちらにもウインドースクリーンが付いた4座オープン) と呼ばれる形式です。室内の前席背後のパーティション部分に後席用ウインドーを上下させるハンドルが付いているのがその証です。当時の高級車の最新機器として、1934年のパッカードにはダッシュボード組込み式ラジオがオプション設定されていました。1935年にエンジンが7.7Lに拡大され175HPにパワーアップし、ギヤボックスはシンクロ付になり、1937年にブレーキは油圧式となりました。トゥエルブは1940年に生産中止となり、総生産台数は約5000台でした。
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製です。同社の1/43サイズの1920-1930年代のクラシックカーは約十数種類あり、キャディラックやパッカードなどの高級車をモデル化していました。いずれもドアが開閉しボンネットを外すとエンジンが再現され、シャーシなどの下回りもそこそこ良く再現されていました。このパッカードもヘッドライトなどが少しレトロな作風でしたが、実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ていました。前述したトゥエルブ ルバロンと同様に、これもフロントグリルのマスコット(Goddess of Speed(スピードの女神))がうまく再現されていました。4ドアが開閉しボンネット内にはエンジンが再現されていました。フランクリン ミントは1/24でも同じ車をモデル化していました。これ以外のパッカード トゥエルブのミニカーは前述したイクソのルバロン、アンソンの1/18や1/24、GREAT LIGHTNING(レジン製)などがあります。以下はフロント(マスコット拡大)/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。エンジンはリアルに再現されていて、ラジエーター、冷却ファン/ファンベルトが判別できます。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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ライレー MPH イギリス 1934年
1890年にウイリアム ライレーが「ライレー自転車会社」を設立し自転車製造を始め、1899年から自動車製造に進出しました。1906年には世界で初めて脱着可能なホイールを採用した4輪車を発表しました。その後ライレー社は自動車および自動車部品を製造する複数のグループ会社として発展しました。1920年代から1930年代にかけて4気筒/6気筒/8気筒エンジンを搭載するツーリングカーを発売しましたが、行き過ぎた車種展開によるコストアップがたたって経営が悪化し、1938年にモーリス社に併合されました。 (実車画像→ ライレー 4ドア サルーン 1930)
ライレー MPHは6気筒エンジン搭載のライレー 12/6のレーシングカーをベースにして1934年に製作された高性能スポーツカーでした。ライレー独自のツインカムOHV機構を採用した6気筒1.4L/1.6L/1.7L(56HP)エンジンを搭載し、最高速145km/hと高性能でした。性能もさることながら、その美しいスタイルも魅了的で、戦前のライレーとしては一番有名なモデルでした。ただし製作された台数は十数台と少なかったようです。
ミニカーは1974年に発売されたマッチボックス製のYシリーズです。1960年-1980年代に発売されたマッチボックスのクラシックカーは型番がYから始まるのでY シリーズと呼ばれ、それまで専門メーカーが作っていたマニアックなクラシックカーのミニカーを手ごろな値段で一般向けに販売したものでした。Yシリーズは本格的なクラシックカーとしてはやや物足りない出来ばえでしたが、車種的には貴重なモデルがたくさんありました。このライレー MPHも量産ミニカーではこれしかないので、車種的には貴重でした。派手なメタリック塗装と縮尺1/35の中途半端なサイズはいまひとつでしたが、プロポーションは良く、フロントグリルや室内なども値段相応ながらきちんと作ってありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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タトラ 77 チェコ 1934年
タトラは馬車時代からの歴史があるチェコ(旧チェコスロバキア)の自動車メーカーで、現在は東欧の有力なトラックメーカです。戦前はハンス レドヴィンカ(Hans Ledwinka)という優れた技術者による独創的なデザインの車を多く開発しました。タトラの最初の車は1923年に登場したタトラ 11で、空冷水平対向2気筒1.1L(12HP)エンジンを搭載した小型車でした。非常にシンプルな構造のシャーシを持ち、軽量ゆえに高性能でした。この11の改良型12、トラック仕様13は当時のチェコスロバキアの道路環境に沿ったもので、大ヒットしました。またサスペンションなどをチューンした11 レース仕様車(スペシャル)はモータースポーツで活躍しました。(実車画像→ タトラ 11)
小型車タトラ 11は空冷水平対向4気筒1.7Lエンジンを搭載した30に発展し、その後も52、54、57、75(1933年)と発展しました。また水冷6気筒1.9Lエンジンを搭載する中型車の17が登場し、その後70、80(V型12気筒6Lエンジン搭載)と発展しました。1934年に登場した77は全長5.2mの6人乗り大型車で、独特のリアエンドを持つ流線形ボディが特徴でした。このリアには後輪を駆動する空冷V型8気筒3Lエンジンが収められていて、リアウインドーの上にルーバーが切られたカバー(エアダクト的な物)が被さり、そのカバーには垂直尾翼のようなヒレまで付いていました。奇異なデザインに見えますが、このカバーが無ければ全体のフォルムは当時の最先端の流線型で、後のフォルクスワーゲン ビートルにも通じるデザインでした。タトラ 77は1935年には改良型の77aに変わり、最終的に1936年の87とその小型版の97に発展しました。(実車画像→ タトラ 87)
ミニカーは2008年に発売されたイクソ製です。このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」シリーズのNo.37として2007年頃に発売された物でしたが、これはその仕上げレベルを上げてイクソのカタログモデルとして2008年に発売された物です。独特の流線形ボディが良く再現されていて、ヒレの付いたリアカバー、そのエアダクト内にあるリアウインドー(最低限の後方視界用)、室内インパネなどの細部も良く再現されていました。イクソは別ブランドのホワイトボックスでも少し仕上げを簡素化した物を型番WB205で発売しています。タトラ 77の量産ミニカーはイクソ製しかありませんが、発展型のタトラ 87/97はヴィーキングの1/87、MODELCAR GROUPの1/18、BOS MODELS(レジン製)、ネオ(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とリアカバー部の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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