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スチュードベーカー チャンピオン 2ドア クーペ アメリカ 1950年
スチュードベーカーは戦前の1939年に低価格の6気筒エンジン搭載車チャンピオンで大衆車市場に進出し成功しました。1942年にスチュードベーカー チャンピオンは2代目にモデルチェンジしました。第2次大戦中のスチュードベーカーは軍用機エンジンや軍用トラックなど軍需品の製造を行いました。(実車画像→ スチュードベーカー チャンピオン 1939)
大戦後の1947年にチャンピオン 3代目が戦後型として登場しました。3代目のデザインは有名な工業デザイナーのレイモンド ローウィによるもので、フェンダーとボディを一体化したフラッシュ サーフェスと独立したトランクの3ボックス スタイルを量産車として初めて採用しました。ボディ形式には2/4ドアセダン、2ドアクーペ/コンバーチブルがありました。2ドアクーペのリアウィンドウは側面まで大きくラップアウンドした独特のデザインでした。(実車画像→ スチュードベーカー チャンピオン 1947)
チャンピオン 3代目は6気筒2.8L(80HP)エンジンを搭載し、1950年のマイナーチェンジで85HPにパワーアップしました。このマイナーチェンジで採用された特徴的な丸い突起を備えたフロントグリルは、同時期のフォードのデザインを模倣したようです。スチュードベーカーのフラッシュ サーフェスの3ボックス スタイルは他社に波及し、当時のセダンの基本スタイルとなりました。GM/フォード/クライスラーのBIG3は戦後の生産体制回復が遅れたので、いち早く発売された戦後型のチャンピオン 3代目は圧倒的な人気を博して大成功しました。1953年に4代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ スチュードベーカー チャンピオン 1953)
ミニカーは2007年に発売されたヤトミン製です。チャンピオン 3代目の2ドアクーペ(スターライト クーペ) 1950年式をモデル化しています。1950-1970年代の代表的なアメリカ車を1/43でモデル化したヤトミンのビンテージ アメリカ車シリーズの一つでした。このシリーズは定価1500円ほどの廉価版ミニカーでしたのであまり細かいところまでは再現していませんでしたが、実車の雰囲気はうまく再現していました。このチャンピオンもフラッシュ サーフェスのボディ、特徴的な突起の付いたフロントグリル、ラップアウンドしたリアウィンドーなど時代を先取りしたこの車のデザインが良く再現されていました。室内もそこそこ良く再現されていました。これ以外のスチュードベーカー チャンピオンのミニカーはダンバリー ミントのコンバーチブルとクーペ 1/24、ブルックリン(ホワイトメタル製)のクーペ、BOS MODELS(レジン製)のクーペなどがあります。なおLUCKY DIE CAST製のチャンピオンはこれと同じ物をヤトミンがLUCKY DIE CASTブランドとして再販した物でした。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォルクスワーゲン T1 (タイプ 2) ピックアップ サービスカー ドイツ 1950年
フォルクスワーゲンの商用車は総称としてトランスポーターと呼ばれ、貨物運搬用のバンやトラック、多人数乗用のマイクロバス、貨物乗用兼用のワゴン(独ではKOMBI:コンビ)などの多くのバリエーションがあります。トランスポーターはその世代毎に第1世代(1950-1967)をT1、第2世代(1967-1979)をT2、第3世代(1979-1992)をT3、第4世代(1990-2003)をT4、第5世代(2003-2015)をT5、第6世代(2015-2022)をT6、最新のトランスポーターである第7世代(2022-)をT7と称しています。そのなかでもビートルと同じ後輪駆動のT3までをタイプ 2と呼び、世界中に多くのマニアがいます。
第1世代のT1はビートルをベースにしているので、リアにエンジンを搭載した後輪駆動車でした。リアエンジン搭載車はリアを荷台にする商用車には向いていないのですが、水平対向エンジンを荷台の下にコンパクトに収めることで商用車として成立させていました。ビートルと同じ空冷水平対向4気筒1134cc(25HP)エンジンで、商用車として駆動力重視の変速機だったので最高速は90㎞/hでした。1964年には1.5Lエンジンが追加されました。T1は丈夫で汎用性にも優れていたので、商用車だけではなくマイクロバスやキャンピングカーなど乗用車としても使われました。1967年に2代目にモデルチェンジしました。なおT1は初期のT1aとフロントウィンドー上のルーフラインが異なるT1b、1963年以降のT1cに区分できるのですが、外観的な違いはミニカーではあまり明確には分かりません。
ミニカーは1967年に発売されたコーギー製の当時物です。コーギーは型番433/434でフォルクスワーゲン T1をモデル化していました。これはコーギー レーシング クラブのサービスカーという設定でフォルクスワーゲン T1 ピックアップとクーパー マセラティ F1を搭載したトレーラーをセットにしたセット物(ギフトセット型番GS06)として発売されました。T1 ピックアップは実車の雰囲気がうまく再現された良い出来ばえで、荷台にはスペアタイヤやツールボックスを積載し、リアエンドにはウインチが付いています。ツールボックスを開くとレンチやインパクトドライバーなどの工具が入っていて、ウインチは実際に巻き上げることが出来るなどコーギーらしいギミックの付いた楽しいミニカーになっていました。 以下はフロント/リアの拡大画像と荷台の工具箱を開いた状態の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)









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ルノー コロラール サバン フランス 1950年
ルノー コロラールは1950年に登場した、ルノーの中型の乗用/商用車でした。コロラールという名前はフランス語のCOLONIALE(植民地)とRU RALE(田舎)を組み合わせた造語で、フランスの植民地や田舎で使用する多目的車という意味合いのようです。戦後のルノー車は復興に必要とされた4CVなどの小型車が主力でしたが、コロラールは中型車市場への参入を目指した車であり、ほぼ同時期に高級中型車のフレガトも登場していました。
