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アウディ 90 クワトロ (B2) ドイツ 1985年
1978年にアウディ 80 2代目(B2)が登場しました。初代同様にG.ジウジアー ロのデザインで、シンプルな面構成の品の良いスタイルでした。ボディは2ドア/4ドアセダンだけで、4気筒1.6L/1.8Lエンジンを搭載していました。80をベースにした派生車として1980年にクワトロ、1981年にクーペが登場しましたが、どちらも80という名前は付いていませんでした。当初のエンジンは4気筒1.3L/1.6L(85HP)を搭載した前輪駆動車で、5段/3段自動変速で最高速165km/h(1.6L)の性能でした。
1981年に4気筒1.8Lと4気筒1.6Lディーゼルが追加され、1983年にフルタイム4WD仕様の80 クワトロが設定されました。1984年のマイナーチェンジで後期型となり、細部のデザインが変更されました。その際に5気筒エンジンを搭載した上級車の90と4WD仕様の90 クワトロが登場しました。90は大型のヘッドライトを採用して80と外観を差別化していました。90は5気筒2L/2.2L(136HP)エンジンを搭載し、5段/3段自動変速で最高速194km/h(2.2L)の性能でした。アウディ 80/90は北米ではアウディ 4000の名前で販売されました。1986年に80 3代目(B3)/90 2代目(B3)にモデルチェンジしました。80 2代目(B2は高品質な中型車として大ヒットし、総生産台数は約140万台でした。
ミニカーは1984年に発売されたシャバック製の当時物で、リアにQUATTROのロゴ表示がありリアスポイラーが付いた、90 クワトロ (B2)をモデル化しています。ドイツのシャバックは1960年代に設立されて玩具メーカーで、1976年頃に倒産したシュコーの玩具を引き継ぎました。引き継いだ航空機のダイキャスト製モデルで有名でしたが、2006年には復活したシュコーの傘下となりました。1980年代にシュコーの業務を引き継いだ関係で、1/43ダイキャスト製ミニカーも発売していました。この90もその時期のミニカーなので、シュコーに良く似た作風で当時のミニカーとしては良く出来ていました。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きで、室内もそこそこ良く再現されていました。90 (B2)の当時物ミニカーはこれしかないようで、当時物以外ではトミカ リミッテドの2.3E(B2の最終型)があります。なお80 2代目(B2)の当時物ミニカーは何故か?ないようで、最近の物でも量産ミニカーはノレブの物しかないようです。(レジン製少量生産品ならいくつかありますが) 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー 5 (サンク) ターボ II フランス 1985年
1976年にルノー 5のスポーティ仕様として、アルピーヌが登場しました。エンジンのチューニングは従来どおりゴルディーニが行っていましたが、開発と生産を担当したアルピーヌの名前が付いていました。エンジンはボルボ用にルノーが開発した4気筒1.4L(93HP)で、サスペンションは固められ5速変速機で最高速が175km/hの性能でした。1982年にはターボで110HPにパワーアップしたアルピーヌ ターボに発展しました。
1980年にWRC(世界ラリー選手権)のグループ4のホモロゲーションモデルとしてルノー 5 ターボが登場しました。外観はオーバーフェンダーが追加されたルノー 5でしたが、燃料噴射で158HPにパワーアップした1.4Lエンジンをリアシートを外した車体中心部にミッドシップ配置して後輪を駆動する完全なラリー専用車でした。ルノー車として当時の最高価格で限定販売されました。1983年に性能はほぼ同等ながら値段を下げたグループBのホモロゲーションモデルのターボ IIにマイナーチェンジしました。WRCでは1981年モンテ カルロ、1982年と1985年のツール ド コルスで優勝するなど大活躍しました。1986年まで生産され、ラリー仕様車のエンジンは最終的にはマキシ ターボの1.6L ターボ(350HP)になりました。総生産台数は約5000台でした。
ミニカーは2014年に発売されたアシェット製 国産名車コレクションです。メーカーはイクソで、ターボ IIをモデル化しています。オーバーフェンダーが付いた迫力のあるボディがうまく再現され、ホイールやリアシートが外された室内など細部もそこそこリアルで雑誌付きミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。ルノー 5 アルピーヌのミニカーはコーギーの1/36、ソリド、ノレブ、ビテスなどがあります。ルノー 5 ターボのミニカーはソリド、コーギーの1/36、ポリトーイの1/25、Bブラーゴの1/43と1/24、ユニバーサルホビー(イーグルレース)、ビテス、イクソのレース仕様、ノレブの1/43と1/18などたくさんあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー 9 GTL フランス 1985年
ルノー 9はルノー 14の後継車として1981年に登場しました。ルノー 9は世界戦略車としてルノー傘下のアメリカン モータース(AMC)にてアライアンス(ALLIANCE)として生産されることが決まっていました。その為北米市場で好まれるセダンタイプで、デザインも無国籍でオーソドックなものになっていました。(北米専用で2ドアセダンとコンバーチブルもありました 実車画像→ AMC アライアンス) ルノー 5用の4気筒1.1/1.4Lエンジンを横置する前輪駆動車で、1982年のヨーロッパ カー オブ ザ イヤーを受賞しています。
