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三菱 ランサー EX 2000 ラリー ターボ 日本 1979年
1979年に三菱 ランサー 2代目がランサー EXという名前で登場しました。人気があったギャラン シグマを小さくしたような直線的なデザインで、4ドアセダンだけの設定でした。メカ的にもシグマのシャーシを流用したオーソドックスな後輪駆動車で、当初は4気筒1.4L/1.6L(86HP)エンジンを搭載していました。3段AT/5段MTで最高速145km/h(1.6L)の性能でした。
1980年に1.8Lエンジンが追加され、1981年のマイナーチェンジで1.2Lエンジンが追加されました。欧州仕様には2Lターボ(170HP)、国内では1.8Lターボ(135HP)エンジン搭載の高性能仕様が設定されるなど、ランサー 2代目も先代同様にスポーツ志向の車となっていきました。三菱は石油ショックの影響でWRC活動を休止していましたが、欧州仕様の2LターボをベースにしたWRCカーで1981年からWRCに復帰しました。
1983年に登場したインタークーラーが追加された1.8Lターボは、ボディ剛性やサスペンションが強化され、外観も含めてWRCのラリー仕様車そのもののような車でした。1982年に登場したミラージュ IIの4ドアセダンであるランサー フィオーレや1983年に登場したトレディアはランサー EXと似たような4ドアセダンで自社内で競合していました。ランサー EXはランサー フィオーレを後継車として1987年に生産中止となりました。そのランサー フィオーレ 2代目は1988年にモデルチェンジしてランサー 3代目となりました。
ミニカーは1980年に発売されたダイヤペット製の当時物です。底板に「2000 RALLY TURBO」と表示されていて、フロントにフォグランプがモールドされているので、WRCのラリー仕様車(右ハンドル欧州仕様)をモデル化しています。このミニカーはもともと三菱自動車の販促用ノベルティとして作られたようで、ダイヤペットの11番工場(製造委託先)製です。11番工場製らしいリアルな造形で当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。これ以外のランサー EXの当時物ミニカーはトミカのターボがありました。当時物以外ではアオシマのコールドキャストとDISMの後期型ターボ、トミカ リミッテドのラリー仕様、CM'Sのラリー仕様、WIT'S(レジン製)のターボなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。エンジン(4G62型 シリウスエンジン)は結構リアルに再現されていて、上部に「SIRIUS TURBO」と刻印されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)





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スバル レオーネ ハードトップ 日本 1979年
1979年にスバル レオーネ 2代目が登場しました。シンプルなデザインでボディはひとまわり大きくなり、6ライトウインドーの4ドアセダン、2ドアハードトップ、エステートバン、ホイールベースを短縮した3ドアハッチバックのスイングバックが設定されました。スバル得意の4WD仕様はハードトップ以外に設定されていました。水平対向4気筒エンジンは1.4Lがなくなり、1.6Lと1.8L(100HP)が搭載され、5段MT/3段AT変速で、最高速度170km/hの性能でした。最上級の1800GTSにはスバル初のパワーステアリング/パワーウインドウ/オートエアコンが装備されていました。
1981年のマイナーチェンジで、大型の角型2灯式ヘッドライトが角型4灯式に変更されるなど外観が変更されました。同じ年にその後のレオーネで売れ筋となるスポーティなツーリングワゴンが追加されました。1982年には4WD仕様に1.8Lターボエンジン(120HP)を追加し、その後もハードトップの4WD仕様化、4WDに油圧式車高調整機能の追加など、4WD車の車種拡大/機能追加が行われ、レオーネは4WD車がメインとなっていきました。1984年にレオーネ 3代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ スバル レオーネ 1984)
ミニカーは1979年に発売されたダイヤペット製の当時物で、2代目初期の角型2灯式ヘッドライトの2ドアハードトップをモデル化しています。初期型のやや癖のあるフロントグリルがうまく再現されているなど、当時のミニカーとして全体的にかなり良い出来ばえでした。ただし車軸位置が低すぎて車高が少し高くなっているのが残念です。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。レオーネ 2代目のミニカーは最近までこれしかありませんでしたので、その点でも貴重なミニカーでした。2019年になってスパーク(レジン製)が4ドアセダン 前期型、スイングバック 前期型、2ドアハードトップ 後期型、をモデル化しました。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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イスズ ジェミニ 1800LS クーペ 日本 1979年
1971年にイスズ自動車はアメリカのGM社と資本提携しました。そのGMグループの世界戦略車のオペル カデット Cをベースとして、1974年にイスズ ジェミニが登場しました。ベレットの後継車であることを示す為に、1975年まではベレット ジェミニと称していました。逆スラントのフロントを特徴とするカデット Cのデザインはほぼそのままで、4ドアセダンと2ドアクーペの2タイプがありました。エンジンはベレットの4気筒1.6L(100HP)を引き継ぎ、4段変速で最高速170km/hの性能でした。
1977年にヘッドライトを丸形から角形に変更し、1.8Lエンジンが追加されました。1979年にはフロントをスラントノーズ化して外観を一新し1.8Lディーゼルエンジンが追加され、さらにDOHC 1.8L(130HP)エンジンを搭載するスポーティなZZも設定されました。ジェミニはオペル カデットがベースだったので、トヨタ カローラなどの国産大衆車よりやや大柄でした。またヨーロッパ的でセンスの良いデザインが好評で、小型車市場でそこそこ人気がありイスズの主力車となっていきました。1985年にジェミニ 2代目にモデルチェンジしました。総生産台数は約77万でした。