コロラールにはプレイリーとサバンの2タイプがありました。プレイリー(PRAIRIE)は4ドア ブレーク(ワゴン)で、3列シートの6-7人乗りでした。(後席を畳んで荷物が積めます) プレイリーにはタクシー専用モデルがあり、室内は運転席と客席の間に仕切りがあり中央に補助席があるリムジーン仕様となっていました。サバン(SAVANE サバンナ(大草原)の意)は2ドアブレークで、主に商用バンとして使われました。後席の窓はキャンバスが張られていて、キャンバスを巻き上げて窓を開けるといった仕様から分かるように熱帯地方(植民地)で使われることを想定していたようです。コロラールは1952年に新型2Lエンジン(58HP)に変わり、4WD仕様まで設定されました。ただ同じような価格の車に比べると性能が低く見た目も良くなかったので、人気が無く商業的には失敗しました。1957年まで生産され、総生産台数は約4万台でした。
ミニカーは1997年頃に発売されたビテス製です。最盛期のビテスの標準的なうまい造形で良い出来ばえでした。サバンをモデル化しているので前方に開いたウインドスクリーンや巻き上げられたキャンバスなどが再現されています。ビテスはプレイリーやタクシー仕様など数種類のバリエーションを作っていました。コロラールの当時物ミニカーとしてはCIJの古いレア物がありましたが、それの復刻版をノレブが2006年頃に発売しています。それ以外のコロラールのミニカーはイクソ系のミニカー付雑誌「世界のタクシー」のタクシー仕様やCOFRADIS ブランドの物がありましたが、どちらもビテスの型を使っているようです。最近の物ではソリドとノレブもあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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パナール ディナ X フランス 1950年
第2次大戦前は高級車メーカーであったパナールは、戦後は特権階級層が少なくなった社会構造の変化に対応する必要があり、小型大衆車を量産することになりました。戦後のパナールのベースとなったディナ Xが1946年に登場しました。ディナ Xはアルミ軽合金のフレームとアルミ製ボディによるセミモノコック構造で、アルミ軽合金製の空冷水平対向2気筒600cc(22HP)エンジンを車軸の前にオーバーハングさせて搭載した前輪駆動方式という極めて革新的な車でした。中身は革新的だったのですが、外観は見てのとおり古くさくユーモラスな感じもしました。
外形寸法はルノー 4CVとほとんど同じで最高速100km/hの性能も同じでした。ただしアルミ製ボディなどでコストが数割高いディナはルノー 4CVの1/10ぐらいしか売れませんでした。1954年に外観を大幅に変更したディナ Zにモデルチェンジしました。総生産台数は約4.7万台でした。ディナ Xをベースにした小型2ドアスポーツカー(ロードスター/カブリオレ) ディナ ジュニア(JUNIOR 仏語式に読むとジュニオル)が1952年に登場し、1956年までに約4500台が生産されました。なお優れたサスペンションなどシャーシ性能が高かったディナは、改造されてレースで活躍しました。シトロエンやパナールをベースにしたスポーツカーを製作していたDB社のレースーカー DB パナールは、パナール ディナをベースにしていて1950年代にミッレ ミリアやルマンで活躍しました。
(実車画像→ パナール ディナ ジュニア 1952、DB パナール 1955)
ミニカーはイクソの別ブランドであったノスタルジー製で2010年頃に入手しました。1949年式フォードを思わせる丸いグリルがフロントに追加されたディナ X 1950年式をモデル化しています。ディナ Xのユーモラスな感じがする面構えがうまく再現されていて、灯火類や室内などの細部も結構リアルで良く出来ていました。これ以外のディナ XのミニカーはCIJの当時物、エリゴールの商用車、イクソ、ノレブのカブリオレなどがあります。ディナ ジュニアのミニカーはCIJの当時物、ビザール(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)



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アルファ ロメオ 1900 イタリア 1950年
高性能なツーリングカーを量産して比較的低価格で提供するといった、戦後のアルファ ロメオの路線に沿って1950年に登場したのがアルファ ロメオ 1900でした。1900はモノコック構造の4ドアボディにDOHC 4気筒1.9L(80HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速150km/hの性能でした。戦前のアルファ ロメオほど高性能ではありませんでしたが、1900は当時の2Lクラスとしては最速の車でした。高性能ながら価格は中級車 フィアット 1900の約1.5倍と低価格でしたので、この車は成功しました。
アルファ ロメオ社の標準ボディはベルリーナ(セダン)だけでしたが、コーチビルダーによって2ドアクーペやカブリオレなど様々なボディが架装されました。その代表的なモデルとしてはトゥーリング製のスーパー スプリント クーペ、ピニンファリーナ製のカブリオレ、ザガート製のSS クーペなどがありました。1951年には100HPにパワーアップしたTIが追加され、1953年には排気量を拡大した2L(90HP)のスーパー、2L(115HP)のTI スーパーが追加されました。1958年に後継車の2000が登場し、1959年に生産中止となりました。1900シリーズの総生産台数は約21000台でした。
ミニカーは1983年に発売されたブルム製です。特徴的なフロントグリルがうまく再現されているなど、1980年代の量産ミニカーとしては良い出来ばえでした。ただボンエット先端のマスコット(飛翔する鳥?)はもうすこしリアルに仕上げて欲しかったですが。このような地味なセダンをモデル化していた初期のブルムは、私にとってはありがたいブランドでした。ブルムはラリー仕様など数種類のバリエーションを作っていました。当時物ミニカーとしてはディンキー(英)のスプリント クーペ、マーキュリーのセダンがありました。当時物以外では、M4、M4傘下のリオ、ネオ(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)