1983年にボルボと共同開発した4気筒1.7Lエンジンが追加され、姉妹車としてリアをハッチバックに変更したルノー 11も登場しました。(実車画像→ルノー 11 1983) ルノー 11は角型4灯式ヘッドライトで顔つきを変えていました。1983年に1.4Lターボ(115HP)エンジンを搭載した高性能版が追加されました。1985年のマイナーチェンジでルノー 9も11と同じ角型4灯式に変更され、1987年には横長の角型ヘッドライトに変わりました。アライアンスは売れなかったようですが、ルノー 9/11は南米やトルコでも生産され成功したようです。1988年に後継車のルノー 19にモデルチェンジしました。
ミニカーは2008年に発売されたイクソ製です。プロポーションが良く灯火類や室内などの細部がリアルで、かなり良い出来ばえでした。特に角形ヘッドライト内のリフレクターの造形は実にリアルです。ただし細すぎて触ると確実に折れるであろうアンテナは、軟質プラスチック製で折れにくくするなどの配慮をするべきです。(簡単に壊れるものは売り物ではないと私は考えます) ルノー 9の当時物ミニカーはノレブ JET-CARシリーズとBブラーゴがありました。当時物以外ではノレブがあります。ルノー 11のミニカーはコーギーの当時物とノレブがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ 75 1600 イタリア 1985年
アルファ ロメオ ジュリエッタ 2代目の後継車として1985年に登場したのが75でした。(75という名前は創業75周年に因んだもの) 開発費の不足で75の構造は先代をほぼ踏襲していたので、先代同様にアルフェッタのトランスアクスルやインボード式リアディスクブレーキといったメカを引き継いでいました。ボディはジュリエッタよりウエッジシェイプが強調され、リアエンドが高いデザインとなっていました。当初のエンジンはDOHC 4気筒1.6L/1.8L/2L(128HP)、V型6気筒2.5L(156HP)でした。
1986年に1.8Lインタークーラー付ターボ(155HP)エンジン搭載の75 ターボ、1987年にV型6気筒3L(178HP)エンジン搭載の3.0 アメリカが追加され、2Lに可変バルブタイミング/ツインスパークプラグの高性能仕様 2.0TS(148HP)と、4気筒2Lターボディーゼルエンジンが追加されました。1990年のマイナーチェンジで、フロントグリルの意匠が変更されました。1987年にグループAツーリングカーレースのベースとして75 ターボ エヴォルツィオーネ(1.8L 240HP) が限定生産されました。アルファ ロメオ最後の後輪駆動車として人気があり販売は好調で、1992年に155にモデルチェンジしました。
ミニカーは1997年に発売されたプロゲット K(カッパー)製です。プロゲット Kはペゴ イタリアという会社のブランドで、主に1950年-1980年代のイタリア車をモデル化していました。この75はAピラーが少し太めなところが今一つですが、それを除けば実車の角ばったボディがうまく再現されていました。またフロントグリルや室内の細部は結構リアルに仕上げてあり、ウエストライン全周に走る黒いストライプは実車に即したものでした。プロゲット Kはレース仕様など75のバリエーションを15種類以上モデル化していました。これ以外の75のミニカーはBブラーゴの1/24、M4、ノレブ、ミニチャンプス、ブレキナの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア Y10 / アウトビアンキ Y10 イタリア 1985年
アウトビアンキ A112の後継車としてアウトビアンキ Y10が1985年に登場しました。親会社のフィアットの意向で、アウトビアンキ Y10はほとんどの輸出先でランチア Y10として販売されました。(イタリア本国、フランス、日本ではアウトビアンキだった) 黒く塗装されたリアハッチが特徴的なシンプルなボディは、フィアット、ピニンファリーナ、イタルデザインの3社のコンペでフィアットのデザインが選定されました。横置きエンジンの前輪駆動車で、オメガサスペンションと呼ばれた凝ったリアサスペンション、豪華な内装/装備など小さいながらも高級な車でした。当初のエンジンは4気筒1Lと4気筒1L/1Lインタークーラー付ターボ(85HP)でした。
この1Lエンジンはファイア(FIRE:Fully Integrated Robotized Engine ロボットによる自動組立式エンジン)と呼ばれる最新技術を使ったエンジンで、その後のフィアットのエンジンのベースとなりました。1986年にシュタイア製4WDシステムを搭載した4WDが設定されました。1989年のマイナーチェンジで、内装やライト類が変更されました。また4気筒1.1Lエンジンが追加され1Lターボに代わる1.3Lエンジン(78HP)搭載の1.3 GT ieも追加されました。1992年のマイナーチェンジでフロントグリルが変更され1994年まで生産され、後継車のY(イプシロン)にモデルチェンジしました。(実車画像→ ランチア Y 1995)
ミニカーは1986年頃に発売されたポリスティル(旧ポリトーイ)の当時物で、アウトビアンキ Y10をモデル化しています。型番がEから始まるEシリーズは当時のポリスティルの廉価版的なミニカーでしたので、リアライトの塗装処理が省略されているなど仕上げは簡素でした。ただしプロポーションが良く安っぽいフリーホイールではないきちんとしたホイールが付いているなど結構良く出来ていました。ポリスティルは1/25でもY10をモデル化していて、それ以外のY10のミニカーはスターラインとエジソンのアウトビアンキ Y10があります。なおランチア Y10としてモデル化されているのはイタリアのミニカー付雑誌「LANCIA COLLECTION」のNo.47(スターライン製だと思います)ぐらいしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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