ミニカーは1980年に発売されたダイヤペットの当時物です。1979年式でスラントノーズに丸型ヘッドライトを備えたスポーティ仕様1800LSをモデル化しています。(ドアの後ろに「LS」のロゴが付いています) ダイヤペットの協力工場の11番工場(製造委託先)製で、実車のイメージがうまく再現された良い出来ばえで、カデット Cがベースとなっていることが良くわかります。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きで、さらにサンルーフが開閉するギミックも付いています。ジェミニ 初代の当時物ミニカーはこれしかありません。当時物以外ではトミカ リミッテドの1981年式のZZ/Rと1982年式のディーゼル ターボ、国産名車コレクション 1/24の後期型 1800 ZZ-R、国産名車プレミアムコレクションの初期型などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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スズキ アルト 日本 1979年
1979年にスズキ フロンテは5代目にモデルチェンジしました。先代はリアエンジン後輪駆動車でしたが、フロントエンジン前輪駆動車に変更して広い室内を実現しました。フロンテ 5代目と同時にフロンテの商用車としてアルトが登場しました。軽商用?(軽ボンネットバン)は物品税が非課税であったので、安価な軽商用?を2人乗りの軽乗用?として使うという商品企画に沿ってアルトが開発されました。価格47万円という当時として破格の低価格で売り出されたアルトは主に買い物や子供の送迎などに自動?を使う主婦層に受けて大ヒットしたことで、ダイハツ ミラや三菱 ミニカなどが追従し軽ボンネットバンブームを引き起こしました。(なお当時トヨタの小型車スターレットは約82万円でした)
エンジンは安価な旧型の2サイクルエンジンで、リアサスペンションは低コストのリーフリジットでした。1981年には排ガス対策で4サイクル3気筒エンジンに変更されました。当初は4段変速だけでしたが、1980年には2段自動変速が設定されました。塗装処理したスチール製バンパー、ドア内張を省略した簡素な内装、簡易な折畳み式後席、手動式のウィンドーウォッシャーなど低価格化する為のコストダウンは徹底していました。また標準装備はヒーターのみで、それ以外は全てオプション設定でした。
1981年には軽ボンネットバンの増加に対応して商用車にも物品税が課せられるようになったので、物品税が掛からない2シーター仕様が設定され47万円の価格を維持しました。(4シーターは49万となった) 1982年のマイナーチェンジで角形ヘッドライトを採用し、Lタイプ/Gタイプの上級グレードが設定されて少しだけ高級になりました。1983年にパートタイム4WD仕様スノーライナー(主に寒冷地の積雪対応)が設定されました。1984年にフロンテが6代目にモデルチェンジし、アルトも2代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ スズキ アルト 1984)
ミニカーは2010年に発売されたアシェット製 国産名車コレクションでメーカーはイクソです。プロポーションが良くシンプルな造形の実車がうまく再現されていました。実車の安っぽいバンパーやフェンダーミラー、インパネのメーターが表現された室内など細部もそこそこ良く再現されていて、安価な雑誌付きミニカーとしては良い出来ばえでした。この型を流用したほぼ同じ物がFIRST43でも発売されました。アルト 初代のミニカーはトミカ リミッテドの初期型と1982年式のLタイプ/Gタイプ、国産名車コレクションの色違い版であるFIRST43があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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童夢 零 (ゼロ) RL ルマン 日本 1979年
童夢 零の開発が成功した林みのる氏が率いる童夢は、次の目標として自前のマシンによるルマン参戦を目指しました。童夢はレーシングカーの専門家が結集していたのですから、当然の成り行きだったのでしょう。スーパーカーブームで零のミニカーなどの玩具が売れて、そのライセンス収入が開発資金に充てられたそうです。
自社製シャーシにフォード コスワース DFV エンジンとZF変速機を搭載した、プロトタイプクラス(Gr.6)のレーシングカー 童夢 零 RLが1979年に2台製作されました。当時の主流のマシンはポルシェ 936に代表されるオープンのグラウンド エフェクト カーでした。零 RLも同様のデザインでしたが、全体的に平坦でテールが非常に長く、ストレートでの最高速を重視したデザインでした。なお屋根に見える部分はバックミラーのカバーで、フロントウィンドーが無いオープンカー仕様でした。(実車画像→ ポルシェ 936)
国内でのテスト後イギリス シルバーストーンに参戦し12位で完走しました。ルマンでは序盤で7号車がトップグループに入り、最高速では世界に通用することを示しましたが、約1時間半でオーバーヒートで脱落しその後リタイア、6号車は約5時間でガス欠でリタイアとなりました。ルマンを走るには資金も経験も不足していたことを示す結果でした。翌年の1980年ルマンにも改良型の童夢 RL80で参戦し、トラブルがあったものの最後まで走り続け、最下位の25位ながら日本車初の正式な完走を果たしました。(この年も最高速はトップグループ並みの性能でした) 童夢はその後も1986年までルマンに参戦しました。
ミニカーは1979年に発売されたカドー製の当時物です。カドーは玩具問屋の可堂玩具が興したブランドで、マニア向けのホワイトメタル製ミニカーやトミカ等他社のミニカーのオリジナル仕様を発売していました。この零 RLのミニカーはK & M プラニングという会社が製作した物を、カドーが販売したようです。これは1979年ルマンに参戦してリタイアした6/7号車をモデル化しています。当時のミニカーとしてはそこそこの良い出来ばえで、零 RLの雰囲気がうまく再現されていました。なおオレンジの部分は全て紙のシールで、ゼッケン(#6と#7)や企業ロゴなどの紙シールも付属していましたが、貼っていません。カドーからは1/28の零 RLも発売されていて、当時物ミニカーはこのカドーの2点しかありませんでした。(その頃は国内のスーパーカーブームが終っていましたので、童夢関係のミニカーもこれが最後でした) 当時物以外の零 RLのミニカーは2002年に発売されたビザール(レジン製)、2020年に発売されたアシェット製 ルマン24時間レース カーコレクションがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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