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ワルトブルグ (ヴァルトブルク) 312 カブリオレ 東ドイツ (現ドイツ) 1966年
ワルトブルグ(ヴァルトブルク)は旧東ドイツの小型車のブランドで、東ドイツの国営企業のアイゼナハ社(Eisenacher Motorenwerk 略してEMW社)が生産していました。アイゼナハ社は第2次大戦前はBMWのアイゼナハ工場でした。ワルトブルグ車は第2次大戦前のDKW車をベースにしていて、最初のモデル 311は1956年に登場しました。311は2サイクル水冷3気筒900cc(40HP)エンジンを縦置きに搭載した前輪駆動の4人乗り小型車で、4段変速で最高速は115km/hでした。なおワルトブルグという名前は工場所在地であるアイゼナハにあるワルトブルグ城に由来していました。
ワルトブルグ車には戦前のBMWやアウトウニオンの技術が生かされていたので、同時代の西側諸国の車に比べても見劣りしない性能の車でした。1962年にはエンジン排気量を1L(52HP)にアップしシャーシを改良した312が追加されました。クーペ、カブリオレ、ロードスター、ワゴンなどが追加され、1960年代には西ドイツやアメリカなどに輸出されました。1966年頃までに約25万台が生産されました。1966年に後継車の353が登場しました。1991?に東西ドイツが統一され、ワルトブルグの工場はオペルに買収されました。(実車画像→ ワルトブルグ 353 1986)
ミニカーは2003年に発売されたミニチャンプス製です。ワルトブルグ 311の改良型である312のカブリオレをモデル化しています。ミニチャンプスらしいそつのない良い出来ばえで、フロントグリルや室内などの細部までリアルに再現されていました。ただ畳んだ幌が大きくかさばっていて目立ち過ぎの感じがします。この車は今見ると単に古臭いスタイルですが、1960年代当時としてはかなりかっこいい車だったのでしょう。ミニチャンプスは4ドアセダンと2ドアクーペもモデル化しています。これ以外のワルトブルグ 311/312のミニカーは、ブレキナのセダンとクーペとワゴン 1/87、イスト モデルのセダンとクーペとワゴン、ホワイトボックスのワゴンなどたくさんモデル化されていて、実車の人気が高かったことを反映しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 セドリック 130型 スペシャル 6 日本 1966年
1965年に日産 セドリック 2代目(130型)が登場しました。先代のアメリカ車風デザインから一転してイタリアのランチアのようなイメージになりましたが、これはイタリアのピニンファリーナのデザインでした。4気筒2L(92HP)、6気筒2L(100HP)、スペシャル6専用のOHC 6気筒2L(115HP)エンジンが設定され、3速AT/4速MTで最高速150km/h(OHC2L)の性能でした。なおセドリック 130型では3ナンバー規格の普通車の設定はありませんでした。なおこの車には既にクーラー(エアコンではなく単なるクーラー)がオプション設定されていたようです。
当時の日本ではセドリック 2代目(130型) 初期型のピニンファリーナ デザインが理解されず不評だったようです。(ピニンファリーナ流の上品なデザインはまだ時期尚早でした) その為セドリック 2代目は1966年と1967年にリアのデザインを変更しました。さらに1968年のモデルチェンジではフロント部分を大幅に変更してオリジナルのイメージが消えました。(実車画像→ セドリック 1968年式) ブルバート 2代目に次いでセドリックのデザインも不評だったことで、日産は外国人のデザインに懲りたと思われます。1971年にセドリック 3代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは2012年に発売されたCAM製です。CAMはミニカー専門店ベルテンポのブランドで、レジン製がほとんどでしたが、これはダイキャスト製でした。セドリック 2代目の初期型をモデル化しています。プロポーションが正確で初期型のピニンファリーナ デザインがうまく再現されていて、とても良く出来ていました。フロントグリルと前後灯火類、室内もかなりリアルに再現されていました。CAMは車高を下げたカスタムとそのストックカーレース仕様もモデル化していました。セドリック 2代目の当時物のミニカーはダイヤペットが型番145で1966/67年式、型番186で1968年式を、モデルペットが型番33で1966/67年式をモデル化していました。年式違いがこれほどモデル化されているのは珍しいですが、実車のデザインが何度も大きく変更されたことが原因でしょう。それらの当時物ミニカーはいずれもレア物のビンテージミニカーで、残念ながらいずれも持っていません。当時物以外のセドリック 2代目のミニカーはアドバンスピリット(アンチモニー製)の前期型セダン/バン、トミカ リミッテドの前期型と後期型などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 サニー 1000 B10型 日本 1966年
トヨタ パブリカなど他社が小型車市場に参入するなか、ブルーバードより小さい車種が無かった日産は1966年にサニーで1Lクラス大衆車に進出しました。当初の正式な車名はダットサン サニーで、サニーという名前は発売前の車名公募キャンペーンで選ばれたものでした。サニーは欧州で大成功したオペル カデットの影響を受けているとウイキペディアに書かれていますが、確かにシンプルなデザインのボディなど良く似ていました。エンジンは新規に開発された4気筒1L(56HP)のA型で、3段AT/4段変速で、最高速135km/hの性能でした。
発売当初の販売は好調でしたが、半年ほど後に発売されたトヨタ カローラの排気量が100cc大きく見た目が豪華なことから、販売ではカローラに抜かれてしまいました。確かにサニーの方がシンプルな分だけ、見ためではやや見劣りしました。(この辺がトヨタの商売上手なところでした) 当初は2ドアセダンだけでしたが、4ドアセダン(1967年)、ファーストバックの2ドアクーペ(1968年)、2/4ドア商用バン、トラックが追加されました。1970年にサニー 2代目 B110型にモデルチェンジしました。
ミニカーは2008年に発売されたアシェット製 日産名車コレクションです。メーカーはノレブで、シンプルなサニーのボディがうまく再現されていて、安価な雑誌付きミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。フロントグリルや室内などの細部もそこそこリアルで、後輪の下回りをよく見るとリーフスプリングのサスペンションも再現されていました。サニー 初代の当時物ミニカーはダイヤペットのセダンとクーペがありました。当時物以外ではエブロのセダン(この日産名車コレクションとよく似た出来ばえです)、トミカ リミッテドの2/4ドアセダン、ハイストーリー(レジン製)のクーペなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 ダットサン 1300 トラック 520型 日本 1966年
「ダットラ」の愛称で呼ばれた ダットサン トラック 初代(10T型)は戦前の1935年に登場しました。当時のダットサン 10/11型をベースにしたピックアップトラックで、4気筒722㏄エンジンを搭載していました。(実車画像→ ダットサン トラック 初代 10T型)
戦後の1946年にダットサン トラック 2代目(1121型)が登場しました。1951年に4気筒860㏄エンジンを搭載した6147型となりました。1955年にダットサン トラック 3代目(120型)が登場しました。乗用車のダットサン 110型をベースにしたピックアップトラックでした。
1957年にダットサン トラック 4代目(220型)が登場しました。乗用車のダットサン 210型をベースにしたトラックでロングホイール版、2列シートのピックアップ、2ドアライトバンがありました。 1961年にダットサン トラック 5代目(320型)が登場しました。ブルーバード 310型をベースにしたトラックで、先代同様にロングホイール版、2列シートのピックアップ、2ドアライトバンがありました。乗用車的な居住性や拡大された荷台で成功し、当時の1t積トラックのベストセラーとなりました。
1965年にダットサン トラック 6代目(520型)が登場しました。先代までの乗用車ベースの設計を変更し、トラック用として新設計された4気筒1.3Lエンジンを搭載していました。ただし見た目はブルーバード 410型と似ていました。3人乗りトラック、2ドア6人乗りのピックアップ、2ドア6人乗りのライトバンがありました。1966年のマイナーチェンジで4灯式ヘッドライトを採用し、1968年のマイナーチェンジでブルーバード 510型と同じようなフロントの意匠になり、4気筒1.5Lエンジンが追加されました。(実車画像→ 日産 ダットサン ピックアップ 1970) 1972年に7代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは2012年に発売されたエブロ製です。ダットサン トラック 6代目をモデル化しています。エブロらしい正確なプロポーションで、実車の雰囲気が良く再現されていました。フロントグリルや荷台などの細部も良く再現されていました。実車は私が中学生の時に近所で良く見かけたので、当時を懐かしく思い出しました。エブロは戦前の初代もモデル化していました。これ以外のダットサン トラックのミニカーは、トミカの520型、トミカ リミッテドの320型などがあります。自動車が普及していく過程で商用車やタクシーは欠かせない存在でしたし、現在も重要な役目を果たしています。したがって地味な存在ですが、その時代の代表的な商用車もできるだけミニカーにして欲しいものです。トラックや商用車が好きなミニカーコレクター(子供も含む)がいることもあり、昔からの老舗ブランドは乗用車やレースカーだけではなく商用車もきちんとモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ カローラ 1100 KE10型 日本 1966年
1966年に登場したトヨタ カローラはコロナとパブリカの間を埋める車として企画されました。(カローラとは「花の冠」の意) 実用性重視で販売が芳しくなかったパブリカの反省から、実用上の性能を確保した上で内外装に高級感を持たせた車となっていました。新開発した4気筒1.1L(60HP)型エンジンを搭載し、フロアシフトの4段変速で最高速140km/hの性能でした。ボディデザインはスポーティな味付けがされた目新しい物で、グッドデザインだったと思います。
ライバルの日産 サニーより排気量を100cc大きくした戦略があたり、コロナを抜いて国内販売台数1位となり商業的に大成功しました。1967年に4ドアとバンが追加され、1969年には1.2L(68HP)エンジンに切り替わりました。1968年にはスポーツ仕様を求めるユーザー層に対応してスプリンターが追加されました。カローラはその後のトヨタ流の車作り(80点主義)の原点となった車でした。1970年にカローラ 2代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは2006年に発売されたアシェット製 国産名車コレクションでメーカーはノレブです。プロポーションが良くフロントやリアの雰囲気など実車のイメージがうまく再現されていてかなり良い出来ばえでした。灯火類やグローブボックス周りがボディ同色パネルとなっている室内など細部も良く再現されていました。(実車画像→ トヨタ カローラ 初代 インパネ) 当時物ミニカーとしてはダイヤペット製がありました。 当時物以外では2008年にエブロからモデル化され、それもこのノレブ製と同じような良い出来ばえでした。同時期にトミカ リミテッド ヴィンテージ(1/64)では2ドアと4ドアがモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)